第91話 ラング准将が13歳の姿になってしまった


 ラング准将が首尾よく段取りをつけてくれて、バノン大聖堂の司教と面会が叶った。


 ――そして会談を終えて、一時間後、現在――


 祐奈は今、オープンテラスでお茶を飲んでいた。対面の席には麗しいラング准将の姿が。美形揃いの町でも彼は人目を惹くらしく、通りすぎる女性がチラチラと彼のことを眺めていく。しかし本人はまるで気にも留めていないようだった。


 気配には敏感なので、悪意のある視線にはすぐに気付くに違いない。――つまり彼は、この雑多な感情が交差する中で、対処の要・不要を瞬時に判別しているわけだ。……それって絶対に疲れると思う。


 祐奈なら、たとえそのような判別機能を有していたとしても、すぐに神経が消耗し、五分足らずでダウンしてしまいそうだった。


「――司教との話は空振りでしたね」


 そう語るラング准将は特にがっかりしている様子もなかった。ある程度予想はできていたのだろう。


「国を挙げての行事でしょうに、アリスさんにまるで関心がないというのも、すごいなと思いました」


 司教の話しぶりは、アリスを侮っているわけでもなく、本当に『どうでもいい相手』としか認識していないようだった。そもそも関心を抱いていないのだから、アリス隊の耳寄りな情報を仕入れられるわけもない。あれだけ達観していると、目の前で国を左右する重要な密談をされていても、右から左へいともたやすく聞き流し、忘れ去ってしまえそうだった。


「隊もここに長居しても仕方ないと考えたのか、一泊してすぐに発ったようですね。ただ、まぁ……これはハッチが急がせたのもあるのかな」


「ハッチ准将が、ですか?」


 祐奈の認識では、彼はアリスを崇拝していたはずで、彼女に何かを強要することなどありえないと思い込んでいたのだが、違ったのだろうか。


「詳しくは話せませんが、ハッチ准将がアリスのお願いを聞いてあげる立場になっていまして、その関係でパワーバランスが崩れているのです。これはあなたに損な話ではないので、安心してください」


 クエスチョンマークが沢山頭に浮かんだものの、ラング准将は話すつもりもなさそうだ。彼が『安心してください』と言っているのだから、お任せしてしまっていいことなのだろう。彼の尺度で動いていることについて、祐奈は自分がなんでも鼻先を突っ込んでおこうという気にはなれなかった。


「分かりました」


 祐奈は小さく頷いてみせ、温かいお茶をヴェールの下にくぐらせて口に含んだ。


「……美味しい。花の香りがします」


 色が鮮やかなピンクで、『映え重視の、なんだか女子力高めなお茶だな』というのが見た目の印象だったのだが、意外なことに味も良い。


「この町は、お茶だけは美味しい。……正直、食べものは今ひとつなので、そちらは期待しないほうがいいです」


「そうなんですか。変身薬を常用していて、見た目にはすごくこだわるのに、食事には特にこだわっていないのですね」


「彼らは華やかなものが好きなようなので、実生活はおざなりになる傾向があるのかもしれないですね。――やはり人間、得手不得手があるのかも」


「なるほど」


 なんとなくSNS文化を連想してしまった。人目を惹ける写真に重点を置いていると、飲食物でも見た目が派手なほうが好まれ、味は二の次になってくる。味も良く見た目も鮮やかというのが理想だけれど、何事もそうパーフェクトにはいかないものだ。享楽的な部分を強化していくと、やはりどこかが大雑把になってくると思うので、この町での『食事』というのが、あと回しにされた部分なのかもしれなかった。


 とはいえ、お茶が美味しいのだから、それはそれで良いと割り切るべきかも。


「そういえば、退去前に司教から何を渡されていたのですか?」


「――変身薬をいただきました。試しにどうかと」


 彼が内ポケットから繊細な作りの小瓶を二つ取り出し、テーブルの上に置いた。


 ガラスのカットがとても美しい。液量としては、かなり少なかった。50mlあるかないかくらいに見える。


 二つの瓶の細工は、ほんのわずか異なっており、一つは蓋の部分が尖っていて、もう一つは丸い。


「実は私、すごく飲んでみたかったのです」


「そうかなと思いました。ずっと売り子を眺めていましたよね」


 ヴェールをかぶっているのに、視線の先までバレているとは……。祐奈は少し恥ずかしい思いをすることになった。けれどまあラング准将の前では恥をかきすぎているので、これもまた今更ではあったけれど。


「一ついただいてもいいですか?」


「構いませんよ。健康的な害はないので」


「それは安心です。ええと、飲む前に姿をイメージするのですよね?」


「そうですね。曖昧なままだと、あまり変化しないようです」


「すごく悩みます……どんな顔にしようかな?」


「私も飲みます」


「え!」


 祐奈は驚き過ぎて少し大きな声を出してしまった。ラング准将が微かに片眉を上げ、『そんなに驚くことですか?』と問うようにこちらを見つめ返してくる。


「ラング准将は必要ないと思いますが」


「まぁ、お遊びですから」


「ラング准将は、ラング准将のままで居て欲しいです」


 祐奈はなんだかがっかりしてしまい、しょぼくれた声を出していた。


 夜まで町を散策すると聞いていたので、その自由時間を楽しみにしていたのだ。見た目がラング准将以外の人と歩く気がしない。


 彼とはずっと一緒にいるのに、それでも数時間でも他の顔になってしまうのはなんだか嫌だと思ってしまうのだから、ずいぶん我儘になったものだと自分でも呆れてしまう。……でも嘘偽りない本心なのだから、仕方がない。


 ラング准将は瞳を細め、なんだか楽しげに祐奈のほうを眺めている。


「では、私は過去の姿になります」


「昔のラング准将……」


「生意気盛りだった頃の姿に。あなたは私にがっかりするかもしれませんが」


「すごく嬉しいです」


 現金なもので、祐奈は昔のラング准将が見れるというので、沈んだ気持ちが吹っ飛んでしまった。


 祐奈は右利きなので、自然な流れで右手を伸ばし、向かって右側に置かれていた尖った蓋の小瓶を取ろうとした。しかし手に取る前に、ラング准将が左側の丸い蓋の瓶を差し出して来たので、手の向きを変えてそちらを受け取った。


「じゃあ飲みますね」


 祐奈はどんな姿になろうかと考えを巡らせ、結局、売り子の女性の容姿を思い浮かべた。エキゾチックで、クールで、強そうな人だった。祐奈とは正反対の、自分に自信がある女性。


 ヴェールの下に小瓶をくぐらせ、そっと口元に近付ける。もう一度強く変身後の姿を念じてから中身を煽った。


 ごくりと嚥下したあと、祐奈はじっとその時を待っていた。何かこう……体が痺れるだとか、光に包まれるだとか、なんらかのきざしを感じ取れるのかと思っていたのだが、そういった変化が一向に訪れない。


「お水みたい」


 無味無臭だ。味すらしないと、余計に手応えがなかった。自身が変わったかどうかがよく分からなかったので、顔を上げて対面を見遣ると、ラング准将が――


「わぁ……」


 祐奈は思わず感嘆の声を漏らしていた。


 とても綺麗な少年が向かいの席に座っている。こんなことをいうと馬鹿みたいだけれど、本当に王子様みたいだった。


 先ほどまでの彼よりも、ずっと線が細い。そしてきらびやかだ。


 顔の造作だけでいえば、爽やかで、繊細で、女の子に親切な言動が似合いそうなタイプ。


 けれど彼の纏う雰囲気はそれとは真逆だった。悪戯っ子のように溌剌としていて、そう――彼が前に言っていたとおり、なんとも生意気そうに見えた。瞳には強い輝きが宿り、元気一杯、怖いもの知らずといった風情である。


 気高い獅子であるのは間違いがないが、まだ子供という感じ。


 それで、なんというか、とにかく――とにかく可愛い。そして超格好良かった。語彙力が死ぬくらい格好良かった。


 祐奈は悶えそうになり、鋼の自制心でそれをこらえた。――『可愛い』と『格好いい』を百万回くらい繰り返して伝えたい気分だった。でもそれを聞かされたラング准将がドン引きしそうだから、我慢した。


「何歳くらいの姿ですか?」


 ちょっと声が震えてしまった。


「十三、四歳だった頃をイメージしてみました」


「とにかくすごい……!」


「そうですね。すごい効き目だ」


 祐奈は『可愛さがすごい』という意味で言ったのだが、彼は変身薬のことだと思ったらしい。


 彼はしばらくのあいだ自身の腕を持ち上げて眺めおろしたり、肌の表面を撫でたりしていた。それから感心したように顔を上げた。


「これ……骨格そのものを変えるわけではないようですね」


「どういうことですか? 私には今のあなたが、十代の少年にしか見えないのですが」


「私の姿ですが、縮んでいますか?」


「ええと、はい。線が細いです。座っているので正確には分かりませんが、たぶん……背も低くなっているんじゃないかな?」


 目線の位置が少し低くなっている気がする。もしかすると今なら、祐奈とそんなに背丈も変わらないかもしれない。それでも彼のほうが大きいだろうけれど。


「ですが、服がダボダボになっていないのです。感触は以前のまま」


「不思議ですね」


「つまり幻覚を引き起こす魔法だと思います。――飲んだ本人ではなく、周囲の認識を狂わせるという点が非常にユニークですが」


 祐奈はびっくりしてしまった。そんなものすごいことが可能なのだろうか?


「どういう仕組みになっているのでしょう?」


「光の魔法なんですかね。体の周辺で光を屈折させて、別のものに見せているのかも」


 彼は魔法の専門家ではないのに、実際に自分の身に起きたことから、理論的に現象を推理したらしい。『姿が変わって見えるよ、まぁ聖具だしね』で終わらせないところが、いかにもラング准将らしいと思った。それにしても飲んだ直後のこの短時間で、よく『骨格は変わっていない』と気付くものだ。


「――ラング准将、ちょっと立ってみていただけますか?」


 祐奈がお願いすると、彼が対面の席から立ち上がってくれた。祐奈も席から立ち、テーブルを避けて向かい合って佇む。


 やはり彼の背が低くなっている。


「同じくらいの背丈に感じますね。わぁ……なんだか親近感を覚えます」


 どのみちイケメンはイケメンなのだが、大人っぽさがマイナスされただけでも、だいぶ違う。


「それは良かった」


「背丈まで変わって見えるってすごいですね」


「人の目は錯覚を起こしますから」


「面白い現象だけれど、少し怖くもあるような……」


 祐奈は光の屈折で起こる蜃気楼を思い浮かべていた。ものが反転して見えたり、浮いて見えたり。


 そして光の屈折がなくとも、脳は錯誤を起こす。たとえば騙し絵を見た時、『手前か、奥か?』『上か、下か?』――あらゆる境界線が曖昧になってくるものだ。


「――目に見えている全てのものは、真実とはかけ離れているのかも」


 ラング准将がそんなことを言う。なんとも哲学的な台詞だと思った。


 確かなものなど何もない。ここにあると信じているものは、実は存在しないのかも。そしてないと思っているものが、実はあるのかもしれない。


「……あなたは本当に目の前にいますか?」


 つい、そんなことを尋ねていた。


「ここにいますよ」


 彼の口元に笑みが浮かぶ。その顔はいつもより悪戯に見えた。


「ラング准将とちゃんと目が合っているように感じるんです。でも……」


「祐奈。ヴェールを外してくれないと、私からは目が合っているか分かりません」


 それもそうだった。祐奈は間抜けな自分の言動に気恥ずかしさを覚えながら、手を持ち上げ、ヴェールに触れた。


「……私は本当に変化していますかね? 手応えがまるでないのですが」


「大丈夫」


 これはラング准将にしては、ずいぶんな安請け合いだった。


「でも……変身薬って水みたいで、飲んだあと何も感じなかったの」


「私もそうでした」


 ラング准将もそうだったんだ……。彼は嘘をつかない。祐奈はそれで納得することができたので、思い切ってヴェールを取り去った。


 紗が顔の前からどかされ、一気に視界がクリアになる。


 祐奈はまっさらな状態で、彼と向き合った。


「――祐奈」


 穏やかな日差しがテラス席のテーブルに反射している。


 対面の彼が優しく微笑んでくれた。光が揺れ……まどろむような穏やかな空気の中……二人は互いだけを見つめていた。


 祐奈はこの光景を、きっと一生忘れないだろうと思った。


 心が震え、泣きそうになり……それでも幸福感が上回った。


 蕾が開くように、祐奈は笑みを浮かべていた。――今この場に相応しい、晴れやかな笑みを。


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