第50話 怪我人


 騒ぎが起きてからかなり時間が経過しているにも関わらず、怪我をした人物はまだ泣き言を口にしていた。


 先ほどの絶叫から比べると音量自体は大分小さくなっているのだが、この世の終わりかのように嘆き悲しみ、メソメソと弱音をこぼしている。はっきりとは聞き取れないものの、「痛いよ……」とか「手が……」とか「ひどい……」とか訴えているようだ。


 祐奈は聞いているだけで気が滅入ってきた。


 その人物は地べたにうつ伏せになり、時折膝を曲げたり伸ばしたりして小刻みに動いていた。芋虫のようだ。土が大量の血を吸ってどす黒く変色している。


 人垣の隙間からそんな惨状が垣間見えて、祐奈は思わず視線を俯けていた。すぐに視線を逸らしてしまったので、詳しい状況は分からない。直視するにはなかなかにつらい光景だった。


 ただなんとも奇妙なのが、その人物がひとりで悶え苦しんでいる中、誰ひとりとして手を差し伸べようとしていない点だった。


 アリス隊の騎士たちの振る舞いはひどいものだ。仲間だろうに怪我人に近寄りもしない。ドーナツ状に周囲を取り囲んで、でくのぼうみたいに突っ立って眺めているだけ。


 彼らの硬い表情は混乱しているせいなのか、怪我人を迷惑に思っているだけなのか、微妙なところだった。あるいはその両方かもしれない。


 どうしたらよいのか分からないのだとしても、怪我人に対して少しでも友情めいた想いがあるのなら、近くに寄って傷を見てやるとか、声をかけてやるとかするはずである。


 広い農地の中、味方がかなり広範囲に散っているのも、この奇妙な現象が放置されている原因であるのかもしれなかった。この場所には指揮官クラスや、的確な判断を下せそうな人物が誰もいないのだろう。


 離れた場所にいる味方も、この一角の馬鹿げた騒ぎは耳にしているのだろうが、それでも各々手いっぱいな感じで、誰も駆けつけて来ない。残った敵を倒したり、身近にいる軽傷者を手当したりと、とにかく手が回らない様子だ。


 リスキンドが野次馬の肩を叩いて尋ねる。


「あいつを斬りつけた敵はちゃんと確保したんだろうな?」


「確保っていうか、死んだよ。向こうのほうに死体が転がっているだろ」


 指し示されたほうを見ると、野次馬の人垣が一部途切れている箇所があり、馬車の近くに男がうつ伏せで倒れているのが見えた。背中に深々と剣が突き刺さっており、絶命しているのが一目で分かった。


 祐奈は慌てて視線を逸らした。


 死体や血を見て気分が悪くなってきた。吐きそう……。


 リスキンドは状況の確認を続ける。


「何があったんだ?」


「皆で敵ひとりを囲んで、襲った。そいつが地面に倒れたから気を抜いたんだ。そうしたら死んでいなくてさ」


「一矢報いられた、と」


「ああ。そのあと敵はすぐに死んじまったけれど」


「じゃあここにしばらく留まっていても安全は安全だな」


「は?」


 訝しげに尋ね返されたが、もう用は済んだとばかりにリスキンドは足を前に進めた。パンパン、と派手に手を叩き、注意を引く。


「はい、皆さん! 聞いてくださーい!」


「リスキンドじゃん。久しぶりだな……生きていたんだ」


「静粛に!」リスキンドがジロリと睨んでガヤを黙らせる。「これから聖女祐奈様がありがたい魔法を使って、怪我人を治療してくださいます。だから邪魔しないように」


「え? 何言って……」


 野次馬がせわしなく視線を動かしたことで、野次馬たちより後ろに控えていた小柄なヴェールの聖女に視線が集まった。途端に周囲がザワつき始める。


 非常に好ましくない空気だった。祐奈は早速心が折れかけた。


 ああ、やめておけば良かったかも……。


 皆が条件反射のように『醜い聖女』に敵意を向けてくる。これは無意識なのだろうか。


 目の前にある惨状がすべてヴェールの聖女のせいにできるなら、万々歳だとでも考えているのかもしれない。醜い聖女を軽蔑することで、目の前の惨事をなかったことにしようとしている。一瞬前までの『怪我していたのは、もしかすると自分だったかも』という鬱屈した恐怖が、すべてヴェールの聖女に対する怒りに転嫁されつつあるように感じられた。


 リスキンドがこうしてあらかじめ名乗りを上げたのは正しかったのだと思う。


 もしも予告なくいきなり怪我人に近寄っていたら、暴徒化した彼らに突き飛ばされていたかも。


 この人たちは怪我人が泣き喚いていても平気で放置できるけれど、弱そうな女性が登場したら、ちょっかいをかけずにはいられない。いくらだって居丈高になれるし、いじめる元気がある。


 リスキンドは正しかった。祐奈は足がガタガタと震え始めた。


「おい、あいつ何か悪さをするつもりじゃないか?」


「治療なんてできるのか? あの出来損ないが?」


「下心があるから、めちゃくちゃ頑張るんじゃね? 治してやる代わりに、夜ベッドでサービスしろ、とか言いそう」


「ブスの貪欲さには鳥肌が立つな」


 忍び笑いが起こる。


 祐奈はすっかり萎縮してしまっていたのだが、以前と違うのは、ここにリスキンドがいることだった。


 彼は珍しく本気で激怒していた。らしくない荒さで怒鳴り始める。


「お前ら、いい加減にしろよ! 全員くたばっちまえ、クソったれども!」


「なんだよ、リスキンド。お前だってヴェールの聖女には、さぞかし迷惑しているんじゃあ」


「祐奈さんは俺なんかよりよっぽど人間できとるわ。馬鹿か、全員死ね。苦しみ抜いて死ね」


「馬鹿って……」


「あと言っておくけど、彼女ブスじゃないから」


「何言って……」


 笑いがどっと巻き起こった。聞いていた祐奈はぶわりと汗が出てきた。


 ……リ、リスキンドさん、嘘はやめて……。顔を見てもいないのにそんなことを言っても、忖度感がエグイだけですから……。


「高貴な方はお前らみたいな下賤な者の前ではヴェールを取らないんだよ! 覚えておけ、間抜けども。大体なぁ――スズメバチに十九か所くらい刺されたような悲惨な顔面を晒しておいて、よくもまぁ他人様の顔のことを言えたもんだよ」


 リスキンドのやり口はほとんどチンピラのそれだった。顔に問題を抱えている隊員をピンポイントで睨み据えながら絡んでいる。


 言われて気づいたのだが、『ヴェールの聖女は醜い』と嘲笑っていた隊員は、顔が綺麗なわけでもなんでもなかった。酒場で女性を引っかけようとしても、相手にこっぴどく振られそうなタイプばかりで。


 少し落ち着いて眺め回してみると、攻撃的な言動をしていた人間に限って、冴えない外見をしていることが分かった。


 祐奈は萎縮していたせいで、相手を個々として認識できていなかったのだが、皆それぞれに見た目も考え方も違うようだった。この中にだってきっと、比較的まともな人間はいるはずなのだ。


 リスキンドに当てこすられて、顔にコンプレックスがあるらしい数名が慌てて下を向く。……けれどまぁ彼らには恥じ入る気持ちがあるだけ、まだマシなのかもしれない。


「ラング准将が他人の顔の美醜についてつべこべ言っているの、俺は聞いたことがない。あの人みたいにずば抜けて顔が良いと、そういうものなんだろうな。――結局さぁ、なんの恨みもない相手の悪口を言うやつって、コンプレックスの裏返しだろ? 自分が言われたくないことを先制攻撃で口にすることで、勝った気になりたいだけ。クソみっともねぇんだよ、三下(さんした)風情が、いきがりやがって。それから『出来損ない』とかさ、どの口が言ってんの? それって自分のことだろ? ヴェールの聖女を見下して、普段の鬱憤を晴らそうとしてんじゃねぇよ。だせえんだよ」


 言いたい放題。


 そして言われたほうは俯き加減になり、何も言い返せないでいる。図星を突かれたからだろう。


 なんだか……この人たちって強い相手には何も言い返せないんだと気づいたら、祐奈は拍子抜けしてしまった。


 自分は一体、何をあんなに怖がっていたのだろうか。


「つかもう、この時間無駄だな。文句あるやつは俺の前に立て。順番にぶん殴って、ボコボコにしてやるよ」


 リスキンドが周囲を睨み渡すと、しんと場が静まり返った。


 祐奈は彼が戦っている場面を見たことがあるのだが、おそらくリスキンドはとても強い。


 ラング准将があまりに振り切れて強いので、平均値を見失ってしまい、リスキンドのレベルがよく分からなくなったりする。しかしあのラング准将についていけるのだから、リスキンドも相当なものなのだ。


『肉弾戦は嫌いだー』なんて嘯いていたけれど、それは『できるけれどあんまり好きじゃない』の意なのだ。ある意味天才の台詞である。


 ここにいる隊員はさすがに互いの実力差については痛感しているらしく、ピタリと口を閉ざした。


 もしかすると一瞬前までは、ヴェールの聖女の悪口を言うことで、リスキンドをねぎらいたいという気持ちもあったのかもしれない。『あんたはあの醜い女に苦労させられているんだろ、お察しするぜ』というような。


 ところが彼が本気で怒っているのが分かったので、マズいことをしたと自覚し始めたようだった。


「――さぁ祐奈っち、カモン」


 リスキンドが手のひらを上に向け、指を動かして、来い来いする。


 ええと、あのね……こちらを『高貴な方』と表現したのはあなた自身ですよ……それワンコを呼ぶやり口ですよ……。


 でもなんだか怯えが抜けたみたい。


 祐奈の周りの人間がざっと退いたので、オズオズと進み出る。


 見晴らしが良くなり、祐奈はあることに気づいて固まってしまった。――倒れていた人物が苦しげにこちらに首を回したために、顔が見えたのだ。


 濃いふわふわの金髪に、ヘーゼルの瞳。


 忘れもしない――


 怪我人は、祐奈を地獄に突き落とした張本人である、ダグラス・ショーその人だった。

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