第52話 最低か、お前


 馬車に戻り扉を開けた。


 カルメリータが血相を変えて飛び出してくる。


「祐奈様、お怪我は? 大丈夫ですか?」


 心配されて、視界がじわりと滲む。祐奈は口元を引き結び、なんとか呼吸を整えた。カルメリータを心配させたくない。


「大丈夫です。無事です」


「ですが……なんだかご様子が……」


「血を見たら、気持ち悪くなっちゃったの。あの……カルメリータさん、ごめんなさい。しばらくひとりになりたいのですが、いいですか?」


 カルメリータは一瞬案ずるように胸の前で手を組み、じっと祐奈を見つめていた。それから何度か頷いてみせた。


「ええ、ええ、もちろんですとも。私とルークは、荷馬車のほうに行っていますね。御者さんと話してきます」


 祐奈の隊は馬車二台編成で、もう一台は荷物が積まれている。こちらの馬車の御者は、騒動が始まってすぐに、リスキンドが荷馬車のほうに移るよう指示しているので、ここにはいない。


 カルメリータは彼らに状況が落ち着いた旨、報告しておこうという考えもあったのだろう。


 祐奈は返事をする元気もなくて、こくりと頷いてみせた。


 カルメリータはしゃがみ込んで、訳知り顔をしていたルークを抱き上げ、立ち去って行った。


 彼女が後方の馬車に向かうのを後目に、祐奈は馬車に乗り込む。扉を閉めると吐きたくなりそうだから、開けたまま座席に腰を下ろした。


 ……ほう、と息を吐く。


 馬車の中は安全に隔離されているような気がして、なんだか安心できた。アリス隊の馬車溜まりからは少し距離があるので、わざわざここまでやって来て、中を覗いてやろうという物好きな人間もいないだろうし。


 このまましばらく放っておいてくれるといいなと思った。今は誰とも会いたくないし、誰とも話したくなかった。




   * * *




 戦場が沈静化しても、ラング准将にはやることが山積していた。


 この状況を野放しにはしておけない。アリス隊の面々は死体も何もかもこのまま農地に放り出し、浮かれ気分でレップへと旅立ちかねないので、ある程度こちらでコントロールしてやる必要があった。


 誰かが手綱を締めてやらねばならず、それができるのはラング准将のみである。


 隠れていたミセス・ロジャースにもう大丈夫だからと伝え、この近辺で捕らえた盗賊をしばらくのあいだ隔離しておける場所がないか尋ねる。


 すると使われていない家畜小屋があるとのことで、地図を書いてもらった。


 比較的信用ができる人物――マクリーンとスタイガーを呼び、指示を与える。


 戦闘不能状態の敵を縛り上げて、家畜小屋に捕らえておくこと。


 遺体についてもこのまま農地に放置せず、家畜小屋のそばまで運んでおくこと。


 アリス隊はすぐにレップに旅立つ予定であるが、仮牢の見張り番として数名ここに残すこと。その際はミセス・ロジャース及び近隣の方々には、絶対に迷惑をかけないこと。


 また、急ぎ早馬を出し、キャデルの総督に賊を移送してもらうよう頼むこと。ハッチの名前では助力いただけないだろうから、ラング准将から一筆書くのでそれを渡すこと。


 賊の中から誰か選び、尋問して、残党がいないか確認すること。


 残党がいる場合は、追撃があるかもしれないので、ここに居残った者が責任を持って対処すること。


 等々。


 すべて段取りしてやらなければならない状況に苛立ちを覚えるが、さりとて放っておけば、ロジャース家を始めとした近隣住民に多大な迷惑がかかるのは、火を見るよりも明らかだった。


 アリス隊の面々は自らのだらけ切った態度が盗賊を誘い込んだなどとは絶対に認めないだろうし、また認めたとしても、自分たちは偉大な聖女護衛隊なのだから、盗賊の後始末など管轄外であると主張しそうだった。


 マクリーンとスタイガーは平民なので、本件に関しては彼らが指揮を取る旨、ハッチ以下にきっちり話を通しておかなければならない。これもラング准将がやる必要があった。


 それからミセス・ロジャースに約束したことを守らなければならない。アリスを速やかにロジャース邸から追い払わねば。


 ラング准将はハッチどもをもうひと絞りしてやるために、ロジャース邸に入っていった。




   * * *




 リスキンドは雑務に追われていた。


 祐奈が馬車に引き上げて行くのを視界の端で確認しながら、眼前に広がる惨状を眺めてため息を吐く。


 ……ああ、くそう! あれこれ気づいてしまう自分が恨めしいぜ……。


 アリス隊の間抜けどもがどんなに困ろうが知ったこっちゃないのだが、このまま放置しておいては、農地の持ち主が困り果ててしまうだろう。


 アリス隊の面々は度を越した間抜けどもなので、気絶している盗賊をそのまま放置して旅立ってしまいそうだ。それは困る。


「気絶している賊は縄で縛り上げろ。最終的な隔離先はラング准将とあとで調整するが、一旦仮置きで、一か所に集めるぞ。そうだな――百メートルほど向こうの、今ドレイクが立っている辺りにしよう。ドレイクは二メートル超えの大男だから、見て分かるよな?」


 何人かが頷いているのを見て、ブチリと切れる。


 うんうんじゃねぇんだよ、馬鹿!


「――返事!」


「了解です!」


 コール&レスポンスを徹底しろっての。自主的に判断できないのだから、せめて返事くらいはしてくれ。


 時間経過と共にリスキンドの中でどんどんストレスが溜まっていく。


 リスキンドは年齢的にはまだ若いほうであるが、騎士としてのキャリアはかなり積んでいる。聖女護衛はにわかで集められた面々が多いので、アリス隊を抜ける前までは、経験を買われてサブリーダーのような立場を任されていた。


「死人もそのまま放置するな。さっき言った場所に運ぶ。生存者と混ぜこぜにするなよ!」


「了解です!」


「あー、ダーネル!」


 一番声が大きくて仕切り好きな隊員を見つけて声をかける。


「お前、近くを回って今の内容を伝令してこい。結構広範囲に散らばっているから、抜けがないように」


「分かりました!」


 それで今度は縛り方が分からない……と素人みたいなことを言い出すやつがいて、怒鳴っても仕方ないので、近くに行ってやり方を教えてやった。


 同じことを言っても女の子なら可愛いからいいんだけど、ゴツイ男が「できない」とか言っていると殺したくなる。もう勘弁してくれという気分だった。


 元々隊にいた時はコイツらに対してもそれなりに仲間意識を感じていたし、リスキンドはのらりくらりとしていて気が長い性分だから、彼らに腹を立てて当たり散らしたこともなかった。できないやつに「どうしてできない!」と怒っても仕方ないし、大人として対処したほうが、仕事も円滑に回る。


 しかし隊を抜けて、彼らが祐奈に失礼な態度を取っているのを目の当たりにしたら、すべてが嫌になってしまったのだ。


 お前ら――誰かを声高に責めるのならば、自分自身がそうされても文句はないんだよな。


 他者に親切にしないくせに、自分は親切にしてもらいたいだなんて、そんな虫のいい考えはまかり通らないからな。


 さらに言うならば、こいつらはプロとしても失格だった。――金をもらって護衛任務を引き受けたんだろう? だったら仕事しろ。立場を忘れて、守護すべき聖女を貶めてんじゃねぇよ。


 祐奈を見ていれば『まともな人間』であることは分かったはずなのに。


 けれどこいつらは偏見に支配されて、彼女を虐げ続けた。


 それはきっと、『下衆な聖女』のほうが、彼らにとって都合が良かったからだろう。馬鹿にしてくさして、ストレス発散できるから。そのほうがいいと思って欠点を探しているのだから、祐奈の良い所になど目がいくわけもない。


 吐き気がするほど下衆なやつらだった。


 そして祐奈はそんな下衆なやつらを、魔法を駆使して、救ってやったのだ。


 やりきれないと思った。友達がこんな理不尽な目に遭っていたら、まったくやりきれないよ。


 リスキンドは粛々と賊の縛り上げをこなしながら、祐奈の馬車の辺りは常に視界に入れていた。何かあっては困る。


 すると突然、目の前に誰かが立ちはだかった。


「リスキンド、ちょっといいか」


 ショーだった。


 先ほどは脂汗をかいてみっともない様子を晒していたが、今や血色も良くなって、元のエセイケメンに戻ってしまっていた。……ったく、クソ忌々しい野郎だなと舌打ちが出そうになる。


「よくない!」


 きっぱり断ったのに、


「俺……祐奈に礼を言いたいんだが」


 とか寝ぼけたことを言い出しやがる。


「はぁ? お前馬鹿なの?」


 呆れ果てた間抜けだと思う。リスキンドは作業を中断して、背筋を伸ばした。


 思い切り不機嫌に睨みつけてやるが、ショーは鈍感なので気にも留めていないようだった。空気を読むどころか、自分の世界に浸って、どこか上の空な様子である。


「斬り落とされて、右腕なしで一生を送るところだった。彼女に助けてもらったから、感謝している」


「お前、自分が過去に何をしたのか忘れたのかよ? 善良なお嬢さんを、性欲に狂ったイカれ女扱いしたんだぞ」


「それは、うん……俺もちょっと過敏に反応しすぎたかもしれない」


「ちょっとだぁ?」


「祐奈が俺を好きになるのは、彼女の自由だよな。仕方のないことだと、もう少し優しくしてやるべきだった」


「いや、そもそも好きじゃねぇし」


「俺、あの時は純粋に気持ち悪いと思ってしまったんだ。でも、ここまで献身的にされると、さすがにさ……俺は間違っていたのかもしれないと反省して」


「どう間違っていたんだよ?」


「とにかく謝りたい。過去彼女にひどい態度を取った自覚はあるんだ。行って謝るだけだ。それで今日助けてくれたことについて、感謝を伝えたい。だめだろうか?」


 リスキンドは考え込んでしまった。


 色々と引っかかる部分はあったが、この馬鹿に百点満点の回答を求めてもそれは無理というものだろう。とにかく今はショーも、怪我の件で殊勝な気持ちにはなっているようだ。


 過去の仕打ちを謝りたいというのは、実は祐奈にとっては良いことかもしれないという気もした。


 それで仲直りしろというのではない。しかし祐奈には慰めが必要なはずだ。


 彼女はこの男を許す必要はないが、しかし謝罪される権利はあるだろう。それでいくらか彼女の気も晴れるのではないか。


「分かった。じゃあ俺も行くわ」


「待ってくれ。王都までの護送のこと――お前は詳細を知らないだろう?」


「まぁな」


「彼女も今の仲間に聞かれたくないと思う。本当に謝るだけだし、妙な真似はしないから、ふたりきりで話させてくれ」


「馬鹿な」


 絶対に信用できない。


 しかしショーがこんなことを言いやがったものだから……


「なんかさ……もしかして俺が、祐奈に不埒な真似をするとでも疑っているのか? ありえないよ。俺はこう言っちゃなんだが、面食いなんだ」


「最低か、お前」


 祐奈が腕をくっつけたあと、こいつの首をへし折っときゃよかったぜ。いや……今からでも遅くないか?


「落ち着けって」


 ショーが『どうどう』と制するように、両手のひらをこちらに向けてくる。


「俺は祐奈に対してこれっぽっちも興味を持っていない――その事実を、ただお前に伝えたかっただけだ。過去にひどいことをしたから、それを心から謝りたいだけなんだよ。なぁ――俺との会話をお前に聞かれたら、彼女は恥ずかしい思いをするんだぜ? だって今の彼女は、リスキンドと上手くやっているんだろう?」


「俺は良い子だと思っているし、大事な仲間だよ」


「じゃあ余計に聞かれたくないはずだ。――自分に置き換えて考えてみたらどうだ? リスキンドが昔、自分を振った女の子と話すことになったとして――仲間が近くにいて全部聞かれていたら、ものすごく嫌だろう? 祐奈の気持ちを汲んでやれよ」


 リスキンドは腕組みをして、しばらくのあいだ考え込んでしまった。


 ていうか祐奈っちって、実はまじでショーを好きだったの? これまではありえないと思っていたけれど、当事者のこいつがこうもきっぱり断言するってことは、事実なのかも? 性的なことを強要するとかは祐奈っちの性格からして絶対にないから、その部分はショーの妄想だろうけれど、好意自体はなぁ……なかったとも言い切れない?


 いや、まぁ、ショーの本質を知ってしまえば、『絶対ないわぁ』ってなるけれど、出会ったばかりなら……外見だけはそこそこいいしな、こいつ。


 えー……それって祐奈っちからすれば、黒歴史じゃん。俺が彼女の立場なら、一瞬でもショーに惹かれていたことがあったら、全力でその過去を抹消したくなるよなぁ。仲間にも絶対やり取りを聞かれたくないよなぁ。


 あー、分かんねぇ! ……やっぱり祐奈っちがショーに惚れるとか、ありえなくね? これについては考えるのをやめて、保留にしよう。


 まぁでもさ――ショーが本心から過去の悪行を後悔しているように見えたので、信じてみてもいいんじゃないかと思えたのは確かなんだ。こいつは単純馬鹿だから、一度ここまで反省したなら、ふたたびいじめっ子モードに戻ることもないだろうし。


 どちらにせよ、遠目であってもきちんと監視していれば、こいつが暴走したとしても、すぐに駆けつけられるから問題はない……か?


「分かった。くれぐれも祐奈っちに失礼なことをするなよ。馬車の中には絶対に入らない、それが条件だ」


「分かっている。少し話すだけで十分だ。俺が少しねぎらってやるだけで、彼女もすごく喜ぶはずだから」


 おおい、まじかよ……言葉の端々にイラっとする何かを仕込んできやがるんだよなぁ、こいつ。


 そう思いながら、リスキンドは迂闊にも、ショーの接近を許可してしまった。

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