第49話 リスキンドと祐奈


「……ヴェールが邪魔」


 祐奈は微かな苛立ちを覚え、瞳を細めた。


「リスキンドさん、倒すべき敵の位置を教えてください。目は悪くないのですが、私は広い視野を持っていません」


 問題ない地点に介入すると、それはそれでラング准将たちの邪魔になってしまう。紗も視界を狭めていたし、動体視力の問題もある。


 ――餅は餅屋ね、と祐奈は考え、リスキンドに託すことにした。


「OK」


 リスキンドは馬車上で膝を折った。腰を落とし、素早く戦場を一瞥する。


「一時の方角――ごちゃごちゃと人が固まっている場所」


 今の祐奈は常時開放状態にあった。一撃目で雷撃を引き出し、そのまま待機状態を維持している。


 標的を定めれば、すぐに落とせる。


 リスキンドが指示した地点で、敵のひとりが電気ショックを受けてパタリと倒れた。


 今にも斬りかかられそうだった年若い騎士が、涙を浮かべて茫然としている。状況がよく分かっていないようだ。


「二時の方角。ここから百五十メートル先」


 閃光。電撃。


 風がさらに強くなった。


 祐奈は顔にまとわりつくヴェールを煩わしく感じた。思わずそれをからげ後ろに回す。


 左手の肘内側を鼻の辺りに押し当てて、顔の大部分を隠した。


「あそこがまずいな。左――」


「どこですか?」


 膝をついているリスキンドは祐奈が今見ている場所を一旦確認しようと、右脇に佇む彼女を仰ぎ見た。


 すると祐奈の横顔が視界に入った。


 彼女は左肘で鼻から下を覆い隠していた。しかし形の良い眉と、黒曜石のように神秘的な瞳が陽光に晒されて輝いているのがしっかりと確認できた。


 表情は険しい。しかしその姿は清廉で美しく、戦を司る女神のようだった。


 リスキンドは一瞬唖然とし――すぐに視線を外して意識を切り替えた。


「九時の方角。三十メートル先」


「了解です」


 口元を覆っているので、声が微かに籠っていた。


 裁きの雷が落ちる。


 おそらく彼女は力の三十パーセントも出しちゃいない。一番弱い、敵が気絶するレベルの力で、方向、距離を完璧にコントロールしていた。


 神業だった。


 リスキンドは魔法を使えるわけではないのだが、己の体で剣を操り、戦場に何度も出ているから、祐奈のすごさが分かる。


 結局のところ、剣術も魔法も根っこの部分は同じだろう。頭の中でいかに具体的にイメージを描けるか。あとはそれを精密に展開するだけ。


「……参ったね」


 思わず感嘆の呟きが口から漏れ出る。


 リスキンドにとって女の子は、口説く対象であり、性愛を向ける相手でしかなかった。


 しかし彼女はそれとは違う。尊敬できる友人であり、かけがえのない旅の仲間――そんな相手ができるとは思ってもみなかった。


 血生臭い戦場にいるのに、吹き抜けて行く風があまりに爽やかで。


 リスキンドは日向ぼっこする猫のように瞳を細めていた。しゃがんだまま落ち着いた声音で指示を送る。


「祐奈っち、十二時の方角」


「了解」


 本日は晴天なり――


 戦場の混乱は収束しつつあった。




   * * *




 あらかた戦況が落ち着いたところで祐奈はヴェールを元に戻し、ほうっと息を吐いた。


 ……終わった……。


 しかし『もうこれで大丈夫』と思った時が一番危ないのかもしれない。


 馬車の屋根から下りて、リスキンドからねぎらわれていると、少し先のほうで叫び声が上がった。


 それは獣の断末魔のようだった。苦痛と悲痛を命尽きるまで絞り出したような声。


 痛い、だとか、手が、だとか、助けて、だとかが断続的に聞こえてくる。悲鳴の合間を縫って、ものが倒れるような音と怒号も混ざった。


 とんでもないことが起こっているような気配であるのに、騒ぎの渦中を見ると、騎士たちの動きはなんだか妙に間延びしているように感じられた。


 騒動は一向に収まらないし、ずっと長いこと騒がしさが続いている。


 何があったのだろう?


 祐奈が身を竦ませていると、リスキンドが少し先まで駆けて行き、状況を確認して戻って来た。リスキンドは祐奈の護衛役なので、そう遠くへは行かない。彼はただ何が起きているのかざっと見て来ただけだ。


 アリス隊に何が起きようとも我関せずでいると、こちらに危険が及んだ場合に後手後手になるため、この行動は護衛として正しい選択だった。


 引き返して来たリスキンドは珍しく顔を顰めている。


「あの、大丈夫ですか?」


 尋ねると、一層顔の険しさが増した。


「うーん……大丈夫ではないけれど」


「え?」


「放っておこう。どうしようもない」


「何があったのですか?」


 リスキンドはなんともいえぬ複雑な表情を浮かべてこちらを見つめてくる。


 彼がこのように煮え切らない態度を取るのは珍しいことだった。悪い知らせを告げる時でさえ、彼は大抵の場面で躊躇わない人だからだ。


 聡い彼は先のことが色々と予想できてしまうので、祐奈に伝えてしまうことで、厄介なことになりそうだと考えているのかもしれなかった。


「怪我人が出ている。――馬鹿が、油断したな」


「どうして……」


「敵が近くにいるのに気を抜いたんだろう。優勢になったからってありえないよ。戦場にいるのにさ。まるで素人だ」


 祐奈とリスキンドのいる位置は、アリス隊の馬車溜まりからは少し離れている。 ここは見晴らしも良い場所であるし、戦況があらかた片づいたので、少しリラックスしても問題はなかった。


 しかしアリス隊の騎士たちは違う。


 まさに戦場で敵と向かい合っているのだから、完全に鎮圧するまで一切気を抜いてはいけなかった。まだ近くに敵がいるのに、勝った気になってダラけるのは怪我の元である。


 しかしそうはいっても、大人があれだけ泣き喚いているのを聞いてしまうと、祐奈としては気になってしまうのだ。


 なんせ自分は回復魔法が使えるのだから。


「あ、今、祐奈っちが何考えているか分かったよ。でもやめときな、と言っておく」


「なぜですか?」


「あのねぇ。あいつらは君を化けもの呼ばわりしていじめた、ロクでもないやつらだよ。図体ばかりでかいくせに、女の子いびって喜ぶってなんなの。クソ馬鹿野郎じゃん。そんなやつがどんなひどい目に遭ったって、同情の余地なんかない」


「でも、私に悪意を向けた人とは別の人かも」


「いいや、そうじゃ――」


 リスキンドは何かを言いかけて慌てて口を閉ざした。彼は誰が怪我をしたか知っているのだ。


 それはそうか。


 遠目とはいえ、彼は状況を確認するため、渦中の様子を見てきたのだから。目敏い彼にかかれば、短時間であっても色々把握できてしまうのは当然の話だった。


 祐奈は口を開きかけ――言葉が出てこなかった。


 知りたくない、と思った。誰が怪我をしたのかなんて。そう思うのに、でも……


「私……回復魔法を使えます」


「だよね。だから?」


「だから、だって……このまま見捨てたら、後味が悪いですよ」


「助けても後味が悪くなるよ。絶対に」


 あんまりな言い草に、祐奈の眉尻が下がった。ヴェールで表情は窺えないはずなのに、リスキンドは巧みにそれを悟ったようだ。


「やめときなって」


「う……」


「そもそもやつらはアリス隊じゃん。あの馬車の多さ、隊員の数を見た? アリスはこんなにも手厚く護られているんだよ。その意味分かっている?」


「分かっていますよ。私だって馬鹿じゃないんですから」


「馬鹿だよ、祐奈っちは」


 リスキンドが苛々した調子で文句を言ってくる。


 祐奈も若干苛っとした。


 ば、馬鹿って……まぁそう言われると、馬鹿かもしれないですけど……!


「怪我したやつはアリス隊の騎士なんだから、お優しいアリス様が助ければいいじゃん。素晴らしい聖女様なんでしょ。評判どおりのことをやれよ」


「ですが、ここにいないですし」


「そうだよ、なんでいないの? 下っ端に戦わせてさぁ。見に来るくらいしろっての。神様気取りかよ」


「リスキンドさん……」


「戦いに協力したのは結局、祐奈っちじゃん。なんなのアリス。ほんとウザいわぁ」


 驚いたことに彼は、祐奈のために怒っているのだ。


 リスキンドは皮肉屋ではあるが、熱くならない人なので、たぶん自分自身のことなら、たとえひどい目に遭ったとしても、こんなふうにストレートに腹を立てたりはしないはずだ。


 いつものように斜に構えて肩の力を抜きながら、半笑いで「ありえねー」とか言うくらいで。


 ところがこの冷めた皮肉屋が、祐奈のために怒っている……それでなんだか胸が熱くなって。


 やばい、ちょっと泣きそうだよ……。意外といいやつだなぁ。なんなんだ……。


 それでおかしな話であるのだが、リスキンドが怒ってくれたおかげで、祐奈の心が決まった。


 少し前に自分が言った台詞――回復魔法が使えるからとかは、たぶん建前――ただの綺麗事で。自分でも心のどこかで『どうして私が治してあげないといけないの?』と思っている。


 助けたってどうせ、「ブスが媚びを売ってきた、助けた男と寝たいからだ」とか言われるに決まっているし、だったら何もしないほうがマシじゃない? って。


 でも――今祐奈がどんな決断を下しても、リスキンドは絶対に味方をしてくれるし、最後にはきっと「仕方ないなぁ」と言ってくれるんだろう。


 ラング准将もそうだ。カルメリータだってそう。


 ちゃんと分かってくれる人がいる。ツイてないことがあっても「ツイてなかったね。でも頑張ったね」と言ってくれる人がいる。だから――


「私やっぱり、行きます」


「ああ、もう……」


 リスキンドが額を抑えて呻いた。……半ば分かっていたけれどね、という諦めを滲ませながら。


「ごめんなさい。今日しなかったことを、あとで悔やむのが嫌で」


「こんなクソみたいな事故、綺麗さっぱり忘れちまえばいいんだよ。嫌なやつのために悩む必要なんかない」


「嫌なやつ相手だからこそ、やることをやって、さっさと忘れたいです」


「あーあ。分かったよ。でもラング准将にバレたら、俺はちゃんと止めたって言ってよね」


「了解です」


 リスキンドはラング准将のお叱りなど絶対に恐れていないし、ラング准将だってあとでこのことを叱ったりはしないだろう。


 でも祐奈はちょっと笑ってしまった。


 リスキンドがこんなどうしようもない悪態をつきたくなるほど、本当に腹に据えかねているんだなぁとしみじみ感じたので。


 仲間が先にアリス隊に対して怒ってくれると、祐奈自身はそんなに怒らなくて済む。――そんなに言わなくてもいいでしょ、てなるから。


 祐奈がアリスをひがみ出したら本当に惨めだろうから、仲間がその役を代わってくれてありがたかった。


「――じゃあ行こうか」


 リスキンドが渋々といったていで、騒動の渦中に連れて行ってくれた。

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