第93話 エドの自己嫌悪


 夕食は町で一番大きなレストランに入った。


「バノンではこの店が一番まとも」


 とエドが言っていた。確か昼間、バノンの料理はあまり美味しくないのだと教えてもらったっけ。


 けれど比較的ましな店を彼が知っていて、助かったと祐奈は思った。


 ヴェールなしでエドと過ごすのもだいぶ慣れてきていた。……もっとも今の祐奈は仮の姿であり、『売り子の美しい姿』をしているはずだから、ありのままの自分ではないのだけれど、なんだかこれがリハビリになるような気もしていたのだ。


 いきなり『はい、ヴェールを取ります』というのも、ハードルが上がってしまうから。


 ――お店の人におススメを訊きながらオーダーを済ませたところで、近くにいたカップルが喧嘩を始めた。


「嘘でしょ、あなた、そんな顔だったなんて!」


 席は祐奈たちの斜め前だ。祐奈の位置からは、こちらを向いて座っている女性の顔だけが見えた。鼻梁が長く、大人びた顔立ちの美女。けれどまぁ、今は怒りで我を忘れているらしく、般若のような顔をしていたので、顔立ちの美しさも台無しではあったけれど。


 同席している男性のほうは後ろ姿で、ここからでは顔が見えない。けれど髪はボサボサで艶がなく、くしをちゃんと通しているかも怪しいものだった。顔の造作がどうこうではなく、清潔感は大事だと思うのだが……。


 女性の怒りはピークのまま一向に下がらず、次々と猥雑な言葉で彼を罵り続けていた。そして罵れば罵るほど、怒りと憎しみがさらに膨れ上がっていくようだった。


 怒りというものはそんなに持続しないという説もあるけれど、それは人によるのかもしれない。あの女性に限っては、無限に湧いて出るタイプのようである。自分で発した言葉が燃料になり、どんどん炎が激しくなっている。


 対面の男性は押しに押されて、ほとんど口も挟めない有様だった。だから彼がさらに彼女を怒らせているわけでもなかったのだ。


 ウェイトレスは慣れたものなのか、冷めた視線で『やれやれ』とそちらを流し見ている。


「まったくもう、お猿さんでももうちょっとマナーを心得ているわよね」


 なんだかユーモラスなお姉さんだなと祐奈は思った。


 美男美女ばかりの町なので、給仕をしている彼女もやはり美しい容姿をしている。……けれど彼女は他の人とはどこか違うような感じがした。表情が生き生きしているし、顔も少し個性的なのだ。


 瞳と唇が、平均的な美女よりも、少しばかり大きい。そして顎も少ししゃくれ気味である。


 確かに癖のある顔立ちであるのに、不思議と祐奈は、この町で見かけたどの美女よりも、彼女のほうに強い魅力を感じた。


 人によると『欠点』とされてしまうかもしれない顔のパーツが、どういうわけかチャームポイントになっているように思えたのだ。


 もしも祐奈が誰かに、『あのウェイトレスの顔で好きなところは?』と尋ねられたら、それらの『平均から少し外れた』部分を挙げただろう。彼女はこの町にいる完璧な美男美女よりも、ずっと健康的な美しさを持ち合わせているのだった。


 ウェイトレスはスクエア型の特徴的なイヤリングを着けていて、それも彼女に良く似合っていた。難しいアイテムではあるが、本人が華やかでキュートなタイプなので、こういったものでも上手く着けこなしている。


「……あの人たち、顔のことで何か揉めているんですかね?」


 祐奈が小声で尋ねると、ウェイトレスはこちらにアイコンタクトを送りながら、『困っちゃうわね』というように口元を大きく歪めてみせた。


「たまにあるのよ、ああいう喧嘩」


「変身薬を使い慣れていないせいですか?」


 綺麗な顔だと思ってナンパしたら、実態は……のケースなのかと思ったら、違った。


「いいえ、観光客はちゃんと楽しみ方を心得ている。だからトラブルはないのよ。――問題は、この町の住人」


「でも、この町の人は変身薬を無料で貰えるのでは?」


 金欠で変身薬を買えなくなり、元の姿に戻ってしまった……ということもないだろうに。


「わざわざ争いの火種を探す人っているもんなの。愚かにも人は追い求めてしまうのよね――真実の愛ってやつを」


 ウェイトレスは大きな瞳を見開き、苦いものでも食べたような顔付きになる。台詞と表情のミスマッチ具合がすごい。


「もしも真実の愛が見つかったとするなら、揉めることもなそうですけどね」


「愛が見つかる前に、先に災いのほうが出てきちゃうの。真実ってやつは、いつも残酷」


「思っていた顔と違う、ってそこまで衝撃でしょうか?」


「まぁ、顔重視で互いを選んだカップルが多いからね。この町に住んでいると、目が肥えてしまうのよ。美形に慣れちゃってる。皆、華やかなのが好きで、深刻なのは嫌いなの」


「なるほど……」


「でもさ、相手が自分の思いどおりの顔をしているわけないじゃない? 相手に清廉潔白さを求めても、自分はどうなの? って話。一体、何を期待しているんだか。互いに顔を偽って、顔だけで選んだ相手なのにさ」


 彼女の言葉は胸にぐさりと刺さった。祐奈も普段はヴェールをしている身だ。


 ――偽りのものには、真実は宿らないのだろうか。


 けれど美容整形で幸せを掴む人もいる。過去の自分を変えたいと願って、犠牲を払って、生まれ変わる――それは悪いことだろうか。性格の悪いところを直そうというのは推奨されるのに、なぜか整形はそうではない。


 『カウンセリングで考え方の悪い癖を変える』のと、『整形で顔の嫌な部分を変える』のと――どう違うんだと問われたら、祐奈にはよく分からないのだった。


 顔も性格も、その人を構成する一要素でしかない。どちらが重要で、どちらが些細ということもないはずだ。


 けれどやはり、変身薬は少々お手軽すぎるのかもしれなかった。なんのリスクも払っていないから、得られたものに感謝もできないし、学びも得られないのだろう。


 『良薬は口に苦し』という。逆にいうなら、『良薬は苦いものであるべき』なのかもしれない。簡単で劇的なものは、やはり良くない場合が多いのだ。


 変身薬を使った状態で出会って、互いの性格を知って、それでも一緒にいたいと思えたなら――そのあとで本当の素顔を見たとしても、新しい関係を築けるのかもしれない。だけどそれってたぶん、ものすごく困難なことなのだろう。


「毎日のことだから、うっかり変身薬を飲み忘れてしまうことがあるんですかね?」


「そういう場合もあるけれど、大抵違う」


「違うのですか?」


「この町の住人は変身薬に依存しきっているから、きっちり時間に飲む人が多いのよ。習慣になっていれば、そうそう忘れたりはしない」


「じゃあどうして……」


「ああいう喧嘩はね、どちらかが罠にかけて、始まることが多いのよね」


「罠、ですか」


「パートナーにただの水を渡すの。――変身薬だと告げてね」


「ああ、そうか。それだと本人としてはちゃんと飲んでいるつもりだから、安心してしまいますね」


「そう。それで一定時間が経過すると、魔法が解けて……あの騒ぎってわけよ」


「大事な人を騙すのは良くないですね。人として絶対に良くない。ズルい人は私も嫌いかも」


 それはなかなかにひどい。普通に『素顔を見せて』と頼んでも、たぶん聞いてくれないだろうと考えて、騙し討ちするのか。


 そこまでして素顔を見たのに、『やっぱり違う』は駄目でしょう、と思う。あまりに寛容さに欠けている。許せない可能性があるなら、そんなことを試すべきじゃない。


 考えを巡らせていた祐奈は、ふと『エドが妙に静かだな』と思った。それで対面の席に視線を移すと、どういうわけか手のひらで顔を覆っている。


 ……可愛いけれど……どうしたのだろう?


 ウェイトレスも祐奈のほうを向いてお喋りしていたので、振り返って彼の様子に気付き、ぎょっとしている。


「ちょっとあなた、大丈夫?」


「大丈夫。気にしないで」


「いや、気になるんだけど」


「……人生で何度目かの自己嫌悪中」


「子供だから何度目かで済んでるのね。――大丈夫、大人になったら、それが日常茶飯事になるから。酒を飲んだ翌日なんか、特に」


 すごい励まし方だな、と祐奈はたじろいでしまった。


「子供じゃない。大人だ」


 顔を覆ったまま淡々と答える少年。……なんだもう、可愛すぎだろうと祐奈は思った。


 普段のラング准将なら絶対にこんな状態にはならない。定期的に十三歳の状態になってくれないかなと祐奈は思ってしまった。時々、愛でたい。


 変身薬がここバノンでしか有効じゃないのが、無念でならなかった。


「いや、子供でしょ」


 ウェイトレスに突っ込みを入れられたエドがそっと手のひらを外し、彼女をじっと見上げる。なぜか真顔だ。


「……変身薬で僕が子供の姿になっているとは思わないの?」


「いや、思わないなぁ……だって、あなたたち薬を飲んでいないでしょう?」


「なんでそう思うの?」


「私、この町に来て大分たつし、その間に色々な人を見てきたのよね。あなたたちって、なんていうか……すごく自然」


「自然ってどこが?」


「姿形をどんなに変えても、人間性って言動に滲み出るのよ。ウェイトレスに威張り散らしたり、気取って見下したりしてね。でもあなた方は自然体で、性格と見た目がマッチしている。とても気品があるし、ありのまま、って感じがするわ」


「僕には気品がある?」


「ええ」


「だからといって善人とは限らない。……気品がある悪い詐欺師かもよ」


 エドがやさぐれている。台詞はアレなのだが、瞳は澄んでいて綺麗だった。……まぁだけど、地の顔がもう『悪戯っ子』という感じではあったけれど。


「じゃあ、良い詐欺師になりなさい」


 ウェイトレスはエドを完全に子供として扱っていた。にんまり笑いながら、からかっている。エドは無言でじっと彼女を見返し、


「そうする」


 と答えた。


「なんとまぁ……とにかく可愛い子ね」


 彼女が呆れたようにそう呟きを漏らし、祐奈の心中とシンクロした。


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