第84話 回り道が吉
【前書き】
【前回まで】
≪『5.苦手克服の部屋』-『痴漢撃退魔法習得』より抜粋≫
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ソーヤ神殿を去る前に、大階段前でビューラに呼び止められた。
「私は昔、優秀な巫女だったの。今はもうあまり力はないけれど。それであなたに言っておきたいことがある」
「はい」
「昨日、夢見をした。『カナンルート』は確かに先行きが厳しい。だけど一つだけアドバイスを――『回り道が吉』よ」
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【本文】
説明せずともラング准将にも意図が通じたらしい。彼は祐奈の手首を包み込んでいたのだが、手の位置をずらし、ドレスの袖ごしに触れるようにしてくれた。
「――直肌ではないので、これで大丈夫だと思います」
「ごめんなさい。あの、決して嫌なわけじゃなくて」
「気にしないでください」
「ただ恥ずかしいだけなんです。その……二度目は腰が抜けてしまうかも、と思って……」
「……祐奈。なんとなく私も恥ずかしくなってきたので、この話はやめましょう」
ラング准将の口調はいつになく平坦で、彼らしくないといえば、彼らしくなかった。
……もしかして彼も照れていたり……? とありえない可能性が頭に浮かんで、祐奈は好奇心に逆らえずに微かに振り返り、彼の顔を見上げていた。
……そして振り返ったことを後悔した。
彼は覗き見した祐奈を少し咎めるように――『そんなふうに私を試してはいけませんよ』とでも言いたげに眺めおろしていて、それがなんだか艶っぽく夜の香りがしたので、祐奈には刺激が強すぎて意識がぶっ飛びそうになったからだ。電子回路ならこれでショートしているところだ。
祐奈は息を呑み、もじもじとうつむいてしまった。心の中ではすっかり白旗を上げていた。
「……私は罪深い存在です」
「そうですね」
淡々と返してくるラング准将は鬼かもしれない……。
「真面目にやります」
反省の弁を口にしたら、くすりと笑われてしまった。
――放電に近い雷撃を行使してみると、無効化されずにパチリと石板上で光が撥ねた。しかしそれだけだった。何も起こらない。
カナン遺跡では全てが呑み込まれ、虚無と化したが、ここでは無効化すら起こらなかった。
「魔法でも開きませんね。どうしてでしょう? ラング准将は何かご存知なのですか?」
「私にもよく分かりません。カナン遺跡とローダー遺跡は神域に当たるので、私は事前立ち入りを許可されていませんでしたので」
「そうなのですか」
「枢機卿から事前に受けていた説明では、ローダー遺跡は東に抜けるだけで、国境を越えられるという話でした。赤い扉があるので、そこを通過するように、と」
「ではこの扉を通過するのが正規のルートなのですね」
「しかし……騙されていたのかもしれない」
「どういうことですか?」
「アリスもまた、ここを通れないのではないかと」
「でも、そんなことって……」
訳が分からない。アリスのためのルートなのに。
ここを抜けられなければ、彼女はどうやって国境を越えるのだろう? ――いや、手段だけの話なら、元々ローダーもカナンも神域扱いで封鎖されていたそうだから、別の都市から国外には出られる。
しかし宗教的な儀式で、ここを通るように指定されているのに、聖女が通行を止められるのは道理に合わない。特にアリスはVIP扱いのはずだ。
「……これは推測になりますが」
ラング准将が説明してくれた。
「三十四年に一度、異世界より聖女がやって来ます。通常ならば来訪する聖女は一名のみなので、このローダールートを辿ることになる。私は前回の聖女来訪時はまだ生まれていないので、実際のところは知りませんが、その際はこの赤い扉を普通に通過できたのだと思います」
「今回はイレギュラーなので、赤い扉が封鎖されてしまったということですか?」
「その可能性が高い。――聖女が二名来た場合、ローダールートとカナンルートに別れる――これ自体も、あなたがやって来た時に、枢機卿から『あと出し』で開示されたルールでした。私に伏せられていた情報はかなり多いようだ。伝え漏れがあったというより、意図的にそうされていたような気がしています」
「なぜそんなことを?」
「我々が捨て駒にすぎないからでしょうね。上の人間はとにかく『極秘』というのが好きですから」
ラング准将は慣れっこになっているのか、あからさまに憤ったりはしていなかったが、なかなかにひどい話だった。
彼は大人な態度で冷静に考察しているけれど、愉快な気分ではないだろう。――上から変に隠しごとをされれば、指揮を執る彼は情報不足により判断を誤る可能性もあり、そうなると部下を危険にさらすことになる。
オズボーンは『ラング准将は名家の出身だから死なせると問題が出る』と言っていた。だから本当に危険な場面では、ラング准将に対してだけは、最低限の配慮をするつもりではあったのだろう。
けれどラング准将は高潔な人物だから、自分だけ助かればよいという人ではない。部下が平民であっても、彼は責任を持とうとする人だ。だから根本的に上層部とは考え方が違う。
モラルの欠けた人間の中に放り込まれて、それでもなお正しくあろうとするのは、相当な胆力が必要になってくるはずだ。祐奈はラング准将が負わされている重責を想像するだけで、胸が痛くなってきた。
ラング准将は祐奈に対して『あなたは目下の者に優しい』と言ってくれたけれど、それは『あなたこそ』なのだった。
たぶん――彼は自身がそうだからこそ、祐奈のそういった点に目敏く気付いたのではないだろうか。そういった背景に気付いてしまうと、なんだか切なくなってきた。
――彼が説明を続ける。
「平常時は、あの横手の『緑の石板』付近は封鎖されているのだと思います。あの周辺だけ床の色が違うので、普段は誰の目にも触れないように、衝立などで隠していたのではないでしょうか。――この広間を真っ直ぐに抜けて、赤い扉をくぐればこと足りるので、不要なものは出しておく必要がない」
あの場所に立っていたけれど、祐奈は床の色になどまるで気付かなかった。
――壁面に貼ったポスター焼けみたいなもので、ずっとそこにあったものを最近どかしたから、色が違うということだろうか?
「王都出発前にオズボーンさんから、『986年ごとに、聖女は二人やって来る』と聞かされました。二人来るのも、実は規則的なものなのだと」
「そうなのですか。……そういえば、一番目の拠点であるモレット大聖堂で、精霊アニエルカが千年周期のことを話していましたね。――私はそれについて、事前に枢機卿から情報出しをされていなかったため、アニエルカの話はあまりピンときていませんでした。今回聖女が二人来訪したのは、イレギュラーというよりも、決まりごとだったのですね」
祐奈はラング准将がその事実を知らされていなかったことに驚いていた。枢機卿はいくらなんでも、護衛責任者に重要事項を隠しすぎている。
祐奈はこれまで、自身が把握していることは、ラング准将も当然知っているものと考えていた。だからあえて『私はこれこれこういう話を聞きました』という報告をしてこなかった。――しかしこうなってくると、些細なことでも全て報告しておいたほうが良かったのかもしれないという気がしてきた。
彼は先程「上の人間はとにかく『極秘』というのが好きですから」と言っていた。上層部の人間は机上で物事を判断し、国のために働いているラング准将に情報を伏せ、現場を混乱させている。それはあまりに傲慢なやり口だった。
祐奈は内心憤りを感じていたのだが、ラング准将は冷静に考えを巡らせていた。
「986年ごとに、緑の石板が使用される……」
「それはハッチ准将もご存知ないことですよね?」
「そのはずです。彼が私よりも物事に通じているとも思えないので」
確かに……。
「そうなると、アリスさんの隊がここへ来て――正面の赤い扉を抜けようとして、開かないことに気付く。それで室内をあらためて、緑の石板に気付き、触れるという流れになりますか?」
「――というよりも、アリスは元々知っていたかもしれません」
そうか。アリスはこの世界に来てしばらくのあいだ失踪していたらしい。その時、真理を司る聖具に触れたのだと言っていた。つまり彼女はラング准将よりも情報を持っているのだ。
――護衛役(ハッチ准将)は『赤い扉から出ないというのは、聞いていた話と違う』と戸惑うだろうが、遺跡に入った段階で、聖女から『ルートが変わったのよ』と告げられれば、それに従わざるをえない。
「カナン遺跡にあった青い石板は、本来ならば、転送の『出口』だったわけですよね。あれは単なる吐き出し口で、魔法を受け付ける仕組みにはなっていなかった。――なんらかの理由で私の魔力が暴走し、逆転送が起こった。それでここ、ローダーへ来てしまった」
「つまりここローダーで石板に触れると、自動的にカナンへ転送されるのかもしれない。あくまでも推測なので、実際のところは分かりませんが」
――986年に一度のサイクルでは、二拠点間の転送ルートが主筋になるのでは? というのがラング准将の仮説だ。
謎が多い。一番手の聖女が辿る正規ルートのはずのローダー。しかし今回は、メインの聖女もまた、カナンに飛ばされることになる? ……本当に?
「あの緑の石板に触れれば……答えは分かりますね」
聖女のブレスレットで存在を識別し、自動的に転送されるならば、祐奈がやっても同じ結果になるはず。
聖女とともに護衛隊の大部隊も転送されなければならないから、一度開放されると、しばらくのあいだその転送状態が持続されるものと思われた。――おそらく『この部屋にいる者を全て転送し終えるまで続く』という条件になっているのではないだろうか。
石板に触れることを提案する祐奈の言葉を受けて、ラング准将は考え込んでしまった。
「祐奈。ソーヤ大聖堂で出会った女性司教のビューラから言われたことを、覚えていますか?」
「ええと……色々と強烈な方でしたね」
ラング准将と対等にやり合い、堂々としていて一歩も退かず、小気味よい女性だった。
旅立ちの際は身を案じてくれて、彼女の温かい気持ちに触れることができた。彼女は確か……
「――回り道が吉、と」
祐奈はラング准将の澄んだ瞳を見上げた。
「私はビューラのことがあまり好きではありませんでしたが、彼女のことは信用できると思っています」
会話の入口は結構な毒舌だったが、なんだかんだでラング准将は、ビューラ司教のことは味方だと思っているらしい。――確かに後ろ暗い計算をしているなら、あんなふうにラング准将にじゃれついて(?)、真正面から喧嘩を売ったりはしないだろう。
それにビューラの振舞いはキュートというか、ラング准将が大好きなあまり、暴走している感じだったし……。
ラング准将の意見には、祐奈も賛成だった。
――オズボーンと違って、ビューラは信頼できる。
「あれは、今の状況を示唆していたのでしょうか? 少し時間をかけてカナンに戻るように、と」
回り道が吉――
――しかしこれは大きな決断になる。悩みどころだった。
カナンではリスキンドたちが心配しているだろうから、できるだけ早く戻ったほうがよいという考え方もある。緑の石板に接触すれば、あれが転送板であるなら、あっという間に戻ることができるだろう。
しかしなんの打開策もなく急ぎ戻っても、どうにもならないという考え方もある。
――どうするのが一番良いのか。
「難しい判断ではありますね」
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