第74話 オズボーンの忠告


 アリスの準備が整ったらしく、明日出発ということに決まった。当然、祐奈もそれにならうことになる。


 前日の夕刻――入浴を済ませ、浴場から部屋に戻る途上でのこと。一階本館と西翼の繋ぎ部分で、オズボーンが待ち受けていた。


 そこはちょうどアリスに突撃された例の場所だったので、祐奈はなんだか複雑な気持ちになってしまった。……なんかここ、待ち合わせ場所みたいになってない? と思ったからだ。


「やぁ、祐奈」


 円柱に寄りかかっていたオズボーンが、ひらりと手を振ってくる。


「君の魔法について、話しておこうと思って。明日はもうここを発つから、その機会もないかもしれないし」


 この時、祐奈の護衛には、ラング准将とリスキンドがついていた。先日の枢機卿の一件があったので、浴場を使用する際は、表口と裏口、両方見張りに立つ必要があるとラング准将が主張したためだ。


「……どの魔法について、ですか?」


 質問したものの、祐奈には答えが分かっているような気がした。オズボーンが問題視するなら、たぶんあれしかない。


 彼は億劫そうに背中で柱を押すようにして、ふらりとこちらに向き直った。祐奈を真っ直ぐに見据え、口を開く。


「君は分かっているはずだ――あの魔法はとんでもない代物だと。理(ことわり)を捻じ曲げる」


「ただの回復魔法ですよ」


「本気でそう思っている? 冗談だろ」


 オズボーンが口の端を持ち上げたのだが、楽しんでいるような顔つきではなかった。微かに眉根が寄っており、視線はあくまでも鋭い。


「何度かあれを使ったね」


「ええ」


「それで君は気づいたのでは? ――何かがおかしい、と。モレットであれを取得した際、君はあくまでも『回復する魔法』を望んでいた。しかしブレスレットに取り入れる際のイメージがあまりに突飛すぎた――変にアレンジせずに、『怪我が治る』『病気が良くなる』くらいに、曖昧さを残したまま取り込めばよかったんだよ。けれど君は『元の状態に戻るように』という、おかしな指示を加えてしまった。それはつまり『時間』に働きかけるものだ。それにより、これまでこの世界のどこにもなかった、サイクルする矢印の向きが作り出された。あれは『回復』なんかじゃない――もしもあの魔法がエネルギーを巻き込んで無限に空転を続けたなら、循環、繰り返し――重力にまで影響を及ぼすぞ」


 オズボーンに言われて気づいたのだが、あれは実際には『巻き戻し』ているわけだから、対象は生命体に限定されない。たとえば壊れたカップなども、元に戻すことは可能だろう。


 ――ショーの腕をくっつけた時、あれ? と思ったのだ。流れ出た血液の痕跡までもが消えていたから、ショーの体内に戻ったのだろうか? と。


 ただの回復魔法なら、ショーの腕がくっついた時、地面に染み込んだ血液はそのままになっていないとおかしい。けれどそうはならなかった。ショーの状態は、時間軸そのものが正確に巻き戻っていた。


 それなのに一定時間経過後、また腕が斬れることは『なかった』。『巻き戻し』なら『巻き戻し』で、ふたたび時間が流れたら、自動的にまた斬れないとおかしい。


 つまり戻したのにも関わらず、同じ流れは辿らない。その部分においては循環しない構造になっている。『回復』という巻き戻りを経験したあとは、今度は別の時間軸に進む。データの上書きみたいなもので、そこでリセットされる。


 しかしオズボーンが先ほど言ったように、空転させるように祐奈が矢印の向きを少し弄れば、別の時間軸に行かせないことも可能なのか?


 永遠に現象をループさせる――そこから抜け出せないように――……


「恐ろしいのはね、祐奈」


 オズボーンが瞳を細める。


「普通ならあんな馬鹿馬鹿しい魔法は到底実現不可能であるのに、なぜか完成してしまったってことなんだ。――精霊アニエルカの力が強すぎたのか? あるいは君のイメージ力が並外れて優れていたのか? もしくはその両方か。本来ならば取り込み時に弾かれて、NGになっていないとおかしかった。でもできてしまった。それでね――あの魔法がどうしてありえないか、理由が分かる?」


「どうしてですか」


「巻き戻りも十分にイカレた概念なわけだが、君の作り出した魔法はもっと異常性が高いんだよ。なんせ『局地的に』戻しているんだからね」


「限定的なほうが、簡易に実行できるのでは……」


「馬鹿言っちゃいけない。戻すなら全部――銀河すべて一律に時間を戻してしまうほうが、健全なくらいだよ」


「そんな馬鹿な」


「分からない? たとえばそうだな――布地の一部」


 オズボーンは自身の上着の、脇腹のあたりを、指でちょんと摘まんで見せた。


「この数センチ四方だけ限定的に裏返すのって、不可能だと思わない? ひっくり返したいなら、上着ごと全部裏返すのが普通だ。ところが君がやっているのは、前者――痕跡もなく、綺麗に、数センチ四方だけを裏返している」


 そう言われれてしまうと、確かにありえない……のか? つなぎ目はどうなったんだという感じがしなくもない。魔法という響きから、なんでもありなのかと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。


 オズボーンは祐奈を責めているけれど、もう完成してしまった魔法なのだから、どうしようもなかった。


 ありえないといわれても、祐奈は行使者なので感覚的に分かっている。使用しても、別にまずいことはないということが。あれを行使したあと、魔力の流れが異常性を示したとか、そういうマイナスな反発はなかった。


 むしろ雷撃などより、滑らかに展開できているくらいで。


「問題がありますか」


 自分で見落としている点があるかもしれないと、念のためオズボーンに確認してみた。


「君のせいで、未来が流動的になっている。君はあの魔法を使いこなせない」


 ……そう言われましても。


「さて最後にひとつアドバイスだ」


「アドバイス?」


 珍しい。そういうお節介とは無縁の人かと。


「――ここでは魔法を取得『しない』ほうがいい」


 取得『する』ほうが、ではなく、取得『しない』ほうがいいの?


「というか、そもそも……レップの聖具はひとつきりですよね?」


「うん」


「それなのにアリスさんと私のふたりとも、取得することが可能なのでしょうか」


「ここでは可能だ。だめな聖具が多いけれど、レップならばね。でもさっき言ったとおり、君は辞退したほうがいい」


「どうして?」


「詳しくは言えないが、このアドバイスはただの気まぐれ。――僕を信じる?」


 彼は誠実な人間じゃない。祐奈にもそれは分かっている。どちらかといえばアリス寄りのような気もしている。


「あなたは私の味方ですか?」


「そうとも言い切れないね。今後、君を最悪の窮地に追いやる可能性は否めない」


 オズボーンと見つめ合う。彼の灰色の瞳は、感情を読み取らせない。薄曇りの空のようで、陽光の暖かさを忘れそうになる。


 結局、自分で選ぶしかない。


 ――祐奈は歩き始めた。


 オズボーンは脇に避け、ラング准将のほうをなんだか楽しげに眺めていた。


 それはいつもどおりのオズボーンだった。悪戯好きで、好奇心旺盛。


 先ほどの真面目な態度はもしかすると、魔が差した結果なのかもしれなかった。


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