第37話 告白は部下からすべき?


「最後のドリンクを出したら上がっていいわよ」


 ビューラにそう声をかけたられた給仕役のジェシカは、部屋の隅にある大盃の所に行き、祐奈とアイヴィーのドリンクを汲んできた。そして給仕を終えると、優雅な足取りで裏口のほうへ消えていった。


 部屋には祐奈、アイヴィー、番犬のルーク、司教のビューラだけが残った。


 どうするのかなと思っていたら、


「――ルーレットを回して」


 ビューラが指示をする。まだゲームを続行するらしい。


 祐奈はルーレットに手をかけた。静かな駆動音と共に円盤が回転する。


 移ろいゆく金色の残像――それをぼうっと眺めていると、世界の形が壊れて揺らいでいくような不思議な感じがした。時間が延びたり、縮んだりしているみたい。


 やがて夢のような時が終わり、数字の4が指し示される。


 4つ駒を進めると、例の網掛けマスに止まった。――『賢者のカードを引く』――


 ビューラがテーブルにカードを広げ、口角を引き上げてこちらを見つめる。祐奈は少し迷ってから、真ん中のカードを指先で引っかけた。


 ビューラがそれをひっくり返す。


『ネコの悩みを聞き、導け』


 フクロウの時と流れは一緒だ。対象がフクロウからネコに変わっただけで。


 ふたりしかいないのに、このくだり必要なのかなと祐奈は思った。……まぁビューラに言わせれば、これも『神の思し召し』となるのだろうけれど。


 ネコ耳カチューシャをつけたアイヴィーが語り始める。


「私、小さなテーラーで働いているんだ。裁縫が得意で」


「素敵ですね」


「そう?」


「手に職があって羨ましいです」


 祐奈はしみじみとそう思う。異世界転移という経験をしたあとなので、切に。


 この旅が終わったら、自分はどうなるんだろう。ずっとラング准将が護ってくれるわけじゃない。ひとりで生きていけるよう、考えなければならない。


 魔法をいっぱい覚えたら、それで食べていけたりするかな。……考えてみたら、回復魔法は良い選択だったかもしれない。診療所とか開けるかも?


「――仕事は好きなの」


 アイヴィーがドリンクをチビチビ飲みながら語る。


「私、かなり内気だから、ものを作る仕事は自分に向いているなって思っている。あと、可愛いものも好きだし。職場の雇い主も、いい人で。……三つ年上の男の人なんだけれど、手がすごく綺麗なんだ。ちょっと猫背だけど、そういう所も好き。ずっと片想いしてた」


 過去形なのが気になった。なんだかそれがもう終わる、みたいな言い方。


「告白はしないのですか?」


「無理」アイヴィーが眉根を寄せて首を横に振る。「だってもし断られたら、気まずくなっちゃうじゃない? それに雇っている使用人から言われても、あの人も困るかな、って」


「困りはしないのでは? アイヴィーさんのことをそういう対象として見ていなかったとしても、嬉しいと思いますよ」


「それは上辺の意見だよ。本当にそう思っていないでしょ?」


「思っていますよ。なんていうか、アイヴィーさんに好かれていたら、嬉しいと思います」


 上手く伝えられなかった。アイヴィーは相手のことを思い遣れる素敵な人だと思う。純粋で、とても可愛い。少ししか関わっていない祐奈が彼女の魅力をいくつも発見できるのだから、一緒に働いている人は、きっともっとたくさん挙げられるはずだ。


 もちろん人の好みは色々だから、彼女のようなタイプを嫌う人だっているかもしれないけれど、少なくとも彼女の上司はアイヴィー本人を見て雇った。


 プロとして腕を買っているのだろうし、人間的な面でも、信用できない人をそばに置こうとは考えないだろう。部下は上司を選べないが、採用権を有している上司は部下を選べるのだから。


 アイヴィーは俯いたまましばらくのあいだ黙り込んでいたのだが、やがてまたポツリポツリと語り始めた。


「その人が、今度お見合いするって聞いて。私、告白すべきか、想いを胸にしまって彼の幸せを祈るべきか、迷っていて。……ここに来たら、何か答えが出るんじゃないかと思って」


 たぶん彼女の中で答えは出ているのだ。だって想いを胸にしまうつもりがあるのなら、きっとこんな所へは来ていない。


 ――苦手克服の部屋――本心を伝えられない自分の性格を変えたくて、参加を希望したのではないだろうか?


 祐奈は自分のこととなると消極的な癖に、他人のこととなると、勇気を出して一歩踏み出すべきだと思ってしまう。告白して受け入れてもらえるかは分からない。しかしこのまま何もしなかった場合、アイヴィーがものすごく後悔することになるのは、なんとなく分かるのだ。


「どうしたらいいと思う?」


 縋るようにアイヴィーに見つめられて、祐奈は落ち着いた声音で尋ねた。


「アイヴィーさんの中で、もう答えは決まっていますよね?」


「でも……想いを口に出して、それで気まずくなって今の所にいられなくなったら? 私、好きな人だけじゃなくて仕事も失ってしまう」


「だけど告白しないで彼が結婚してしまったら、幸せそうな姿を見るのがつらくて、結局、辞めることになりませんか? フラれることよりも、告白しておけばよかったという後悔のほうがキツいと思いますよ」


「もうどうしたらいいか分からない……彼が私のことを好きだったら、彼から告白してくれるといいのに」


 アイヴィーが泣き言を口にする。


 彼のほうから――それについて祐奈には思うところがあった。


「あの、これは私の意見ですが、お相手の方は雇い主ですよね? もしかすると、部下に告白するのって抵抗があるかもしれませんよ」


「どうして? 部下からより、上司からのほうが楽じゃない?」


「私が暮らしていた国には『パワーハラスメント』『セクシャルハラスメント』という概念がありました。職場の上司が部下に何かを伝える時は、細心の注意が必要になるということです。部下は『これを断ったらクビになるかも』という恐れが根柢にありますから、上司は相当気をつけないといけません。相手に答えを委ねている形でも、受け取り方によっては強要になってしまうことがある。こちらの国にその概念がなくても、個人の信条として、そういった考えを持つ雇用主の方もいると思いますよ」


「彼は私に強要するのが嫌で、告白してこないということ?」


「アイヴィーさんの想い人がそうかは分かりませんが、でもあなたが好きになったということは、きっとその方は優しくて思慮深い性格なのではありませんか? 上司である自分から私的な誘いをかけたら、アイヴィーさんが追い詰められてしまうと思っているのかも」


「……どうかしら。でも」


 何か思い当たるふしがあるのかもしれない。――そもそも自己評価が低そうなアイヴィーが、たとえ話であっても「彼から告白してくれるといいのに」と言うくらいだから、元々なんらかの手応えは感じていたのだろう。彼は自分のことを好きなのかもしれない、というような。


 しかしアイヴィーは今ひとつ納得がいかない様子で、混乱したように額を押さえている。


「でもやっぱり私、告白は上司からすべきだと思うわ。だって仕事の命令をし慣れているんだもの。好きって伝えるくらいなんでもないはずよ。断ってもいいからとつけ足すだけでいいじゃない」


「私はそうは思いません――絶対に部下からいくべきです。だって上司は部下からの告白を、嫌だったら断れる。部下は仕事を辞めるリスクを考えたら、断れないケースが多いと思います。少なくともかなり断りづらい」


 祐奈が力説すると、アイヴィーは眉根を寄せて何かを考え込んでしまった。


 視線は祐奈のヴェールを凝視していて、自身のことを考えているというよりも、別のことに意識が引っ張られているようだった。


「……あの、祐奈さん」


「ええ」


「もしかして、その……部屋の外にいた格好良い男性は、あなたの部下……なの?」


 ドキリとした。どうしてここでラング准将の話を。


 ――アイヴィーは祐奈が、自身の体験を語っているのではないかと考えていた。


 祐奈のほうにはもちろんそんなつもりはない。しかし非常に暗示的というか、そう思われても仕方がないような流れにはなっていた。


「ええと、はい、部下……というか、でも心情的には上司のような」


「どっち?」


「彼は自分を部下だと言いますが、私からすると上司なのです」


「何それ、変だね」


「変ですね」


 祐奈は乾いた笑いを漏らしてしまう。


 ……なんだか、変な感じ。ずっとボードゲームを眺めていたら、目が回ってきたみたい。


 やっぱりルーレットに何か……あるのかな。あの回転が……変なリズムで。眺めていたらクラクラしてきて。


 分からない……あれ? 何を喋っていたんだっけ。


 アイヴィーが言う。


「でもやっぱり、あの騎士さんはあなたの部下よね? だってふたりが喋っているのを見たけれど、彼は完全にあなたに敬意を払っていたよ。あなたも彼には敬意を払っているようだけれど、でもあんなに立派な人がへりくだるのだから、やっぱりあなたが上司なのよ」


「う……」


「それで、さっきのあなたの理論からすると、ふたりが付き合うには、彼から告白しないとだめなのね? その理由は、彼には拒否権がないけど、あなたにはあるから――あなたが告白したら、彼は断れない?」


「いえ、彼は断れます」


「本当に?」


「ええと、たぶん。ラング准将は嫌なことは嫌って言う人です。たぶん」


 たぶんて二回言っちゃった。


「あなたのお願いで、彼が断わったことは?」


「な、ないですけど」


「じゃあ断れないかも」


「かもですね……」


 まずい、本格的に目が回ってきた。


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