第63話 いじめの構図


「人って怖いですね。なんの恨みもないはずの相手に、ひどいことができてしまう。ショーさんもそうですが、彼の取り巻きもそう――ヴェールの聖女をこき下ろして、嘲笑って、打ちのめそうとした。彼らには、なんの得もないのに」


「因果関係・利害関係がないのに、一方的に攻撃された場合――やられたほうには、これっぽっちも罪はないんだ。やったやつが一〇〇%悪い」


 けれど祐奈は、その意見にすぐに賛成することができなかった。こう言ってはなんだけれど、綺麗事のような気がしてしまって。


「でも……私も脇が甘かったかも」


 もっと注意深く、クレバーに行動していれば、あんな目には遭わなかったかも。


 あるいはもっと勇気があったら。毅然と立ち向かえていれば。


「そんなことはない。これは君が友達だから言うわけじゃないぜ。――ただ気に入らないというだけで相手をこきおろすやつの行動原理は、基本的に二パターンしかないと思っている」


「それはなんですか?」


「――コンプレックスと、相手に対する嫉妬」


「それだけですか? ほかに――本当に相手がだめだから、適正に評価して批判しているだけ、とか」


「それはない」


 リスキンドが却下する。


「そうでしょうか?」


「あのさぁ……適正な評価なら、ちゃんと相手のことも褒めるってば。褒めるのと批判、せめて半々になるはず」


 そりゃあ理想論はそうだけれど、でも。


「褒めるところがひとつもないとか?」


 口にして、自分で落ち込んでしまう。価値がないから色々言われてしまったのだと、自ら認めてしまうようで。


 しかしリスキンドは呆れたように眉を顰め、口元に皮肉な笑みを浮かべるのだった。


「じゃあなんでそんな相手のことをいちいち構う? 俺なら、長所がひとつもないようなやつのために、指一本動かすことすら億劫だけどね」


「それは、確かに」


『合わないから、関わらない』――本来なら、それで済むはずだ。


『合わないけれど、関わりを断てない』――そうなるのは、合わない相手が上司や客である場合だろう。できれば縁を切りたいけれど、それはどうしても叶わないというような。


 あの時の祐奈とショーの関係は、いっけん上司と部下のようでもあったが、彼は祐奈を恐れてはいなかったから、このケースには当てはまらないと思う。どちらかといえばショーのほうが『上司』ぶって、威張り散らしていたのだし。


『パワハラを受けている』などの切羽詰まった事情もないのに、いけ好かない相手の評判を下げるために、あれこれと手を回すというのは、本当に不思議なことだった。


 ――『好き』の反対は、『無関心』なのだから。


「本当に相手に関心がないのなら、わざわざ労力割いて攻撃なんかしないよ。ネガキャンしている時点で、ものすごい面倒なことしている。それって『打ちのめしている自分』に快感を覚えているわけで、そいつのエゴが一番前に出ちゃっているじゃん。むしろノリノリでやっているじゃん。――たとえが悪いかもしれないけれどさ――蟻んこをうっかり踏みつけても、いちいち気にしないだろう? というより気づくこと自体が難しい。どうでもいい格下の相手なら、知らないうちに踏みつけて傷つけてしまったとしても、それきりのはず。いちいち蟻一匹に執着して、そいつの悪口を吹聴したりしない。踏んだ次の瞬間には忘れている。関心もないはずだよ」


「じゃあどうして、無関係な相手をそこまで憎めるのでしょう?」


 たとえ面白半分のていを装っていても、労力を使って貶めているわけだから、やはり憎しみが根底にあるということなのだろう。


「相手が憎いわけじゃない。たぶんそうせずにはいられないだけだ。そういう人間は、大抵、深く傷ついている」


「その人も過去――ほかの誰かから、傷つけられたから?」


「その鬱屈がいつまでも解消されることなく残っていて、激しい怒りの源になっている。どうしようもなく苦しいから、その衝動を目の前のものにぶつけているだけだ。その原理を、おそらく本人ですら気づいていない。――確かに彼らは傷ついている――だけどさ――持て余した怒りを、無関係なほかの誰かにぶつけたらだめだろう? 自分がされて嫌なことは、絶対にほかの人にしたらいけないんだ」


 確かにそうだ。シンプルであるけれど、絶対的に正しいルール。


 ――自分がされて嫌なことは、ほかの人にしない。


 ただ、言論の自由という観点もあるから、難しいのだけれど。


「適正な批判と、誹謗中傷の線引きって難しいですよね。――私の場合は、他者を批判すること自体を好みませんが、時には、相手の間違いを指摘することが正しいこともあるのでは?」


「そもそも適正な批判なんて、この世の中にあるのかね?」


 リスキンドに言われて、虚を衝かれた。


「え? どうでしょう……あるのでは?」


「俺の中でルールがあってさ――どうしても相手に苦言を呈さなくてはならない場合は、一対一でと決めている。本人に直接言うよ。そしてそれは、相手との信頼関係があった上での話だ。不特定多数に向けて、誰かの欠点を垂れ流すのは、ルール違反だと思うから。なんで『気に食わない』と考えたことを、その他大勢に聞いてもらわないと気が済まないんだ? それっておかしくない? ああ、もちろん――自分を理不尽に攻撃してきたやつのことなら、『あいつふざけんなよ』って、誰かに愚痴を聞いてもらうことはあるよ? でもその場合でも、そいつの悪口を壁にデカデカと書いてさ――大々的に中傷してやろうなんて思わないけど」


「確かにそうですね。意地悪されたら、愚痴もこぼしたくなるものだけれど……なんの恨みもない相手のことをわざわざ言わなくても。気に入らないなら、心の中でそっと思うだけにすればいいのだし」


「さっきも言ったけれど、適切な批評ならば、批判と同じだけ褒めるはずだしね。徹頭徹尾、貶しているなら、それはもう『批判』じゃなくて『中傷』だよ。あまりに一方的な場合、もしかすると根底にあるのは『嫉妬』かもしれない。――どのみち正しくない行為だから、やられたほうは名誉棄損で戦ったっていいくらいだ。それに、それを聞いた人だってさ――知らん顔していたらだめだろ。これは『中傷』なのだと、見聞きしたことを不快に感じるくらいはしたほうがいいと思う。なんかさ……一度悪口を言われてしまうと、それを聞いたやつまで、『あいつのことは貶してもいい相手なんだ』と下に見だしたりするじゃん。面白半分に乗っかったりしてさ。あれ、なんだろうね? それっていじめているのと一緒だから。ものすごく悪いことだよ」


 ふと思ったのは、リスキンドは誰かの嫉妬を買いやすいタイプかもしれないということだった。だから語る内容に説得力があるのかもしれない。


 彼は機転が利いて、仕事ができる。話も面白い。見た目も良い。


 本人なりに苦労はしているのだろうが、能力が高いので、なんでも飄々とこなしているように見えてしまう――白鳥と同じで、水面下で必死に足を動かしているのを他人に見せようとはしないから。


 魅力的な人は、そのぶん誰かに嫉妬される。


 万人に好かれる人なんていない。


 多くの人に感心されるような性格、姿形をしていれば、どうしても目立ってしまうから、足を引っ張ってやろうと考える手合いは一定数、必ず出てくる。


 ところで――平凡な祐奈がこの世界で嫉妬された原因があるとするなら、もしかすると恵まれた『立場』にあったのかもしれない。ヴェールの件はきっかけにすぎなくて。


 聖女が名誉職であるとは、祐奈自身は思っていない。けれど護衛騎士の人からしたらどうだろう?


 ――異世界から迷い込んだだけで、高い身分をもらいやがって、と面白くなかったかも。それに『不美人らしい』という要素が加わって、そんな恩恵を受ける価値もないのに、と恨みを買った。


 祐奈の物腰がのほほんとして見えたのも、『苦労知らずが』と余計に反感を買った原因であったかもしれない。元の世界でも甘やかされて、のびのび過ごしてきたに違いない――だってシビアな環境にいたなら、もっと物腰がギスギスしているはずだからな――まったくこちらは苦労して生きてきたというのに、いいご身分だよ、と。


 考えるうちに気重になってきた。


「自分が悪意のターゲットにされると、やっぱり自己嫌悪に陥ります。言われやすい人と、言われづらい人っているじゃないですか。なんで……なんで私なんだろう、って。どうしても思ってしまう」


「たとえばさ――自分が『ダサい』と誰かに言われるであろうことに、潜在的に恐怖を覚えているやつがいるとするよね。そういうやつは、ほかの誰かを『ダサいから』ってののしっていじめる。自分が言われたくないから、ほかにスケープゴートを見つけて攻撃することで、自分は負け組じゃないって安心したいんだ」


 ちょっとびっくりした――なんとなくだけど、誰かを『ダサい』と馬鹿にする人は、自分のセンスにものすごく自信があるからこそ、そんなふうに勝ち誇れるのだと思い込んでいたから。リスキンドの理論は、祐奈が考えていたのと正反対である。


 でも、確かにそうか――『ヴェールの聖女は醜い』と大声で馬鹿にしてきた人たちは、皆あまり美形じゃなかったものね。あの時リスキンドは彼らに怒っていた――『ずば抜けて顔が綺麗なラング准将は、他人の顔の美醜についてつべこべ言わない』と。


 リスキンドが続ける。


「ここで肝心なのは、攻撃対象は『なんでもいい』で選ばれたわけじゃないってことだ。どうしようもなく相手がだめだからいじめているわけじゃなくて、そいつの持っている何かが『癪に障っている』んだ。根底にあるのは『嫉妬』だ。『脅威』を感じている可能性もある。いじめっ子は相手に嫉妬している――それは相手の頭の良いところかもしれないし、見た目の良さかもしれないし、裕福なところかもしれないし、ハイセンスなところかもしれない。あるいはその人の善良性であるとか、平和な雰囲気であるとか、家族仲が良さそうとか、友達と楽しそうにしているとか、没頭できる趣味があって羨ましいとか――そんなありふれたことが原因かもしれない。人はさ――どうしようもなく嫉妬深い生きものなんだ。なんにでも嫉妬できる。嫉妬自体は罪じゃない。でもそれで誰かに嫌な思いをさせたらだめだ。絶対に。――誰かを攻撃したくなったら、自分の不健全な精神状態に気づいて、ブレーキをかけなければならない。そうしない限り、その悪い癖は直らない」


 リスキンドが言いたいことは、誰かの背後に回って好き勝手に石を投げつけて、自分は安全圏にいるから何をしても無傷で切り抜けられると思っているなら、それは大間違いだということだろうか。


 きっとそのうち誰かに言われることになる――『鏡を見ろ』と。


「ちゃんと負けを認めろ、ということですね」


 自分の欠点と正しく向き合えば、他者の良い部分も素直に評価できるようになるのだろうか。


 確かに、相手を引きずり下ろして泥をつけてやろうと考えるよりも、他者の良いところを認めてそれを吸収していったほうが、よほど建設的だと思う。


 祐奈はヴェールの下にグラスをくぐらせ、酒を口に含んだ。


 しばらくふたり、会話を中断して酒を楽しむことにした。


 血流が良くなって、ぽぅっとしてくる。……酔ったかな……酔ってきたかも。


「うー……熱いなぁ」


「祐奈っち?」


 祐奈は手を上げて、ヴェールを引っ掴むと、それをグイと引き下ろした。視界が開けて、ほっとする。


 ふと視線を巡らせると、リスキンドがあんぐりと口を開けているのに気づいた。


「リスキンドはん……にらめっこですか?」


「リスキンドはんて」


 反射的に突っ込みを入れたリスキンドは、一拍遅れて青くなった。


「うわぁマズイ、マズイ、マズイ……ここで俺が見てしまったのは非常にマズイぞ。つーか、これか――酒を禁じた理由はこれだな? 謎が解けたが、ちっとも嬉しくない!」


「ろうしました」


「ろうしましたてなんだ」


 なんだかよく分からないのだが、リスキンドがとにかく慌てている。


 祐奈は可笑しくなって、ケラケラと笑い出してしまった。


「リスキンドぉ、落ち着けよぉ、男だろぉ」


「なんだこれ、性質(たち)悪ぃな畜生……! 前世で百人くらい男転がしてきたんじゃねぇのか」


「口が悪いぞぉ、ラング准将に言いつけるからなぁ」


「そうだよ、ラング准将に殺される! あのぉ祐奈さん……取り急ぎ、ヴェールをつけてもらえないでしょうか」


「断る」


「そう言わずに、どうか、どうか!」


 よく分からないが、土下座された。


 祐奈はそれを見て、渋々要求を呑むことにした。……こっちの世界でも、土下座ってあるんだ、びっくり。


「いいでしょう。リスキンドはんは友達ですからね」


「だからリスキンドはんて何」


 祐奈がおぼつかない手つきでヴェールをかぶると、リスキンドは塀から落ちそうな卵の様子を窺っている人……みたいな感じで、両手を突き出して、警戒態勢を取っていた。


 そして第六感でも備えているのか、このタイミングで扉が開き、『あの人』が顔を出した。


「……飲ませるなと言ったのに」


 ラング准将が惜しげもなく圧を放ちながら、リスキンドを冷ややかに眺めていた。


「わぁごめんなさい! 反省しています!」


「あとで俺の部屋に来い」


 絶対怒っているじゃん! なんか自分の首と胴が離れている未来図が見えたのですが……リスキンドは震え上がった。


 でも決定的な場面を押さえられなくて、よかったぜ。祐奈っちに土下座した甲斐があったと胸をなでおろすリスキンドなのだった。


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