第58話 愛してる!


 三階の回廊からでも東翼に直接移動できるのだが、リスキンドの提案で、先に一階に下りてみようということになった。


 彼曰く「そうすれば、ラング准将とばったり会えるかも」とのことである。


 一階経由で東翼に行こうとすると、一度本館の拝廊を通過する形になるので、確かにラング准将に遭遇する確率は上がる。まぁ冷静に考えてみると、ばったり向こうから彼が来て、みたいなことはほぼありえないような気もするのだけれど、それでも三階を通っていたら確率はほぼゼロだろう。


 ……なんかこの行動って、若干ストーカーっぽい感じがするな。祐奈はそんなふうに思ったのだが、異論は唱えなかった。それでもやっぱりラング准将に会いたかったからだ。


 少し前に、祐奈はアリスとラング准将が親しくしている場面を見てしまった。


 それで少し落ち込んでしまったのだが、一緒にいたリスキンドがあれこれと慰めてくれて――(あれは不可抗力だよとか、アリスを転ばせるわけにはいかないからとか)――だからきっとこのルート選択だって、祐奈を元気づけるために提案してくれたに違いない。


 気を遣われていると思えば少し気まずくもあったが、それでも嬉しさのほうが勝った。


 ――しかし望みどおりの結果が得られないのが、人生というものなのかもしれない。


 むしろ『絶対に会いたくないリスト』の筆頭に載っている人物が、意気揚々と姿を現したからだ。これは完全に不意打ちだった。


「祐奈! 会いたかった!」


 バーン! という派手な効果音が聞こえるくらいの振り切れた勢いで、ショーが目の前に飛び出してきた。


 なんていうかもう、運命に引き裂かれた恋人を待ち続け、ついに念願かなって再会を果たした、というくらいのテンションマックスぶりである。


 盛り上がっているのは本人のみで、対面した祐奈のほうはぞわ、と鳥肌が立った。


 リスキンドがすかさず前に出て、「お前いい加減にしろ」と若干キレながら、ショーの胸を手のひらで押しやる。


「リスキンド、邪魔をしないでくれ。俺は西翼への出入りを禁じられていて、祐奈に中々近づくことができなかった。だから一か八か、祐奈がここを通るのを期待して、ずっとずっとずっと待っていたんだ! このチャンスは逃がせない!」


「知ったことかよ! なんなんだ、その一方的な理屈、ぞっとするわ」


「話をするだけだ。それを祐奈も望んでいる」


「あのなぁ! お前が腕を斬られたあと祐奈っちに絡んで馬鹿やらかしたせいで、俺はどうしようもない思いをしたんだぞ! ふざけんなよ!」


 珍しくリスキンドがストレートに怒りをぶつけている。彼にしては不器用で真正直な主張だった。それゆえリスキンドが持て余している苛立ちがダイレクトに伝わってきた。


 聞いていた祐奈は『そうだったのか』とちょっとした驚きを覚えていた。


 ショーに絡まれた直後、リスキンドの気まずそうな様子には気づいていたけれど、あの時は祐奈も落ち込みきっていたので、彼をフォローできるような精神状態になかった。その後も特にその話題を切り出されなかったものだから、蒸し返すこともないかと思っていたのだが、なぁなぁに流してしまったのはよくなかったのかもしれない。


 リスキンドの中では、あれがかなり深刻に尾を引いていて、話題に上げることすらできなかったのだろうか。護衛としてショーを馬車に近づけるべきではなかったと、忸怩たる思いに駆られていたのかもしれない。


 祐奈自身はその後ラング准将と馬で移動をして会話をしたことで、気持ちを整理することができた。けれどリスキンドは、祐奈に許されていないから、まだあの件に囚われたままでいる。


 もちろん祐奈は怒っていない。むしろリスキンドに対してはなんの恨みもないから、あの件を語り合っておく必要性に気づいていなかった。


 けれど気を回してこちらから話題に出すべきだったのかもしれない。


 リスキンドが祐奈の立場なら、たぶんそうしていた。彼はいつも祐奈が何かを悩んでいると、さりげなくそのことに触れる。――驚くべき察しの良さであるが、それは裏返せば、彼の心の繊細さを表しているのだ。鈍感な人なら、あんなふうに他人の心の機微には通じていまい。


「あの……」


 なんだかしどろもどろになりながら、足を踏み出す。


 すると角度が変わって、廊下の先のほうにラング准将の姿を認めることができた。円柱の陰にあたる部分で、二名の騎士と一緒にいる。元々はこちらに背を向けていたようだが、騒動が耳に入ったのだろう――振り返って成り行きを注視しているようだった。


 ラング准将の姿を目に留めたことで、祐奈は彼から言われたアドバイスを思い出した。


 ――気持ちを素直に伝えたほうがいい。確かにそうだ。祐奈は頭に血が上ると猪突猛進になるところがある。


 この時がまさにそれで、


「あの、ショーさん、私も言いたいことがあります! 私の気持ちを、あなたにちゃんと伝えたくて!」


 きつく拳を握り、背筋を伸ばして、そんなふうに告げていた。地声が小さいから、はっきりと伝えなければ! とにかく焦ってしまい、声も結構大きくなっている。


 ――ラング准将は祐奈の窮地にもちろん気づいていた。


 すぐさまリスキンドが制止に入ったので、少し様子見をしていたのだが、やはり自分も向かったほうがよいだろうと判断した。


 ところが。


 その矢先に祐奈が想定外に強い口調で物申し始めたもので、呆気に取られて足が止まってしまった。


 そうなったのは彼女のそばにリスキンドがいたせいもあっただろう。護衛なしの状態で祐奈が危険にさらされているなら、こんなふうに不意を突かれて、動きが止まったりはしない。一応の安全が確保されているという前提があってこそ、祐奈の行動に度肝を抜かれてしまったわけである。


 ――この時の祐奈はもういっぱいいっぱいだった。頭はグルグルしていたし、心臓はドキドキしていた。


 元々社交的なほうではなく、場慣れしていない。この世界に来てからは、セクハラ疑惑をかけられて、対人恐怖症気味になっていた。そんなメンタルの祐奈が、過去自分をいじめてきた相手に対し、『あれらの行為を大変不快に感じました。それにセクハラの件ですが、あなたは嘘つきです』と言おうとしているのだ。正直なところ恐怖だった。


 でもこれを逃したら、いつ気持ちを伝えられるか分からない。言わなきゃ、言わなきゃとずっと考えているのも、それはそれでストレスなものである。祐奈は一刻も早くこの重荷を下ろしたいと考えていた。


 もう嫌だ。これ以上一分一秒たりとも、ショーのことで頭を悩ませたくはない。ここで告げて、やつとはキッパリ、サッパリ、縁を切るのだ。


 ちゃんと言おうとした。本当に言おうとしたのだ。


 しかしその瞬間、


「俺も気持ちを伝えたい――愛してる! 祐奈、心から愛している!」


 ショーが声を限りに叫んだ。


 祐奈は頭の中が真っ白になってしまった。


 ……え……え? な、なんて言った……?


 もうクエスチョンマークが三百個くらい頭の中で乱舞している。


 愛しているってどういう意味だっけ? ――アイスピックをお前の脳天に突き刺してやるぜ、地獄に堕ちな――みたいな猟奇的な意味とかあったっけ?


 もしも彼がそのまま『いとおしい』という意味で言ったのだとすると、情緒がぶっ壊れてしまったんじゃない? 生理的に無理だと思っていた相手のことを、急に愛せるようになるものなの? 絶対に無理だよね?


 祐奈は蛇が生理的に苦手なのだが、何があったとしても、この感情が百八十度引っくり返ることはないと思っている。もしかするとおそるおそる触れられるくらいには自分を変えられるかもしれないが、蛇を愛し慈しみ、頬ずりし、四六時中一緒にいるような関係にはなれない。


 理屈ではなく、生理的に無理なものって、どこまでいっても無理だと思うのだ。克服するにしても、限界がある(蛇には悪いけれど)。


 王都までの途上で、醜い毛虫を前にしたってここまでは顔を顰められないだろうというくらいの嫌悪感を滲ませて、こちらを睨んできたあの騎士と、これは同一人物なのだろうか? 腕をくっつけてあげただけで、こんなになってしまうの?


 それともほかに何か原因があるのかな? 祐奈を口説き落とすと、国からものすごい額の報奨金が出るとか?


 祐奈はあまりに驚いてしまい、すっかりフリーズしてしまった。


 一度異世界転移しているだけに、『今度はパラレルワールドにでも移った?』という正体不明な怖さも感じていたし、すべてが信じられない気分だった。


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