9.姫の兵隊たち

第87話 破


【前書き】

【前回まで】


≪『7.白黒』-『出発』より抜粋≫

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 ラング准将を迎え入れたハッチはソファを勧め、一番高い酒を振舞った。

 愛想笑いを浮かべながら、『どうか面倒な話ではありませんように……』と神に祈ったりもしたのだが、結局、その願いが叶えられることはなかった。

 ◇

「アリスの要望は、サンダースを外して、私を戻すことだ。それを私が撥ねつけたから、次はお前に話を持ちかけてくる可能性が高い。枢機卿には話を通せない、込み入った事情があるようだからな」

「え……それじゃあアリスは、サンダースを嫌っている?」

 ◇

「アリスはお前に、中央とのパイプ役になれと要求してくるはずだ。――彼女は国王陛下の命でサンダースを王都に戻す形にしたいらしい。――お前はアリスから話を持ちかけられたら、言うことを聞くふりをして、時間を稼ぐんだ」


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【本文】


 ――同時刻、カナン。


 リスキンドはカルメリータと話し、宿に戻ることにした。初めカルメリータは躊躇っていた。


「ですが……まだここで様子を見たほうがいいのでは……」


 少し離れた場所でなにやら密談を始めた枢機卿、オズボーンの両名をチラチラと横目で眺めながらそんなことを言う。


 彼らは乱入時にいくらかの情報をこちらに与えてはくれたが、そのうちに距離を取ってしまったので、カルメリータはまだ全然納得がいっていないのだった。


 ところがリスキンドはあっけらかんとしたものだった。


「とりあえず二人がどこかに転送されたことは分かっただろう? それで十分だよ」


「そうでしょうか? どこに行ったかも、まだ分かっていません」


「足があるんだから戻ってくるさ」


「リスキンドさん……」


「ラング准将とはあらかじめ取り決めをしてあって、はぐれた場合は、その直前に宿泊した宿で待つということになっているんだ。うろうろしてすれ違っても良くないから、宿でじっと待とうよ」


「なんだか……変な気分です」


「そう?」


「問題は何も解決していません。国境を越えるのは、危険なままですよね」


「――あのね、カルメリータ。死ぬ運命なら、さっき死んでた」


 リスキンドはそう深刻な様子でもなく、かといってふざけている調子でもなく、淡々とそう言ってのけた。


 カルメリータはこれに思わず眉を顰めてしまった。嫌悪感からではない。戸惑っていたせいだ。


「リスキンドさんは、これらの出来事を吉兆と捉えているのですか?」


「悪くはなっていないだろ」


「そんなのどうして分かるんです?」


「だって俺らはまだ死んでない」


 これにカルメリータは度肝を抜かれてしまったのだ。なんというか……割り切り方が、すごいなと思って。


 カルメリータだってどちらかといえば楽観的なほうだろう。小さいことはクヨクヨしないし、できるだけ良いほうに考えようともしている。


 けれどリスキンドの在り方は、そういうものとはまた種類が違うようにも感じられた。修羅場をくぐってきた人特有の、乾いた価値観というか。


 強がりでもなんでもなく、彼は本心からそう思っているのだ。


 なんとかなるさ、だって生きている――そう考えることができるのは、剣一本で戦ってきた人間の強みなのかもしれなかった。


 リスキンドにつられたのか、カルメリータの瞳にいつもの輝きが戻った。ほっとしたこともあり、頬に赤みが差す。


「そうですね。私たちは死んでいない」


「ツキが回ってきた。そんな気がする」


「その勘、当たるんですか?」


「たぶんね。……まぁ外れりゃ、あとで死ぬだけだ」


 カルメリータは思わず吹き出してしまい、リスキンドの背中をポンポンと叩いた。リスキンドは口の端を持ち上げ、食えない笑みを浮かべてみせた。


 そして二人と、地面すれすれをヨチヨチ歩く眠そうなルークを合わせた一行は、どこか吹っ切れた様子で、カナン遺跡をあとにしたのだった。



***



 時間潰しをしていたオズボーンは、リスキンドとカルメリータ(ついでに犬)が遺跡から出て行ったのを確認してから、やれやれと肩を竦めてみせた。


「はぁ、やっと邪魔者が出て行った」


「まだ信じがたい。本当に来るのか?」


「来ますよ。ただ……先行きは不透明だけれど」


「問題はない?」


「問題はないはずです」


「しかし祐奈は逃げおおせた」


「何、逃げられはしません。時間軸がほんの少しズレただけ」


「どういう意味だ?」


 枢機卿は頭を抱えたい気分だった。この顛末はオズボーンのせいではないのか? 祐奈にちょっかいをかけすぎて、未来が変化したという可能性はないのか?


「今起きるのと、少したったあとで起きるのと、何か変わりますか?」


「それは変わるだろう。色々と」


「それは近視眼的なものの見方だ。何千年、何万年の観点で考えてみたら、そのちょっとしたズレになんら意味はない。――どのみち祐奈は死ぬ。聖典ははっきりと祐奈の死を望んでいる。それは覆らない。ほんの少しそれが後ろ倒しになっただけです」


 オズボーンの灰色の瞳は凍えるほど冷たい。薄情とかそういうものとも違う。彼は別の観点で物事を眺めているのだ。


 枢機卿は相容れないものを前にして、理解することを諦めた。


「――ではあれこれ考えても無駄だな。我々はすべきことをしないと」


「そうですねぇ。とりあえず後退していないと、もみくちゃにされますよ」


「ああ……転送されて来るのだったな」


「我々はかしこまって、聖女様をお迎えしないとね」



***



 ――ローダー遺跡、アリス隊一行。


 ハッチ准将は奇妙な感覚を味わっていた。彼は抜け目ない性分であったが、感覚に鋭敏さはなく、本来なら空気が読めるほうではない。彼は事務方の人間で、上層部の欲するものを手配する能力に長けていたので、隙間に滑り込むように組織で上手く立ちまわり、この地位に就いた。


 そんな彼であったが、時折奇跡的に目端が利くこともあった。――それが今日この場で起こった。


 異変に気付けたのは、このところずっと気を張っていたせいかもしれない。


 ハッチ准将はアリスの動向を警戒していた。それはラング准将から申し付けられたミッションのためだ。


 ラング准将の言ったことは全て正しかった。


 アリスは内密に、キング・サンダースを排除したいと考えているらしい。レップ大聖堂を出たあと、こっそりとハッチに話を持ちかけて来た。――サンダースを抜けさせ、ラング准将をアリス隊に戻すよう尽力しろ、と。


 ハッチはラング准将からあらかじめ釘を刺されていなければ、呑気にアリスの指示に従っていたはずである。


 しかし今のハッチは、以前の何も知らぬハッチではない。


 姫の言うことを聞けば、上層部から評価されるどころか、結果的に自分が窮地に追いやられるであろうことを、彼は承知していた。


 だからアリスを丸め込んだ。


 彼は『急いで処理する』と彼女に約束しておいた。そしてアリスには『旅を急がないと、サンダースに裏工作を疑われるかもしれない』と伝えて、強行軍を強いた。いつもなら午後早めに宿に落ち着くところを、もう少し遠くまで足を延ばして、次の宿まで進んでしまうという具合に。


 アリスは機嫌を悪くするどころか、これでサンダースとの縁が切れるのならと、文句も言わずに(……まぁ下働きの侍女には意地悪をしてストレスをぶつけていたようだが……)、なんとか耐えていた。


 ところが国境の町ローダーに着いた晩、これまで抑えてきたものが爆発した。


 彼女は怒りの視線で何度もハッチを遠目に睨んできた。そしてサンダースが席を外した途端、ものすごい剣幕で詰め寄って来たのだ。


「――どうなっているのよ、このグズ!」


 ハッチは彼女に頬を叩かれるのでは? と恐怖を覚え、無様に尻もちをつきそうになったくらいだった。後ろに椅子があったので、そこに腰を下ろす形で転ばずに済んだのだが、このことはハッチのプライドをいたく傷付ける結果となった。


 ハッチは初めてアリスを憎んだ。


 ――このアバズレが――心の中で彼女を罵り、指輪をつけた拳で殴りつけてやる想像をして、心を落ち着かせねばならなかった。


 これまで敬ってきただけに、感情が反転すると、嫌悪感が一気に湧き上がってくる。


 ハッチは顔を赤くしながら立ち上がり、感情のまま『あなたはとんでもなく我儘だ』と言い返してしまい、そこから口喧嘩になりかけた。


 しかしすぐに我に返った。この段階でアリスを敵に回すのは得策ではない。そこで得意の嘘で、アリスを煙に巻くことにした。


「恐れながらアリス様。国王陛下は、国境手前での護衛交代には、反対の意向でした」


「約束が違うじゃないの!」


 アリスは声が漏れるのを恐れたのか、極端に声を落としている。しかし敵意はむき出しのままで、それが声音に乗っていた。


 ハッチは怖気付くことなく、いけしゃあしゃあと言い放った。


「ラング准将は目立ちすぎる。国内で彼がルートを外れ、あなた様に会いに来れば、噂が立ちます。サンダースに気付かれても良いのですか? 国境の内か、外か――たったそれだけの違いではないですか。外で合流できれば、ラング准将はもうあなただけの護衛です。寝床に連れ込むなり、四六時中奉仕させるなり、好きになさるといい。そう遠くない未来に願いは叶うのだから、今は慎重に進めるべきです。――私はサンダースに計画を気取られて、死にたくはない。ラング准将は国境を越えてから合流させます。この流れで国王陛下とも合意が取れており、すでにラング准将が向かっているカナンには遣いが出されています。まとまりかけた話を覆せば、いくらあなた様であろうと、国王陛下の怒りを買いますよ」


 アリスは危険な領域を漂っている様に見受けられた。焦りと葛藤。恐怖。


 しかしハッチの言葉に従うしかないと最終的に判断をしたようだ。あと少しの辛抱――彼女の唇が動いて、そんな呟きを漏らすのがハッチにも聞こえてきた。


 この女は意外と頭が回り、警戒心が強い。普段であれば、ハッチごときに騙されはしなかっただろう。


 しかし彼女は盲目になっていた。それはラング准将への執着ゆえか、あるいはサンダースへの恐怖ゆえか。彼女は良い方向に物事が進むことを強く期待しており、騙されやすい状態になっていたのだ。


 ――とそんな具合に、昨晩はとりあえずしのげたのだが、国境を越えてからが問題だった。アリスは決してハッチのことを許しはしないだろう。だってラング准将は彼女の下僕にはならないのだから。


 しかしこれだけ焦っているのをみると、それだけサンダースが怖いのだなというのも、ハッチには実感できたのだった。


 だからそれを盾に脅せば、なんとかなるかもしれない――……いや、なんとかするのだ。こうなってはもう、なんとかするしかない。


 そんな訳で、アリスに対して並々ならぬ警戒心を向けていたので、ハッチはローダー遺跡にて、彼女の視線が奇妙に揺らいでいるのを感じ取ることができたのだ。


 理由はよく分からない。しかしそれは重要なきざしであるように思われた。


 彼がそれをもっと深く掘り下げ、分析し、備えていたなら、結果は変わっただろうか? ……残念ながら、それはなかっただろう。


 運命だったのだ。ハッチにはとにかく運がなかった。


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