第65話 VSアリス① ――何かがおかしい――


 一行はアリスの待つ部屋に向かった。


 彼女にあてがわれた部屋は本館の二階部分にあり、そのことが少しばかり意外に感じられた。祐奈の部屋が西翼の三階なので、アリスのほうはそれより上の階だと思い込んでいたのだ。


 しかしこれはこれで理にかなっているのかもしれなかった。レップ側としては、彼女の素晴らしく華奢な『おみ足』に、長い階段を上り下りするような負担をかけるのは、とにかく忍びないと考えたのかも。


 部屋の大扉の前に、枢機卿と側近のアンが待ち受けていた。


 アンと対面した祐奈は、驚きと共に懐かしさを覚えていた。――そういえば前回初めてアリスと対面した時も、彼女が迎えてくれたのだった。


 濃淡のあるブロンドに、不思議な虹彩を持つ女性。


 義手の件でずいぶん嫌な思いをしているようであるが、こうして旅に帯同しているくらいだから、それなりの地位に就いているのだろう。確か、身内がお金を積んで、枢機卿の側近になれるようねじ込んだと言っていたっけ。


 枢機卿としては、聖女と絡む際に女性の部下をそばに配置することで、ワンクッション置きたいと考えたのかもしれない。浴場での一件を考えると、スキャンダルを避けるためにも、そのような自衛は必要かもしれないなぁと祐奈は思った。


 枢機卿が進み出てきた。彼が改まった口調で切り出す。


「中にはアリス様のみがいらっしゃる。失礼にあたるので、護衛は入れない」


「失礼にあたるとはどういう意味です?」


 リスキンドが訝しげに問う。――相手を特別視しているからといって、なんでもかんでも気を遣えばいいというものでもないだろうに。


「男子禁制とアリス様から言われている」


「向こうも護衛なし?」


「そうだ」


「それを信じろと?」


「私も中には入れない。君と私はここで待機だ。――これに関しては、私を信じてくれとしか言いようがない」


 リスキンドは迷った。無礼を承知で枢機卿を突っ撥ねて、ラング准将を呼びに行くべきか。


 ――一方の祐奈はリスキンドの気持ちも理解できたし、自身も戸惑いを覚えていた。そこで枢機卿に意見を伝えてみた。


「枢機卿にあいだに入っていただくのが条件だったのですが」


「それはできない。序列的に私よりもアリス様のほうが上だから、彼女の意向が最優先される。――ただ、君が『あいだに入ってほしい』と要求したので、私はここで待機し、中での君の安全も保障もする。それで納得してほしい」


 ……困った。これならいっそ初めから会談を突っ撥ねてしまったほうがよかったかもしれない。祐奈のほうから枢機卿を巻き込んだのに、彼が『保障する』と言っているのを一切信用しないで、このまま自室に引き返すのはまずい気がする。アリスだけでなく、枢機卿にまで喧嘩を売ることになる。


「ラング准将を呼ぼう」


 リスキンドが横目でこちらを見て、そう言った。彼にしては珍しく切羽詰まった口調だった。


 それを聞いた祐奈は小さく息を呑んでいた。……ラング准将を呼ぶ? ――いいえ、だめだ。彼の立場を悪くしてしまう。


 ここにラング准将を呼び寄せた場合、彼はこの条件下での面会を許可しないだろう。――そう、絶対に許可しない。


 けれど敵意を示したわけでもない上位者のアリスに向かって、一介の護衛騎士が盾突くことは、本来あってはならないことだ。護衛騎士は『聖女を敵から護る』のが仕事なので、『別の聖女から、自分が仕えている聖女を護る』というのは職務内容から逸脱している。


「彼女をひとりで行かせられない」


 ショーを止めなかったことがまだ尾を引いているのか、リスキンドが枢機卿の申し出を拒否したので、祐奈は驚いてしまった。


 どうしよう……どうしたら……


「誤解しないでほしいのだが、祐奈ひとりで入れとは言っていない」


「というと?」


「侍女は帯同して構わない」


 枢機卿の視線がカルメリータに向く。そして彼は傍らに控えている側近のアンに視線を移した。


「それから念のため私の部下もつける――こちらのアンを」


 女性二名がつく。それならば。


 祐奈は覚悟を決めた。何も中に魑魅魍魎が待ち受けているわけでもない。


 アリスと前回会った時は正直なところ、あまり良い印象は抱けなかった。それは彼女のせいというよりも、キング・サンダースの不遜な態度に原因があった。


 体の大きなサンダースは、威圧的で、恐ろしく、粗暴だった。肩をガッと押さえつけられ、「跪(ひざまず)いてください」と無理矢理膝を突かされた。あれはもはや暴力だった。


 とはいえ今なら雷撃を使えるから、過剰にサンダースを恐れる必要もない。


 だけどそう――アリスは『男子禁制』と言っているようなので、あくまでも彼は中にいないことになっているのよね。……本当だろうか? どうだろう……でも、こんなことで嘘をつくのはデメリットが大きい気もする。


 嘘をつけば枢機卿の顔を潰すことになるから、アリスもそんな馬鹿な真似はしないのではないか。そして枢機卿の側近であるアンも帯同するので、それが保険になる。


「――大丈夫です。私、行きます」


 長は自分だ。決断は祐奈が下す必要がある。決定だという意志を込めてリスキンドに伝えた。


 ところが。


 大丈夫なはずなのに、どうしてか、リスキンドの瞳に不安の陰がよぎった。


「……上手く言えないけれど、なんとなく嫌だ」


「リスキンドさん」


「もう一度考え直してくれ。俺はラング准将を呼ぶべきだと思う」


 それはできない。そうしたいけれど、やはりできない。


「ラング准将は呼びません」


「祐奈っち、でも」


「ロジャース家のそばで一緒に戦ったこと、覚えていますか?」


 静かに問いかけると、リスキンドの青灰の瞳が見開かれた。


 爆発音がして、盗賊がなだれ込んできて。


 空の青が眩しくて、雲の流れは速く、風の強い日だった。


 リスキンドが拳を握り――やがて肩の力を抜く。


「君は強かった。とても」


「ここで私を行かせることに、不安がありますか?」


「……いや」


「私は大丈夫。あなたもここにいる。扉一枚隔てた場所に」


「分かった。何かあればすぐに呼んで。駆けつける」


「信頼しています」




   * * *




 大扉が開く。


 入室を許されていないリスキンドは、扉が開いているあいだに、素早く中の様子を確認した。


 アリスはひとりきりで部屋の中にいた。堂々たる態度だ。部屋の中ほどにある猫足の豪奢なソファに、悠然と腰を下ろして、笑みを浮かべている。


 彼女の滞在している部屋は豪華絢爛だった。柱の細工ひとつとっても、優美で華麗である。


 祐奈は振り返り、リスキンドに小さく頷いてみせた。


 リスキンドも同じように彼女を見つめ返す。


 ――扉一枚。


 何か争いが起きれば、音は外に漏れる。そうしたら相手がVIPだろうがなんだろうが関係ない。祐奈を護る。アリスに対して後れを取るつもりはなかった。


 リスキンドは祐奈の忠実な護衛なのだから。


 枢機卿が外からゆっくりと扉を閉める。


 枢機卿とリスキンドは廊下に残された。




   * * *




「――いらっしゃい、祐奈さん。王都シルヴァースで会って以来ね」


 アリスの声は少し弾んでいた。


 姿勢、足の流し方、すべてが艶っぽい。唇は濡れたように光っていて、彼女が口を開くと、何か別の生きものであるかのようにそれが蠢く。


 夜の蝶のように移り気で、それでいて堂々としている。聖女というよりも女主人のようだ。彼女は他人を従わせることに慣れ切っていて、その自信が全身から滲み出ているように感じられた。


 ――今、室内にはふたりの聖女がいる。


 アリスは上質で大人びたオフホワイトのドレス姿。


 対し、黒いヴェールをつけた祐奈。


 ――白と黒――


 気を強く持って入室した祐奈であったが、一瞬でその雰囲気に呑まれてしまった。


 なんだろう……すごくやりづらい。


 上手くいえないのだが、車で山道を上がって行った時の、あの感じにも似ていた。気圧の変化で耳が詰まって――そのことで常と違うのだと改めて認識するような、あの感じ。


 理由はよく分からない。とにかく、ここがアウェイだということに、改めて気づかされる。


 入る前にもあれこれ心配はしていたのだけれど、それでも危機感はまだ薄かったのだろう。世間で格差はつけられているが、なんとなく心のどこかで、アリスは自分と同じ立場なのだと思っていた。――聖女としての優劣はないはずだ、と。


 でも……本当に?


 自信が揺らいでくる。この圧倒されるような感じはなんなのだろう?


 ふと、アリスの左腕にはまった眩い金のブレスレットに目がいった。


 あれだ――あのブレスレットから強い力を感じる。


 祐奈は反射的に自分の腕に嵌められたブレスレットに触れていた。


 何かがおかしい。


 祐奈は咄嗟に振り返り、退路を確認していた。走って出口まで何秒かかる?


 ……ああ、失敗した。


 カルメリータとアンを帯同して構わない? それにより祐奈の条件が悪くなっただけだ。ふたりの身を護りながら、逃げられるのか? 最悪の事態を想定した場合に、まだ自分ひとりのほうがよかったと思えてくる。


 まだ何をされたというわけでもないのに、体が戦闘状態に置かれたように痺れを訴えていた。


 部屋には明るい戸外から光が射し込んでいる。それなのに祐奈は、湿った地下牢に押し込められてしまったかのような圧迫感を覚えていた。


「そんなところに立っていないで、おかけなさいよ」


「私……申し訳ないのですが、気分が悪いので、これで失礼したいと」


「それなら、ほら、お座りになって休んで? 時間はたっぷりあるから」


 奥のほうにある扉が開いて、そこからキング・サンダースと、ショーが出てくる。――百歩譲って、サンダースはアリスの側近だからまだ分かるとしても、なぜここにショーまで?


「アリスさん、これはどういうことですか」


 男子禁制だと聞いていたのだけれど。


「野暮なことは言いっこなしよ、祐奈さん。ねぇ、私、あなたにお願いがあるのよ。聞いてくださらない?」


「その前に説明してください。ここに彼らがいるのはルール違反では?」


「ルールなんて破るためにあるのよ。あのね――枢機卿よりも私のほうがずっと上の立場にいるのは分かっているわよね? あなた本気で、彼を巻き込んだから、自分は安全だと思ったの?」


 眉を顰め、可哀想な子を眺めるような視線を向けられれば、祐奈は怒りを覚えた。――そちらが先に一線を踏み越えたのだ。こちらももう遠慮はしない。

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