第83話 鳥


 背後を振り返ってみると、広いホールのような空間が広がっていた。重々しい石壁。どこか遺跡めいていて、カナンにとてもよく似ている。ただしこちらの石材はカナンと違って黄色がかっておらず、濃い灰色をしていた。


 左右の壁面には、それぞれ大扉がついていた。向かって左側の壁面には、鉄の武骨な扉。これは下手(しもて)――入口に当たるほうだろう。


 向かって右側の壁面――最奥、上手(かみて)には赤い扉があった。――また『赤い扉』だ。


 祐奈は緊張を覚えてそれを眺めた。赤い扉の横には、カナン遺跡と同じく、赤い石板が壁面に埋め込まれている。


「ここはカナンにとても良く似ていますね」


「おそらくここはローダー遺跡だと思います」


「ローダー?」


 予想外だった。世界地図を頭の中に思い浮かべる。ローダーはカナンより南に下がった都市だ。距離はかなり離れていたはず。……あの長距離を転移したのか? 一体どんな原理になっているのだろうか……。


「ローダーは、アリスさんのルートですよね」


「そうです。アリス隊はローダーから国境を越えるはずなのです、が……」


 ラング准将が言葉尻を濁した。彼は何事か深く考え込んでしまった。……不可解だ、という感情が彼の端正な面差しに浮かんでいる。


 祐奈のほうも頭が混乱していた。


「ラング准将、あの赤い扉の向こうに、何か感じますか?」


 カナン遺跡では、ラング准将は足を踏み入れた瞬間、すぐに脅威を感じていたようだ。


 ところが祐奈はブレスレットを外して、やっと『少し変かな?』と気付けた程度だった。それもラング准将とリスキンドが違和感を唱えていたのを聞いていたから、それで認識できた感じだ。


 何も言われなければたぶん、普通にスルーしていたと思う。――たとえば日常生活の中で、ふとした拍子に寒気を覚えたとしても、それを何かのきざしだと考えたりはしないだろう。単に『あれ、肌寒いな』くらいで片付けてしまうのが普通だ。


 凡人の祐奈には、感じ取ったものが、脅威によるものなのかどうか判断がつかない。ラング准将とリスキンドが非凡すぎるのだ。


 祐奈の問いにラング准将があっさりと答えた。


「いいえ。あの向こうは安全だと思います」


「気になるので、開けてみてもいいでしょうか?」


 反対されるかと思ったが、ラング准将も何か引っかかっていることがあるのか、了承してくれた。


「そうしましょう。……開かないかもしれませんが」


「それは、私がアリスさんではないから?」


 カナンルートを割り振られているサブの聖女には権利がない?


「いえ。とりあえず試してみましょう」


 この大広間は広々とした正方形の空間だった。等間隔に太い石材の柱がある。儀式的な意味合いではなく、これは構造物を支えるためのものだろう。


 ――赤扉の少し手前に、円形の舞台のようなものがあった。その部分だけスポットライトが当たっているかのように明るい。見上げると舞台と同じ形に天井部分がくり抜かれていて、そこから光が射し込んでいるのだった。


 祐奈たちは舞台を避けるようにして、奥の赤い扉のところに歩み寄ろうとした。すると不意に視界が明滅したように感じられ、顔を上げてみると、天井の明り取りの窓が暗くなったり、明るくなったりしていた。大きな天窓なのに、上から何かに遮られているみたいな感じである。それも一瞬で切り替わるので、なんとも不思議な光景だった。


「――祐奈」


 ラング准将に促され、舞台上に視線を移した。すると光の中に一羽の鳥がうずくまっているのが見えた。


 これまでは跡形もなかったはずだ。それが明滅と共に現れた。


 薄ぼんやりした光に照らされ、鳥が羽を畳んでいるさまは、なんとも幻想的な感じがした。


 祐奈は鳥の種類にあまり詳しくはないけれど、たぶん元の世界にも似たようなものがいたように記憶している。長いくちばしに、白い羽。頭部や羽の付け根など、一部に黒が差し色のように入っている。


 おそらく首は長いのだろう。しかし今はそれをS字型に畳むようにしているため、胴体に頭がめり込んでいるように感じられた。


 確かそう――サギがこんな姿形ではなかっだろうか。


「なんだか……具合が悪そう」


 祐奈は台に上り、鳥にそっと近付いて行った。カナン遺跡で赤い扉をあれだけ警戒していたラング准将であるが、この鳥に関してはまるで脅威を感じていないのか、祐奈の行動を止めはしなかった。


 祐奈とラング准将は鳥のそばに膝をつき、覗き込んだ。


「確かに、元気がないですね」


 と彼が言う。


「これ、精霊型の聖具ですかね。なんだか不思議な感じ」


 聖具かもしれないけれど、弱り切っているので、この存在から魔法をインストールしようとか、そういう気にはなれなかった。


 祐奈は窺うようにラング准将のほうを見つめた。


「あの……回復魔法をかけても?」


 反対されるかなと思った。先ほどカナンという神域で、回復魔法が暴走している。あれは祐奈が意図的に放ったものではなかったけれど、かなり強烈な体験だった。


「あなたにお任せします」


 ――こういう時、ラング准将のことを『好きだな』と感じる。


 彼が面倒事を嫌う性質だったら、この場面でも魔法の行使を固く禁じたはずだ。


 けれど今、彼はそうしなかった。やたらめったら禁止するわけではなく、臨機応変に判断してくれる。


 目の前の鳥が弱り切って見えたので、慈悲の心から許可してくれたのだろう。


 祐奈のように後先考えずに行動するのはある意味楽なことだが、ラング准将のように、リスクも全て承知した上で決定を下すのは、実はとても難しいことだと思う。


 彼は強い人だし、やはり公平で、優しい。


 祐奈はラング准将に許されたことでホッと息を吐き、リングをつけているほうの左手を鳥にかざし、呪文を唱えた。


『――回復――』


 キラキラとした光が舞う。


 魔法をかけたあと、鳥が心地よさそうに身じろぎした。羽を微かに動かし、頭を振るように二度首を動かす。すると青白い光がふわりと鳥の周囲に広がった。それからまた羽を動かす。青白い光がさらに大きくなり、ついには祐奈の全身を包むまでに膨れ上がった。


 幻想的な眺めだった。恐怖はまるで感じなかった。ただ穏やかで、良い気分になる。


 祐奈がうっとりと目を細め、青い光の余韻を目で追っていると、それはゆっくりと消えていった。


「……あれ?」


 ふと気付けば鳥もいなくなっている。キツネにつままれたようとはこのことである。


 祐奈は彼のほうを見遣った。


「いつ消えました?」


「ひときわ大きな青い光を放った直後ですね。突如、姿がかき消えました」


「なんだったのでしょう?」


「魔法のことは専門外ですが……なんらかの加護に見えました。嫌な感じはしなかったのではないですか?」


「ええ。森の中に入ったみたいな、綺麗な空気に包まれた感じです」


「あなたは魔法を使えるので、感覚が鋭敏になっているはずです。その状態で『良い』と感じたものなら、害はありません」


「良かった」


 祐奈はホッとしてラング准将に微笑みかけた。ヴェールで表情は見えなかったはずだけれど、声音で感じ取ったのか、ラング准将も優しく微笑み返してくれた。


 結局祐奈としては何が起きたか分からなかったのだが、このままここに居ても仕方ない。とりあえず部屋の奥の赤い扉の前に行こう。――祐奈はあれを開けてみるつもりだったのだから。


 ――台から下りて、改めて部屋の奥に進む。


 扉の左横にある赤い石板。ラング准将が金属プレートを眺めて説明してくれた。


「文言は同じです。カナン遺跡の赤い扉横、そして先ほど我々がいた場所の緑の石板、そしてここ――三箇所とも全て同じメッセージになっています」


「『聖女のブレスレットを当てろ』というような内容でしょうか」


「おそらく、そうでしょうね」


「じゃあ……試してみますね」


 先ほどと同じようなことが起こるとまずいからか、ラング准将が左手を祐奈の腰に、右手を彼女の手に添えた。それだけで祐奈はとても心強く感じられた。――彼はやはり世界一の護衛だ。


 祐奈は深呼吸してから、そっとブレスレットをはめた左手を石板に当ててみた。しかし何も起こらない。ブレスレットが直に触れるようにしたのに無反応だ。


 念のため赤い扉の取っ手を押し引きしてみたが、びくともしなかった。


「どうして?」


 しかしラング准将は試す前から結果が分かっていたようだ。それも含めて祐奈からすると訳が分からなかったのだが……。


「魔法を流す必要があるのでしょうか?」


「そうは思えませんが、やってみてください」


「いいのですか?」


「ただし雷撃にしてください」


 先ほど鳥の前では回復魔法の行使を認めてくれたが、やはり石板に使うのは駄目との意向だ。……まぁそれはそうだろう。祐奈もあの転送体験のあとでは、軽くお試ししてみようという気にはなれなかった。


 祐奈は魔法を行使しようとして、躊躇った。


「どうしましたか?」


「あの……ええと……」


 ラング准将に触れられたままで、魔法を使うのか……祐奈はそう考えただけで、腰砕けになりそうな、強烈な気恥ずかしさを覚えた。


 一度目に使った時の、あの感じを思い出してしまったのだ。あれはなんというか……かなり強烈な体験だった。


 ラング准将に約束させられて、『あなた以外とは、しません』と言ったけれど、それは『ラング准将となら何度でもやります』という意味ではない。正直なところ、あの状態になるのは、かなり恥ずかしい。




【後書き】


≪カナン遺跡・前室≫

───┬──────────┐

?  │          │

?  │          │

?  ┃←赤い扉      ┃←鉄の扉

?  ┃          ┃(→カナン市中)

?  ■←赤い石板&銅板A │

?  │          │

?  │          │

?  │  青い石板&銅板B│

───┴───────□──┘


~・~・~・~・~・~・~・~・


≪ローダー遺跡・大ホール≫

┌──────────■──┐

│     緑の石板&銅板A│

│             │

│  ◎←円形ステージ(鳥)│

│             │

┃←赤い扉         ┃←鉄の扉

┃(←国外)        ┃(→ローダー市中)

■←赤い石板&銅板A    │

│             │

│             │

└─────────────┘


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