第53話 ショーの人生は薔薇色
ショーは祐奈に対して感謝の念を抱いていた。
彼女は腕の怪我を治療し、救ってくれたのだ――なんて健気なのだろう。
過去の彼女の行動を振り返ってみると、ブスなりに一生懸命で可愛げがあったかもしれないと思えてくる。
そうなると、初対面の時に、もう少しくらい優しくしてやればよかったかなと、ショーは少しだけ反省することとなった。
夜、共寝してやることは無理でも、たまに話しかけてやるくらいでも、満足させられたのかもしれないし。
とにかく、だ。過去に戻るのは無理な話だが、これから彼女にしてやれることはきっとある。
たとえば、そう――ショーが話しかけてやるだけで、祐奈にとっては最高の思い出になるはず。
自分はアリス隊所属で接点がないのだから、ここで少々ねぎらってやるくらい、面倒なことにもならないだろう。それでもしも勘違いして迫って来るようなことがあれば、「悪いが、抱いてやるのは無理だ」ときっぱり言って聞かせればいい。
思い返してみると、彼女は割と大人しい性分のようだったから、きつく言ってやれば理解してくれそうだしな。
もしも万が一、彼女が恋心を暴走させて付き纏ってくるようなら、今は祐奈隊の責任者はラング准将なのだから、彼を通して苦情を訴えるという方法も取れる。
前は『直』だったので、すべて自分で対処しなければならず、面倒だった。あいだに誰か挟めるというのは、気が楽なものである。
魔法行使後に祐奈が向かった場所はちゃんと確認しておいた。
――彼女が乗り込んだ馬車の扉は、外側に大きく開かれている。
それを見たショーは、彼女は自分を待っているのだなと考えた。ああまったく……やれやれ。
お礼を言ってほしくて、今か今かと待ち構えているのだろう。
やはりこのまま無視せずに、リスキンドに面会を申し込んでみてよかった。あそこまでして健気に治してくれたのに、期待を裏切ってそのまま放置では、さすがに可哀想すぎるものな。
ここはひとつショーが大人になって、ファンにサービスする舞台俳優のように振舞ってやれば、彼女は歓喜にむせび泣くに違いないのだ。
それくらいの施しは、『右腕の代金』だと思えば、決して高くはない。醜い女に少し親切にしてやって、勘違いさせない程度に声かけしてやるだけ。
ショーは『顔が良いと色々大変なんだよな……』などと考えながら、開け放たれている扉の前まで足を進めた。
* * *
時間経過と共に落ち着くどころか、吐き気が増していくようだった。
祐奈は目の前のヴェールが無性に苛立たしく感じられて、むしり取るように頭から取り去っていた。
開け放った扉から涼しい風が入ってきて、心地良い。
ヴェールを取ったことで、少しだけ気分が上向いてきた。
ずっと黒い紗に遮られていると、息苦しいというか、時々ものすごく鬱屈した気持ちになる。ぱっと剥いで、素顔にお日様を浴びて、お昼寝できたらなぁと思うこともあった。
だから今は、宿の寝室以外で、久々に素に戻れた瞬間かもしれなかった。
座席の背もたれに背中を預け、深く深く息を吐く。髪が乱れているのに気づいて、指で掬って耳にかけた。
その時不意に、近くで足音がして……
あ、と思った時には遅かった。
開いた扉の前に、騎士服を着た誰かが立っていたのだ。
一瞬、リスキンドかと思ったのだけれど、違った。もっとずっと最低なやつだった。
その人物は馬車の中を覗き込み、目を大きく見開いた。
それは祐奈も同じだった。目を見張り、固まる。
ダグラス・ショーと祐奈は、久しぶりに至近距離で顔を突き合わせていた。
素顔での対面はこれが二度目。
以前、王都のシルヴァース大聖堂に行った際、通りすがりのショーに絡まれかけたことがある。
あの時も祐奈は(ほとんど事故のような成り行きで)ヴェールを脱いでいた。後ろ手にそれを必死で隠して。
あの時と違う点は、今、ショーは素顔の彼女を見て『祐奈だ』と認識している点だった。
ショーがよろけるように馬車に足をかけてきたので、祐奈は恐慌状態に陥った。怯えた目で彼を見返し、大きな声を出す。
「は、入って来ないで!」
その制止の声があまりにか細く女の子らしかったので、ショーは一瞬のうちに頬を赤らめていた。
* * *
祐奈は座席に腰かけたまま爪先立ちになって後ずさった。膝が微かに持ち上がり、なんだか腰を抜かしたような体勢になっている。
対するショーは驚いているものの、瞳には歓喜の色が浮かんでいた。――ショーの喜々とした表情を認めて、祐奈は大混乱に陥ってしまう。
やだ、なんなの? 怖い。このまま殺されるの?
「俺……君のこと、覚えている。シルヴァース大聖堂で……」
と言ったきり、ショーが言葉を詰まらせてしまう。これに祐奈は思わず眉を顰めた。
覚えているって、何……。え? シルヴァース大聖堂っていうか、リベカ教会に『ふたり目の聖女』を迎えに来たくだり、綺麗さっぱり忘れている? 大丈夫?
祐奈は混乱しきっていたために、彼が『素顔を見た時のこと』を語っているというのが、いまひとつ理解できていなかった。
「どうしてヴェールで顔を隠していたの?」
祐奈はハッと我に返った。
そう――そうだ。ヴェールを取ってしまっていたのだ。なんてこと……!
血の気が引くのを感じながら、傍らに放り出してあったヴェールに手を伸ばす。
するとショーが慌てた様子で制止してきた。
「ああ、待って! 顔を隠さないで」
「なんで……」
あなたにそんなことを命令されないといけないのか、という言葉は口から出てこなかった。
祐奈は『最後までしっかり喋ると、お前ごときがダラダラ喋るんじゃねぇと理不尽に怒られるんじゃないかと考えてしまう症候群』にかかっていた。
しかし今日のショーは妙に気前が良かった。祐奈がオドオドしても、言葉足らずでも、以前のように腹を立てなかったからだ。
もしかして、腕をくっつけてあげたから、感謝感激フィーバー状態なのかな。スロットで7が3つ揃った、みたいな。
それは別にいいのだけれど、早くどっか行ってくれないかな……。
「ねぇ、なんでヴェールしていたの?」
なんなのこの人……祐奈は気持ち悪くて仕方なかったのだけれど、答えないとどこかへ行ってくれそうにないので、鳥肌を立たせながら会話を続けることにした。
「……以前、そっくり同じ流れの会話をしましたよね?」
「でも前とは状況が違うから」
知らないけど、とイラっとする。違うといえば違うけれど、それはあなた次第でしょう、と。
「だから、ハリントン神父からヴェールを着けるように言われたからですよ」
「なんて言われたの?」
まじですか……。
あれ、ここもしかして、こういう地獄なのかな? 知らないあいだに私、死んでた? 同じやり取りを二周するという地獄に迷い込んでしまったんじゃない?
「前の聖女と姿があまりにも違うから、ヴェールを着けるようにと。前の聖女はとても美しい方だったのでしょうね」
「違うよ!」
「え?」
「そんなことないよ。君は全然違う、俺は、なんていうか、すごく――」
ショーがグイっと恥知らずにも身を乗り出して来たので、祐奈はパニくってしまった。
「きゃあ! 下がって!」
「聞いてくれ、ちゃんと誤解を解きたい。俺、心から君に謝りたくて」
「謝ってくれなくていいから!」
怖っ! この人、瞳孔開いてない? なんで? 息遣いも荒い気がする!
「許してくれるの?」
「知らない、知らない――わぁ、ちょっと来ないで、来ないでって言ってるじゃない!」
祐奈は怒りのあまり拳を握りながら怒鳴っていた。
ところが祐奈が怒鳴ったとしてもまるで迫力なんてなく、ショーからすると毛を逆立てた子猫みたいに見えたし、なんなら慌てて声を張り上げて少し裏返ってしまっているところなんかもう、ただひたすら可愛いだけだった。
ていうか……こんなに声、可愛かったっけ……とうっとりする。ヴェールをしていても声は聞いていたはずなのだが、おかしいな……。
だけど、ああ――彼女が自分のことを好きだなんて信じられない! 奇跡が起きた!
どうしてあの夜、宿で抱いてやらなかったのだろう? 彼女は望んでいたのに。
超、悔やまれる! 望みどおり、ベッドに連れ込んであげればよかった! ヴェールを外してさえいれば、そうしたらショーだって、うんと優しくしてやれた。キスだっていっぱいしてあげたし、もっと、それ以上だって……だけどさ、隠されていたのだから、どうしようもなかったんだよ?
あんなに必死で媚びてくれていたのに、相手にしてあげなくて、ものすごく可哀想なことをしてしまった。不幸なすれ違いというやつだ。
でも君はずっと恋心を燃やし続けていたんだね。いつか大好きなショーが振り向いてくれるのだと信じて。
ショーとしてはこうなれば、リスキンドと護衛役を代わってやるのもやぶさかではないと考え始めていた。
レップでは時間の余裕も少しあるだろうから、ハッチ准将に話をしてみよう。
……でもあれだな……護衛云々よりも先に、自分たちにはふたりきりの時間が必要な気がする。
彼女はなんとなくまだ拗ねているみたいだ。冷たくされた過去があるから、こちらを試しているのかな。もう、可愛いなぁ。
本当は話しかけられて嬉しいのに、素直にその気持ちを出せないでいるんだ。そういうところは女の子だなぁと思った。
ショーが可愛がってあげれば、きっとすぐに打ち解けて、甘えてくるだろう。
眺めているとなんだか、彼女の華奢な腕に触れたくなってきた。
髪も撫でたい。
耳も。
頬も。
唇も――
思わず腕を伸ばす。すぐそこに彼女がいて、手が届く距離だ。君は待っている。
――祐奈はショーが手を伸ばして来たのを見て、今度こそ洒落じゃなく殺されると思った。
捻り殺す気だ! 怖すぎる! 助けてあげたのに、ひどくない?
恩を仇で返すとはこのことではないか。こんな悪党、見たことがない。さすがショーだよ。わぁん、親切にするんじゃなかった!
祐奈は無意識のうちに魔法を行使しかけていた。混乱しすぎてはっきりそれを認識できていなかった。ほとんど放電に近い。
パリ……と目の前の空気が小さく弾けた。線香花火くらいの小さな火花が中空にいくつも咲く。
それが連鎖的に空間を走って行き、ショーは手のひらをバチリと弾かれてしまった。驚いて手を引っ込める。
「……祐奈、怖がらなくていいから」
「呼び捨てにしないでください」
「ご、ごめん。でも祐奈、お願いだから――」
「私、さっきから何度も下がってと言っていますよね。いいから離れて!」
「祐奈――」
「最大級の雷魔法で攻撃しますよ! もう二度と近寄らないで!」
バチ、と電気で押し出すようにして、ショーを強制的に下がらせる。彼が馬車から離れたのを確認すると、すぐさまショーの鼻先でバタンと扉を閉めてやった。
今度、扉を開けてごらんなさい――絶対にやってやるから。本気だからね。威力『中』でやってやるから。死んでも知らないから。
祐奈はむしゃくしゃして、すっかりやさぐれていた。眉根をきつく寄せていると、外から声が響いてきた。
『祐奈――必ず、レップで話をしよう! 俺たちには時間が必要だ!』
祐奈は両手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目を閉じた。奥歯を噛みしめる。
なんなの――あいつなんなの!
外が騒がしくなって、リスキンドがショーに向けて何か怒鳴っているのが聞こえてきた。それと共にショーの馬鹿げた呼びかけも遠ざかって行く。
祐奈は座席から滑り落ちるように床に腰を落とした。耳を押さえたまま、足を曲げて体を縮こませる。
「回復魔法なんて使うんじゃなかった……!」
呻き声が漏れ出た。
ああ――リスキンドの言うとおりだった。あんなことをすべきではなかったのだ。
祐奈は歯を食いしばり、苛立ちに支配されて、対面の座席を靴の裏で蹴りつけていた。
「ううー……!」
頭を抱えて俯く。体を丸めるように、小さく体育座りをして、そのままぎゅっと膝を抱え込んだ。
悔しかった。悔しくて、悔しくて、頭が爆発しそうだった。
祐奈は心の中がぐちゃぐちゃに乱されたまま、長いことそのままの姿勢で縮こまっていた。
6.傍迷惑なアリス隊(終)
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