第47話 VSキング・サンダース


「――財布を出せ」


 話は済んだので、話題を変える。ラング准将がそう促すと、ハッチは目を丸くして固まった。


「は……え?」


 その間抜けヅラは見飽きた。ラング准将は冷ややかな表情を浮かべたまま手を差し出す。


「近隣の補償に充てる。すべて出すんだ。お前のポケットマネーからな」


 ハッチは強盗に遭った小市民のように、従順に財布を取り出した。そして自分で金額を決めようとしたら、ラング准将に財布ごと取られてしまった。


 ずばっとすべての札を抜かれ、空になった入れものだけ投げ返される。


「お前たちもだ」


 壁際に下がっていた側近たちは慌てて財布を取り出し、中からすべての札を抜いてラング准将に差し出した。彼らはいくらかハッチよりも利口であり、金を惜しんでラング准将に殺されるのは絶対に御免だと考えていた。


 ラング准将は大金をまきあげたあと、内ポケットにそれを納め、チラリと窓のほうに視線を走らせた。


 微かに片眉を上げた彼は、すぐに何食わぬ顔で視線をハッチの元に戻した。


「私は少し席を外すから、速やかに退去の手筈を整えろ。汚した部分は綺麗に掃除するのを忘れるな。――のんびりしている時間はないから、全員床に這いつくばって、こまねずみのように働け」


 号令により皆が動き出そうとした時、キング・サンダースの巨体が動いた。


 ――来たか、とラング准将は思った。


 元々、王都にいた時からこの男は深い怒りを抱えていた。しかし一応は立場をわきまえて、ラング准将に対しても従順に振舞ってはいたのだ。それは旅の前に問題を起こしでもして、隊から弾かれては困ると考えていたのかもしれない。


 しかしこうしてラング准将がアリス隊から外れてしまえば、彼の中ではもはやおそるるに足らずといった心境なのだろう。なんならここで力の差を分からせてやるくらいの心積もりでいるらしいのが、サンダースの不遜な顔を見て分かった。


 床を大足で踏みしめるようにして、ラング准将の真ん前に立つ。


 頭ひとつ以上高い。そして横幅は二倍近いボリュームの差があるかもしれなかった。


 キング・サンダースは絶対的な自信を持って、傲慢にもラング准将を見おろした。


「勝手を言わないでいただきたい。アリス様はすぐに発てる状態にない」


「すぐにここを出る。これは命令だ」


「私が聞かなければならない理由はないと思うが。とにかくアリス様に無礼な物言いだ」


「ならば彼女には私が直接話す。そこをどけ」


「断る」


 サンダースがラング准将の肩を掴んだ。力を込め、跪かせようとする。


 ラング准将は顔色ひとつ変えず、片手で彼の腕を掴んだ。丸太のように太いサンダースの腕の骨がミシ、と軋む音がした。


 そこからの動きはあまりに速く、部屋にいた全員が目を凝らしていたにも関わらず、何が起きたのか正確には把握することができなかった。


 ラング准将の体が微かに沈んだと思った瞬間――サンダースは膝裏を小気味よく蹴られ、叩きつけるような勢いで床に膝を突かされていた。膝の皿が割れるような凄まじい勢いだった。


 ラング准将はサンダースの背後を取り、手のひら全体で首を押さえ込む。急所を完全に掌握していた。サンダースを生かすも殺すも彼次第だった。


 ラング准将の顔は半分影になり、表情はよく窺えない。


 しかし全身から放たれる圧はあまりに禍々しく、室内にいた全員が知らず鳥肌を立たせていた。


 サンダースは抗おうと身を捻る素振りを見せたが、少しも動くことができなかった。まるで大岩に肩、首、頭、手、足、すべてを抑え込まれてしまったかのようだった。


 実際のところは、サンダースが身体を動かそうとするたび、少しの体重移動でラング准将がそれを制していた。それにより何ひとつ動かせていないように見えたし、当のサンダースですらそう感じてしまったのだった。


 サンダースのこめかみを脂汗が伝って落ちるのを眺めおろしながら、ラング准将が静かに告げる。


「すぐにここを発つ。私の言葉が理解できたか」


「……う……」


「返事をしろ、サンダース。私はこう見えて、気が長いほうではない」


 普段怒らない彼がそう言うと、別の意味で恐ろしさがあった。


 これまでは好き勝手に怒りを発散し、虎のように暴れていたサンダースは、猫の子のように肩を震わせた。


「……分かり、ました……」


「私がアリスに直接話す必要はないな?」


「あり、ません……」


「五分で支度させろ。くれぐれもお行儀良く、部屋は片づけて出るように」


「承知しました」


 ――アリスは扉を薄く開き、居間で繰り広げられている異様な光景を眺めていた。


 押さえつけられているサンダースを見つめ、ほぅ、と熱い息を吐く。


 それからすぐに視線を移して、ラング准将の端正な横顔を食い入るように見つめる。扉を押さえる指に力が入り、息遣いが不埒に乱れた。


 ラング准将は俗世のしがらみなどまるで興味ないとばかりに、サンダースの首根っこを押さえていた腕をゆっくりと離した。


 そうして瞳に酷薄な色を浮かべ、振り返ることなく部屋を出ていった。




   * * *




 玄関から外へ出る。


 北壁のほうへぐるりと回り込むと、ミセス・ロジャースが簡素なドレスの裾をからげ、赤面しながら壁から離れたところだった。


 ラング准将は彼女が窓の下で盗み聞きしていることは承知していたので、その仕草には特に驚きを見せなかった。そして大人の気遣いとして、何も指摘しないでおいた。


 ちらりと横目で確認すると、窓が微かに開いている。


 こちらの会話を向こうに聞かれるのは上手くないので、優雅な仕草で静かに両開き窓を閉めた。家の中にいる馬鹿どもが、ロジャース家に変な逆恨みをしても困るからだ。


 ミセス・ロジャースは覗き行為がバレていたと悟り、さらに顔を赤くして俯いてしまった。


「ミセス・ロジャース、お待たせして申し訳ありません。――こちらへ」


 彼女を促して敷地の北奥へ向かう。木陰に立ち、彼女と向き合った。


「まずこれを」


 内ポケットから現金を取り出し、差し出す。ミセス・ロジャースはあまりの額の多さに手を震わせながら受け取った。


「あの、こんなに……たくさん」


「不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。近隣の皆様にもよろしくお伝えください」


「私……なんと言ったらいいか……」


「すぐに隊はこちらを発つ予定です。しかし」ラング准将は考えを巡らせる。「ここからほど近い山間部に、盗賊がいついているとか」


「ええそうなんです。私どもは、いつ襲われるか気が気ではなく」


「これまでご無事だったのが奇跡のようですね」


 あなたはこれまでよく襲われませんでしたねと言うのは心苦しくもあったが、ラング准将としてはその点を確認しておかなければならなかった。


 この状況はあまりに不可解であったからだ。


「盗賊団は近隣都市キャデルの目を警戒しているのだと思います」


 なるほど……ハッチが喧嘩別れした通過地点キャデル。この辺りはまだキャデルの管轄なので、盗賊団も下手に荒らして、反撃を受けるのを警戒していたのだろう。


「キャデルの総督はなぜこの状況を放置していたのでしょう?」


「山間部セイルはまた管轄が変わり、北向こうの都市『レップ』が治めているのだそうです。当方の家があるこの一帯はキャデルの管轄なので、総督としては、付近の安全のために討伐も検討していたようですが、よその管轄にまで勝手に手を出すのは……ということらしくて」


「それでもキャデルの総督はやりそうですけれどね」


 対し、レップの反応は冷ややかだろう。


 自身に火の粉がかかるようならなんとかするだろうが、裏手の山間部が荒れていようが、自身には影響なしとみなしている。配置的には確かにセイル地方が荒れて迷惑するのは、レップよりもキャデルのほうであろうから。


 ラング准将は面倒事の気配に頭を痛めた。


「アリス隊のせいか」


「え?」


「タイミングが悪かったですね。聖女の移動があるので、キャデルは兵を動かせなかった。それにより盗賊が山間部に居着いてしまった。――聖女隊を指揮するハッチはキャデルの総督を怒らせたので、キャデルは意地でもハッチを助けようとしない。現に静観の構えを取っています」


「私どもはどうしたら……」


「これから私がハッチの隊を代理で指揮します。右回りの平地のルートを突っ切るつもりです。止まっている時間的余裕はないので、山間部を根城にしている盗賊は討伐されないまま残されることになります」


「そんな……」


「私たちが通過すれば、キャデルの総督はきっと討伐に動くはずですが……しかし心配ではあるので、私のほうで彼に宛てて手紙を書いておきます。おそらく私の頼みならば聞いてくれるはずです。すぐに討伐隊がやって来るでしょう。手紙の投函を頼めますか?」


「ええ、もちろん。お手紙を書いていただけるだけでも、助かります」


「ただひとつ気になるのが……」


 少しもどかしく感じながら、正直に状況を説明した。


「アリス隊がここに三日ほど滞在したことなのです。彼らの所持する金のかかった馬車や装具を見て、盗賊団が欲を出していないといいのですが」


「襲って来るということですか?」


「滞在中、アリス隊はかなりだらしないさまを見せていますので、不安ではあります。盗賊はキャデルを警戒しているようですが、それは長期でここを根城にする場合でしょう。もしもすぐに引き払うつもりなら、あと先考えずに攻めてくるかもしれません。特にこれだけ金がありそうな太った鴨がいると、一か八かの急ぎ仕事に乗り気になっても不思議はない。ハッチの隊は今かなりだらけ切っているので、不意を突かれればかなり危険だ」


「あの……実は、山間部からこっそり下りて来られる裏道があるのです。それだと、この地区の西側から接近できます」


「横腹を突かれる形ですね。その道は地図にはなかったはず」


「地元の人間しか知りません。けれど盗賊団の連中は、こんな辺鄙な場所に居着いたくらいですから、土地勘のある人間を誰か引き込んでいるのかも」


 状況は非常に緊迫しているように思える。ハッチの間抜けのせいでとんだことになった。


 このまますぐに発って、もぬけの殻になったこの地方を盗賊団が襲ったら?


 上がりが見込めないとなって、腹が立っている彼らは何をするか分からない。しかしここの住民のために、あえて危険な山間部を移動することもできもない。


 ハッチを本格的に殺したくなってきた。


 さてどうするか――


 我々は先を急いでいる。なんといっても国の一大事である。


 しかし襲われると分かっているこの地域を、無情にもほったらかして発ってしまうのは人道に反する。


 消去法でいけば、ラング准将がキャデルの総督に頭を下げて部隊を派遣してもらい、そちらが着き次第ここを発つという方法しか選択肢はなさそう。


 危険区域で敵を迎えねばならぬこの状況――祐奈も危ないし、できれば避けたいところだが――


 しかしやはりミセス・ロジャースの不安に曇った顔を見ると、見捨ててはおけない。


 ラング准将が口を開こうとした、その時。


 通りを挟んだ向こう側――西の方角から叫び声が上がった。

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