第90話 まやかしの町


 バノンは陽気で、賑やかで、美しい都市だった。


 祐奈たちは西の方角から町に入る形となったのだが、この町は西が高台になっているので、辿り着いてすぐに見晴らしの良い景色を一望することができた。


 景観上、建物の色合いを厳格に統一しているらしく、各屋根は全てオレンジがかった温かみのある茶色である。


 そういったところはこだわりが強く抑制的であるのに、街づくりのコンセプトは自由で、伸びやかで、粋な感じがした。


 恋、芸術、文化――あらゆるものを楽しみ、極めようというような、強いエネルギーを感じさせる場所だった。


 ――馬を専用の場所に預けたあと、祐奈とラング准将は町を散策することにした。


 まだ日は高く、宿に入るには時間が早い。かといって次の町を目指して出発するには時間が中途半端なので、ぽっかりと自由な時間ができてしまったのだ。


 通りを歩いていると、道行く人々が美男・美女ばかりなので、祐奈は驚かされてしまった。


 年老いた人もあまりおらず、皆、若く、健康的で、見目麗しい。どうしてなのか、外見的特徴が似通った人が多いように感じられた。


 男性は顎がしっかりしていて、鼻が高く、暗めの金髪で、ウェーブがかったそれを肩くらいの長さまで伸ばしている。体は筋肉質で、恵まれた体躯。


 女性のほうは少しエキゾチックなタイプが多いようだ。暗めの髪に、ツンとしたような顔立ち。身長も高めで、なんとも迫力がある。


 祐奈はチラリとラング准将の横顔を見上げた。……すごい。この美形集団に入っても、埋没していない……。


「この町は美しい人が多いですね」


 感心しながら祐奈がそう言うと、ラング准将があっさりと答えた。


「――目の錯覚です」


 祐奈は驚き、まじまじとラング准将の顔を見つめてしまった。結構な毒を吐くなぁと思ったからだ。


「……あの、ラング准将?」


「彼らは姿形を変えています。これは聖具の効果です」


「聖具で美形になるなんて、ありえるんですか?」


「面白いといえば、面白いですよね。実はすごいことをしているのに、着地点がそこなのか、という」


「あの、でも……ラング准将の顔は変わっていないように思えます。元から美形だと、効果がないのですか?」


 びっくりしすぎてストレートにそう言ったら、なぜかラング准将は虚を衝かれたようである。……あれ、変なこと言っちゃったかな? と祐奈は不安になってしまった。


「私、失言しましたか?」


「いえ。……美形と言われて、ちょっとびっくりしました」


「え、そんな」


「そんな、ってなんですか」


「過去、百万回くらい言われてきたでしょうに」


「祐奈には初めて言われましたから」


「そうでしたか?」


「そうですよ。心臓に悪い」


「えー、でも……私、心の中では百万回くらい言っていたから……」


 今更感が……。空を見て『青いね』というのと同じレベルの話というか……。


「――この会話、ちょっと恥ずかしいですね」


 ラング准将が困ったように視線をそらしている。赤面してはいなかったけれど、伏目がちな彼のその佇まいは、なんだか見ているほうの心臓に悪いと思った。


「ごめんなさい。もしかして顔のことを言われるのは、嫌でしたか?」


「いえ、そんなことは」


「でも、何度も言われて嫌だったから、私から言われて、戸惑ったのかなって」


「……こんなことを言うと引かれるかもしれませんが……普段人から何を言われようとも、なんとも思いません」


 おっと、それはすごい。ラング准将は人から顔を褒められすぎて、不感症になってしまったらしい。


 あれ、でも……? と祐奈は疑問に感じた。それならなぜ、さっき祐奈が容姿を褒めた時に驚いたのだろう? 


 少し混乱してしまった祐奈に対し、彼のほうはすでに平常心を取り戻しているようで、どこか悪戯な瞳でこちらを流し見て口を開く。


「祐奈に言われると、なんでも特別に感じます。――あなたに褒められると、嬉しい。それがどんな内容であっても」


「私……私……」


 何を言っていいのか分からなくなってしまった。ラング准将の瞳は気を惹くような素振りがあるのに、口調は真摯で、誠実だったから、からかわれているような感じもしなくて。


 こんなふうに彼に見つめられると、指先までジンと痺れる。


「どうしましたか?」


「……あなたは、本当は気付いているのでは?」


「何がですか? 私には心を読む能力はありませんよ」


「私がこんなふうに挙動不審になる時は、大抵ラング准将のことを心の中で褒めています。そして……同じぶんだけ、恨めしく思っているのです」


 祐奈がついそう言ってやると、彼は微かに口角を上げてみせた。


「――それはたぶん、良い傾向ですね」


 彼の台詞はなんとも謎めいていた。



***



「バノンでは、聖具が一般に公開されています。――というよりも、都市と一体型になっているので、聖堂で隔離できなかったというのが正しいかもしれません」


 街歩きしながら、ラング准将がバノンの特徴を説明してくれた。


「屋外にあるのですか?」


「ええ。聖具は井戸なのです。そこから汲んだ水を飲むと、姿を変えることができるようですよ」


「本人の望む姿に?」


「基本的にはそうですね。具体的に脳裏に思い描く必要があるのですが、人の記憶力というのは、そこまで強固ではない。それで結局、飲む直前、目の前にあったものに強く影響を受けてしまうので、外見が似てしまうのでしょう」


「皆、誰を見てそうなったのですか?」


「変身薬の売り手です」


 ちょうど井戸のある広場に足を踏み入れたところだった。


 質素というか、みすぼらしいほどに古ぼけた井戸だった。もっと派手派手しく周囲を飾り付けてあるのかと思っていたから、少し意外に感じた。


 井戸のそばには一組の男女がいた。白い長衣を身に纏っているので、彼らはバノン大聖堂の修道士、および修道女だろうか。ローチェアに腰を下ろし、売り子を担当しているようだ。


 確かに、そこら辺にいる人々の顔は、その売り子に大変よく似ていた。


 完全に同一にならないのは、変身薬といえども、本人の属性が少しだけ残ってしまうのか、あるいは目の前にいた彼らの姿を念じたのだとしても、雑念が混ざることで同じには仕上がらないのか……微妙な差異が出ている原因は、祐奈にはよく分からなかった。


 売り子の前には、白い布が地べたに敷かれていて、その上に小瓶がいくつか置いてある。眺めているあいだにも購入していく人がいた。


「変身薬はものすごく高いのですか?」


「そうでもありません。酒一瓶と同じくらいの値段ですよ」


「そんなに安いのですか?」


 びっくりした。祐奈は半ば本気で買って帰ろうかと考え始めていた。


「ただし、変身薬は、この町でしか効き目がないんです」


「なんだ……」


 でもそれはそうか。持ち帰れて、広く普及していたなら、国中の人間が皆、美男美女ばかりになってしまうものね……。


「そして持続時間の問題もあります」


「半永久的ではないのですね」


「小半日で切れてしまうようですよ」


「……美味しい話は転がっていないということですね……」


 変身薬の存在は、悪戯に祐奈の心を揺さぶっただけだった。なかなかに罪深い薬だと思う。


「姿形を変えることに慣れてしまうと、自分の顔を忘れてしまわないですかね?」


「それはあるかもしれませんね。この町の住人は、無料で変身薬を手に入れられるそうです。おそらく常習化しているでしょうから、自分の顔を本当に忘れているかもしれません。生まれた子供の顔を見た時に、変えようのない遺伝情報を思い出すかもしれませんが」


 ラング准将がさらっと恐ろしいことを言った。確かに、赤ちゃんはありのままの姿でそこに存在するから、両親どちらにも似ていないなとなるのかもしれない。(実は似ているのだろうけれど……)


 けれどまぁ、幼い頃から子供にも変身薬を与えてやれば、違和感を覚えるのは初期の段階だけで、また虚構の世界に戻れるのか。


 ラング准将が続ける。


「皆、似たり寄ったりの外見になった場合、それが性格にどう影響するのか、気になるところではあります」


「確かにそうですね」


「より内面に個性が出てくるのか、あるいは外見の条件が同一になると、性格も似てくるのか……」


 壮大な人体実験をしている町のような気もしてきた。外から眺める分には楽しいかもしれないけれど、長くいると感覚が狂ってくるかもしれない。


「今夜はバノン大聖堂に泊まらせていただくのですか?」


「それなんですが、町の宿にしようかと思っています。――ここの聖具は、魔法の習得ができないタイプです。護衛ルートの確認で、この町を以前訪れたことがあるのですが、バノンの司教は中央とは距離を置いていて、聖女の行事には深入りしないというスタンスの方でした。そのため重要な情報も持ってはいないでしょう。念のため立ち寄って、話だけは聞いてみるつもりですが、それでいいかなと」


 中央とは距離を置いているというのも、どう捉えたものか……。気骨があってそうしているのか、のらりくらり、政治に関心がないだけなのか。


 聖具自体の特徴は非常にユニークであるし、町並みも美しく、心惹かれる点が多い。つまりは観光向きなのである。――都市としてある程度の儲けを出しているので、中央のほうも、少しくらいの忠誠心のなさは大目に見ているのかな? と祐奈は思った。


 そして『バノンならどうせ大それたことは考えないだろう』と、中枢部から舐められてもいるのだろう。だから権力筋から放っておいてもらえる。


「……変身薬という掴み所のないものを扱っているせいか、司教のお人柄も気まぐれなのですね」


「悪い人ではないのです。姿形は偽りでも、性根は意外と真正直であると感じます。変なたくらみをするような人ではないので、安心といえば安心なんですが」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る