第75話 分岐


 部屋に戻り、各々、椅子に腰かけたり、佇んだりと、好きなようにする。


「どうしますか?」


 ラング准将から尋ねられた。彼はひとりがけのウィング・チェアに腰を下ろしている。相変わらず優雅な居住まいであるが、物思うような表情を浮かべていた。


 リスキンドは絨毯の上に行儀悪くあぐらをかいており、少々お疲れモード。


 カルメリータはソファに行儀良く腰かけている。その隣にはルークが。寝そべって、半目になり、ウトウトしかけている。


 立ったまま壁に寄りかかった祐奈は困り果てていた。


「……決められません」


「オズボーンは信用できない」


「そうですね」


 確かに、そう――オズボーンにはよく分からないところがある。


 果たして信じられるのか? 信じてはいけないのか。信じることにした場合でも、結論は簡単には出せない。たとえ今回彼が仏心を出したのだとしても、彼が考える親切がこちらにとって有益かどうかは別の話だからだ。


 世の中には『ありがた迷惑』ということがある。相手が良かれと思ったことでも、受け取る側からすると迷惑でしかないことも。


 しかもオズボーンは魔法取得をしないことについて、理由は説明してくれなかった。


「リスキンドはどう思う?」


 ラング准将が尋ねた。


「うーん……」


 リスキンドは膝を撫で、背を丸めるようにして床を眺めた。彼のふわふわの赤毛が揺れるさまを、壁際に佇む祐奈はぼんやりと眺めおろした。……『彼、つむじが右側にあるのね』という、どうでもいいことを考えながら。


 しばらくたってからリスキンドが顔を上げた。なんだか難しい顔をしている。


「勘は鋭いほうなんですが、ここのところ、全部外しているしなぁ」


 彼のせいというわけでもないのだが、このところ祐奈の護衛をしている時に事件が起きまくっていたので、リスキンドはそれをまだ気にしているらしい。


「でもやっぱり俺は……魔法はできる限り覚えたほうがいいと思います。今は少しでも多く取り込んでおいたほうがいいんじゃないかと。これ以上アリスとの差が開くのはマズい。そもそもこの件をオズボーンが言い出したのが、なんだか気に入らないし」


「信用できない?」


 とラング准将。


「できない。これだけは、はっきりしています。やつは絶対に味方じゃない」


 オズボーンが敵か味方かの見解について、リスキンドは一切迷わなかった。


 祐奈はラング准将の意見を訊いてみたいと思った。


「ラング准将ならどうしますか?」


「私が祐奈の立場なら、魔法を取得します。リスキンドと同じ意見です」


「そうですか」


「ただ……私の視点のままで、祐奈のこととして考えると、どうなのか」


 ラング准将の声音に躊躇いが混ざった。こういった決定時には迷わない人だという印象があったので、祐奈は意外に感じ、じっと彼を見つめてしまう。


 ラング准将はしばらくのあいだ考えを巡らせていた。


「……頭では、取得したほうがいいと分かっている。しかし」


 やはりこんなふうに言葉を濁す彼は珍しい。


「オズボーンさんの言うとおりにしたほうが、上手く行きそうですか?」


「……そうですね。なぜそう思うかは分からない。経験や勘――あらゆる要素が『オズボーンを信じるな』といっているのに、それでもここでは魔法を取得しないほうがいいような気がして」


 ラング准将とリスキンドの意見に共通しているのは、『オズボーンを信じるな』という部分か。


「祐奈の意見は?」


 今度は逆にラング准将から尋ねられた。祐奈は考えを整理してから口を開いた。


「私はおふたりと違って、オズボーンさんのことをそんなに疑っていません。分かり合える部分もあるような気がして……甘いかもしれないですが」


「では彼のアドバイスに従い、魔法を取得するのはやめるべきだと?」


「いえ。それでもやはり魔法は取得したほうがいいような気がしています」


 三者三様で、完全に合致はしなかった。けれど『取得しておくべき』の意見が優勢であり、唯一反対の意見を述べたラング准将も、確信はないようだ。『自分でも不可解』だと語っている。


 そしてオズボーンを信じるべきか? については意見が割れている。祐奈ひとりだけ違う見解。


 これだけの材料で決定を下すのかと、祐奈は途方に暮れてしまった。


 これは魔法取得に関する話なので、主体は祐奈であるべきだ。しかし正しい判断を下す自信がない。


 祐奈は困り果て、カルメリータのほうに視線を向けた。


「カルメリータさんはどう思いますか?」


 彼女は祐奈のそばまでやって来て、そっと手を握ってくれた。


「私は、間違った答えを選んでも大丈夫だと思っていますよ」


 予想外のことを言われて、呆気に取られる。


「どういうことですか?」


「それはね――どんなに不利な状況であっても、きっとラング准将がなんとかしてくれると信じているからです」


 祐奈を安心させるように微笑み、そのあとでラング准将のほうを悪戯に横目で見る。


 ――ラング准将は一本取られたような心地だったのではないだろうか。


 微かに口角を上げ、


「では、全力で信頼に応えなくては」


 と返した。


 なんとなく、これで気が楽になって。祐奈はふと思いついて、こんなことを口にしていた。


「私の育った国には、『困った時の、神頼み』という言葉がありまして」


 ラング准将は穏やかな瞳を祐奈に向け、リスキンドは片眉を上げてみせた。


「コイントスでもする?」


 リスキンドに尋ねられたのだが、どうせなら祐奈自身がやりたかった。しかし祐奈はコイントスを上手くやれるか分からない。


「私はラケットトスで決めていたのですが」


 祐奈は中学の時、バドミントン部に所属していた。一般的にどうかは知らないのだが、祐奈のところは、サーブ権をどうするかはラケット回しで決めることになっていた。それに慣れてしまったせいで、あの頃は困ったことがあると、すぐにそれに頼ったものだった。


「ラケットって何?」


「説明が難しいのですが、棒みたいなものでOKです。こう――床に立てるように置いて、クルクル回転させて、倒れた向きで決めるのです」


 本来はグリップエンドの向きなどで判断するのだが、倒れた方向――右か左で決めてもいいだろう。


「ふーん、なんか面白そうだな。じゃあ、俺の剣を使いなよ」


 リスキンドが床から腰を上げ、鞘に収まった剣を無造作に差し出してくるので、呆気に取られてしまった。


 祐奈が突っ込みを入れる前に、カルメリータが目を丸くしてこれをたしなめた。


「リスキンドさん、剣をずいぶんぞんざいに扱いますね。誇りとかないのですか」


「人間、死ぬ時ゃ身ひとつだぜ。俺はこういうものにはこだわらない主義なんだ」


「少しはこだわれ」


 ラング准将が呆れたようにため息をつく。


「まぁまぁいいじゃございませんか。この剣も重大な決定に使われたとあれば、名誉なはず。――ちなみに俺は、引っかけた女の子と『俺の家で遊ぶか』『彼女の家に行くか』で揉めた時は、コイントスで決めている」


 ……耳が腐る……その場にいたリスキンド以外の全員がそう思った。




   * * *




 絨毯が敷かれていない場所に全員が集まった。


 祐奈は剣柄を手で押さえ、深呼吸をした。


「私から見て『右』に倒れたら、『魔法を取得する』。『左』に倒れたら、オズボーンさんのアドバイスに従って『魔法を取得しない』。では――いきます」


 重そうだけれど、回るかな……。


 なるべく垂直になるように調整してから、上から柄を押さえ直して、手首を捻った。思い切ってクルリと回す。


 祐奈は剣にぶつからないように、慌てて後ろに下がった。


 剣は想定していたよりも綺麗に回転した――先端を軸にして、バレエのターンみたいに。


 やがて中心軸がぶれ――右へ傾いて行く。


「あ……」


 右は『魔法を取得する』だ。


 これには全員がある種の安堵を覚えていた。魔法を取得したほうがいいというのは、結局のところ、皆が感じていたことではあったから。


 ところが。


 もう倒れるというところで、じっとその様子を黙って眺めていたルークが、ひょいとその身を乗り出したのだ。ルークの可愛い前足が、剣の鞘を押す。


 それはあっという間の出来事だった。外部からの力が加わり、剣は左に倒れた。


「………………」


 全員が無言になる。


 すでに倒れている剣を眺めおろし、そのうちに顔を上げて、互いに視線を交わした。


 皆、微妙な顔つきになっている。運を天に任せるはずが、結局、ルークが決めてしまった。


 これは、どうなのだろう? 無効?


 祐奈はルークを見おろした。半目でこちらを見上げる、白黒の毛並みの犬。何か言いたげでもあり、何も考えていないようでもあった。ものすごく賢そうな顔にも見えたし、ただ眠そうな顔にも見えた。


 それで……奇妙なことだが、笑えてきて。


 祐奈は笑み交じりに皆に告げていた。


「決まりですね、『左』です――魔法取得は、しません」


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