6.傍迷惑なアリス隊

第43話 ベリー・ベリー・スイーツ


 昼にはまだ早い時間であったが、休憩を取ることになった。


 ここは次の拠点であるレップ手前の休憩地点で、食事や馬具の手入れをすることができる。イメージ的には元いた世界でいうところの『パーキングエリア』に近い雰囲気だろうか。


 大きな建物の一階で軽食をいただき、その後カルメリータとお喋りしていたら、ふと気づけば同席していたラング准将の姿が消えていた。


 リスキンドは隣席の女子をナンパしていて、頬杖をついてお喋りを楽しんでいる。


 チャラいとはいえ一応『護衛中』というのは忘れていないらしく、ラング准将不在の今は席を離れるようなこともない。


 しかし考えてみると、こんな短時間であっても女の子と喋りたい欲求がしっかりあって、その本能に素直に従っているリスキンドは、なんだか漠然とすごい人だなと思った。


 こういう人ってたとえ世界が大恐慌に陥ったとしても、まったくブレることなく、楽しみを見失わずに生きていくのだろう。チャラさというのは欠点にもなるけれど、それでも暗い顔をして生きていくよりもずっとマシなわけで、その前向きさはとんでもない武器になるのかもしれない。


『女子!』というワードさえ彼に思い出させることができれば、永久に発電し続ける電力源を搭載しているようなもので、ものすごいパワーを発揮できる。それって『お金持ちになりたい』とか『名声を手に入れたい』とかより、よほど健全な欲求なのかもしれなかった。


 結婚詐欺みたいに相手を騙してお金を巻き上げたり、純情を弄んだりするようだと迷惑な話であるが、リスキンドの場合はむしろお姉様方に弄ばれているようなふしもあるので、もうこれはこれで生き様としてはありなような。


 ……て、リスキンドの女好きはどうでもいいのだ。


 それよりラング准将はどこへ行ったのだろう?


 ソーヤ大聖堂を出てからなんとなく元気がないように感じられて、気になっていた。


 いや、元気がないようなといっても、表向きは至って普通なのだ。


 話をしてくれる時は相変わらず穏やかで優しい。瞳もいつも通り穏やかで、彼の目を見ているだけで安心できる。


 けれどふとした拍子に、どこか遠くに意識がいってしまっているような、そんな印象を受けることがあった。どこか寂しそうに見えたりもして。


 一体どうしたのだろう? 遠い場所――王都に残してきた、気がかりな何か――もしかすると大切に想っていた女性の存在が思い出され、彼をそんなふうにさせているのだろうか。


 これまでは感じたことがなかったので、ソーヤ大聖堂でそうなるきっかけがあったのかもしれない。あるいは、彼はずっと空虚な気持ちを抱えていたのに、鈍感な祐奈が気づいてあげられなかっただけなのか。


 ラング准将の姿を探して周囲を見回していると、向こうの女子と楽しく喋っていたはずのリスキンドが、指でトントンと祐奈の肩を叩いてきた。


「――ラング准将なら外だよ。あの扉から裏手のテラスに出られる」


 リスキンドが指し示す方角に視線を向けると、床から天井まであるような格子枠のついた大窓(元いた世界でいうところのフランス窓のようなもの)があり、その向こうにオープンデッキが広がっているのが見えた。


 窓の外は快晴で、雲が綿あめみたいにのどかに浮かんでいる。風が強いのか、雲の流れが少し速い。


 リスキンドの言うとおり、デッキの端に置かれたベンチに、ラング准将が腰を下ろしているのが見えた。


 背もたれに寄りかかってなんだかぼうっとしているようだ。あんなふうに気を抜いているのは本当に珍しい、と祐奈は思った。


「話してきなよ」


 リスキンドに促されて、驚いて彼のほうを振り返る。リスキンドは片眉を上げてみせ、肩をすくめるようにして続けた。


「ラング准将、ちょっと元気ないでしょ。祐奈ちゃん、話聞いてやって」


「でも、邪魔になってしまうのでは」


「仲間でしょ。邪魔にはならない」


 そうかなぁ? 『親しき中にも礼儀あり』というではないか。人間ひとりになりたい時もあると思うのだ。


「俺はラング准将とは付き合いが長いからね。状況はよく分かっている」


「そうなのですか?」


「彼、今は話を聞いてほしいと思っているよ。とりあえず行ってみて。嘘だったら、あとで俺のことを殴っていいから」


 いつになくリスキンドが真面目な顔でそう言うので、祐奈は少し躊躇ってから腰を上げていた。


「――あの、カルメリータさん。ちょっとラング准将と話してきてもいいですか?」


「行ってらっしゃいませ。私はちょっとそこら辺を散歩してきますね」


 カルメリータはニコニコ笑って送り出してくれた。彼女は基本誰とでも仲良くなれる性質なので、こういう所でふらりと出歩いて、知り合った誰かと楽しく会話をするのは好きらしい。そんな場面を祐奈も何度か見ていたので、彼女の言葉に甘えることにした。


 単身、ラング准将の元へ向かう。


 席からはラング准将の姿もギリギリ見えるので、リスキンドはあえて付いて来なかった。


 扉を開けるとふわりと風が抜けていく。爽やかで気持ちが良い。


 近寄って行くと、ラング准将が振り返った。瞳を微かに細め、彼の涼しげなおもてに淡い笑みが浮かぶ。


 祐奈はお腹の前できゅっと手を握りしめ、彼の優しい表情を心に刻み込んだ。


 なんだか……そばにいてくれるのが当たり前のようになっているけれど。本当はもっと感謝しなくてはいけないのかもしれない。


 彼を見ると、胸がキュっと詰まるような不思議な感じがする。時間の流れがゆっくりになり、雲間から光が射してくるような、特別な感じが。


「どうかしましたか?」


 低く艶のある声。彼の声が好きだなと祐奈は思った。


 そっと距離を詰め、彼の傍らに立つ。


 ラング准将はくつろいで座っているようで、やはり端正な佇まいだった。姿勢を少し崩していても品が良い。


 彼がすっとスマートに立ち上がり、手を差し出してくれる。


「――よろしければ、かけませんか?」


「あの」


 手を握られたまま、爪先が半歩前に出た。すぐに心の内を言ってしまわなくてはと、少し焦ってもいた。


「私、あの――ソーヤ大聖堂で何か失礼なことをしてしまいましたか?」


 ずっと気になっていたのだ、記憶のないあの夜のことが。翌朝、彼は何もなかったと言ってくれたけれど、それは本当だろうか?


 祐奈があまりにみっともないことをしでかして、ラング准将は護衛をするのがすっかり嫌になってしまったのではないか? 一度嫌気がさすと、相手の何もかもが耐え難くなるというのは、誰にでも起こりえる話だ。


 祐奈の問いに、ラング准将は驚いたようだった。目を瞠り、彼にしては珍しく言葉に詰まっている。


 やがて微かに眉尻を下げ、困ったような顔つきになった。彼がこんなふうに弱みを見せるのは珍しくて、祐奈はぼんやりと見入ってしまった。


「違います。あなたは何も」


「気を遣っていませんか?」


「どうしてそんなことを訊くのですか?」


「元気がないように感じられて。私が馬鹿なことをしたせいで、護衛が心底嫌になってしまったのではないかと」


「まさか。たとえあなたが何か可愛い我儘を言ったとしても、それで私は護衛が嫌になったりしないし、腑抜けたりもしませんよ」


「そ、そうですか?」


 それはそれで何か複雑なような……確かにラング准将くらいになれば、祐奈がどんなに悪たれようとも万事が些事でしかなく、上手く処理できそうではあるけれど。


 てなことを考えていると、ラング准将が微かに眉を顰めて続ける。


「ああ、でも、『大嫌い』と言われたら、ショックで立ち直れないかな」


「それはだけど、私は言っていないでしょう?」


「記憶がないのに、どうして言っていないと分かるんです?」


「わ、分かります。だって思ってもいないことは、逆さにして振られても、絶対に口から出てくるわけがないもの」


 むしろ『大好き』とか言っていたらどうしよう……別の可能性が浮かんで、血の気が引く。そちらのほうがずっとありうるかもしれない。


 それでひとりオタオタしていたら、ラング准将がくすりと笑みをこぼした気配で我に返った。


 陽光が髪に反射して、美しく輝いている。琥珀色の瞳も神秘的に光を弾いて、神々しく感じられた。


 彼の周辺がキラキラ、キラキラ輝いて、天使の祝福が天から降り注いできたみたい。


 ラング准将があまりに嬉しそうに、なんだか可愛く笑うもので、祐奈の動悸が上がる。


 もう息も絶え絶えというか……どうしたらよいのだろう。


「祐奈に気を遣わせてしまうなんて。不甲斐ないです」


「ラング准将?」


「……きっとあなたがハグしてくれたら、元気が出ますよ」


 笑み交じりであっても、彼はまだ上の空に見えた。本気でそう言っていないのが伝わってきた。


 たぶん彼は、祐奈が慌てて中に戻ることを期待しているのではないか。核心に迫られないよう、遠ざけようとしている。


 線を引かれたような気がして、けれどそれもこちら次第なのかもしれないと思い直した。


 彼に対する気持ちは別にして、旅の仲間としてハグをするのは、不適切だろうか? 実行したら軽蔑されないかな? 冗談で言ったのに、本気にされた、と。


 けれどこのまますごすご引き下がっては、問題があとに残るような気がしてならなかった。


 それに何より、祐奈はラング准将に下手(したて)に出られると、滅法弱いのである。


 なんでもしてあげたくなる。それこそ自分にできることならば、なんでも。


 彼が本当にハグを望んでいるのかは不明だけれど、ヒントがほかにないのだから、やってみようと思った。祐奈は清水の舞台から飛び降りるような心地で、足をもう半歩前に踏み出していた。


「あの、嫌だったら、避けてください」


 おずおずと手を伸ばし、思い切って抱き着く。


 顔を見る勇気はなくて、顔は俯けたまま上げられなかった。手を彼の背中に回して、ぎゅっとしがみつく。


 すぐに彼の腕が祐奈の背中に回された。それで許された心地になる。


 すっぽりと包まれてしまって、なんだか祐奈のほうが得をしているような気がしてきた。


 大好きな場所だ。爽やかで清潔な香り。温かくて、すごく安心できる。


「……ヴェールが邪魔だな」


 彼の呟きが耳に届いた。


「あ」


 反射的に顔を上げると、ラング准将は考えを読み取らせない、謎めいた瞳でこちらを見おろしていた。


 真面目なようでいて、どこか感情を持て余しているようでもあり、少し悪戯な感じもするし、甘さも含んでいる。


「忘れてください。あなたの気持ちが固まるまで、ずっと待ちますから」


 囁きが落ちてくる。


 今度はまた雰囲気が変わって、反省と、後悔。そしてやっぱり消しようもないほど、優しくて。


 祐奈は息を呑む。


「私」


「本当にだめだな、私は。辛抱が足りない」


「そんなことないです!」


 祐奈はラング准将を慰めたかった。彼が落ち込んでいると、大丈夫ですと力づけて、自分が持っているものならなんだって渡したくなる。


 でもヴェールを外すのはまだ難しくて、それがなんとも申し訳なかった。先の台詞を口にしたことを彼が後悔しているようなので、余計にだ。


「……ベリーの香りがする」


 意図的にだろう、ラング准将が話を変えた。祐奈を追い詰めるのは本意ではないとばかりに。


 ハグは半分解かれて、まだ半分残っている。彼の手が祐奈の腰に回っていた。そして祐奈のほうも、彼の脇腹のあたりに縋るように手を添えていた。


 祐奈は彼を見上げて一生懸命に喋った。


「カルメリータさんに砂糖漬けをいただいたんです。ラング准将は甘いものは食べないですよね?」


「そうですね。でもあなたが食べさせてくれるなら」


 ……今日のラング准将は本当にどうしてしまったのだろう?


 けれど祐奈は、彼に求められたら、そのとおりにするしかない。冗談だから本気にするなと止められるまでは、従ってしまおうと思った。


 冷静になって考えてみれば、砂糖漬けのベリーがそんなに香るわけもないから、ラング准将は戯れに口にしただけなのかもしれなかった。


 けれど生真面目な祐奈がそれに思い至ることはない。


 身じろぎしてポケットに手を入れる。取り出したのは、綺麗なハンカチに包んであるベリーの砂糖漬け。それを指でひとつ摘まみ、ラング准将の口元に近づける。


 彼は抵抗しなかった。


 眩しそうに祐奈を見つめてくるので、試しにひとつ口に入れてみる。彼の唇に意図せず指先が触れてしまい、祐奈の全身が火傷しそうなほどに熱くなった。


「……甘い」


「やっぱりお嫌いですか?」


「いえ」淡い笑み。「次は、あなたと暁の空を眺めながら、フルーツを食べたいです」


 なんだかプロポーズみたいだと思った。……でもきっと、深い意味はない。


 互いのあいだにヴェールがあるうちは、どうあっても進みようがないのだから。


「もう一度ハグしていいですか」


 静かに問われて、今日の彼は本当にいつもと違うと思った。


 だけど触れても良いと許されるなら、今だけは。心の中で言い訳しつつ、また自分から彼に抱き着いていた。


 そう――甘えているのは、いつだって祐奈のほうなのかもしれない。


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