第102話 祐奈の猫パンチ


「彼女たちはロッドさんの優しい性格がお好きなのでしょうか?」


 考えを巡らせながら祐奈は尋ねてみた。もしもそうだとするなら、同じような性格の男性を何人か他の教会から招いて、教育係を引き受けてもらうとか、何か手が打てるかもしれない。


「それが……その……」


 ロッドは気まずそうに答えあぐねている。


 彼の様子を眺めて祐奈も気付いた。――本人の口から『彼女たちは私のこんなところに惚れているようです』と説明するのは、非常に難しいことかもしれない、と。


 そういったことを自慢して得意になりたいタイプならともかく、ロッドは自己顕示欲が強くなさそうだから。


「遠慮せずにおっしゃってください。解決策を考えるのに、事実を正しく把握する必要があるのです」


「では言います――彼女達は私の顔がとにかく好きらしいのです」


 沈黙が広がった。祐奈は呆れたわけではなかったのだが、なんとも言いようがなくて言葉が出てこなかったのだ。


 しかしぶっちゃけたロッドは『穴があったら入りたい』という心地だったようだ。口元をきつく引き結び、恥じたような表情を浮かべている。


「あの、すみません、ラング准将のような非凡な方を前にして……私は決してうぬぼれているわけでは……」


「今の流れで私のことを気にする必要はありませんよ」


 ラング准将が口を挟んだのだが、彼は彼でロッドから『あなたのようなイケメンを前にして、顔自慢みたいなことをしてごめんなさいね』と言われたようなものだから、これはこれでなんともいえない気持ちではあるのかも……と祐奈は推察した。


 ……いえ、でも……?


 そういえば以前、『誰かに顔のことを言われても、なんとも思いません』と言っていた気もする。するとラング准将的には案外平気だったりするのだろうか。いつもどおりのポーカーフェイスではあったし。


 祐奈が興味本位でチラチラとヴェール越しにラング准将の顔色を窺っていると、彼がこちらを流し見てきた。視線が絡み、ドキリとする。


 祐奈は心の中で、彼が言いたいであろうことをアテレコしてみた。


 『こら』か、『私をからかってはいけません』か、『あとでお仕置きです』か――どれもしっくりくるようで、それでいてどれも違う気がした。


「――祐奈。雑念が混ざっていますね」


 彼が密やかに囁く。声は低く静かなのに、艶があった。


 祐奈は思わず赤面し、


「ご、ごめんなさい……」


 つっかえながら詫びを入れるのがやっとだった。


 彼の口角が微かに上がる。とても優美で、なんだか危険な香りがした。


 不意に祐奈は『ここを越えてはいけません』という禁忌のラインをうっかり踏んでしまったような心地になり、慌てて彼の顔から視線を逸らしていた。


 危ない、危ない……


 ラング准将はあらゆる危険から祐奈を護ってくれているのだが、実は一番危険なのは、彼自身なのかもしれない――そんな気がしてきた祐奈であった。



***



 ロッドが続ける。


「グロリアもバーバラも、私の性格には物足りなさを感じているようです。『あなたの取り柄は顔だけね』と言われました」


「ひどいですね……」


 眉尻を下げた祐奈であるが、よくよく考えてみると、顔だけでも取り柄があるなら十分だし、むしろすごいことなのではという気もしてきた。


 ――自分自身、ちょっと言われてみたい台詞でもある。現世では無理なので、来世に期待するしかなさそうであるが……。


「ですが、ロッドさんは格好良いし、性格も優しいのですから、私からすると欠点がなくて羨ましいです」


「本当ですか?」


「ええ、そう思います」


 励ますように祐奈が頷いてみせると、ロッドが笑顔になる。


 ずっとしんどそうな顔をしていたので、こんなに嬉しそうな顔は初めて見たかもしれない。ちょっとした褒め言葉にこんなに反応するなんて、精神的によほど追い詰められていたのね……と同情を覚えてしまった。


 彼は淡く笑みを残したまま、少しのあいだ考え込んでいた。そうして心の内を吐き出し始めた。


「彼女たちに性格のことをからかわれて、なんだか傷付けられたような気持ちになったのは、自分自身が『そうだな』と納得してしまう部分があったからかもしれません。――私は元々傲慢で、恐れ知らずの性格をしていました。以前の気質が今と真逆だから、私自身がきちんと今の自分を受け入れられていないのかも」


「それでは、ずいぶん性格が変わったのですね」


「ええ。幼少時に転換期がありまして」


「信仰に目覚めたのですか?」


 神職に就いているからそうなのかなと思ったら、


「いいえ」


 ロッドが首を横に振ってみせる。――昔のことを語る彼は、グロリアとバーバラを前にした時のように、どこかつらそうだった。


「海外から年上の従兄(いとこ)が戻ったんです。当時、私は七つでした。従兄は十一。双子の彼らは、とんでもない悪童でした。私があのまま順調に育っていれば、四年後にはきっと彼らそっくりになっていたでしょうね。血のつながりとは誠に恐ろしいものです。――七つの子供でも、当時の私は負けん気が強かったもので、彼らに食ってかかり――結果、瞬殺されました。以降、苦渋にまみれた下僕人生がスタートしたのです。そのしみったれた状況は、私が十五になるまでずっと続きました。八年の生活で私の自尊心は粉々に砕かれ、今ここにいる苦悩に満ちた大人しい男が出来上がったというわけです」


 可哀想……としかいいようがない。そんな捕虜みたいな暮らしをしていたせいで、こうなってしまったのか。


 今のロッドは慎み深く、我慢強く、高潔であるが、そうなるためには、大きな犠牲を払う必要があったのだ。


 ――これぞ神の試練ではないか。



***



 ロッドが退室し、部屋には祐奈とラング准将だけが残った。


「名家の娘二人が好き勝手しているという単純な構図なので、私が圧力をかけましょうか」


 そういえばラング准将は侯爵家の人間だった。彼には気品がありいかにも高貴であるのだが、在り方があまりに自然で威張ったところがないので、一緒にいると身分の高い人だというのをつい忘れてしまう。


「それもいいような気もしますね」


 祐奈も同意した。グロリアとバーバラは井の中の蛙だ。世の中には上には上がいるということに気付いていない。権力を笠に着てやりたい放題しているのだから、さらに上から圧力をかけてやるのが、一番効果的なのかもしれなかった。


 けれど……


「……なんでしょう。しっくりきません」


「綺麗とはいえない解決方法だからですか?」


「いえ」


 祐奈は眉根を寄せ、自分の中の違和感についてよくよく考えてみた。他人に自分の考えを伝えるのは、自分自身のためでもある。思考が整理されるからだ。


「なんというか、ベイヴィア大聖堂が楽をしすぎているように感じられるせいかもしれません」


「確かに彼らは何もしてこなかった」


「候補者たちの我儘をなんとかするのは大聖堂側であるべきです。朗読係に関しては、中央から選定の仕組みを押し付けられたわけでもない。自分たちで考え、自分たちの都合のいいように運用してきた。それなのに事態がおかしな方向に進んで、手がつけられなくなったら、外部に泣きついて助けてもらおうとしている。とはいえまぁ……手助け程度ならしても構わないと思うんです。選定に関しては、私も納得して引き受けました。助力を惜しむつもりはない。けれど彼らがこちらに解決を丸投げするのは良くないな、と思って」


「そうですね」


「ラング准将が侯爵家として圧力をかけた場合、彼らは尻拭いを一切しなかった人々になってしまう。それはフェアじゃないように感じられて……」


「――祐奈」


 彼が笑み交じりに名前を呼んだ。そうされると受け入れられていると感じる。


「あなたには何か案があるのでは?」


 問われ、祐奈は小さく息を呑んでいた。ちゃんと意識していなかったけれど、彼に指摘されて、ぼんやりしていたものが形になっていくのを感じた。


 これはだけど……どうだろう……


 少し自信がなくて隣を見ると、彼が頷いてくれる。


「大丈夫。恐れずにやりましょう」


「はい」


「何か必要なものは?」


「始める前に、朗読係に関する規約を確認してもいいですか? 『司教が選定する』という内容だと口頭で伺いましたが、念のため書面で確認しておきたくて」


「手配します……ただ」


 話がまとまりかけたところで、ラング准将がそんなふうに言葉を切ったので、祐奈は小首を傾げてしまった。


 続きが気になって仕方がない祐奈に対し、彼のほうは祐奈から視線を逸らし、たっぷりと間を置くのだった。凪いだ気配で、なんとも掴み所がないために、かえってこちらは気を惹かれる。彼の美しい横顔から目が離せない。


 ラング准将が瞬きしたあと、ゆっくりと口を開いた。


「――あなたがロッドの顔を褒めていて、ショックでした」


 静かな声音。彼はまだ祐奈のほうを見ない。


 その内容があまりに予想外であったので、祐奈は息が止まるかと思った。


「あの、ラング准将……?」


「もう長い付き合いになるのに、祐奈が私の顔を褒めてくれたのは一度だけ。ロッドとは出会ったばかりなのに、あんなふうに」


 瞳を伏せ、いかにも傷付いていますというように語る。とても寂しそうに見えて、祐奈の心は千々に乱れた。


「でも、それは話の流れで」


「話しの流れで、ロッドを格好良いと言ったのですか?」


「だって彼――」


「彼?」


 ラング准将の瞳がやっとこちらを向く。こちらの言葉遣いを咎めるようなその問いかけに、祐奈は頭がこんがらがってきた。


「え、何? 『彼』と言ったらだめですか?」


「だめ」


「どうして?」


「なんだか親しげに聞こえるから」


「普通の言葉でしょう? 全然変じゃない」


「そうかな」


「大体、ロッドさんとは親しくはありませんし、ラング准将のほうがずっと」


「ずっと、なんですか」


「ずっと親しいでしょう?」


「さぁ、どうだろう。祐奈は明らかにロッドを気に入っている。彼はハンサムですからね」


「気に入っているだなんて、そんなことありません。ラング准将もすごく格好いいですよ」


「も、ですか」


「いえあの、今のは言葉のあやで、私は断然ラング准将のほうが」


 必死で言い募りかけて、彼の口元に悪戯な笑みが浮かんでいるのを見て、やっと気付いた。


 や、やられたー!


「か、からかいましたね、ひどいです」


 ふふ、と彼が俯いたまま笑っている。しばらく笑いの発作が治まらないのか、可笑しそうに笑い続けている彼を眺めるうちに、祐奈は本格的に腹が立ってきた。


 拳を握り、彼の肩を叩く。けれどそれはまったく力が入っていなくて、撫でるくらいのものになってしまった。


 それでも彼にはこちらが怒っていることが伝わったはずだ。ちゃんと伝わったはず……祐奈はそう信じていた。


「……猫がパンチしたくらいの力ですね」


 結局、ラング准将にまた笑われてしまい……ものすごくショックだった。


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