第44話 アリス隊の荒らし行為


 一行は一路『レップ』を目指していた。


 レップはふたりの聖女が進むルートの交差地点であるので、祐奈たちはそこでアリス隊と合流することとなる。


 祐奈たちは南回りのルート、アリスたちは北回りのルートを進行して来て、レップ大聖堂で交わるかたちだ。交差後、各隊は南北を反転させ、今度は祐奈たちが北、アリスたちが南という具合に、ふたたび別れて進む。


 ちなみにレップを越えれば、国境はすぐ目と鼻の先である。カナンとローダー――ふたりの聖女は別々の都市から、国を出ることになる。


 事件はとある岐路に差しかかったところで起こった。


 馬車がガクリとスピードを落とし、徐行を経て、すっかり止まってしまったのだ。どうしたのだろうか。


 ラング准将が馬車の扉を開け、確認のため外に出た。


 一足先に単騎で偵察に向かっていたリスキンドが、馬を操り戻って来るのが見えた。


 祐奈が馬車の扉から身を乗り出して前方を確認してみたところ、奇妙な光景を目撃することとなった。


 さして広くもない田舎の通りに、ゴチャゴチャと奇妙な馬車溜まりができている。周辺の農地にもはみ出して馬車が停留しているさまはなんとも不可思議で、浜に乗り上げてしまったクジラの集団座礁を連想させた。


「……アリスの隊だな」


 ラング准将が瞳を眇めて前方を見遣る。


 少し手前でリスキンドは馬の足を止め、身軽に飛び降りて駆けて来た。彼の赤茶色の髪が、風に煽られてピョンピョンと飛び跳ねている。


「連中、馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど――ったくどうしようもない」


 いつも飄々としてとぼけた風情の彼が、珍しくそのおもてに苛立ちを乗せている。


「やつらは何をしているんだ」


「何もしていません。職務放棄ですよ」


「どういうことだ?」


「困ったことが起きて、どうしていいか分からなくなって、まごついているみたいです」


「事情は分からないが、ああして留まっていて、それでなんとかなるのか」


「なんともならんでしょうね」


 ラング准将の顔が険しいものに変わり、馬車溜まりのほうに向けられた。


「やつらは何を待っているんだ?」


「あなたを」


「は?」


「どうすりゃいいのか分からないから、ここでじっと待っていれば、ラング准将が通りかかって助けてくれるだろうと」


 彼らはレップ目前にして、何か進退窮まる事態に直面したらしい。普通ならば、どうにかして自力で切り抜けようとするところだが、まさかの他力本願でいこうという腹積もりのようだ。


 どれだけ甘えれば気が済むのか。


 流石のラング准将もこれには絶句してしまった。


 大人げないかもしれないが、『このまま見なかったことにして引き返すか』という言葉が喉元まで出かかる。


 素早く頭の中に地図を思い浮かべ、この道以外でレップに辿り着くルートはあるか考えてみる。


 そしてすぐに諦めた。ないこともないのだが、そうするとかなり遠回りになるから、時間の無駄だ。元々ベストな行程を選んでいるので、それをやつらのせいで変更するのも腹の立つ話だった。


 それにこのだらしない有様も放置しておくわけにはいかない。近隣の農地に好き勝手に馬車や馬を停めて荒らしているように見えるのだが、ちゃんと許可は取っているんだろうなと苛立ちが湧きあがってくる。


 アリス隊の運営はラング准将には関係ないとはいえ、王都の騎士隊が無関係の人々に迷惑をかけているなら、見すごすこともできなかった。立場が強い者が、弱い者を虐げるような迷惑行為は、絶対にしてはならないことだ。


「……いい加減、ハッチの息の根を止めてやろうか」


 ラング准将が珍しく毒舌になっている。


 多くの兵を抱え、潤沢な資金を与えられ、恵まれた編制で旅をしてきて、何をしているんだと言いたくなる。これだけ至れり尽くせりの状態で送り出されれば、おしめが取れていない赤子であってもそれなりに仕切れるぞ。


 戦場にいるわけでもないのに、ラング准将から殺気が漏れ出してきた。


 リスキンドは傍らでそんな上官の姿を眺めながら、『普段抑制の利いている人が本気で怒ると、ただでは済まされないような異様な迫力が出るなぁ』と考えていた。


 ……ていうかもう、殺っちゃっていいと思うんですよね。それで森の中にハッチの馬鹿を埋めて、すっきりしてから進みません?


 正直なところリスキンドとしては詳細を説明するのも嫌なくらいであったのだが、話が前に進まないので渋々伝えることにした。


「目的地の『レップ』は山を越えた向こう側にありますよね。辿り着くには右回りと左回りのルートがあって、左は山中を突っ切る険しい道、右は見晴らしの良い平地を抜けるルートとなっています。当初の計画では右回りで進むというものでした」


「何か問題があったのか?」


「賊に待ち伏せされていたようで。右回りのルートを進みかけたところ、前方から怒声が聞こえ、爆発音がしたのだそうです。それでハッチはすっかり怖気づいてしまい、ここまで戻って来た」


「戻って来て、それから何もしていないと?」


「そうです」


 流石に左回りのルートに変更するほど阿呆でもなかったようだが、それだって戦略的に判断したというよりも、ラング准将が計画を立てたルートから外れるのが怖かっただけかもしれない。


 左回りの道は狭く険しい。片側は崖になっている箇所が多く、敵に前後から挟み撃ちにされたらひとたまりもなかっただろう。アリス隊の唯一の取り柄である『数の多さ』も、縦長に展開してしまえばまるで意味をなさない。山地に慣れた敵に狙われれば、ハッチが抵抗できるはずもなかった。


「あれだけの数の隊員がいて、何を恐れる? 堂々と平地を進んだらいい」


「とにかく怯えていますねー。なんせ馬鹿なもんで」


 馬鹿だからで片づけていい話なのだろうか。ラング准将は全員まとめて叩き殺したくなってきた。全員、もらったギャラを即刻返納すべきだ。


「ハッチの薄らボケと話をつけてくる」


 ラング准将はリスキンドの馬を借り受け、身軽にまたがった。


 馬上から見おろし、短く指示を与える。


「祐奈の護衛を頼む」


 ラング准将の顔は逆光気味で影になっていた。表情が窺えなくなると、途端に謎めいた雰囲気が強まる。


 元々底知れないところのある人なのだが、懐に入ってしまうと温かみがあるので、つい怖さを忘れてしまう。


 しかしこうして少し距離を感じることで、隙のなさに改めて気づかされたりする。馬上のシルエットが凛として美しく、リスキンドは一瞬見惚れてしまった。


 そして頭の片隅では『ハッチ准将は震え上がり、チビって隊服をだめにすることになるだろうな』と考えていた。


「留守は任せてください」


 リスキンドが応えると、ラング准将は小さく頷いてみせ、馬を発進させた。




   * * *




 隊のしんがりにラング准将が近づくと、下っ端がそうと気づいて辺りが一気にざわつき始めた。


 待機状態はかなり長引いており、隊員たちはうんざりしていたところだった。そこへ現れた救世主というわけで、皆が期待を込めてラング准将の姿を見上げていた。


「――ハッチ准将はどこだ」


 ラング准将に尋ねられた隊員が慌てて姿勢を正しながら答える。


「はい、直進して右手奥の――あちらの民家にいらっしゃいます」


「なぜ民家に?」


「長引きそうなので、聖女アリス様を馬車内で待機させてはおけないとなり、一時的に借り受けました」


「住民の了解を得て借り受けたのだろうな」


「え?」


 きょとんとされ、ラング准将からの圧が一層増す結果となった。しかし彼は結局、怒鳴りはしなかった。下位の隊員をどやしつけてみても何もならないからだ。


 このツケは必ずハッチ准将に払わせてやる。


 ラング准将は馬を駆って進み、小綺麗な民家の前で馬を下りた。


 農村地に建つ小さな家だが、住人が暮らしを大切にしているのが分かる佇まいだった。赤いスレート屋根に、よく手入れされた煉瓦壁。ポーチには花が飾られ、慎ましいが小綺麗にしてある。


 視界の端に四十代くらいの女性の姿が映り込んだ。険しい顔でこちらを見据えている。


 手に大ぶりの器を抱えており、飼育している鳥に餌をやるため、こっそり立ち寄ったのだと分かった。屋敷の北側には白くペンキを塗った柵があり、その中で家畜が放し飼いにされているようだ。


 ラング准将は民家に入るのを止めて、そちらへ進路を変えた。


 身なりの良い騎士が突然自分のほうへ向かって来たので、女性は怖気づき、逃げ出しそうな素振りを見せた。


「――すみません、少々お時間いただけますか」


 ラング准将が穏やかに声をかけると、女性がピタリと動きを止めた。


 じっと窺うようにこちらを見つめる瞳には、傷つけられた者の憤りや悲しみが滲んでいるかのようだった。


 ラング准将はなるべく威圧感を与えぬよう、近づくスピードや物腰に注意を払った。


 真面目に生きてきた人をこれ以上脅かすのは忍びない。おそらくハッチが働いたであろう狼藉を思うと、気の毒になり胸が痛んだ。


「こちらのお屋敷の方ですか」


 尋ねると、女性はこくりと頷いてみせた。眉間にしわが寄っているのを見て、ラング准将は懸念が当たっていたらしいと悟る。


 なんということを……。


「私はエドワード・ラング准将と申します。こちらに滞在しているオービル・ハッチ准将とは顔見知りの間柄でして、別の隊を指揮している者です」


「そうでしたか……でも納得です」


「納得、ですか?」


「あなたはちゃんとしていますものね。ここにいらっしゃる方々とはまるで違いますよ」


 はっきりとした物言い。ラング准将は気遣うように女性を眺めた。


「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」


「あたしは……ドリス・ロジャースと申します」


「ミセス・ロジャース。ハッチが随分ご迷惑をおかけしているようですね」


「まったくですよ」


ロジャース夫人の顔が曇る。


「突然押しかけてきて、国の一大事だから、さっさと出ていけと。あたしたち一家は手荷物を持ち出すことすら許されず、野良犬でも追い払うような乱暴さで家を叩き出されました。今は近くの知人宅にご厄介になっています。でも家畜の世話はしなくちゃならないもんで……時折こうしてこっそり戻っているのですけれど、見つかったら鞭で打たれそうで、ここへ来るのは生きた心地がしませんよ」


 想像していたよりひどい状況だった。

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