第57話 危険しかない……


 ラング准将はその日なかなか部屋に戻ることができなかった。


 レップの面倒な体質のせいもあるが、やはりアリス隊と初めてクロスする地点であるので、警備上も色々とゴタつく。


 枢機卿が合流したこともあって、政治的な駆け引きも色濃くなってきていた。


 レップの司教から解放され、回廊を進んでいると、マクリーンとスタイガーに呼び止められた。


 彼らは平民出身の騎士であり、ロジャース家のそばで盗賊団退治をした際に、率先して協力を申し出てきた人物でもある。アリス隊の所属ではあるが、遡れば元はラング准将の部下だった。


 どうやら彼らは話があって、こうして待ち伏せしていたようだ。


「先日はゆっくり話をしている時間もなかったな」


 ラング准将が声をかけると、マクリーンが控え目な笑みを浮かべた。一方、堅物のスタイガーは、直立不動の姿勢でガッチリと体を固めていた。


「ラング准将。盗賊退治の件では、助けてくださり、ありがとうございました」


「気にしなくていい」


「でも、相当お怒りでしたでしょう」


「それはハッチに対してだ。――お前たちの不遇については理解しているつもりだし、隊の不手際について何か言うつもりもない」


「しかし、俺たちは正しくあろうとする努力すらも放棄していました。先日あなたと一緒に戦場に出て、自分が失ってしまったものを思い出したんです。――それは誇りです。いつの間にか大事なものを見失っていた。金をもらえるからとひとつのことに目を瞑ってしまえば、次も、次も……となってしまう。ふと気づけば、どうしようもない人間に成り下がっていた。だからもうこれ以上は、ハッチの隊にいられない」


「抜けるのか」


「ええ。国境を越える前に。具体的には、ローダーに着いたらそこで離脱しようと考えています。それでも報酬の半額を受け取れるし、良い節目だと思って。こちらにいるスタイガーも同様です。あと数名、我々と志を同じくする者たちも、一緒に抜ける手筈になっています」


「そうか。優秀なお前たちを失って、ハッチは大打撃だな」


 ラング准将は瞳を細めて、かつての腹心たちを眺めた。


 視線は柔らかく、いたわるような気配がある。そして相手への敬意も込められていた。


 ――それを感じ取り、マクリーンとスタイガーはじんわりと瞳を潤ませた。


 いつだって偉ぶらずに自然体でいるから、つい忘れそうになるのだが、雲の上にいるといっても過言ではないほどの御方だ。


 身分の差。そしてキャリアの差。実力の差。ここまで圧倒的な差があると、本来ならば、下々の者に気を遣う必要もないはずだ。


 しかしラング准将は良い上官でいてくれた。彼には真心があった。平民出身の自分たちのことも、よく働けば、こんなふうにちゃんと仕事ぶりを認めてくれる。


 王都で彼がアリス隊を抜けた時、どんなについて行きたかったか。しかし祐奈隊の空きは一枠のみだった。


 マクリーンとスタイガーは魂を分けたような親友同士であり、生きるも死ぬも一緒だと誓い合った仲だったから、別れることは考えられなかった。どちらかがラング准将の隊に入れば、どちらかはアリス隊に残らねばならない。だから立候補はしなかった。それでラング准将との縁も切れてしまった。


 ――かつてはこの人のために命を捧げようと思っていた。


 道は別れ、それは叶わなかったが、ちゃんとあとに残ったものもある。


 敬意。誇り。短いあいだであったけれど、この人のために働けてよかった。心からそう思う。


「あなたには直接お伝えしておきたかった。旅の出発前――王都シルヴァースであなたから指導を受けたこと、一生忘れません。あなたから学んだことを胸に、これからも生きていきます」


「お前たちならこの先どんな道を進んだとしても大丈夫だろう。何しろ私が目をかけていた人材だ」


 我慢していたのに駄目だった。ラング准将にこう言われては、こらえようとも涙がこぼれてしまう。


 ……男がたやすく泣くなんて……と我ながら情けなく思った。


 ハッチの下で味わった苦渋。それらが思い起こされて、余計に込み上げてくるものがあった。


 マクリーンは節くれだった親指で目元を拭い、気恥ずかしさを紛らわせるように、スタイガーのほうを窺った。『男のくせに泣くなよ』とからかうような目で見られているかも……と思ったのだが、それは杞憂に終わった。


 なぜかというと、スタイガーは気をつけの姿勢を取ったまま、滂沱の涙を流していたからだ。頬も鼻も耳も首も真っ赤にして、ただ静かに大泣きしている。


 マクリーンはそれを見た途端、噴き出してしまい、スタイガーの厳つい肩を拳で小突いてやった。


 ラング准将も腕組みをして、リラックスした様子で笑みをこぼしている。


 そんなふうに和やかに会話をしていた矢先のことだった。


 ――近くでショーがひと悶着起こし始めたのは。




   * * *




 レップ大聖堂の修道女から、祐奈は浴場へ行くよう指示された。部屋には簡素な洗面所しかついていない。


 入浴は東翼へ――とのことだが、祐奈たちにあてがわれた西翼の居室からはかなり離れている。


 そして詳細もよく分からないのだった。レップ大聖堂の修道女が『司教からのご伝言です』と伝えてきたのだが、言葉足らずでどうにも要領を得ない。


 修道女の態度は事務的で冷淡だった。触角のように吊り上がった細眉と、シャープな顔立ちが、取りつく島もないという印象を与えた。細面の、それなりの美人なので、余計にそう感じられたのかもしれなかった。


 慇懃であるけれど、人間味がまるでない。文書を音読するような調子で、必要最低限の内容を告げて、静かに部屋から出ていってしまう。


 カルメリータが急ぎ足で彼女を追い、廊下へ出ていった。


「なんだか……レップって変わっていますよね」


 取り残された祐奈がリスキンドに話しかけると、彼は肩をすくめて、


「あの修道女、笑うことがあるのかね。聖具に操られている霊かなんかだったりして」


 とかなんとか馬鹿馬鹿しいことを言い出す。


「リスキンドさんと小一時間もすごせば、あの女性も笑うかもしれませんよ。『世の中には、こんなに突飛な男性もいるんだ。世界は広い』――という驚きと共に」


「どういう意味かな。褒められている気がしない」


「あの、もちろん、良い意味で言っています」


 祐奈は口先だけで答えながら、気まずくなって視線を泳がせてしまう。


「本当にぃ?」


 リスキンドが半目で追及してくる。


「ええ、だって……リスキンドさんは女の人を喜ばせるのが得意でしょう?」


「じゃあ祐奈っちは、俺といて喜んだことある?」


「えと……あるような……ないような」


「その言い方だと、思いつかないんだろ」


「いやあの、ないとも言い切れない」


「なんという歯切れの悪さ。――つかさ、友達甲斐がなさすぎじゃない? 俺との楽しい思い出が一個もないのかよ」


 リスキンドが腕組みをしてふくれっ面になっているので、ちょっとマズかったかな、と祐奈は反省した。いやあの……真剣に答えるなら、もちろん『ある』のだけれど、でもそういう流れではなかったし。


 若干の気まずさを覚えた頃になって、カルメリータが戻ってきた。


「――話、聞けた?」


 リスキンドが尋ねる。


 彼のこういう切り替えの速さには毎度感心させられる。……というかさっきのアレも、祐奈を困らせるために怒っている演技をしていただけなのかも、という気もしてきた。


「大浴場を使わせるのは、浄化の儀式的な意味合いがあるみたいです」


 祐奈がいるとあの気取った態度が改まらないだろうからと、カルメリータは修道女を追いかけて、サシで話を聞いてくれたようだ。


「……というと? 風呂場に何か仕かけでもあるの?」


「そうではなく単なる形式のようなもので……高位の神職者がレップにいらした場合は、そこを使っていただくのが慣例のようですわ。こういうところはとにかく決まりごとを重要視しますから、例外は許さないという感じでしょうね。ちなみに私たち使用人には、別の浴場があるとのことです」


「祐奈っちが使うのは、高位の神職者用か。じゃあキチンとしていそうだし、清潔そうだな。レップは拠点としては重要だから、枢機卿クラスの人間が訪れることも度々あるのかもね」


 祐奈はそれを聞きながら、だだっ広い浴場を使うのも、なんだか気後れしそうだなと考えていた。話の流れからすると、断れなさそうだけれど。


 それでふと、あることに気づいた。


「あの……その浴場は、アリスさんも使うのでしょうか?」


 裸でばったり顔を合わせるというのも気まずい。昼間の、例の一件もあるし。


 彼女の素晴らしく女性的な体を直接見てしまったら、ラング准将に抱き留められていたあの光景が頭から離れなくなりそうだ。……くらくらして、鼻血でも出してしまったら、もう目も当てられないよ。


 それにアリスにはいつもキング・サンダースがついて歩いていたので、もしもアリスが『使用人には、たとえ男であっても裸を見られるのは平気』というメンタルの持ち主であった場合、祐奈もそれに巻き込まれてしまう。アリスにくっついてきたサンダースに裸を見られるのは、死んでも嫌だと思った。


 しかしそれは考えすぎだったようだ。


「ええと……アリスさまは、本館付帯の浴場をご利用とのことで、その……」


 カルメリータが言いづらそうに、上目遣いに告げてくる。それで気づいた。


 ……確かにそれはそうよね。この厳格なレップで、アリスと祐奈が同等に扱われるはずもない。アリスが第一優先で、あくまでも祐奈はおまけだ。


 レップ側からすると、祐奈ごときを聖女として扱うのは業腹なのだろうけれど、『慣例』を重要視する方針があるので、マニュアル通りに扱うしかない。


 アリスを神職者用の特別な浴場にお通しするので、祐奈のこともそうせざるをえず、向こうがメインで、祐奈にはサブの設備を使わせることにしたのだろう。


「それじゃあ行こうか」


 ラング准将が不在なので、護衛として当然リスキンドは帯同することになる。


 カルメリータは一緒に入浴するわけではないが、こういう時は一緒についてくる。


 カルメリータは同性なので、本来なら浴場の中に入ってもらってもいいのだが、いかんせん祐奈がヴェールを外せないので、それもできない。そうなるとカルメリータはリスキンドと共に浴室の入口で待機ということになる。それがものすごく申し訳なかった。


 ちなみにルークはお留守番。リスキンドに干し肉をもらい、満足気である。


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