第92話 悪戯っ子なラング少年、爆誕!
「あの……ラング准将。私の姿は変わっていますか?」
「祐奈。私はあなたの元の姿を知りません」
「あ、そうですね」
馬鹿みたい……祐奈は赤面してしまう。
「売り子さんみたいな、クールな女性になりたいと念じてみたんです。どうでしょうか?」
「結局、あなたはあなたですよ」
彼の台詞はなんとも掴み所がなかった。
「姿が変わっていても、いなくても――あなたはあなたです」
『変わっていても、いなくても』――その台詞は、この場面にあまり合っていないような感じがした。
もしも祐奈の外見が今、売り子に似ていたならば、変身薬が効いているのは明白なのだから、『姿が変わっていても、あなたはあなたです』という言い方になるのが普通だろう。
祐奈はその意味をもっと深く考えてみるべきだったのかもしれない。ラング准将は『嘘をつかない』などと思考停止したりせずに。
***
――というのも一時間ほど前、バノン大聖堂にて。
ラング准将は祐奈の目を盗んで、司教にある頼みごとをしていたのだ。
『変身薬の中身ですが、一つはただの水にしていただけますか?』
司教は『おやまぁ』というような顔でラング准将を見返してから、何食わぬ様子ですぐに了承してくれた。
『――それでは、蓋の形状で中身が区別できるようにしておきましょう。蓋の丸いほうは水、尖ったほうは変身薬という具合に。お帰りの際に二瓶、お渡ししますよ』
『ありがとう』
そうして彼が先ほど祐奈に渡したのは、蓋が丸いほうの小瓶。――祐奈は『水みたいです』と言っていたのだが、それもそのはず。あれは正真正銘、ただの水なのだから。
そしてラング准将のほうは、本物の変身薬を飲んだ。そして現在に至るという訳だった。
***
「――今日だけ。日没までは、町に溶け込んで、ウトナまでの旅のことを忘れたい」
彼が手を差し伸べてくる。祐奈は瞬きをして……そっと彼の手に自分の手を重ねた。
重要な使命を負っていても、危険が迫っているとしても、今はそんなことは関係なかった。
ラング准将も祐奈も機械ではない。ただじっと耐え続けるのは無理な話だ。感情というものがある。
ずっと平和な日々は続かないかもしれないと分かっているからこそ、今を大事にしたい。
彼の気持ちが痛いほどによく分かったし、祐奈も同じ思いだった。
「そうですね。今だけ」
祐奈はあたたかな気持ちで彼を見つめ返した。繋がれた手は、いつもの二人の関係性から逸脱しているかもれしない。
けれど少年らしい面差しの彼といると、気の合う友人同士のようにも感じられたし、肩に力が入らないで対峙していられた。
なんというか今の彼は、中性的な感じもしたから。
「私……鏡を見てみたいです。今の自分がどんな感じなのか」
光の屈折で変身現象が起きているならば、自分自身にも有効に働くのではないかと思ったのだ。――つまり鏡を覗いた際に、ちゃんと錯覚を起こすのではないか、と。
ところが、
「だめ」
彼に手を引かれ、それを禁じられてしまった。
「どうして?」
「――鏡を見たら、夢が覚めてしまうから」
***
二人手を繋いで町を歩いた。
脱いだヴェールや手荷物(着の身着のままで転移した二人であるが、ローダー到着後に着替えを購入したので、少しだけ荷物があった)は今夜泊まる予定の宿に預けてしまったので、手ぶらでの身軽な散歩だった。
「ラング准将」
「エド、と呼んでください」
彼のファーストネームはエドワードだ。エドワードと名前で呼ぶのも難しいのに、愛称呼びとはさらにハードルが高い。祐奈が尻込みしている気配を感じたのか、彼が続ける。
「この見た目で『ラング准将』は変でしょう?」
「だったらあなたの敬語も変だと思います。まだ若いのに、従者みたい」
「お嬢様と年下の従者で、なんら変ではない気がしますが……でもそうですね。あなたがエドと呼んでくれるなら、私も敬語をやめます」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ、ええと……エド」
口にした途端、ものすごく照れてしまった。
そうしたら彼が笑みを浮かべたのだけれど、いつもと違って、それは『してやったり』というような、少年めいた笑顔だった。
こういう彼に慣れていないので、祐奈は瞬きをし、ラング准将の瞳をじっと見つめてしまう。
「気のせいかもしれませんが……なんだか性格が変わっていませんか?」
「祐奈も敬語はだめ」
「あ、はい。……じゃなくて、うん」
「性格か。……確かに言われてみると、そうかもしれない」
彼はうーん……と考えを巡らせていたのだが、やがて何か思いついたらしくこちらに向き直った。瞳がキラキラしていて、まるで邪気がない。
「変身薬を飲んだ時に、過去の自分を思い浮かべたせいかな。この魔法薬は、脳内のイメージを引っ張り出すから、その過程で脳のある部位が影響を受けたのかも」
「昔の性格が表に出てきてしまった?」
「たぶん。敬語を取っ払ったのが、かなり効いたみたいだ。うっかり気を抜くと、昔に戻ってしまう」
鋼の自制心を持つラング准将の意識を変化させてしまうのだから、恐るべき聖具のパワーだった。
しかし彼の場合は、他の人が変身薬を飲んだケースとは少し違うのかもしれなかった。
というのもラング准将は『昔の自分』をイメージしたために、それに紐づけられた過去の自我――記憶の底に眠っていたものが揺り起こされた形だから、まるで別人の顔を思い浮かべて変身したのとは事情が異なる。単に好みの顔に変えただけなら、ここまで顕著に影響は出なかったのかも。
彼が微かに眉根を寄せる。
「あまりに無礼な態度を取ったら、引っ叩いてくれ」
「そうしたらどうなるの?」
「たぶん正気を取り戻すと思う」
「あなたはちゃんと正気に見えるけれど」
祐奈は柔らかに瞳を細め、口元に笑みを乗せて彼の端正な横顔を見つめる。祐奈の視線に気付いたらしい彼も、こちらを見返して視線を和らげた。
「……性格も昔に戻るとは、誤算だったな。君に昔の僕を引き合わせたくなかったよ」
「昔のあなたも素敵だと思う」
「どういう神経してるんだ?」
「ひどい」
「――ああ、もう、僕の口を縫い留めてくれよ。どうしようもない」
「大丈夫よ。全然大丈夫だから」
「いや、こんなもんじゃないんだ。正直に言うと、もっとイカレてた」
「それは面白いから、この機会に観察したいな」
「それってどうかしてるよ。祐奈も相当イカレてる」
エドが戯れに手をぐいっと前に引くもので、つんのめって転びそうになったら、彼は悪戯に笑っているではないか。なまじ顔が綺麗なだけに性質が悪いというか、小悪魔的な感じがした。
……ああ、本当だ! 祐奈はしみじと実感していた。ラング准将の言っていたとおり、彼は悪戯坊主そのものだった。――確かに少しだけ、今の(過去の?)彼にはデリカシーが欠けているように思われた。
いつものラング准将だったら、祐奈が転ぶかもしれないような悪戯は絶対に仕掛けてこないはず。
けれど『やっぱりラング准将はラング准将だなぁ』と思ったのは、祐奈のことを虐げて喜ぶようなところはなくて、根っこの部分がちゃんと温かいところだった。
――それから日が暮れるまで、二人手を繋いであちこち見て回った。露店を覗いてみたり、買い食いをしたり。
祐奈はよく笑った。彼も笑っていた。
十九歳の祐奈からすると、十三、四歳に戻ったラング准将はかなり年下の男の子ということになる。けれど一緒にいてすごく楽しいから、精神年齢的に、実は釣り合いが取れているのかもしれなかった。
日本の『鯛焼き』によく似たお菓子があって(こちらの露店で売っていたものの中身はジャムだったけれど)、それを彼が買ってくれて、包み紙越しに半分に割ってからこんなことを言う。
「――祐奈、これ、口でキャッチできる?」
口でキャッチする遊びって、本来、豆とかでやるものじゃないの?
「え、無理」
祐奈がびっくりして声を上げた途端、問答無用で口の中にお菓子を突っ込まれた。無理――の『り』あたりで入れられたので、むぐ……となってしまった。
いくらなんでもワンパクがすぎないだろうか!
そして悪戯をしたあとに、とびきり可愛く笑うのをやめて欲しい。それでチャラにはならないから、と言いたい。
けれど口の中にものが入っていると喋れないので、お菓子を手で支えながら突っ込まれた部分を噛んで、残りの部分を口から離した。
「味、どう?」
「美味しいけど、こんな――」
「じゃあ、もう一口」
え――と思っているあいだに、彼はもう片方をまた祐奈の口に突っ込もうとする。今度は口がしっかり開いていなかったので、唇にぶつかって止まった。
これにはさすがに祐奈もおかんむりだった。
魚の形をした焼き菓子は、半分に割ると、頭のほうと、尻尾のほうに別れる。彼は一撃目で、頭のほうを突っ込んできた。今度は尻尾のほう。結局、祐奈は今、半分にされた鯛焼きもどきを、右手と左手、両方で持つことになったのだった。
「エド、いきなり口に入れようとしないで」
「油断しているからだよ。祐奈はちょっと鍛えたほうがいい」
「これで何を鍛えられるの?」
「警戒心を養うんだよ。そんなんだと、悪いやつに攫われちゃうぞ」
「でも、あなたが護衛してくれるでしょ」
「そうだね。感謝したほうがいい。君は世界で一番ラッキーな女の子だ」
「あなたが護衛してくれるから?」
「そう。なかなかないよ、こんなチャンス」
確かにね、と思ったら、ちょっと笑ってしまった。
「――ねぇでも、今はあなたが襲っているんじゃない? 敵は意外と近くにいるのかもね」
「これは襲っているんじゃない。可愛がっているんだよ」
彼は祐奈の左手を引き寄せ、焼き菓子の尾のほうを一口かじった。祐奈がお菓子を持ったままなので、エドにそうされると、可愛らしい動物を餌付けしている感覚になる。
彼も静かにしていれば、品のある美少年なのだけれど……
「……甘い」
なんだか微妙な顔だ。
「甘いものは苦手?」
「苦手っていうか、好んでは食べない。君がいなかったら、買わなかっただろうな」
彼はもう一口齧ってから、
「ねぇ、口開けて」
と祐奈の瞳を覗き込んできた。アンバーの瞳が木漏れ日のように煌めていて見えた。
彼はいつの間にか、祐奈の手から尾のほうを取り上げてしまっている。
「え、なんで?」
「いいから」
「でも」
「ほら、祐奈――良い子だから」
さらに覗き込まれて、彼から可愛く頼まれると、祐奈は困ってしまった。
こちらが弱気になると、彼は図に乗る。齧りかけの焼き菓子をジリジリと近付けてくるので、祐奈はハッと我に返った。
「あのね、私の口はゴミ箱じゃないんですよ!」
「――隙あり」
祐奈が言葉を発したタイミングで、ひょい、とそれを押し込まれてしまった。彼は自分のノルマである尻尾部分が綺麗に片付いて、満足気だ。
それでまたとびきり可愛い顔で笑うものだから、祐奈にはもうどうしようもないのだった。
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