11.美と智の殿堂

第95話 とびきり甘いのは、だめ


 相変わらず祐奈はラング准将に抱えられ、馬に乗せられていた。


 『この状態にも慣れたのでは?』と問われれば、『YES』でもあり『NO』でもあった。


 ――彼の腕の中はとても落ち着く。『落とされるかもしれない』と危ぶんだことは一度もないし、彼はいつも祐奈を気遣ってくれる。


 けれど時折、すぐ近くでラング准将から『祐奈』と呼ばれると、水面に小石を投げ込んだあとのように、心の中に波紋が広がって、どうしようもない気持ちになってしまう。


 たぶん彼はそれに気付いていると思う。というのも、祐奈が恥ずかしがっていると、彼のその後の声音が少し――ほんの少しだけ甘くなる気がするからだ。


 その空気は日向ぼっこをしているように穏やかであるにも関わらず、祐奈をこの上なく戸惑わせた。衝動めいた何かが湧き上がってきて、もっと彼にくっついて、甘えたいような心地になってしまう。


 そうすると祐奈は、『私はなんてはしたないんだろう』と考え、余計に恥ずかしくなってしまうのだった。


「――とても大きな街道ですね」


 黙り込んでいると際限なく馬鹿なことを考えてしまいそうで、祐奈は後ろにいる彼に話しかけた。馬上ではヴェールを外しているので、彼の胸に身を預け、彼の肩らへんを眺めながら喋る。


「国内を横断する場合、ここが一番大きな通りになります」


「私たちが旅してきたカナンルートは、もっとずっと小さな通りでしたね」


 日本にいた時の感覚だと、四車線道路と二車線道路くらいの差があると思った。


 街道が大きければ、その周辺には店が集まってにぎわってくる。ローダールートはずいぶん開けているのだなと、とにかく圧倒されてしまう。今の心境は、田舎者が都会に出て来た時の戸惑いに似ているかも。


「そうですね。カナンルートは南から北へ、縦断する形でしたが、この国は縦のルートはあまり発展していないのです」


「どうしてですか?」


「地形の問題もありますし、あとは各都市の緊張状態も関係していますね」


「そういえば、ポッパーウェルは近隣都市と揉めていましたね」


 予言者フリンが強い影響力を有していた、奇妙な都市・ポッパーウェル。あの町で白黒のルークが旅の仲間になった。祐奈が回復魔法を初めて使ったのは、ルークに対してだった。


 ……懐かしい。なんだか遠い昔の出来事のようだ。あの時はまだこの国にも、旅の仲間たちにも、そんなに慣れていなかった。


 思い返してみれば、ラング准将はあの頃からずっと優しかった。


 けれどなんていうか……ポッパーウェルに着くあたりまで、彼は祐奈のことを、五つくらいの子供みたいに考えていたふしがある。今でもたまにそういった気配は感じるけれども、あの頃はそれが顕著だった。


 祐奈のことを侮っていたというわけではなく、ラング准将からするとそれだけ頼りなく見えていたのだろう。


 彼は弱者に優しい人だから、祐奈のことも全力で護ってくれたし、傷つき弱った子供に対するように、心を砕いてくれた。それは彼の公正さの表れでもあった。


 ……それじゃあ今は? 祐奈は考えを巡らせる。


 彼はやっぱり優しいけれど、時々……すごくたまにだけど、意地悪になることがある。意地悪といっても、嫌味を言うとかじゃなくて、言葉で惑わせて、祐奈を困らせるのだ。


 それで祐奈が慌てふためくという失態を見せても、彼は『申し訳ない』とは思っていないようである。


 ポッパーウェルまでの彼だったら、祐奈がその状態になったら、たぶん『すみません』と言って、すぐに距離を取ってくれたはずだ。


 ――一つはっきりしているのは、この奇妙な状態を、彼のほうは受け入れていて、祐奈のほうは対処しきれていないということ。祐奈は明らかに一歩出遅れている。


「祐奈は大通りが苦手ですか?」


「苦手というか……カナンルートのほうが好みに合っていたかもしれません」


「どの町が好きでした?」


 ラング准将に言われて、通過して来た場所を振り返ってみる。多くの景色を見て来た。色々な人にも会った。親切で、素敵な人もいっぱいいた。


 けれど呆れたことに、それらの思い出よりも、ラング准将と過ごした時間のほうが印象に残っている。


「カナンルートが好きだったというより、むしろ……」


 祐奈が言葉を途切れさせても、彼は待ってくれる。


 待ってくれなくてもいいのに……と祐奈は困ってしまった。けれどちゃんと答えないとフェアじゃない気がして、頑張ってみることに。


「頭に浮かぶのは、あなたとの……思い出ばかり」


 耳が熱い。


 すると、彼の穏やかな声。


「今も一緒にいますよ。だけど、過去の私のほうがいいですか?」


「……いいえ」


「でも今はとても窮屈そうだ」


「ラング准将に抱っこされていると、緊張するのです」


「どうしてですか? もう慣れてもいい頃だ」


 どうして? どうして、って……そんなの……


 祐奈は彼の腕の中で体を縮こませてしまった。


「……今みたいに、あなたが時々意地悪を言うから」


「私はあなたにだけ、とびきり甘いのですよ。気付いていませんか?」


「――とびきり甘いのもだめ」


「それは我儘というものです」


 怒っているような言い方ではなかった。可愛がっている子犬に甘噛みされた時にする、注意みたいな感じ。


 だからこそ祐奈はくすぐったくて、しんどかった。いっそ彼が冷たくしてくれたらいいのにと、ほとんど八つ当たり気味に考えていた。


「だって心臓がもちません。私を我儘にしているのは、あなたです」


「祐奈……私を試していますか?」


 なんといったらいいのか……困り果てているという声音。


 祐奈は振り返って、彼にハグして、『からんでごめんなさい』と謝りたくなった。訳の分からないことを言っている自覚はあるし、どうしようもなかった。


 けれど恋人同士ではないから、やっぱり彼に縋るのは不適切だろう。だからお腹に回されている彼の手の甲に、自分の手のひらを重ねて、『ごめんなさい』という気持ちを込めた。……それが精一杯。


 祐奈は眉尻を下げ、『やっぱりとびきり甘いのは、だめ』と心の中で唱えていた。



***



 しばらく馬に揺られていると、大分気持ちも落ち着いてきた。


「ラング准将のご兄弟のことを訊いてもいいですか? ええと……これが三つ目の質問なので、残り九十七個」


 先日、ラング准将と約束したこと――祐奈が彼に個人的な質問をして、彼がそれに正直に答える。百個全て答え終わった時に、祐奈はヴェールを取る。


 時折、質問することを思いつくと、こうしてカウントしながら尋ねるようにしている。それはノルマでもあり、祐奈にとっては楽しみでもあった。


 彼のことを少しずつ知ることができるから。


「私には兄が二人、姉が一人います。――今日は姉の話をしましょうか」


「何歳離れているんですか?」


「四つ上ですね」


「きっとものすごくお綺麗で、素敵な女性なのでしょうね」


「美しく、楚々として、か弱く――自分が護ってやらねばと思っていました。十二の春までは」


「え? 十二の春に何かあったのですか?」


「彼女の本質が劇的に変わったわけではないのです。私が、姉の真実の姿を知ったのが、十二の春だったというだけで。――とある事件がきっかけで、彼女の化けの皮が剥がれたので、私は自らの認識が誤っていたことに気付かされました」


「お姉様はそれまで、あなたの前でずっと大人しい女性のフリをしていたんですか?」


「見事な演技力でしたよ。すっかり騙されていましたから」


「ラング准将は洞察力が鋭いのに、あなたを長いあいだ騙しおおせることができたなんて……」


 アカデミー賞ものの演技力ではないだろうか。祐奈は顔も知らぬ彼の姉に、ほとんど尊敬の念を抱いていた。


 しかし彼が苦笑まじりにこんなことを言う。


「当時の私は気分屋の悪ガキでしたから、洞察力なんてものは持ち合わせてはいませんでしたよ」


 ――バノンで変身薬を飲んだ時の彼を思い出す。確かに悪戯っ子な感じではあった。けれど利発であったことには変わりがないはずだから、彼の台詞は謙遜だと思う。


「悪ガキというか、十代前半のラング准将は、とても可愛かったですものね」


 祐奈がくすりと笑みを漏らすと、彼が珍しく憂鬱そうな声を出した。


「お願いですから、あのことは忘れてください」


「忘れられません」


「……祐奈だって、時折私に意地悪だ」


 これに祐奈はつい噴き出しそうになってしまったのだが、すんでのところでこらえた。


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