第71話 ショーとラング准将


 ラング准将は一連のやり取りを後ろで聞いていて、感情を押し殺さなければならなかった。


 血迷った言動の数々――祐奈の手を握ってやりたいだとか、アリスの所でずっとそうしていただとかいうのも業腹であったが、それより何より。


 ――ショーは祐奈の素顔を見ていた。


 それはすでに分かっていたことだが、この男の口から恥知らずにもそのことが垂れ流されると、やはり苛立ちを覚える。


 ショーは祐奈に好かれはしなかったが、それでもある意味、彼女にとっては特別な男だった。


 温和で揉めごとが嫌いな祐奈。そんな彼女に「嫌いだ」と言わしめたのだ。それは考えようによっては、なんとも甘美で、背徳的でもある。


 ショーは祐奈を激しく傷つけた。皮肉なことに、祐奈はショーのことをこの先もずっと忘れはしないだろう。彼女に親切にする男が現れたとしても、そんな相手よりも、ショーのほうが記憶に残る。下手をすれば一生――祐奈はショーを忘れることがない。


 理不尽で、不健全だが、どうしようもない。


 それでもラング准将は正しい行動を選択する。衝動のまま振舞えるなら、とっくのとうにこの男を半殺しにしている。


 ――ショーがよろけるように立ち上がり、部屋から辞去するため歩き始めた。


 扉のそばに控えていたラング准将がショーの進路を塞いだ。ショーは戸惑ったように、目の前に佇む非凡な騎士を眺めた。


 そしてラング准将の怜悧な瞳がこちらを見据えているのに気づくと、反射的に体を強張らせていた。おそらく、怯えたのだ。


 ラング准将はただ静かな立ち姿を保っていたし、表情もいつものとおりだった。落ち着いていて、同性のショーからみても、この上なく端正だった。


 けれど違う。やはりいつもと違う。言葉では説明できないような圧を感じる。寒気を覚える。


 それは特別、複雑なことではなかったのかもしれない。単純に相対してみて、格の差を思い知らされただけだったのかも。ただそこに佇んでいるだけで、ラング准将は圧倒的だった。


 ショーは指先が小刻みに太腿に触れる感触で、自分が震えている事実に気づかされた。


「隊を抜けろ、ショー」


 ラング准将から告げられた言葉はあまりに厳しかった。――怒鳴られたわけでもない。しかしショーが息を呑むような何かがそこにはあった。


「それは……俺が祐奈に嫌われてしまったからですか? フラれて、護衛隊もクビに?」


 聖女は絶対的な存在だ。ショーはアリス隊所属であるが、祐奈がそれすらも気に入らないというのなら、従わざるをえないということだろうか。


 アリス隊にいれば、この先、祐奈の誤解を解くチャンスも巡ってくるかもしれない。だからラング准将に言われたことは、正直納得がいかなかった。


「お前の恋愛が成就しようがしまいが、進退には関係がない」


「ではなぜ」


「明確な倫理違反があったからだ。お前は聖女祐奈に対し、王都で虚偽の申告をした。性的嫌がらせをされた、と」


「でもそれは、あの時は本当にそう思って――」


「それで結果は? 正しかったのか、誤りだったのか」


「それは……誤りでした。彼女は無実だった」


「では、虚偽の申告をしたと認めるな」


「はい」


「自分がした愚かな行いを、その頭でよく考えてみることだ。――護衛騎士の職務はなんだ?」


「聖女を護ることです」


「本来、自分を護ってくれるはずの存在に、彼女は貶められた。尊厳を打ち砕かれ、彼女の評判は地に落ちた。お前の悪意ある行動がなければ、祐奈がローダールートを進んでいたかもしれない。お前は彼女の輝かしい未来を奪ったんだ。その手で」


 ショーは言葉もなかった。言われて初めて気づいた。


 祐奈は少ない護衛で旅をしている。皆に後ろ指を指されて、軽んじられて。もうずっとそうだったから、当たり前のこととして受け止めていた。


 ――アリスが上で、祐奈が下。一番手と、サブ。


 祐奈の素顔を知り、彼女を愛し、不遇な彼女のそばについていてやりたいと思った。アリスほど優遇されていなくて、可哀想だと。


 けれどそもそも祐奈の扱いがこんなふうに散々なものになったのは、ショーのせいだった。


「分かり、ました……すぐにアリス隊を抜けます。祐奈にしたこと、とても反省しています。俺が詫びていたと、彼女に伝えてください」


「反省していますのひとことで、かたがつくとでも? たとえ祐奈が許したとしても、それで終わりにはしない」


「え?」


「旅が終わったら、お前を聴聞会にかける。追及はかなり厳しいものになるだろう」


「そんな……」


「これはごめんなさいで済むような軽い話ではない。お前は重罪を犯した」


 重罪――目の前が一気に暗くなった。


「王都に戻り、沙汰を待て」


 ラング准将が部屋の扉を開け、ショーを厳しい目で見据えながら、退去するよう促した。


 ショーはよろけながら部屋から出て行った。




   * * *




 廊下をひとりトボトボと進みながら、ショーは悄然と肩を落としていた。


 根が単純なため、祐奈に申し訳ないことをした、嫌われて当然だと、負のループに陥っていく。……なんということをしでかしてしまったのだろう。


 ――可哀想な祐奈。清廉な天使。


 ショーは『こうなったら人生を賭けて罪の償いをするしかない』と心に誓った。祐奈が気の毒だったし、自分が傷つけてしまったのだと思うと、胸が焼け爛れたように熱くなる。


 ショーは顔を歪め、顔を朱に染めて、グズグズと泣き始めた。拳でこぼれ落ちた涙を拭い、しゃくり上げる。


 ――ずっと君を想うよ。ずっと君を愛し、罪を償う。


 この愛は永遠――祐奈のためなら命だって捧げられる――まるで殉教者のように崇高な気持ちだが、それでも俺は生きよう。彼女のために生きよう。王都に戻り、贖罪の日々を過ごしていこう。


 聖女の旅が終わり、裁きにかけられた時、牢に入れと言われたなら、決定に素直に従うつもりだ。そうすることで祐奈に自分の愛を示したい。


 ショーは悲劇の主人公気取りで、その身に盛大な悲壮さを漂わせ、窓の外の月を眺めた。


 そして唇を噛みしめ、ふたたび瞳を潤ませるのだった。




   * * *




 ラング准将は祐奈の様子が普段と違うことに気づいていた。昼間アリスとやり合ったようだし、とても心配だった。


 カルメリータがそばにいた時は、それでも気丈に振舞ってはいたらしい。……ただ、カルメリータもすべてを見聞きしたわけではない。カルメリータと枢機卿の側近であるアンは、途中で席を外すように言われてしまったらしいから。


 ――その後、祐奈、アリス、ショーの三名で何を話したのか。ふたたびカルメリータが対面した時、祐奈はかなり動揺していたそうだ。


 祐奈の自室扉をノックする。少し間があり、扉越しに彼女の声。


『……はい』


 やはり元気がない。


「少し話せますか」


『……あの、ごめんなさい。今日は……無理そうです。すみません』


 扉を開けてもくれない。ラング准将は瞳を伏せ、静かに息を吐いた。


 ……ままならない。自分はこの扉一枚越えられない、そのことがもどかしく感じられた。




   * * *




 翌日。


 祐奈は朝一でレップ大聖堂の司教から呼び出しを受けた。……今さら、一体何を、と戸惑いを覚える。


 司教は『ヴェールの聖女と面会するのは、後世までの恥』とでも考えているのか、祐奈がこちらに着いてから一度も会おうとしなかった。


 だから祐奈のほうも、このまま司教とは一切話をすることなく、ここを発つのだろうなと考えていた。聖具を見せてくれないと、魔法をブレスレットに取り込めないが、まぁそうなったとしても仕方がないかな、と。


 それが突然、至急会いたいと言う。――出発直前というタイミングでもないし、どうしてもというのがよく分からない。


 正直、嫌だなと思った。色々あって疲れているというのもある。昨日は気が昂っていたので、それで試練を乗り越えられたが、一晩たってみると、あとには虚しさだけが残った。……どうしても元気が出ない。


 司教と会うのは億劫だったが、断るわけにもいかない。


 心優しいラング准将は、祐奈が『どうしても嫌だ』とゴネたなら、おそらく面会をキャンセルしてくれただろう。けれど祐奈は彼に負担をかけたくなかった。


 アリスからも、ラング准将への態度が不適切だと注意されてしまった。これからはより一層、彼に対する言動には気をつけなければならない。




   * * *




 一方のラング准将は、祐奈の前では態度にこそ出さないものの、そろそろ危険な領域に達しつつあった。


 彼がここレップ大聖堂で大人しくしていたのは、祐奈の心情を鑑みてのことだ。


 レップの司教は退屈で偏屈な俗物である。それにアリスという無視できない脅威も存在したし、枢機卿の動きもどこかキナ臭かった。だから祐奈を関わらせないために、単身彼らの元に赴き、我儘に付き合ってきた。


 ところがどうだろう――彼らは祐奈を軽んじ、振り回し、卑怯な手段で嵌めた。到底許すことはできない。


 ラング准将はほかの人間と比べてみても、辛抱強く、高潔である。抑制も利いている。


 それは自らに重い枷を嵌めているようなもので、それを外した時、どうなるか――彼を取り巻く身勝手な人間たちは、自分がまずい相手に喧嘩を売ってしまったのだと、これから深く後悔することになるだろう。


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