第97話 聖具の横取り


 大都市ベイヴィアに到着した。華やかさはあまりないが、建築物は頑健で壮麗で、なんとも迫力がある。


 白壁に、落ち着いた色合いのドーム屋根と、造りそのものは保守的ではあるのだが、所々にゴールドの飾りをあしらっているので、地味さや野暮ったさは感じられない。勇ましい行進曲が似合いそうな都市だと祐奈は思った。


 早速、ベイヴィア大聖堂を訪ねると、司教から歓迎を受けた。


 ……ヴェールの聖女が歓迎されるパターンは、大抵、面倒事が降りかかってくる。ここでも例外ではなかった。


「聖女祐奈様、ラング准将、ようこそお出でくださいました。アリス様がすぐにここを去ってしまい、私どもは頭を抱えていたのです」


 司教は誠実そうな顔をした好々爺という印象である。彼はエントランスで祐奈の手を取り、『ありがたい』という心の内を行動で示すように、両手で包み込んで笑顔を浮かべた。


 頭頂部に髪はほとんど残っておらず、残った髪は短く切って清潔に整えている。髪はほとんど白いのに、太い眉毛はまだ黒々としているのが、なんだか不思議な感じがした。


「旅でお疲れでしょう。――さぁさ、中へどうぞ」


「恐れ入ります」


 ラング准将は完璧にポーカーフェイスを保っていたが、彼の飴色の瞳に『やれやれ』という呆れが交ざっているのを、傍らにいた祐奈は見て取っていた。彼の端正な物腰は便利な煙幕にもなるので、こうした微妙な心の機微は、彼と深く付き合ってみないと見抜けないかもしれない。


 祐奈が気遣うように傍らのラング准将を見上げていると、それに気付いた彼が『大丈夫』というように優しく手のひらで背中に触れてくる。口元には淡い笑みが浮かんでいるように思えたが、これもまた、他の人には気付けないほどの、微妙な表情の変化だった。


 ――古めかしい調度類に囲まれた応接間に通され、この地方独特の香りの強いお茶や、丸型で表面にマーブル模様のついた不思議な焼き菓子などを振舞われた。


 初めラング准将は護衛らしく壁際に下がろうとしていたのだが、司教の強いプッシュで、祐奈の隣席に引っ張り込まれてしまった。


 けれどまぁラング准将が自身の主義を貫き通そうとすれば、容易く流されたりはしなかったのだろうが、祐奈も同席を希望したことから、彼も長椅子に並んで腰を下ろすことにしたのだろう。


 横並びで座る機会が意外とないので、祐奈はこれだけでなんとなくソワソワしてしまった。


 ――彼はお育ちが良いせいなのか、はたまた本人の資質なのか、座った姿がなんとも品良く端正である。


 そんな彼を見ていると、『こんな素敵な人に抱きかかえられて馬に乗っていたなんて、狂気の沙汰ね』と思った。――こうして体が離れて、適切な距離を保てるようになると、『よくああも接近した状態でお喋りできていたものだ』と自分でも不思議に感じられるのだった。


 ――司教はお喋りな人で、言いたいことをそのまま言葉に出しては、コロコロとすぐに話題を変えていく。こちらが気を遣って話題を探し出さなくてもいいので、気楽は気楽なのだが、それにしても忙しない感じがした。


 彼は『喋っている自分』が好きなようで、相手をもっと知ろうとか、楽しませようという気負いはないらしい。『お喋りなこと、イコール、会話上手ではない』ということがよく分かるケースだった。


 しかし選ぶ話題は人畜無害だったので、祐奈は彼に対して好感を抱いた。すごく好きになったわけでもないけれど、悪い人ではなさそうだし、リラックスはできる。


 ――ところが、司教に心を許した祐奈に対し、ラング准将のほうは硬い態度を崩さずにいた。


「聖女アリスはこちらに何泊しましたか?」


 ラング准将の問いに、司教が答える。


「一晩お泊りになっただけですな。夜遅く到着して、翌日の昼前にはお発ちになりました」


「ずいぶん早い」


「ええ、私どもは三、四日滞在されるものと思っていましたので、何が何やら……よく分からないうちに、嵐が過ぎ去ったという感じでしたな」


「急いでいる理由は言っていましたか」


「いいえ、なんにも」


 司教は首を横に振り、小さくため息を吐く。


「なんにも分かりませんよ。ええと、護衛隊の責任者――気難しい偏屈な小男で――面白味も何もない――なんといったかな」


「ハッチ准将ですね」


 ラング准将は真面目に返しているが、祐奈は内心度肝を抜かれていた。……司教は結構な毒舌だなと感じたためだ。人畜無害なレッテルを貼っていたけれど、その場にいない人には容赦がない性分なのかもしれない。


「そうそうハッチ准将。私は彼としか話していません。ハッチ准将自体が、フレンドリーとは反対な態度でしたもので、打ち解けられなかった」


「確かに彼には少し癖がある」


「あの方を好きな人間がこの世界に存在するとしたら、彼の実母くらいではありますまいか?」


 おおっと……聞いていた祐奈はなんだか冷や汗が出てきた。


 司教の悪口はカラッとして憎悪の欠片もないので、余計に怖いというか、狂気を感じてしまう。言っている内容はこの上ない人格否定なのであるが、それを天気の話でもするように語るのだから、不思議な人だった。


 ラング准将は注意するでも眉を顰めるでもなく、また追従するでもなかった。


 落ち着いた物腰でさらっと受け流して、質問を続けた。


「こちらの聖具は具体的にどんなものですか?」


「ベイヴィア大聖堂に祭られております聖具は『叡智(えいち)の鏡』です。魔法は選択型で、お好きなものをお選びいただけます」


「アリスがなんの魔法を習得したかご存知ですか?」


「習得はしておりません」


「――失礼、今なんと?」


「アリス様は魔法習得をなさりませんでした」


「なぜ?」


 あまりに不可解だった。おそらく司教に尋ねても答えは返ってこないであろうが、ラング准将としてもそう問わずにはいられなかったようだ。


 それは祐奈も同じ気持ちだった。……一体なぜ?


 『叡智の鏡』が魔法を選べないタイプの聖具ならまだ分かる。属性の関係で、習得済の魔法と相性が悪く、取り込めないということがあるかもしれないからだ。


 たとえば『火』と『水』とか。


 しかし選択型の聖具であるらしいから、ここでアリスがスルーした理由がよく分からなかった。


 司教が経緯を説明してくれた。


「アリス様のご到着が、当方が予想していたよりも数日早かったのですよ。――『叡智の鏡』は職人に磨きに出しておりまして、当日は大聖堂にそのもの自体がございませんでした」


「アリスは鏡が戻るまで待たなかった?」


「さようです。急ぎ取り戻す手配を取りましたが、運悪く職人と連絡が取れずに、アリス様がお泊りになった翌日も戻ってきませんでした。とはいえ、もう一泊すれば、なんとかできたと思うのです。しかしアリス様はかなりお急ぎでしたようで、慌てて旅立って行かれました」


「奇妙ですね」


「ええ、大変奇妙です。後日使いの者を寄越すから、その者に渡してくれと言われましたよ」


「聖具は拠点外への持ち出しを禁じられているのでは?」


 拠点外というのは、町の外という意味だろう。元々職人に磨きに出していたくらいだから、『大聖堂から絶対に出してはだめ』というわけでもないらしい。


 しかし大切なものではあるので、遠距離の移動は本来禁じられているようだった。


「平素はそうです。しかし聖女来訪時は、全ての決まりごとが変わります。聖女様のおっしゃることが絶対となるので、ご都合には合わせねばなりません」


「鏡を受け取りに、使いの者は来ましたか?」


「いいえ、まだ。――というのも、アリス様が去ってから、まだそう日はたっておりませんので」


 それはそうだった。祐奈たちはローダー遺跡でアリス隊とニアミスしている。そこから急ぎ街道を東に向かって進んできた。馬車ではなく馬なので、日数はそうかかっていない。


「叡智の鏡を、祐奈が使わせてもらうのは構いませんか?」


「それはもちろん。我々は聖女のどちらかに優劣をつけません。ローダールートを歩まれて来たのはアリス様ですが、聖具を使用せずに去ったのは、彼女自身です。そのあと別の聖女様がいらっしゃり、聖具の利用をお求めになるならば、我々としては拒む理由もありません。――アリス様からは『未使用の聖具を使いの者に渡せ』とは言われておりませんので」


「祐奈が魔法を取り込んでしまった場合、その後アリスも問題なく使えるのでしょうか?」


「別々の聖女が、それぞれ魔法を取り込めるかということですね?」


「ええ。聖具により、二度使用が可能なものと、そうでないものがあるとか」


「さようです。ベイヴィア大聖堂の聖具は、残念ながら『一人きり』ですな。次に使用可となるのは、三十四年後」


 司教の答えはラング准将を満足させたようだ。彼の口角が微かに上がった。


「それはいい」


「ただし」


 司教が上目遣いにラング准将を見つめ、次いで視線を祐奈のほうに移した。


「ギブ・アンド・テイクでいきましょう。――聖具を使用したいなら、先に私どものお願いを聞いていただきたい」


 先に司教が語った「アリス様からは『未使用の聖具を使いの者に渡せ』とは言われておりません」というのは、ほとんど屁理屈の域で、あとで大問題になる可能性も高かった。


 アリスは腹を立てるだろう。


 しかし司教なりの勝算があるのか、あるいは(見た目によらず)無鉄砲なのか、彼は大胆だった。


 意外と狸というか、腹黒い人なのかもしれない。聖具使用の件であとになって揉めた場合、『ヴェールの聖女に強要されたので、逆らえなかった』とこちらに責任を押し付けてくることも考えられた。


 アリスと揉めるのは、ベイヴィア大聖堂としては望ましいことではないだろう。しかし『聖女VS聖女』の揉めごとに巻き込まれたという形なら、司教は単なる被害者の立場でいられる。中央に対して、最低限の面目も保てるだろう。


 ――しかしそれならそれで別に構わないと祐奈は思った。今よりさらにヴェールの聖女の評判が下がったとしても、大差ないからだ。


 重要なのは、魔法を確実に取り込むこと。だからこの話はどうあっても断れない。そして悪い申し出でもなかった。


 祐奈は姿勢を正して椅子に座り直した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る