第36話 リスキンドの指南
美人給仕のジェシカが部屋の隅に行き、銀製のボウルから柄杓でドリンクを汲んで、席まで運んできてくれた。
グラスに入っているのはいくつかのカットされたフルーツと薄桃の液体で、ふわりと甘い香りがする。見た目もとても可愛いし、美味しそうだ。
あの銀の大盃のようなものは、フルーツポンチを入れるボウルみたいなものなのかな、と祐奈は思った。フルーツポンチはアルコール入りの飲料だが、運ばれて来た飲み物からは酒の匂いはしない。祐奈は鼻が利くのでその辺はかなり敏感である。
そういえばこの町はフルーツジュースが名物のようだったっけ。食堂でもそうだったから。
グラスを手に取ると、ひんやりと冷えている。喉に流し込んでみたらフルーティでとても美味しい。部屋が少し暑めで頭がぼうっとしかけていたので、冷たいドリンクはありがたかった。
皆も同様の気分だったようで、ちびちびグラスを傾けながらゲームを続けた。
ふとリスキンドに視線を向けると、彼が小難しい顔で給仕役のジェシカを眺めていたので、何かあるのだろうかと気になり、上半身を乗り出してこっそり尋ねてみた。
「リスキンドさん。ジェシカさんがどうかしました?」
ジェシカは都会的な美人であるし、物腰も洗練されていて素敵だった。髪は綺麗に纏めていて、ふわりとトップにボリュームを出し、夜会ふうである。頬骨のラインが緩やかに丸みを帯びているので、どこか物柔らかな雰囲気が漂っていた。
リスキンドは視線をジェシカに固定したまま呟きを漏らした。
「……すごい巨乳だ」
さ、最低だ。もうリスキンドがジェシカを凝視していても、無視しよう。
リスキンドがルーレットを回して駒を進めたところ、ついにあの『賢者のカードを引く』の網掛けマスに止まった。
ビューラが目配せすると、ジェシカがしずしずと平盆を運んでくる。その上には大判のカードが置かれていた。枚数はそんなに多くない。
「さぁリスキンド君。この中から一枚引いてください」
ビューラがカードをテーブルの上に広げた。綺麗に扇状になるように並べて。
賢者のカードはなんとも目を引くデザインだった。黒地をベースにして金と赤のラインが精緻に走り、複雑な幾何学模様を作っている。
……このカードが聖具? 祐奈はマジマジとそれを眺めてしまう。
指名されたリスキンドはさして考えることもなく、一番左のカードを指し示した。
ビューラがカードをオープンする。
『フクロウの悩みを聞き、導け』
フクロウ……なるほど。それで初めに動物の耳を模した飾りを配ったのか。
フクロウ、つまりヤング青年の話を聞き、導け――彼の苦手なことが何かを聞き出し、リスキンドはアドバイスせよとカードが求めている。
これは……祐奈は微かに瞳を細めた。ボードゲームの体裁を取っているけれど、やっていることは『グループセラピー』と一緒よね。
問題を抱えている点について自発的にスピーチするわけではなく、導き手がそれを上手く引き出し、対処法まで提案してしまうという、他者に解決を委ねるスタイルではあるが。
これが(ボードゲーム本体なのか、付属のカードなのか、もしくはすべてひっくるめてか)聖具なのだとすると、ランダムにカードを引かされているようで、そこになんらかの導きの力が働いているということなのだろうか。
今日のメンツだと、リスキンドだけが『フクロウ』の悩みを解決できるとか?
リスキンドは『へぇ』という顔になり、しばし黙したままカードの指示を眺めていた。やがて彼は顔を上げると、片方の口角を上げながら尋ねる。
「ちょっと訊いてもいいですか? このカード、もしもフクロウ自身が――ヤング君が引いていたらどうするの?」
「それはありえない」
ビューラがどこかすごみのある笑みを浮かべて首を横に振ってみせる。しかし「ありえない」という答えはおかしい。
「あなたがイカサマをしているから?」
「これは神のご意思です」
「詐欺師って、よくその手の発言するけどー……って、すみません。もう言いません」
ビューラが『てめぇ殺すぞ』という意志を明確に視線に込めてきたので、リスキンドはすぐに謝罪を口にした。
ラング准将にも喧嘩を売っちゃうくらいのイカレ司教とやり合いたくないと思ったのだろう。ビューラは痩せているけれど、なんとなく腕力も強そうだ。素手で石とか砕きそうなタイプだし。
リスキンドは気を取り直して、隣席のヤング青年に向き合う。
「それじゃあカードの指示だから聞かせてね。今回、なんの悩みで来たの?」
「ええと、その……女性関係」
「うんうん、俺、得意よ。むしろそのジャンルだけに全精力を注いできた半生だから」
騎士道とかじゃないんだ、全精力を注いできたの。祐奈は心の中で突っ込みを入れる。
もしかするとこれは、緊張しきりなヤング青年の心を和らげるための、彼一流の気遣いなのかもしれない。しかし普段からチャランポラン感満載なので、むしろすべて本音なんじゃないかとも思ってしまう。
なんならあなた、モテたくて騎士になったんじゃないの? 的な。――モテるためにバンド始めた、みたいな。
ヤングは初めのうちはモジモジしていたのだが、こうして苦手克服の部屋に自主的に訪れたくらいであるので、問題を解決したいという気持ちは本物であるようだ。彼は勇気を出したように語り始めた。
「俺は、女の人が苦手で。いや、好きなんだけど、でも……どう話していいか分からない」
「そうなの? でもこのテーブルに女子いるけれど、普通に会話が成立しているじゃない」
「それは……一対一で会話していないから。目を見て、個人的な話とか、無理」
「いつから?」
「じ、十年前」
「今二十二歳つってたよね。じゃあ十二歳の時からだ」
「うん」
「何かあったの?」
「あ……」
ヤングが悶えるように額を手のひらで覆う。大柄でワイルドな彼がそうしていると、『故郷が焼け野原になった』くらいの悲壮感が漂ってきて、なんだか圧倒されてしまう。
肩に矢が突き刺さっている幻影が見えちゃうくらいだよ。
「ほら、頑張って話してみ。意外と喋ってみると、気が楽になるもんだぜ」
リスキンドが兄貴ぶっている。
ヤングはおずおずと顔を上げ、ドリンクを煽ってから、勢いをつけて喋り始めた。
「家が隣の幼馴染の女の子がいたんだ。俺……的にはいい感じだと思っていた。俺は好きだったし、彼女も……俺のことが好きだと」
「気持ちは確認したことなかったんだ?」
「うん」
「よく一緒に遊んでいた?」
「いや。なんていうか、当時の俺は自意識過剰で、調子に乗っていた。体も大きかったし、同じ年頃の男共は俺に頭が上がらなかったから、いつも他人に命令ばかりしていたんだ。その女の子にも『近くに来いよ』とか、『俺のそばにいろよ』とか命令して……相手も喜んでいると思っていた」
「彼女が拒絶の言葉を口にしたことは?」
「なかった。俺は……だから疑ってもいなかった。彼女は顔を赤くして、満更でもなさそうに見えたから。それである日……彼女に呼び出されて」
ヤングが言葉を途切れさせた。一瞬視線が虚ろになり、やがて深いため息とともに肩を落とす。
「浮かれて指定された広場へ行ったんだ。そうしたらゴロツキが三人も待ち伏せしていて……ボコボコに殴られて、下着を脱がされた。そのまま木に括りつけられて……彼女が俺の下半身を見て、笑ったんだ。鼻で。『ださーい』って言った。それから俺……女の子を見ると、皆心の中では、俺のこと『ださい』って思っているんだと考えちゃって……怖くなって」
聞いていた祐奈は胸が痛んだ。多感な時期にそれはつらかっただろう。
相手がした卑劣な行為は許されるものではない。けれど祐奈は自分が女性であるから、その女の子にも同情的な気持ちが湧いてしまうのだ。
ヤングはおそらく十二歳の時点でもかなり大柄だったのだろう。体格も態度も大人顔負けだったのではないか。顔も厳つく、危険な香りがして。本人の資質がどうこうというより、見た目から受けるイメージが『乱暴』に感じてしまうのだ。
そんな人が毎日近くにいて、常に上から目線でベタベタ体に触れてきたら、女の子は相当怖いと思う。貞操の危機も感じていたかもしれない。
その子は恐怖のあまりツテを頼って、ヤングに釘を刺してくれるよう知り合いに頼んだのかもしれない。
鬱屈された恐怖心が、立場が逆転したことで、その瞬間爆発した。これまでの我慢してきたものが噴き出してきて、嗜虐性となって表れた可能性もある。
あるいは単にその女の子の性格に裏表があり、彼を裸に剥いて笑い者にしただけかもしれない。
真相は当事者でなければ分からない。はっきりしているのは、その女の子は最低なことをしたし、やられたヤング自身も純粋な被害者ではなかったということだろう。少なくともヤングは、その被害に遭う直前まで『嫌な人間』だった。
リスキンドは話を聞き終え、うーんと唸った。眉根が寄り、なんともいえない表情を浮かべてヤングを見つめている。
「それは大変だったなぁ。酷い話だよ」
「うん。……でも、俺も悪かったから。彼女のこと、ものみたいに扱っていた。だから恨まれていたのかも」
「そっか。だけど俺はこう思うぜ――相手の子を恨んで仕返ししてやろうと考えないお前は、優しくて良いやつだってな。十二歳以前のヤングは嫌なやつだったかもしれないが、傷ついたあとのお前は、思い遣りがあって素敵だと思うぞ。俺が女の子なら、お前と付き合いたいと考えるだろう」
「そうかな……でも俺、顔が濃いし」
「ばっきゃろう!」
リスキンドの本気の喝が入った。
「寝惚けたこと言ってんじゃねぇ! お前みたいな顔はコアな層にうけるんだよ! 万人から満遍なくモテようとすんじゃねぇ! お前を求めてくれる人の中から選べ!」
「う……でも、誰が俺のことを好きか、分かんないし」
「数撃ちゃ当たる」
割と最低なことをリスキンドが言っている。しかし漠然と熱意がすごかった。そして体験に基づいているので、説得力があった。
「だけど俺、またダサイって言われたら、今度こそ立ち直れない」
「ばっきゃろーーーーー!!!!!!!!」
リスキンドのパンチが炸裂した。グーだ。グーでいったよ、この人。
しかしヤングはどうやら骨格も頑丈らしく、殴ったリスキンドのほうが拳グニャになっている。
我々は何を見させられているんだろう……祐奈は遠い目になった。
ヤングはびっくりした様子で、殴られた頬を押さえて目を瞬いていた。垂れ目で糸目なので分からなかったのだが、目を見開くと、なんだかバンビみたいな可愛い目をしている。
リスキンドが叫ぶ。
「俺なんて、何度女子に罵られたことか!」
「え。嘘だ」
「嘘じゃねぇ!」
「でもリスキンドは爽やかでお洒落だし、モテそうだ」
「まぁ否定はしない。しかしナンパは常に失敗と背中合わせだ。声をかけてはフラれ、は当たり前。そのほかにも美人局(つつもたせ)に遭いかけたり、財布の中身を掏られたり、とにかく女子に騙されることもしばしばなんだ。しかしそんなのはどうだっていいのだ‼」
「なぜ?」
「俺は女子が大好きだからだー! 好みのタイプは色っぽいねーちゃんだ! Sっ気のあるビッチが大好きだ!」
魂の叫びだった。
祐奈はリスキンドの本気に頬を叩かれた心地だった。すごいよ。この人すごい人だったんだ。ものすごい馬鹿だ!
しかし馬鹿は偉大だ。馬鹿に勝てる人はいないのだから。
「女子が大好きだから、俺はどんなに痛い目に遭おうが不屈の精神で立ち上がるぜ。一度の恥がなんだ! ナンパの極意は数撃ちゃ当たるだ! くじけるな! 大志を抱け! 七転び八起だぜ! 八回目に起きるために、俺は七回転ぶのだ!」
やだもう。リスキンド語録で日めくりカレンダー作れちゃうんじゃない? てくらい熱い。格好良いふうに言っているけれど、ださい。
祐奈は恥ずかしくなってきた。隣をちらりと見ると、アイヴィーがドン引きしていた。「キモ」と大人しいアイヴィーが呟いたのが耳に入ってきた。
なんでこの人と仲間なんだろう、そう思うと、唇を噛まずにはいられない。ここにラング准将がいてくれたら、早めにリスキンドを制してくれただろうに。ストッパーがいないので、ブレーキが壊れたまま暴走している。
しかしこの場にいる女子が引けば引くほど、反対にヤングからの支持は高まっているようだった。ヤングは『救世主』を前にしたかのように、リスキンドを熱い瞳で見つめている。
ていうかこの光景、前にも見たんですが。体硬い族の時、こんな感じで崇拝されていたよね。
もうリスキンドは引退して、ナンパテクを伝授するセミナーとかやりつつ暮らしていったほうがいいような気がする。
「ヤングよ! 実地で俺の男道を教えてやる!」
「はい、先輩!」
「来るがよい、夜の街に繰り出すぜ!」
リスキンドがヤングの肩を抱き、ぶち上げた。
うぉー! とヤングも吼える。
祐奈とアイヴィーの顔は死んでいた。
仕切り役のビューラはなんともいえない含みのある表情を浮かべていたのだが、
「――あちらが出口よ。でも出て行く前に、動物耳は外していってね」
と奥の扉を指差した。彼女が指し示したのは、入って来たのとは逆の出入り口だった。
リスキンドとヤングは頭から耳飾りをむしり取り、机の上に放り投げる。
「坊やたち、左に進むと階段があるから。下りると一階エントランスの端に出られる」
「ありがとう、ビューラさん。さようなら!」
リスキンドが敬礼し、ヤングは白い歯を覗かせてとびきりの笑顔を見せていた。
「はいはい。うっせーからもう行け」
シッシッと追い払われ、ふたりは肩を組んで裏口から出て行った。
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