第68話 VSアリス④ ――滅多打ち――


 アリスが一番先に、ソファにゆったりと腰かけた。


 祐奈は腰を下ろす前に、まず乱れた席を整えることにした。アンが打ち倒された際にローテーブルを押したので、捻じ曲がって、荒事の名残がある。


 テーブルを元の位置に直し、アリスの対面にある三人がけのソファに腰を下ろす。


 ショーは角のひとりがけのソファか、アリスの隣に行くのかと思った。けれどなぜか彼は祐奈の真隣に座ろうとする。


 苛立ちを覚えて口を開こうとした瞬間、アリスからすごみのある視線で見据えられ、


「――そうよ。ふたりは隣で」


 と先に念押しされてしまったので、抵抗は諦めた。


「それから早くヴェールを外して。何度も言わせないでね」


 アリスの注文どおりヴェールを外す。ショーにはすでに素顔を見られていることだし、すっかり投げやりな気持ちになっていた。本当はすごく嫌なのだが、感情が麻痺してしまっているのだろう。


 隣に腰かけたショーがほぅと息を漏らし、なんだかんだと誉めそやしてくる。妙に距離が近い。離れてほしい。それから見ないでほしいし、話しかけないでほしかった。


 あまりのショーのかしましさには閉口させられたが、心を無にして、左から右へと聞き流すことにした。今は精神的にショックを受けていて、その点ではよかったかもしれない。意図せずとも、ぼんやりしがちだったからだ。


 それでもあまりにしつこいので、言葉のいくつかは耳に残った――『可愛いよ』とか『近くで見られて感激だ』とか『ずっと俺の前では素顔でいてほしい』とか、なんだとか、かんだとか。


 ショーの言葉は数でこそ大した分量であったが、何ひとつ祐奈の胸には響かない。激安チェーン店で流されている奇妙なテーマソングのほうが、よほど頭に残るなと祐奈は考えていた。


 ところが。


 祐奈にとってはなんの価値もない、ただの音の羅列であったとしても、ほかの人にとっても同じであるとは限らない。アリスはたぶんこのような立場に置かれたことが、久しくなかったのではないか。


 ――ショーは祐奈だけを見つめていたし、祐奈だけを神聖視していた。


 こんなふうにチヤホヤされるのは、いつだってアリスの役どころだった。彼女は美しいし、皆の人気者だ。けれど彼女は今、脇役のような扱いを受けている。


「――いい加減にしてよ」


 不意にアリスが低い声でショーのお愛想を遮ったので、祐奈は彼女が気分を害していることに初めて気づいた。


「ねぇ、祐奈さん。ショーはあなたに甘い言葉を囁いているけれど、それは単に彼の親切心よ。だから自分が絶世の美女だとか、変に勘違いしないでね?」


「……勘違いなんて、していません」


 なんでそんなことを言われないといけないのだろう? まるで祐奈が美貌を鼻にかけ、小生意気な態度を取っているかのような言い草。だけどそんなことは絶対にありえない。だってそんな自惚れは露ほどもないのだから。


 ショーが熱を上げているのは、祐奈が彼の腕をくっつけてあげたから――ただそれだけのこと。ショーは思い込みがものすごく激しくて、猪みたいなものだから、今は一直線になっているだけだ。やがて飽きるはず。


「でもほら、あなたみたいな地味なタイプって、舞い上がると自分が見えなくなりそうだから」


「舞い上がってもいないです」


「でも全然分かっていないでしょ。そもそもあなたね――ラング准将を護衛につけているとか、図々しすぎない?」


「それは、私が駄々をこねてそうなったわけじゃなくて――」


「だけど辞退もしなかったじゃない! 普通、滅相もないって、自分から申し出ない? ありえないんだけど! 大体、あなたね――ラング准将に、その顔をさらすつもりなの? それって恥ずかしくないの?」


 アリスの感情的な台詞が、祐奈の胸を抉る。――恥ずかしくないの? そう問われて、じわりと視界が滲む。


 素顔をラング准将に見られるのは、やっぱり怖い。彼は立派な人だから、顔なんかで人のことを判断しないって分かっている。それでもやはり、彼が素敵な人だからこそ、ためらいを覚えていた。がっかりさせるかもしれないという恐れがどうしても消えず、長いこと勇気が出せないでいた。


 だけど少しずつそれも変わり――もう少しで一歩踏み出せるかもしれないと感じ始めていたところだった。それなのに、心の中に芽生え始めていた勇気が、アリスの心ない言葉でしぼんでいくのが分かった。


 かぁ、と顔が赤らむ。ラング准将に出会う前に、ショーやその他大勢から、散々容姿を罵られた記憶が一気に蘇ってきた。


 フラッシュバックは強烈で、暴力的だった。それは瞬く間に祐奈を打ちのめし、辱めた。顔をさらしているのが急に恥ずかしくなってきた。まるで裸に剥かれて、不躾に眺め回され、指差され、嘲笑われているような心地がした。


 祐奈が傷ついたのを確信し、アリスが声高に続ける。彼女の嗜虐心は止めようもないほどに大きくなっているようだった。


「彼は職務であなたに親切にしているだけよ! 私の、だった――私の、ラング准将だったのに! 私とだったら、並んでもお似合いだったわ! そうでしょう? なんとか言いなさいよ」


「私、あの、――」


「だめ人間が、だめなおかげで得をするなんて、馬鹿な話があっていいの? ずるいじゃない! 彼は聖女を敬わなければいけない立場なのよ。敵意をむき出しにしたり、軽んじたりすることは礼儀上あってはならないと考えてている。彼が紳士で気遣いができて、あなたを丁重に扱ったとしても、本心じゃないから。それであなたを好きだということにはならないから」


 かたわらで聞いていたショーが気の毒に感じたのか、フォローにならないようなフォローをしてきた。


「俺は君の顔、すごく好きだけれど、これはアリス様に賛成かな。だってラング准将の隣に並ぶって、よほどのことだよ。世界一の美女じゃないと釣り合わない。騎士は私情を殺してあるじに尽くす。内心は嫌であっても、それを表に出すことは許されない。ラング准将の君への優しさは、異性に対する愛じゃないからね? 勘違いしちゃだめだ」


 ふたりがかりで、祐奈のことを勘違いもはなはだしいと説教してくる。ふたりの見解は、祐奈にとっては刃物のように鋭く感じられた。聞いているうちに、自分とラング准将の関係性がよく分からなくなってきた。


 祐奈はラング准将と恋仲ではないけれど、仲間にはなれたと思っていた。心が通い合っているかのような。でも端から見たら、彼はものすごい我慢を強いられているのだという。


 ……恥ずかしかった。


 アリスもショーも、祐奈の振舞いがあまりに常識外れであったから、どうしても物申したくなったのかもしれない。ラング准将に迷惑がかかるから、思い上がるのもいい加減にしろと。


 ラング准将は――祐奈に懐かれてしまって、どう思っただろう? 困らせてしまったかな。優しい人だから、拒絶できなかったのかも。


 だとしたら、すごくつらい。彼の重荷になっていたかもと考えると、息をするのもしんどかった。


 ――尊厳をすべて叩き折られた祐奈は、すっかり従順になっていた。アリスから『道中でどのような魔法を取得したのか』と尋ねられ、素直に答えた。すべてを。


 祐奈が語るあいだショーは甲斐甲斐しく振舞っていた。祐奈の手を握ったり、背を撫でたり。鬱陶しいようにも思えたが、感覚が鈍感になっていて、細かいことにまで意識が回らない。


 アリスからの問いに機械的に答えながら、なぜこんなことを尋ねるのだろう、とぼんやりと疑問に思っていた。


 ふと気づけばいつの間にか会談は終了していて。


 カルメリータとアンが戻ってきたので、彼女たちを連れて、祐奈は上の空のまま部屋の外に出た。




   * * *




 廊下で待機していたリスキンドは、部屋から出てきた祐奈を見て、すぐに異変に気づいた。


 ヴェールで遮られているのため表情は窺えないものの、何かがおかしい。


「大丈夫?」


「……ええ」


 その声に動揺が滲んでいる。じっと祐奈を見つめると、彼女が居心地悪そうに身じろぎした。


「あの、大丈夫です。早く戻りましょう」


 リスキンドはカルメリータに視線を向けた。そしてカルメリータの瞳に恐怖の色が浮かんでいることに気づいた。


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