第55話 浮気
その日の夜遅く、レップに辿り着いた。
道中のセイル地方は長閑な景観であったが、広大で、抜けるのに時間がかかった。
とはいえ通って来た街道は急傾斜、急カーブもなく快適ではあった。
目的地であるレップもそれなりに標高の高い場所にあるので、そこに至るには少しずつでも上がっていかなければならない。街道はいっけん平らに感じられたのだけれど、最終的にレップに至るということは、緩やかに上り坂にはなっていたのだろう。
街道沿いには要所に休憩スペースが設置してあったので、かなり助かった。無人休憩所や、老夫妻が営む小売店を兼ねた休憩所もあった。そこで水分を補給したり、お手洗いを借りたり。座りっぱなしの体を伸ばすために、少し歩いて体をほぐしたりもした。
途中、周囲の景色が驚くべき速さで流れていることに気づき、意外とスピードが出ているのだろうかと思ったこともあった。
ラング准将の操縦があまりに巧みなので、馬上の揺れもそこまでキツくは感じなかったから、『速すぎて怖い』という恐怖は覚えなかったのだが。
あとから馬車で追いかけてくるリスキンドやカルメリータたちが追いついてくることはなかった。やはり馬で進むほうが各段に速い。
今回は盗賊退治で時間を使ったので、ラング准将としては、祐奈を次の拠点まで負担なく送り届けるため、彼らを待たずに進むことにしたのだろう。
月明かりの中で見上げたレップ大聖堂は、まるで氷の宮殿のように感じられた。
本当に氷でできているとか、石壁が青っぽいとかではなく、形状から受ける印象が棘々しいのだ。
氷柱の塊を折り、上下をひっくり返したような意匠。
先端がツンツンと尖ったような感じで、気高さはあるけれど、なんとも取っつきにくいという印象を受けた。
立地自体は好ましい。自然に囲まれていて、ひっそりとしている。
祐奈はカルメリータの到着を待ちたかったけれど、部屋に通されて洗面所で簡単に身を清めるのが体力的に精いっぱいだった。
自覚していたよりも魔法の行使で体力を消耗していたらしい。
ラング准将のほうが祐奈自身よりも、よほどそのことを理解しているようだった。
「お休みなさい」
彼が寝室の扉を閉めた途端、祐奈はヴェールをむしり取り、ベッドに倒れ込んでしまった。
体中に錘(おもり)を下げられたみたいな心地がした。
体を横たえてしまえばもう、意識を保ってはいられなかった。
***
翌朝には、カルメリータ、リスキンド、可愛いルークと顔を合わせることができた。旅の仲間が揃っていると安心できる。
話を聞くに、どうやら深夜遅くにやっと辿り着いたらしい。
祐奈は昨夜呑気に寝落ちしてしまったことを申し訳なく思ったのだが、リスキンドはこちらの罪悪感を吹き飛ばすくらいの元気いっぱいぶりを見せつけてきた。
彼曰く『このくらいでへばっているようでは、女の子をナンパする資格はない。次の素敵な出会いに思いを馳せるだけで、不思議と目が冴えてくる』とのことで、それが妙な説得力を持って祐奈の胸に響いた。
カルメリータはお疲れモードで、午前中はゆっくりするとのことだった。
ルークも目が腫れぼったく、(おそらく馬車内で寝ていたと思うのだが)『俺は働きすぎたぜ。いい加減休ませてもらう』感を醸し出していた。
――リスキンドは仮眠も取らずに、後続のアリス隊について教えてくれた。
あちらは一路レップ大聖堂を目指すことを、早々に諦めてしまったらしい。途中で道をそれ、地元の宿に向かったとのことだ。
アリス隊の中にレップへの伝言係がひとりいて、その人は祐奈たちと同じ直進ルートを進んで来たので、休憩所で遭遇したリスキンドが話を聞き出したのだそう。
夜通し馬車を走らせ続ければ、朝までにはレップに着いていただろうけれど、取り巻きたちが『大切なアリスにはそのような負担をかけられない』と考えたのだろう。
それについて祐奈は『過保護だな』とは思わなかった。むしろ祐奈自身がそれを聞いて不思議な罪悪感を覚え、自分も襟を正さねばならないのでは? と思ったくらいだった。
というのも、ラング准将に甘やかされている自らの立ち位置を、客観的に眺めているような心地にさせられたからだ。
いや……アリスよりも、祐奈のほうがよほどひどいかもしれない。ラング准将はクールに見えるのに、ものすごく過保護なところがあるからだ。
彼が今回、騎乗して突き進んだのは、そうすれば日付が変わる前に確実にレップに着けるという算段があったからだろう。そしてそのほうが、脇道にそれて宿に立ち寄るよりも、祐奈の負担が少ないと彼が考えたのは明白だった。
祐奈を優先するあまり、結果的にカルメリータに負担がいってしまっている。
ちなみにリスキンドに至っては『変に寝るとかえってつらい』とのことで、現状徹夜明けであるわけだが、彼はDNAレベルで強靭なので、そんなに気にしなくてもいいかなと思っている。
* * *
祐奈たちはしばらく部屋で待機するようにと、朝の時点でレップ大聖堂から申し渡されていた。
というのもレップ側からすると、あくまでもアリスが主客であるので、彼女が未着であるというのに、おまけの祐奈のほうにかまけるわけにはいかないということ
らしかった。
それで結局、肝心のアリスは昼すぎにこちらに到着したようである。
なぜ分かったかというと、ちょうどその時分に、建物が横揺れしているのではないかと思うほど、レップ大聖堂内に歓声が響き渡ったからだ。
祐奈たちが通されたのは西翼の侘しい一角であったのだが、それでも遠くのほうでバタバタしている気配が伝わってきたくらいだから、本館などは上を下への大騒ぎだったのではないだろうか。
アリスが到着したのだから、こちらの待機状態は解かれるものと思いきや、そうはならなかった。
結局今度はアリスの接待でてんやわんやになってしまったらしく、祐奈については、そのままステイ状態が継続された。
しばらくしてラング准将が司教から呼び出しを受けた。
彼は警護責任者として、どの拠点でも司教と面談して調整を行っている。だからいつもどおりではあるのだけれど、今回ばかりは祐奈もソワソワしてしまった。
いつもの立ち寄り先とは違う――ここにはアリスがいるからだ。
ソファに座っていても、妙に落ち着きがないのは、傍目にも分かったのだろう。対面にいるリスキンドが、からかいなのか気遣いなのか、よく分からない謎発言をかましてきた。
「祐奈っち。ラング准将は浮気なんかしないから、心配しなくていいって」
浮気……祐奈はピクリと身じろぎし、背筋を伸ばしたままチラリとリスキンドのほうを見遣った。
……なんだろう。突っ込んだほうがいいのだろうか。
ラング准将は祐奈の恋人ではないし、たとえアリスと良い関係になったとしても、それを浮気とは言わない。それからこのような軽口は、アリスに対しても不敬にあたるのではないだろうか。
口を開きかけて、閉じる。祐奈は途方に暮れてしまった。
「言いたいことがあるなら、ぶっちゃけちゃったほうが楽だぜ。――いいよ、俺なら聞き流す才能があるから、ドギツイこと言っても平気だし、さぁ吐いちまいな」
なんでノリノリなんですか。
「そう言われましても」
「アリスはおっぱいがでかいから、そこだけは負けていて不安、とかさぁ。あとはそう――自分は色気がないから、体でラング准将を繋ぎとめられるか分からない、とか。なんでもいいよ、言ってみ」
勝手にこちらの内心をアテレコしないで欲しい。
「いや、あの、『胸の大きさだけ負けている』みたいなことは思っていませんから」
「え? じゃあおっぱいのデカさすらも負けていないと言い張るのか? さすがにそれは図々しすぎだろ」
チラリと胸を見られた気がして、イーッとなった。
そんなこと言ってない! 曲解がすぎる!
ほかにも色々負けているという意味なのに、からかうなんてひどい。――もう、ぶっとばしてやろうかしら。
昨日ラング准将と話した内容に引っ張られているのか、思考が若干『ぶん殴る』寄りに傾いてしまっている。……まぁラング准将が口にした『祐奈の立場だったら、ショーをぶん殴っている』という例の発言は、完全にジョークだと分かっているのだけれど。
「リスキンドさん、あのねぇ――そんなどうしようもないようなことばかり言っていると、ラング准将が戻って来たら、『リスキンドさんから悪質なからかいを受けました』と言いつけますからね」
祐奈はラング准将にチクるぞ、と脅しをかけてやった。
これにはさすがのリスキンドも少しピリっとしたらしく、校長先生から呼び出しを受けた子供みたいな顔でソファに座り直したので、祐奈はちょっといい気分だった。
そんなふうに阿呆なやり取りをして時間を浪費していると、ノックの音がして扉が開いた。
――はい、どうぞ――とも言っていないのに、勝手に開けるだなんて、ずいぶんマイペースな人だな、なんて思ったら。
「はぁい、祐奈。お久しぶりー」
祐奈は「え」という驚きの声を漏らしていた。
現れたのは、手をひらひらと振る華奢な体型の美少年。肩口で切り揃えられた癖のない髪が、サラサラと揺れている。
相変わらず端麗で、そして小生意気な態度だった。
祐奈はここにいるはずのない人物――ダリル・オズボーンの姿を眺め、絶句してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます