第34話 ラング准将に喧嘩を売る女


 ソーヤ大聖堂の司教との面会は夜に行われる運びとなった。


 そのため先に宿にチェックインし、早めの夕食を済ませてから、皆で出かけることに。


 なぜかルークもしたり顔でついて来ようとするので、「お留守番ね」と言って聞かせたのだけれど、『断固拒否だぜ』な態度で無理やりついて来た。


 もしかするとルークは、『皆で肉を頬張る、楽しいパーティ的なイベントに行っちゃうんだろ、俺だけ置いていくなよ』的な気持ちだったのかもしれない。夕食をたらふく食べていたから、もういいでしょうに。


 大聖堂に辿り着くと、階段下の壁際に行列ができているのが見えた。二十人くらいは並んでいるだろうか。


 なんだろう? と不思議に思いながら階段を上がり、エントランスに進む。


 迎えに出てきたのは、威風堂々たる態度の女性司教だった。年齢はよく分からないが、五十歳以上に見えた。


 この国は女性の司教もいるのね、と祐奈はなんとなく感慨深い気持ちになった。


「ようこそお越しくださいました、聖女祐奈様。私の名前はビューラです」


「初めまして、ビューラ様」


 それにしてもファンキーな人だなぁと感心してしまう。


 目鼻立ちは典型的な美人顔なのだが、メイクが大層個性的である。眉がなく(書いてもいなく)、アイシャドウはくっきりとした赤。髪はふんわりと膨らませて高い位置で括ってあり、このセット方法はかなり独特である。


 握手を求められ、彼女の筋張った手を取る。少し長めの握手を交わしたあとで、祐奈は気になっていたことを尋ねてみた。


「あの、表の行列はなんですか?」


「あれは『苦手克服の部屋』に参加を希望している人たちですよ」


「苦手克服の部屋?」


「当大聖堂は今の時期、一般に聖具を開帳しているのです。効果のお裾分けですね」


「こちらの聖具は、苦手なものを克服させる力をお持ちなのですか?」


「まぁそうですね」


 あらすごい。精神作用系の聖具だとすると、本人がそうと気づかないうちに力が及んでいる可能性もある。――この大聖堂に足を踏み入れた瞬間、すでに何かが始まっているのかも。


「今は夜ですが、まだ参加者の受け入れをしているのでしょうか」


 この大聖堂の方々は随分働き者だなぁと思ったら、そういうわけではないらしい。


「いいえ、違いますよ。うちは一日限定十名しか受けつけません。先着順なので、あの列の人は明日以降の参加を希望される方々ですね」


 ということは外で夜明かし? 祐奈は驚き、目を瞠った。すごい熱意だなぁ。


 考えてみると、ああして行儀良く順序を守って並んでいる人がいるのに、こんなふうに割り込みをしてしまって、なんだか申し訳ない気持ちになった。


 もしかすると祐奈が今夜ここを訪ねなければ、今日はあと数名ばかり受け入れできていたかもしれないし。


 しかし司教ビューラは他人を待たせることなど慣れっこになっているらしく、まるで気にしていない様子である。


「人は待っているあいだが一番楽しいものなのですよ、心優しい聖女様」


 皮肉めいているようで、それでいてなんの含みもないような物言い。


 ビューラは漠然と圧がすごいのだが、意地悪な感じがまるでないので、祐奈はなんとなく彼女が好きになっていた。


 そんな気持ちを胸に彼女を見つめていたので、ヴェール越しでも好意が伝わったのだろうか。


 ビューラが瞳を細めてこちらをじっと見返してきた。


「……ふぅん。ふむ、ふむ……面白い」


「ええと、あの?」


「気が変わりました。普通に面会してよそよそしくお帰りいただこうかと思っていましたが、それはやめにします。――聖女様にはぜひ当ソーヤ大聖堂の『苦手克服の部屋』に入ってもらって、実際に効果のほどを体験していただきたいですね」


「え?」


「――お待ちください」


 ラング准将が割って入った。


「あなたは?」


「私は護衛のエドワード・ラング准将です。聖女様を試すようなことは控えてください」


「試すとは人聞きが悪いな。聖女様は聖具から魔法を取得し、そのメリットを受けるわけでしょう。聖具の本質を理解するのは、有意義なことだと思うが?」


「被験者にされるのは話が違う。この思いつきは、ただのあなたの趣味でしょう」


 ――バチバチ、と火花が散った気がした。


 ラング准将とここまで渡り合えるとは、ビューラはなかなか肝が据わっている。


 ラング准将はラング准将で、こういう時は顔が良いという利点を最大限に生かしつつ、圧を惜しげもなくかけていくので、そばにいた祐奈は思わず体を縮こませてしまった。


 ……ラング准将が怒ると怖いんだよなぁ。


 ビューラのことをなんとなく好きになりかけていた祐奈は心苦しく感じて、仲裁に入ることにした。


「あ、あの、ラング准将。私のことを気遣ってくださり、ありがとうございます」


「お礼は結構です。……どうやらまたあなたを困らせてしまいましたか」


 祐奈の話の切り出し方、声の調子ですべてを悟ってしまうラング准将は、察しが良すぎると思う。自分はそんなに気を遣ってもらうようなご大層な人間ではないのになぁと、祐奈はなんだか申し訳なく感じた。実際に誰かに叩かれそうになったら、渋々かばってくれるくらいの雑な扱いで十分だと思う。


「そんなことは全然ないのですが、あの、ええと、私、少し『苦手克服の部屋』に興味がありまして」


「本当に?」


「ええ」


 ラング准将はしばらくのあいだ考えを巡らせていたのだが、結局は祐奈の気持ちを汲んでくれた。


「承知しました」


 そんな顛末をへて、一同は小部屋に通された。


 そこでアンケート用紙への記入を求めてから、ビューラは一旦退室。


 部屋の壁にはたくさんの手紙が貼り出されていた。過去、『苦手克服の部屋』に参加した人々から届いた感謝の手紙らしい。アンケート記入の前にそれらに目を通しておくことにした。


『ソーヤ大聖堂の苦手克服の部屋はすごいです! 効果てきめんでした! おかげさまで今では、苦手だった同僚と上手くやれています!』


『男性恐怖症が克服できて、素敵な旦那様が見つかりました!』


『苦手な野菜を食べられるようになりました! どうもありがとうございます!』


『高い所が全然平気になりました! 高台に家が建っているので、本当に助かりました!』


 等々。目を通しながら、祐奈は小首を傾げてしまった。


 ……本当かいな。この世界に魔法があると知った上でも、ちょっと胡散臭いなと思っちゃうよ。もし日本にいたら『あ、これ詐欺商法だな』と判断しているところだよ。


『苦手克服の部屋にいた時だけ、なぜか克服できました』とか『ソーヤ大聖堂で克服のきっかけを掴み、その後家に帰ったあとも自分で努力して、段々大丈夫になってきました』ならまだ分かるのだけれど、ここに来たらその場で治り、それが家に戻ったあとも完璧にキープされているの? 一旦大丈夫になったけれど、まただめな状態に戻ったとか、そういうこともないの?


 それが本当だとしたら、脳を外部から操作されているよね。チップとか埋め込まれていないと不可能だと思う。


 そんなことはさすがにありえないから、これはおそらくスタッフが書いているんじゃないかな? 参加者を騙すつもりまではないとしても、『うちはすごいんです、効果があるんです』をアピールする気持ちが強すぎるとか?


 代わりに考えてあげようかな。たとえば、こんなのどうかな。


『引っ込み思案な私でしたが、お隣に住む無理めな美人を口説くことができました! 家に入れてくれました!』とか。


『動物に好かれる体質になりました! 今では猫ちゃんが踊りながらついてくるのほどの人気者です!』とか。


『来い! と強く念じてみました! そうしたら隕石が降ってきました!』とか。


 もう『苦手要素』関係なくなっちゃっているけれどね。


「――これ、成功談だけ貼り出しているんじゃない?」


 リスキンドが腕組みをしながら、冷めた調子で見解を述べる。祐奈は横目で彼を眺めた。


「ソーヤ大聖堂のスタッフが、自分たちで書いている可能性はありませんか? 評判を上げたいという気持ちが強すぎるのかも」


「それはないと思う。ほら、一緒に封筒も貼り出してあるだろう?」


 祐奈は手紙をめくり上げて、それを確認してみた。――確かに、手紙の真下に封筒もピン留めしてある。


「あ、本当ですね」


「封筒の表面には、郵便局の受付印が刻印されるんだ。これを見ると、割と全国各地に散らばっているようだし、地方から郵送されてきているのは本当らしいよ。日付も結構バラバラ。筆跡もそれぞれ違う」


「なるほど」


 それは気づかなかったなぁ。じゃあ本当に全国各地に、『苦手克服の部屋』の大ファンたちが存在するわけだ。


 リスキンドがこちらを流し見て言う。


「聖具が絡んでいるから、本物かもよ」


「苦手を克服してくれるのですか?」


「ほら、こう言うだろう? ――『信じる者は救われる』ってさ」


 その言葉を聞き、祐奈は考え込んでしまった。




***




 アンケートを書き終わった頃、部屋に司教のビューラが戻ってきた。


 ちょうど良い頃合いというか、さすが手慣れているなと感じる。


 アンケート用紙を回収したビューラがテーブルの上座に着いた。目を通しながら、その場で内容を読み上げていくスタイルのようだ。


「では最初に聖女祐奈様――得意なことは、他人の話を聞くこと――苦手なことは、自分が話すこと」


 祐奈はうわぁと恥ずかしくなってしまった。


 苦手なことは別に読み上げられても構わないのだけれど、得意なことを皆の前で音読されるのは嫌だな。『自分でそこを得意だと考えているんだぁ、へぇ』と思われちゃうよね。


 いや、でもな。この中には他人のことをからかうような人はいないから、構わないといえば構わないか――なんて考えていたら、視界の端にちょっとだけニヤついているリスキンドが映り込み、イラっとしてしまった。


 皆の前で読まれると分かっていたら、もっと内容を吟味したのにぃ!


「次、ピーター・リスキンド君――得意なことは、ナンパ――苦手なことは、愛。……なんなの君、マジで気持ち悪いね」


 ビューラがゴミ虫でも眺めるようにリスキンドを一瞥したので、祐奈は慌てて顔を伏せた。


 や、やばい。まじで噴き出すところだった。ありがとう、ビューラさん。溜飲が下がりましたよ。


 そしてふと隣を見ると、普段優しいカルメリータが肩を震わせてプルプル震えており、よく見ると口元がにやけていた。


 え、カルメリータさん、もしかして本心からリスキンドさんが嫌いなのですか? 祐奈は昼間のしりとりの一件を思い出し、複雑な心境になってしまった。


「ちょっとぉ、なんなのよ皆さん、酷いんじゃないですか? こういう周囲の無理解が、俺をこんなモンスターにしたと思うのよね」


 リスキンドがブーブー悪たれ出す。


「あら、それじゃあリスキンドさんは、自分が『女性にだらしがないモンスター』だという自覚はあるのですね」


 カルメリータが一点の曇りもない笑顔でとどめを刺すと、リスキンドがガガーン! とショックを受けた顔になり、押し黙った。


 祐奈がふとラング准将のほうを見ると、腕組みをして俯き加減になっていたので、実は笑いをこらえているのかもしれなかった。


 う……こっそりツボっているラング准将、なんか可愛いです! 祐奈は無駄にトキメキを覚えた。


「次、カルメリータさん――得意なことは、天気予報――苦手なことは、スキップ」


 ビューラはしばし無言のままでいたのだが、カルメリータのアンケート用紙をそっと脇に避けた。


 カルメリータはコメントを期待して、前のめりになってワクワク気分で待っていたようなのに、答えが何も返ってこなかったので、眉を八の字に下げてがっかりしていた。


 確かに「スキップが苦手」と言われても、「それは自力で頑張って」となるだろうなぁ。


 ていうか天気予報が得意なの? すごくないですか? 一芸だよ、もうスキップできなくてもいいと思うよ。トントンどころかお釣りくるよ、と祐奈は心の中でカルメリータを励ました。


「次、エドワード・ラングさん――得意なことは、剣術――苦手なことは、部下の殉職」


 ビューラが「チッ」と舌打ちした。


「おい舐めてんのか」


「どういう意味でしょう」


 おっと、ラング准将が喧嘩上等みたいな空気を醸し出しているよぉ。敬語がなんか怖いよ。


「もっと笑える弱点書けよ、なんだよ部下の殉職て」


 ええ、確かにそれはちょっと私も思いました。ほかにないのか、って。


 チラ、とラング准将を見たら、予想外の指摘だったらしく、固まっている。


 うん? え、まさか本当に弱点がほかにないの? 嘘でしょう?


「ら、ラング准将」怖くなり、隣に座る彼の上着をクイ、と引っ張る。「あの、苦手なもの、ほかにないですか? たとえばそう――蛇、とかはどうですか?」


「好きではないですが、掴めます」


「えー! 掴めるんですか? すごぉい」


 祐奈が驚き過ぎてぎゅーっと彼の二の腕を握ると、ラング准将が小首を傾げている。


「祐奈は蛇が怖いのですか?」


「怖いです」


「……可愛いですね」


 はぅ、となった。アイアンクローをされるより、よほど脳味噌がぎゅーっとなる。


 ラング准将がまたもや殺しにかかってくると祐奈は恐れた。


「じ、じゃあ、何かもっとほかに嫌なこと……そ、そうだ、女の子にベタベタされるのが苦手、とか?」


 これならありそう。祐奈は自分が今ラング准将の腕を掴んでいることをすっかり失念しており、前のめりに阿呆なことを質問していた。


 ラング准将がなぜか悪戯に微笑む。


「全然」


「ええ? そうなのですか?」


 それはそれでショックだな、なんて思っていたら。


「祐奈に触れられても、やっぱり可愛いと思うだけですよ」


 優しく諭されてしまった。


「わ、わぁ、すみません! 触っている自覚なかったぁ!」


 うわぁ恥ずかしい! 手を離そうとしたら、ラング准将に引き留められる。


「離してしまうのですか?」


 てなことをしていたら、ビューラがブチ切れた。


「――ド畜生が! くたばれ‼」


 アンケートを力任せに引きちぎり、丸め、親の仇か何かのように壁に向かってぶん投げている。この凶行に祐奈は唖然としてしまった。


 ――この時リスキンドはひとり超然としていて、テーブルに頬杖を突き、こうのたもうたのだった。


「いやぁ、ビューラ姉さん、初めて気が合いましたね。――恋人持ちじゃない俺も、コイツらくたばっちまえと思いましたよ」


 あんまりだ、と祐奈は思った。


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