第70話 ショーと祐奈
ショーのしつこさといったら、驚異的だった。
その日、ショーが祐奈の滞在する部屋までノコノコとやって来たので、応対に出たリスキンドは心の底からげんなりしてしまった。
なんかないのか……ゴキブリを瞬殺できるような、強めの薬剤か何かが!
人間の言語が通じないやつって、本当にうんざりするよなぁ……と遠い目になる。ぶん殴っていいのならそうするけれど、ショーはアリスのお気に入りのようだから、一時の気分で憂さを晴らすととんでもない面倒に巻き込まれそうで、そうすることもできない。
「かーえーれ! お前みたいな胡散臭いエセイケメンを見ていると、俺、反吐が出るんだわ」
「リスキンド、ヤキモチはみっともないぞ」
「誰がお前なんぞにヤキモチ焼くか。妬くならラング准将の綺麗な顔に妬くわ」
「ムキになるな。俺が女の子にモテるから、面白くないんだろう。嫉妬って、同じレベルの相手にするものらしいからな。ほら、リスキンドと俺は大体同じレベルだろ。でも俺のほうがちょっと格好良さは上だ。だからなんていうか、気持ち、分かるよ」
なんなら少し同情してますというようなていなので、すべてが馬鹿らしくなってきて、思わず天を仰いでしまう。
ははぁ、と乾いた笑みが漏れる。そして笑ったあとでブチ切れた。
「なんなのお前? 超うぜぇ! くたばれ!」
「意外と口喧嘩弱いな、リスキンド」
「うるせぇ! ぶち殺すぞ‼」
もうこれ、グーでいっていいよな? ものすごい我慢したぞ。でももう駄目だ。ぶん殴ったほうがこいつのためになると思う。奇跡が起きて少し賢くなるかも分からんし。
――てなことを考えていたら、背後からトントンと肩を叩かれた。振り返るとカルメリータが立っている。騒動を聞きつけて奥から出てきたらしい。
「リスキンドさん――祐奈様がお会いになられるそうです」
「え。大丈夫?」
「ご自身の希望ですので」
さすがのカルメリータも不安があるのか、顔を強張らせている。彼女はひどく緊張しているようだし、怒っているようでもあった。ショーに向けた冷ややかな一瞥で、それが伝わってきた。
祐奈にこんなやつを会わせなければならないことに、腹を立てているのだろう。それはリスキンドも同様だった。
しかしいつまでもショーに好き勝手させておくわけにもいかない。今は部屋にラング准将もいることだし、ここで決着を着けてもらったほうがいいのかもしれない……そうリスキンドは思うことにした。
* * *
ショーが訪ねて来た時、祐奈は『しっかりしなくては』と自らに言い聞かせた。
こんなことが続くようではだめだ。ラング准将のお荷物にはなりたくない。自分の力はアリスの足元にも及ばない。
ただでさえ落ちこぼれなのに、私生活のほうも散々で。
祐奈がぐずぐずとショーのあしらいひとつ満足にできないようだと、周囲の負担は増すばかりだ。現にこのとおり護衛に迷惑がかかっている。いちいち割って入るリスキンドからすれば、この状況はたまったものではないだろう。
ラング准将はといえば、今日も一日ずっと誰かに呼び出されて忙しくしていて、先ほどやっと部屋に戻ってきたところだった。
彼が不在がちであることに、ホッとしている自分がいる。どんなふうに会話をしていいのか分からなくて。ずっと気を遣わせていたのかな……そんなふうに思うと、会話ひとつでもぎこちなくなってしまう。緊張して肩に力が入ってしまう。
だからかえってショーが来たことは、よかったのかもしれない。やらなくてはいけないことがあれば、気が紛れるから。
ソファに腰かけて待っていると、
「――心配していたんだ、祐奈」
ショーが恥知らずにも近づいて来ようとしたので、リスキンドがすぐに止めに入った。
「はいはい、お触り禁止ね」
「そばに行って手を握ってやりたいんだ。アリスの所ではずっとそうしてやった。祐奈もそれを望んでいる」
「――私は望んでいません」
祐奈は静かにそう告げた。
しん、と辺りが静まり返る。というよりも騒いでいるのはショーひとりだけだったので、彼が黙れば静けさは簡単に戻るのだった。
祐奈はもしかするとヤケになっていたかもしれなかった。たくさん傷ついたあとで、もう捨て鉢な気分だった。混乱すらも通り越して、かえって凪いでしまっている。
それは望ましい状態とは言えなかったが、厄介な人間に立ち向かわなければいけない今は、心が鈍感になっているのがありがたいとすら思えた。
「ショーさん、対面の席におかけください」
「祐奈……」
「大人同士、落ち着いて話をしましょう。あなたは自分の感情を、もう全部吐き出したでしょう? 次は私の話を聞くべきではないですか」
さすがのショーも不穏な空気は感じ取れたのだろうか。なんだか不安そうな顔つきになり、大人しく向かいの席に腰を下ろした。
カルメリータは彼にお茶も出さなかった。――でも、それでいい。祐奈の話はそんなに長くはかからない。
居心地が悪そうに身じろぎし、ショーが両手を擦り合わせる。そしてやはりルール違反を犯した。祐奈が話を聞くようにとお願いしたのに、また口を開いたのだ。
「聞いてくれ、祐奈。俺は本当に君を愛しているんだ。それは分かってくれるだろう?」
彼が語る愛は、吹けば飛ぶような軽さだ。祐奈は深く息を吸った。背筋を伸ばし、告げる。
「ショーさん――私は、あなたが、嫌いです。出会った時から、印象は良くなかった」
「そんなはずはない! 君は俺に夢中だった」
「本当のことです。あなたは視野が狭く、怒りっぽく、自分本位でした。私を見下していたし、ひどい態度を取った」
「それは君のことをよく知らなかったから」
「では、今なら知っていると言うのですか?」
「顔を見たから分かっているさ! 君のことなら、全部!」
不意に祐奈は壁際にいるラング准将の存在を意識した。……彼にはショーに顔を見られたことを知られたくなかった。
けれどもしかすると、とっくの昔に悟られていたのかも。――盗賊退治のあとでショーとひと悶着あり、その時に顔を見られてしまったようだ、と。勘の良いリスキンドがあの場にいたのだし、詳細の報告は受けているだろうから。
それに先日ショーに告白された際にも、『顔を見た』云々の話をされた。あの時ラング准将は少し離れたところに立っていたけれど、会話は聞こえていたはずだ。
それでもこうしてショーの口から暴露されてしまうと、やはり居心地が悪かった。こんな形でバラされるなら、自分の口から直接ラング准将に告げるべきだったという気がして。
いえ、でも……祐奈は混乱し、視線を彷徨わせる。……その必要はない、のかな? ラング准将はそんなことを言われても、困ってしまうかも。
祐奈は膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。今は余計なことを考えている時ではない。ショーと決着をつけなくては。
「私はあなたの愛情を信じられません」
「どうして? 俺は裏表なく、君に気持ちを伝えているのに」
「顔を見たから気が変わったと言っているけれど、あなたが感謝しているのは、私が腕を治療したからでしょう?」
「それは考え直すきっかけになった出来事だから、否定はしないよ。君は俺を助けてくれた。普通は嫌いな人間にあんなことをしないものだ――ずっとひたむきに好意を寄せてくれていたのだと、感動したよ」
「好意じゃない。ただの義務感からしたことです」
「照れなくていい」
「本当に照れていないの、もういい加減にして!」
声を荒げる。腹が立った。この人はどこまで勝手なの?
初対面の時に祐奈のことを勝手に決めつけて、なじってきた。今もやっていることは変わりないじゃない。好き嫌いが反転しただけで、やっていることは一緒。彼が愛している『祐奈』は、架空の存在だ。ショーが思い描いた、彼の頭の中にいる、彼にとって都合の良い女の子。
「私、思い込みが激しい人は嫌いです。想像力がない人も嫌い。あなたは他人の気持ちに鈍感すぎる。自分勝手よ」
「自分勝手なら、こんなふうに誰かを愛せない!」
ショーは傷ついた目をこちらに向けてきた。……もしかすると普段なら、気の毒に感じたかもしれない。誰かを傷つける行為は、こちらの胸も痛むものだし、自分がひどいことをしているような気分になったかも。
だけど今の祐奈は他人のことを思い遣れないくらいに、傷つきすぎていた。心にできた傷が血を流している。
「あなたは治療魔法が使える私を見て、便利だと思っただけでしょう? 利用しようとしているだけ」
ショーがしたことをしてやる。決めつけて、自分の考えを押しつける。
ねぇ、どんな気持ち? ないがしろにされている気分になるでしょう?
「違う、俺は君を思い遣っている。今の君が好きなんだ」
「人は自分の得になる相手には媚びられるものです。それは優しさじゃない。ただの打算です。王都までの道筋を思い出して――自分がいかに最低だったか、あなたは気づくべきよ」
「それは悪かった。これからいくらでも償う。許してくれ、祐奈、でも俺は君を諦めきれない」
「いじめられた側は、されたことをずっと覚えています。水に流してくれと簡単に口にできてしまうあなたは、結局のところ自分がしたことと向き合っていない。――あなたは、私を、虐げた。あなたが、嫌いです。あなたの顔を見るのも苦痛なの」
ショーの心の中に踏み込んで、情け容赦なく蹂躙し尽くしたような気分だった。なぎ倒し、破壊した。徹底的に。
彼は打ちひしがれているだろうか。祐奈はそれを確認しようとも思わなかった。瞳を伏せて、腰を上げる。もう彼のために時間を使うつもりはない。
茫然と固まっていたショーは、祐奈が去る気配を感じて息を詰まらせた。
そんな、まだだ、と考える。まだ終われない。何を言いたいのか分からぬまま、ショーは口を開いていた。
「待ってくれ――そう、あれは――君が俺にアプローチしてきたこと、その説明が欲しい。今、君が俺を嫌っていることは分かった、でもあの時は確かに俺のことを好きだった――そうだろう? なかったことにはしないでくれ。俺たちの過去を」
ショーの言葉には縋るような響きがあった。祐奈は戸惑い、立ち去りかけていた足を止めて、思わず彼を眺めおろす。
……『確かに俺のことを好きだった』と言われても。そんな気持ちはなかった。どこにもなかった。
「私はあなたに誘いをかけたことはありません」
でも……これってなんなのだろう? ショーはしつこく、こちらが誘いをかけたと主張してくる。
もしかすると、と祐奈は思った。国により、常識や慣例は異なる。この世界の人たちは、おそらく日本人寄りの考え方をしない。
祐奈が礼儀正しくしていただけのつもりでも、変に媚びているとか、取り入ろうとしているとか、そんなふうに勘違いされてしまった可能性はないだろうか?
なにかをしてもらって「ありがとうございます」と礼を言う。祐奈としては特にどうというつもりもない。けれどたとえば、この世界に『使用人に礼を言うのはありえない』という文化的背景があるとするなら、このようなお礼ひとつであっても、受け取り手によっては、『こちらに性的興味を抱いているから、こんなふうに下手に出るのだ』と考えるかもしれない。
そのような異文化ゆえの認識の差、行き違いは、いくらでもありそうだった。
「どうして……君は俺のことを、好きだったはずだ」
「あなたが何にこだわっているのか分かりませんが、私たちは互いに意思疎通ができていなかったのだと思います。私たちは育ってきた文化が違う。お礼の言い方、お詫びの仕方、話しかける時の距離感、タイミングの計り方――すべてが異なるでしょう。仕草、ジェスチャーなんかもそうで、同じものを見ても、まるで別の意味に受け取られてしまうことがあったかもしれません。あらゆることに違いがある。こうなったこと……原因は私には分かりませんが、すべてあなたの思い込みだというのは確かです」
「そんな……じゃあ君は、本当に?」
ショーは泣きそうに見えた。けれど祐奈はそれに対して何も感じなかった。
彼に伝えたことはすべて事実だし、それが彼を傷つけてしまったのだとしても、慰める気はない。
そもそも感情的に処理したのは、ショーのほうだ。ラング准将やリスキンド、カルメリータだったなら、コミュニケーションの過程で同じ問題が起こったとしても、頭ごなしに相手を責めたりはしなかっただろう。
あの時のショーにもう少し冷静さと思い遣りがあったなら、あんなふうにはなっていなかったはず。
「この世界に来た時、私はすごく緊張していました。周囲に迷惑をかけたら無一文で放り出されてしまうかもしれないと恐れていたし、できることなら護衛のあなたとも上手くやっていきたいと考えていました。そんな私の遠慮や恐れが、変なふうに伝わってしまったのかもしれません。でもこれだけは言っておきます――あなたを素敵だと思ったことは、過去に一度もなかった。……正直、顔もタイプではない」
祐奈はショーの顔について好みだとか、好みじゃないとか考えたことはなかった。もしもショーの人間性を好ましいと思っていたなら、外見にも好意を抱いたことだろう。
けれどあえて「タイプではない」と口にした。ショーは自分の顔に自信があり、なぜか祐奈がそのせいで自分に付き纏ってきたと考えているようだ。だからこそ、そうではないと伝えた。
祐奈は視線を切り、彼の前を離れることにした。今度こそ祐奈は振り返らなかった。ショーをその場に残し、静かに足を進めて、自室に入った。
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