第46話 性質が悪い


 少したってやっとハッチの呼吸が落ち着いたようなので、ラング准将が立たせようとしたのだが、情けないことに相手は腰を抜かしていてクラゲのようにデロリとダレたままだった。


 ラング准将がため息を吐き、床に膝を突く。


 ――ハッチは媚びるように、ラング准将の美しいアンバーの瞳を見上げた。


 するとその瞬間、思い切り頬を張られた。


 ハッチは自分の頭が胴体から千切れてしまったのではないかと錯覚するほどの衝撃を受けた。


 ハッチは打ちのめされ、言葉もなかった。


 この家の主人を追い出す時、背中を蹴り倒し、泣き喚く子供は外に放り投げた。貧乏人が生意気にも断ろうとしたので、制裁を加える意味もあった。


 ハッチは今、自身が彼らと同じ目に遭っていると感じた。


 ――こんなのは理不尽だ。これは弱い者いじめにほかならないと、ラング准将を心から恨んだ。


 ロジャース家の面々に対して申し訳ないことをしたとは今でも思っていない。しかしラング准将が彼らのために怒っているとするならば、ロジャース家の面々が味わったのと同じ目にハッチを遭わせているわけだから、彼は頭がおかしいと思った。


「多くの馬車や馬で近隣の農地を踏み荒らしているが、許可は取ったのか」


「……い、いいえ」


「迷惑行為であるという自覚がないのか?」


「そんな、だって……」


 我々は国のために尽くしている。聖女を護送するという栄誉ある任務に就いているのだ。迷惑行為だなんてありえない。むしろ下々の人間が協力を拒むのならば、それこそが迷惑行為である。聖女護送は何よりも優先せねばならないことなのだ。


 農地を数日借りたくらいのつまらないことで、なぜここまで責められなければならない? 別にやつらから取り上げるわけではないのだ。大体、こんな辺鄙なところにあるクソみたいな土地なんか欲しくもない。こちらから願い下げである。


 それにそう――このあばら家だって、ハッチからすればクソ以外の何ものでもなかった。どうして自分がこんなみっともない貧乏家屋に、数日とはいえ寝泊まりせねばならないのか。


 田舎者に道理を説いてみても仕方ないから勘弁してやったが、この家の持ち主には「まともな住居も用意できないのか」と説教してやりたいくらいだった。――聖女様をお泊めするのだぞ、恥を知れ、と。こんなボロ家しか提供できなくてお恥ずかしい、死にたいくらいです、すみませんと言ったらどうなんだ。


 食べ物もろくにないのです、どうか罰してくださいと頭を下げろ。あの中年のばあさんが「給仕をしましょうか」と申し出なかったことにも、今さらながらに腹が立っていた。


 実際はハッチが問答無用で追い出したわけだが、そんなのは関係ない。ロジャース家の面々がもっと気が利いたならば、へりくだってそういった申し出をしたはずである。


 自分は悪くないという気持ちが湧き上がってきた。


 それは賊に脅かされて数日足止めを食っている現状への苛立ちが転嫁されたものだったかもしれない。とにかくこんなのは理不尽だとハッチは思った。


 ハッチはやけっぱちになり、ラング准将を睨みつけた。


 しかし威勢の良さは目が合うまでで、狼のような冷徹な瞳に見据えられ、すぐにしゅんとして俯いてしまう。一瞬前までの悪態はしぼむようにどこかへ消え失せた。


 どうしていけないのかは分からないが、ラング准将がいけないと考えている――そのルールだけは理解できた。


「旅がすべて終わったあとに、この件は聴聞会にかける。曖昧には済まさないぞ。覚悟しておけ」


「なぜですか、なぜそこまで」


「お前がしたことはただの強盗だ。薄汚い犯罪者」


「そんな……私は任務で……」


「立派な隊服を着て、国家の一大事を騙って、なおさら性質が悪い。相手が普通の強盗だったならば、ロジャース家の方々も、遠慮なくお前を殺すことができただろうからな」


 ラング准将は余罪を疑っていた。ここへ辿り着くまでにどれだけの無体を働いてきたのだろうか。


 本来ならば取っ捕まえて牢屋にぶち込んでやりたいところだが、指揮官を交代している時間的余裕はない。そもそも簡単に替えの人材が見つかるようなら、ハッチがこの任に就いてはいないのだ。


 この状況の中、聖女は一刻も早くウトナにお連れしなければならない。ハッチには責任を持って仕切ってもらわなければ困る。


 しかし同じことを繰り返さぬよう、下手なことをしたらラング准将に殺されるという恐怖を、しっかりハッチに植えつけておく必要があった。言い聞かせて分からない馬鹿なのだから、痛みで教え込むしか方法がない。


 ここ最近善良な人間ばかりと接していたので、ラング准将自身も少々平和ボケしていたのかもしれなかった。現状、とても気分が悪く、抑制を失いつつある。


 思考がどうしようもなく暴力的な方向に流れて行くのを、止める術がなかった。そして止めてはいけないのだろう。


 ラング准将の中に躊躇いを見つければ、こういう輩はずる賢くそれに気づく。道徳観念に欠けた連中を抑え込むには、絶対的な力を見せつけなければならなかった。


 一緒に旅をするのであれば近くで目を光らせることも可能なので、ここまでしなくてもよかった。しかし聖女がふたり現れたことで事情が変わった。アリス隊とはレップを出たあとでふたたび袂を分かつので、それまでに骨の髄まで分からせておかねば。


「――立て、ハッチ」


 促すが、背骨が抜けてしまったかのようにグニャリとしていて立てない。ラング准将は冷たい目で蹲った小男を見おろした。


「椅子を持って来い」


 壁際で気配を消していた部下連中に命じると、一脚、ラング准将が腰かけるようにと、そばに置いて離れていった。


「この男の分もだ。支えて座らせろ」


 命じ、自身は立ち上がり、腕組みをした姿勢で睥睨する。


 三名の部下は顔色も悪く、そそくさともう一脚準備して、ハッチを抱えるようにしてそこへ腰かけさせた。ハッチは糸の切れたマリオネットのように首をクタリと項垂れて、虚ろな目をしていた。


 ……どうしたらしゃんとするんだ。


 ラング准将は呆れ果てたが、緩んだ気配を見せるとつけ上がるのは分かっていたので、側近どもに冷ややかに告げる。


「どうにかしてこいつを正気に戻せ。水でも飲ませて」


「承知いたしました」


「長くは待てない」


 ラング准将の言葉に圧を感じて、三名の部下は焦った。


 グラスに水を注ぎハッチの口元へ運び、首から上を盆で扇(あお)いでやり、胸元をくつろげ、声をかけてなんとか正気に戻そうとする。そのさまはまるで、貧血を起こした王妃殿下の世話を甲斐甲斐しく焼く侍女のようだった。


 彼らは必死だった。ハッチがしゃんとしないと自分たちもラング准将に殺されると恐れていた。


 ラング准将はその馬鹿げた騒動を後目に、傍らにあった椅子の背を持ち、ハッチからそう離れていない場所に据え直す。そうして腰を下ろし、膝に肘をつくようにして前傾姿勢になった。


 奥の扉が開き、屈強な大男が出てきたのが視界の端に映った。


 ――キング・サンダース。


 扉を背にして佇み、きつい目つきでこちらを睨みつけている。


 ……番犬気取りか。ラング准将の口角がそうと気づかれないほど微かに持ち上がった。それは笑みというには冷たく残酷な表情。


 いいだろう。お望みとあらば白黒つけてやる。ただしお前はあと回しだ。


 戦場に多く出ている者ならば、ラング准将のこの顔を見たら、決して傍には近づかない。リスキンドなら血の気が引いて身を隠しているところだ。


 しかしここの連中はラング准将に恐れを抱いているふしはあったが、まだ認識が甘かった。今自分がどれだけ危険な状況にあるかを、まるで分かっていない。


 もしも正しく悟れていたならば、外のつまらない盗賊風情に怯えたりはしなかっただろう。ラング准将を敵に回すよりも、外敵を相手にしていたほうがまだマシであるからだ。


 いくらかハッチがまともになったのを眺め、ラング准将が声をかける。


「――さて、そろそろ話を聞こうか」




   * * *




「直近の都市キャデルを発ったのが三日前のことです。キャデルにて我々は『近頃セイル地方を荒らしている盗賊団がいる』との噂を耳にしました。盗賊団は規模も大きく、腕が立ち、とても残虐であると……」


 セイルはこの先の山間部及び平地のエリアを指す。


 ラング准将は聞いていて呆れ果ててしまった。


「それでお前は何を恐れているんだ」


「我々は聖女様をお運びするのが任務です! 盗賊の駆除は本来、キャデルですべき仕事だと思いました。どうせ暇なのだから、そのくらいすべきだ!」


 暇なのだから、か……問題はそういう物言いだろうとラング准将は思う。


「しかしお前の率いる隊は、地方組織とは比ぶべくもない大所帯だぞ。キャデル側からすれば、それだけご立派な編制ならば、通り抜けるついでに片づけて行ってくれと考えるのでは?」


「そ、そうなのです。恥知らずにもキャデルを統括している代表がそう言い放ち――」


「そのとおりだろう。お前の隊の規模で抑え込めないなら、誰であっても不可能だ」


「しかしやみくもに突っ込むのは大変危険でありますし」


「危険だからと隠れていたら、状況が好転するのか?」


「ですからラング准将を待っておりました」


「――おい、冗談だろう。私とリスキンド、たった二名の騎士で盗賊団をなんとかしろと?」


「我々よりもラング准将のほうが明らかに適任であり――」


「……盗賊がやる前に、いっそひと思いにお前の息の根を止めてやろうか」


 ラング准将の空気がふたたびピリつき始めた。


 ハッチは慌てて口を閉じ、椅子の背に上半身を押しつけた。……これ以上は後ろに下がれないというところまで身を引かせる。また首を絞められるのは御免だとばかりに。


「お前は自分の主張が『おしめが替えられない』と泣き喚いているのと同じレベルだと自覚しているのか?」


「そ、それはしかし――」


「王都帰還後、懲罰にかけられる内容がどんどん増えていっているな」


 ラング准将の声は低く地を這うようだった。ハッチは竦み上がった。


「話が進まないからこのくらいにしてやる。それで――自分ではできないと悟り、なぜキャデル側に助けを求めなかった? 彼らも『キャデルだけでなんとかしろ』と言われれば反発したかもしれないが、土地勘があるだろうから助力いただきたいと丁重に頼めば、力を貸してくれたはずだ」


 キャデルの総督とは面識がある。気骨のある人物であるから、ハッチの馬鹿げた甘えが腹に据えかねたのであろう。しかし彼は臆病な人間ではないし、責任感もあるから、近隣を荒らしている盗賊がいるなら捕縛したいと考えるはずだ。


「それは、関係がかなりこじれてしまっており、協力を求められる状況になく……」


「つまり横暴な振舞いをして怒らせたんだな」


「私のせいではありません。あちらが不敬であったのです」


「お前は救いようのない馬鹿だ」


 ラング准将は考えを巡らせた。……おそらく自分なら協力を取りつけられるだろう。


 しかしそれが妥当なのか? と疑問にも思うのだ。烏合の衆とはいえこれだけの兵力――ハッチはやはり自身の部隊のみで対処すべきだった。


 しかしこの男には無理だろう。まったく業腹だ。


「セイル地方を抜けるまでのあいだ、私が指揮を代わってやる」


「ラング准将……」


 ハッチが涙ぐんでラング准将を見つめた。プライドも何もない。代わってくれて大助かりだった。


 ラング准将は年上の冴えない男に縋られるように見つめられて、大層気分が悪かった。


「右回りの平地ルートで爆発音がしたと聞いたが」


「そうです。敵は恐ろしい武器を有しています」


「それは単に山間部へ誘導する手口だ。平地なら楽に突破できる」


「しかし山間部のほうがこっそり移動できるから安全なのでは」


「そう思うなら勝手にしろ」


「いえ、お任せします」


 お任せするならいちいちつまらない反論を挟むなと言いたくなる。おそらく拍子抜けするくらい簡単に平地部を突破できるはずだ。


 手強い盗賊と言うが、装備も何もない田舎の部隊が苦戦するレベルの話だ。これだけの編制で急ぎ突破してしまえば、どうこうされるはずもない。


 本当にハッチはおしめが取れていないのではないかと、ラング准将は本気で訝しみ始めていた。こうなってくると、ハッチにはおしゃぶりを咥えさせておく必要があるかもしれない。

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