第48話 勝利の女神
ラング准将はミセス・ロジャースにしばらく隠れているよう指示を与え、急ぎ騒動の渦中に向かった。
南北に走る通りの西側は、長閑な田園風景が広がっていた。農地の奥のほうは常緑樹が生い茂っている。敷地はなだらかに下っており、通りからは木々の頭が見えるくらいで、向こう側がどうなっているのか見通すことができない。
多数の馬車や馬が我がもの顔で畑を踏み荒らし、そこここにだらしなく居座っていた。配置も何も考えておらず、ポツンポツンと乱雑に捨て置かれているかのような有様だ。その合間に宿泊のためのキャンプが張られ、秩序もへったくれもない。緊急時に初動が遅れる要素がてんこ盛りだった。
そして夫人の懸念は当たっていた。
西側の森の奥から賊の群れがわらわらと湧き出てきて、騎士隊の不意を突いて一気に襲撃を仕かけてきたのだ。
すっかり緊張感を欠いてダレて散開していたところを、側面から叩かれている。
最悪の状況だった。
これを立て直せるくらいに気概のある部隊ならばよいのだが、元々が烏合の衆であり、ラング准将の指揮下でなんとか形ばかり纏まっていただけなので、非常事下においては実力不足がはっきりと露呈してしまう。
おそらくハッチは自分におべっかを使ってくる太鼓持ちばかりを側近に引き立てていたのだろう。現にミセス・ロジャースの家にいた三名はラング准将が重用していなかった者たちだった。
使える人間を下げたので、その者らはやる気を失くしており、このおかしな状況でも物申さずにいたに違いない。組織自体が腐ってしまっているのだろう。
……まぁ意見したところで聞く耳を持たない上官であれば、早々に諦めてしまったとて、彼らを責めることはできない。疎まれてクビになるよりは、だめな指揮官に形ばかり従ってそれなりにやっていれば、日銭は稼げる。
ラング准将は西に向けて走りながら素早く状況を見て取っていた。
――こちらの隊は総勢四十五名強。
今戦闘に参加しているのが二十名ほど。かなり横長に広がっており、とにかく士気が低い。ただ眺めてオドオドしている者が十と少し。残りはどこかへ雲隠れしている。――もしかすると馬車の下にでも潜り込んでいるのか? まったくどうしようもない。
対し、敵の数は二十弱。
傭兵崩れか。剣筋が甘いが、それを言い出したら、こちらの構成員も似たり寄ったりである。戦い慣れている分、向こうが有利だろう。
数では勝っているはずだが、勢いがまるで違う。こちらの負けムードは色濃い。
もう少ししたら馬で我先に逃走を図る連中も出てくるに違いない。とにかく早期に決着をつけねばならなかった。
――正直なところ、リスキンドと自分ならそう時間をかけずに制圧できるだろう。
しかしリスキンドには祐奈の護衛をしてもらわなければならない。それは絶対条件なので、ここはラング准将とこの愉快な仲間たちでなんとかしなければならなかった。
しかし敵が多方向に散っているのが厄介だ。全員がラング准将のほうに向かって来てくれれば、ことは簡単なのだが。
怒号、剣戟の音がそこここで響いている。
小競り合いはチマチマと展開されていて、戦況は芳しくない。あちらは威勢が良く乗りに乗っている。対しこちらは腰が引けて、悲鳴めいた叫びがそこここで上がっていた。
十時の方角で爆発音と火の手が上がった。――爆薬か。
轟音と爆発の威力は、実被害以上のダメージを隊に与えた。皆竦み上っている。
ラング准将が前線に出る前に、こちらに走り寄ってくる影がふたつ――マクリーンとスタイガーか。これはいい。
「マクリーン、演習のBパターンを覚えているか」
「はい」
「右手深くから回り込め。緊張するな。演習どおりで問題ない」
「承知しました」
「スタイガー、お前は部下を幾人か連れて私と来い。最前線だ」
「光栄です」
マクリーンとスタイガーは馴染みの隊員に声をかけて、ラング准将の指示どおりに隊を展開させた。
一応形は整った。ほかのメンツは遊んでいても問題ない……が。
給料をもらっているのだから楽ばかりされるのも困りものだった。
ラング准将は足を止め背筋を伸ばした。戦場を見渡し、厳しい声で号令をかける。
「――エドワード・ラング准将がこれより指揮を取る! マクリーンとスタイガーが副将だ、彼らの指示を仰げ! 全員シャキッとしろ!」
何名かの気骨のある隊員が号令に答えて叫びを上げた。いくらか士気を盛り返したようで、それに続く者がいる。
しかしこれ以上は望めまい。ラング准将は綱渡りを強いられていた。この微妙な緊張感はいつ切れてもおかしくなかった。
逃げようとする人間が出始めれば、その混乱でこちらの陣はどんどん崩れていく。
最終的に負ける気はしないのだが、被害は甚大になるだろう。アリス隊にダメージを残せば、ラング准将も巻き添えを食う可能性があった。
上層部は祐奈をサブ扱いしており、いざとなったら切り捨てる目論見であるので、最悪祐奈は護衛なし、ラング准将とリスキンドもアリス隊に吸収されてしまう恐れもある。
もどかしさに焦りを覚えた。
ラング准将が戦場でここまで追い詰められることは滅多にない。しかも戦敗そのものではなく、戦いのあとに待っているであろう、下らない政治的な駆け引きの結果を恐れている。
とにかく時間が勝負だった。あとひとつでも何か悪い要素が加われば、決壊する。
ラング准将はひとり目の賊とすれ違いざま、目にも止まらぬ速さで剣を横に薙いだ。
血飛沫が辺りに散る。全身から漏れ出る殺気に、周囲から音が消えたかのようだった。
ラング准将の欠点は強すぎることだ。――彼を中心に、人の輪が外へ外へと大きく広がり始めていた。
* * *
時は少しばかり遡り――
外から怒声が響いてきたため、馬車内で待機していたリスキンドが腰を上げた。
「祐奈ちゃん、ここにいてくれる? 俺は外に出て状況を確認するけれど、馬車の前からは絶対に離れないから安心してくれ」
「はい」
祐奈が短く返事をすると、リスキンドは外に飛び出していった。
カルメリータが祐奈の手を取り、祈るように握り締めてくれる。
番犬役のルークは勇ましい顔で『俺が外に出て、やってやってもいいんだけどな』感を醸し出したあと、ちょこんと床にお座りした。
一瞬開いた扉の向こう――西側に広がる農地に、いくつもの動く人影を認めることができた。しかしリスキンドが外から扉を閉めてしまったので、すぐに何も見えなくなった。
暴動だろうか……一体何が起きているのだろう?
怒号に悲鳴じみた叫び。金属同士がぶつかる音。馬車を襲撃しているのか、板を蹴るような鈍い音。
そのうちに爆発音が響いた。
カルメリータが悲鳴を上げて抱き着いてくる。
爆薬? 大砲? よく分からないけれど、怖い――
ラング准将は外にいるのだ。彼のことだから前線にいるのかも。
今の爆発で怪我をしていないだろうか? ラング准将が強いのは知っている。けれど彼だって人間だ。無敵なわけじゃない。
祐奈は呼吸を整えた。そして腹を括った。
「――カルメリータさん」
「祐奈様」
「私、外に出ます」
「いけません!」
「攻撃魔法が使えます。出ます」
祐奈は一歩も退かなかった。カルメリータが怯えた視線を向けてきたが、やがてごくりと唾を飲み込んだ。
「それならば私も」
「いえ。リスキンドさんが護ってくれるので、外に出るのは私ひとりのほうがいい」
「……分かりました」
カルメリータもそのとおりだと思ったのだろう。流石のリスキンドも女性ふたりを屋外でかばっていては、実力の半分も出せない。
祐奈は扉を開けて外に飛び出した。
リスキンドは馬車前で戦況を分析していた。――ジリジリしながら北西の方角を眺めている。一番近い賊でもここから数十メートルほど離れているので、まだこの付近は安全地帯だが、問題は前線。
祐奈は彼の視線を辿り、戦場の様子を見て唖然とした。
敵の数が思っていたより多い。ざっと見ただけでも十から二十名はいる。いや、でも――正確なところはどうだろう。死角も多く、すべてを見て取ることはできなかった。
ひとつ確かなのは、敵味方共にかなり広範囲に散らばっていること。これはあまり良くない状況に思えた。
ラング准将は手練れであるが、ここまで戦場が横に間伸びして広がっていると、ひとりだけ強い人間がいてもあまり意味がないだろう。末端の隊員が効率良く働きを見せる必要がある。
しかしアリス隊の騎士は戦闘に不慣れなのか、腰を抜かしているらしき者もチラホラ見られた。
リスキンドが厳しい顔つきでこちらを振り返る。
「出てきちゃだめだ、馬車の中に戻って!」
「いえ、私、手伝います。攻撃魔法を使えますので」
「だけど」
「お願いです。ラング准将が心配なので」
馬鹿げた発言だった。弱い祐奈が百戦錬磨のラング准将を気遣っている。
しかしリスキンドは撥ね退けなかった。こうなった時の祐奈の強情さを知っているからだ。
「――ここから遠隔で攻撃できる?」
「やったことはないのですが……たぶん。距離は問題ないと思います。でも高い所から見たい」
頭の回転が速いリスキンドはさっと視線を走らせ、背後の馬車を見遣った。
「ちょっと待ってて」
リスキンドは身軽に御者台に飛び上がり、壁面の取っかかりに足をかけて、屋根の上にヒラリと飛び乗った。
ちなみに御者席が空なのは、リスキンドが御者に声をかけて、後方の荷馬車の中に隠れているよう命じたためだ。
屋根上から手のひらを差し出してくれたので、祐奈も彼の真似をして、一度御者台に上がってから、リスキンドの手を握って上に引き上げてもらった。
きっと中にいるカルメリータとルークは、頭上でドタバタと足音がして、目を白黒させていることだろう。
――視界が一気に開ける。
風が強く吹いていた。先ほどの爆発により起きた煙が、東へ向かって流れて行く。
人がごちゃごちゃと交差していた。
上部から見おろすと、なんだか戦闘そのものがのったりして見えた。それは素人に近い人間が戦っているせいかもしれなかった。
ふと戦場の一角だけ異様な気配を放っていることに気づいた。首筋に剣先を突きつけられたような、ぞくりとした感覚。
――ラング准将だ。
はっきりとは聞き取れないが、彼が号令をかけて、部下を鼓舞しているようだ。
彼の周りだけ空気が違う。まるで台風の中心みたいだった。静かに見えるのに、刹那的で凄まじいエネルギーを秘めている。
「速い……」
斬り込むスピードがほかとまるで違う。彼だけ別の次元で生きているかのようだった。
しかし最前線だ。
祐奈はぞっとした。
爆発物のたぐいを敵がまだ持っていたら? きっと一番強い彼が狙われる。
早く――早く決着をつけなくては。
焦っているあいだに森の奥からさらに賊が湧き出して来た。
リスキンドが思わず歯噛みする。
「うわぁ、まずいな――現状で敵が二十。さらにあれで十弱追加。味方が逃げ始めると、一気に劣勢になるぞ。ラング准将であってもどうしようもない」
祐奈はほとんど無意識のまま右手を高く上げていた。
風が吹き抜けていく。
戦場を眺めおろしていると、時間の感覚が曖昧になった。トランス状態に近い。
天空と地と、それを繋ぐ真っ直ぐなライン。
キーワードを口にすれば――扉が開く。
『――雷撃――』
ふわりとした粒子のような光が祐奈の全身を包み込んだ。
それが収束する、指先へ――
そして空間を飛んで、外へ――
新たに雪崩れ込んできた十名弱――その先頭にいた三名が、頭上にて異変を感じた。
パチ、と何かが弾ける音。抗う術もなかった。
とてつもない衝撃が上から下へ、全身を走り抜けた。閃光と痛み。
三名が白目を剥いて、膝から崩れ落ちた。
* * *
ラング准将は新たな賊が乱入してきたのを見て、小さく舌打ちを漏らしていた。
数が拮抗してきた。そして向こうは剣筋こそ荒いものの、戦い慣れしている。
広い――うんざりするほどフィールドが広かった。ここまで戦場が横に広がってしまっていると、ラング准将ひとりではどうにも収拾のつけようがない。
しかし泣き言を口にしている暇はなかった。戦場では一瞬の空白が命取りだ。できることをひとつずつ処理していくしかない。
剣を握り直したその刹那――天空から裁きの雷が降りてきた。
ラング准将は祐奈を残して来た方角を反射的に振り返った。
馬車の上――
華奢なシルエット。黒いヴェール。傍らにはリスキンドが控えている。
彼女は真っ直ぐに右手を上げていた。
ラング准将の口角が微かに上がった。
「――勝利の女神だ」
敵は不意を突かれ浮足立っている。
ラング准将の体が前傾に深く沈み――誰も追うことのできない速さで、まるで死神のように密やかに、敵陣の真っ只中へと斬り込んで行った。
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