第32話 神のみぞ知る
頃合いを見計らって宿に戻った。
これが同じ町だろうかと思うほど、行きと帰りでは景色ががらりと変わっていた。町のどこもかしこも空気が殺伐としている。人が慌ただしく往来を行き来し、厳戒態勢に入りつつあるのが感じ取れた。
どうやら中央広場のほうでは決起集会が開かれているらしく、遠方から怒号めいたコールが響いてくる。
宿は中央広場から離れた北東区域にあったので、周辺はまだ比較的穏やかな状況だった。
ラング准将はカルメリータに至急荷造りをするよう言いつけ、リスキンドをそばに呼んだ。
「荷物を纏めるのを手伝って、すぐに町を出ろ。ルークも行きたがるようなら、連れていって構わない」
床にだらしなく寝そべっていたルークはスチャっと立ち上がり、足早に旅行鞄のそばに近寄ると、胸を張ってお座りしてみせた。――俺を置いて行くなよ、とでも言いたげなその現金な仕草に、リスキンドは笑みを誘われる。
一拍置き、視線を戻して尋ねた。
「ラング准将は?」
「片づけなければならない用がある。あとで追いつくから、俺を待たずに進め」
この状況でこれ以上ポッパーウェルに居残るのは非常にリスキーだった。状況は刻々と悪化している。
リスキンドは一瞬ラング准将を案ずるように見つめ返したものの、すぐに了承の意を示した。
「すぐに発ちます」
「頼む」
「ラング准将もお気をつけて」
これにラング准将は微かに瞳を細め、長い付き合いのリスキンドがやっと読み取れるかどうかというレベルの、淡い笑みを唇に乗せた。
……まぁこの御方なら、どんな局面であっても上手く切り抜けてしまわれるのだろうけれど。それでも仲間だから、心配はするよね。リスキンドは小さく息を吐いた。
***
ラングはふたたび集会場へと戻ってきた。
半時ほど前にここを占拠していた人々は、すでに中央広場へと拠点を移しているのだろう。建物はひっそりと静まり返っている。
無人のホールを突っ切り、予言の玉の前に立つ。
龍の口のあたりを指で弄ったあとで、物思うような瞳でしばらくのあいだそれを眺めおろしていた。
やがて背後から足音が響いてきた。ゆっくりと振り返ると、仏頂面のバッド少年が近づいてくるのが見えた。
「この予言の玉は『録音装置』だね。予言をしていたのは『神』ではなく、『下働きの少年バッド』だ」
穏やかに話しかけると、今さら隠し立てをする気もなかったのか、バッドが軽く肩を竦めてみせる。
「まぁね。町の馬鹿どもを慌てさせてやったのはこの俺さぁ。――でもあんた、よく気がついたなぁ」
「私のあるじが優秀な人でね」
バッドは少しまごついてしまい、口を開きかけて、結局閉じた。
先の台詞を口にした目の前の端正な騎士が、柔らかで綺麗な笑みを浮かべたので、戸惑ってしまったのだ。
なんとなくであるが、彼はこちらに笑いかけたのではないように感じた。今ここにいない誰かを心の中で思い浮かべて、その人のために微笑んだのではないだろうか。
奇妙な沈黙が流れる。
バッドは大人を憎んでいたのだが、目の前の彼のことはそんなに嫌いではなかった。以前意地悪なディーに蹴られていた時に真っ先に駆けつけてくれたので、あの時は感謝を伝えたりはしなかったものの、記憶の片隅には彼を特別に思う気持ちが残っていたのである。
そんな訳でバッドはいくらか友好的な態度でもって、色々教えてやることにした。
「フリン含め、誰もからくりに気づけなかったよ」
「この玉自体は詐欺師フリンが持ち込んだのでは?」
「そうだよ」バッドが頷く。「なんだか訳アリの品らしいんだけどさ――この町でインチキ霊視をする際に、これを意味ありげに飾っておいて、カモに高く売りつけるつもりだって言ってた。それで俺は玉を綺麗にしておくように命じられてさ。弄っているうちに仕かけに気づいたんだ」
「十一時半になると、吹き込んだ音声が自動で再生されるわけだね」
「初めて声が流れた時、フリンは飛び上がっていたよ。俺が吹き込んでいるなんて夢にも思っていなかった。『これは本物の予言の玉だ』とか言い出してさ。あいつはとにかく悪知恵が働くからな。上手くそれを利用することにしたみたいだ。玉が何を喋るかは予想できないけれど、フリンは根っからの詐欺師だから、どんな内容であっても咄嗟に上手く合わせることができる。『自分は玉が語る内容をあらかじめ把握していましたよ、皆さん』――てな芝居をするわけさ」
「流された音声は、君の地声とは違っていた。録音されると自動でなんらかの加工処理がされるのかな」
「うん、そうみたいだ。理由はよく分かんないな」
バッド少年の声は高めだが、玉の声は低く、少しエコーのかかった響きだった。それにより玉の神秘性が高まっていたので、なかなかに悪辣な仕かけである。
ラングは微かに瞳を細めて、視線を彷徨わせていた。どことなく気怠げで、物思う様子だった。
「集会の参加者の様子は異常だった。君は『予言の玉』に語らせる形で、巧みに彼らに不安感を植えつけていった。入念な下準備をしたものだ」
「入念というかさ、ただムカついていたから、その怒りを気が済むまで玉に吐き出していただけさ」
「しかし頭の良いやり口だよ。あれだけの数の大人を扇動し、君が目指すゴールへと導いた」
「――こんなクソみたいな町、滅んじまえばいいんだ」
バッド少年の声に混じり気のない狂気が宿った。彼はひっそりと膿んでいたし、ただ静かに狂っていた。
それにやはり腹の底には、常人が抱えうる何倍もの激しい怒りを飼っているのだ。彼は呼吸をする要領で、目の前の何かを憎める。ある意味では非常に特異な存在だった。
「滅ぼすのが目的とのことだが、隣接する都市カーディンとは無関係なのか?」
カーディンとポッパーウェルは長年いがみ合っていた。カーディンからすると、この町は目の上のたんこぶだったはず。
「カーディン側の利益なんて俺は知ったこっちゃないよ。まぁしっかり利用はしてやったけどね。でもそうだな――フリンのやつはカーディンと深いつながりがあるよ。カーディンから金を貰っているんだ。だからあいつは予言の玉が喋り始めて、この町が自滅しそうだから大喜びだった。どうにかしてその方向に持っていこうと頭を悩ませていたところで、玉が勝手にその役目を引き受けてくれたんだからな! 実際は全部俺が描いた筋書きなんだけどさ――フリンはそれを自分の手柄にして、カーディンから礼をたんまりせしめるのだろうさ」
やはりフリンは詐欺師で、裏切者だった。そして下働きのバッドが、フリンにとって都合の良い筋書きを描いた。
この子供は頭が良い。大人の話を注意深く聞いていて、計画を練った。どうやったらポッパーウェルを滅ぼせるのか。
バッドの計画は少々込み入っている――まずはここの連中を、美味しい餌をチラつかせて町の外に出す。餌は『憎き力強い族が、精霊の加護を失い弱体化する』というものだ。
住民に周知させたところで、今度は『向こうが攻めてくる』と煽る。
ポッパーウェルの人間が大挙して力強い族の元へ襲撃に向かえば、地元(ここ)が空になるから、カーディンはその隙をついて、一気にこの拠点を攻め落とす気だろう。
まるで椅子取りゲームだ。席が空けば誰かがそこに座る。
力強い族との衝突でポッパーウェルの兵力を削り、逃げ帰る退路まで断ってやろうという、あまりに恐ろしい計画だった。
「不思議なんだが、どうして君は『予言』の内容を自由に操れるのに、自分の得になるように使わなかったんだ?」
「得になるって何が?」
「君は長いこと虐げられてきた。馬鹿にされ、軽く扱われて。町の人間に腹が立っていたんだろう」
「だから死ねばいいと思ったし、そのとおりにしたよ」
「しかし玉を使えば、彼らが自分を敬うように、上手く持っていけたはずだ。けれど君は自己顕示欲を満たすためには使わなかった」
バッド少年がこらえきれないというように笑い出した。それはまるで子供らしさのない、老獪で下卑た笑みだった。
「だって、それじゃ全然面白くないからさぁ! 馬鹿どもにチヤホヤされたって、楽しくないじゃない?」
「しかし少なくとも、君は蹴られる心配をしなくて済む」
「関係ないよ。蹴りたいなら蹴ればいいんだ。そのほうが、やつらが死んだ時に、俺はうんと楽しめる」
彼は破滅型の人間だ。
バッドは自分の痛みさえもどうだってよいのだろう。自らの身の上に起きようとも、すべては他人事。精神も含めた広い意味で『痛覚』が麻痺しているので、他者にも平気で酷いことができてしまう。
破滅の王子が『町の滅亡』という明確なゴールを目指して、ブレることなく、不屈の精神でやり切った。子供ながらにとんでもない胆力だった。
ラング准将は憐れむように目の前の少年を見据え、
「じゃあ私はこれで」
と別れの台詞を告げた。
挨拶が済めばもう関心がないとばかりに、出口に向けて歩き出す。
これにバッド少年は戸惑いを覚えた。ラング准将が傍らを通り抜けて行ってしまいそうになったので、慌てて呼び止めていた。
「な、なんだよ――俺がやったことを、誰かに言いつけたりしないのか?」
そんなことなど望んでもいないくせに、置いていかれるのがなんだか物足りないように感じられて、ついそんな馬鹿げた問いを口にしてしまう。もう少し話したいとバッドは思った。
ラング准将の怜悧な瞳が、バッドを見据える。琥珀色の瞳は本来ならば仄かな温かみを含んでいてもおかしくないのに、彼のそれは硬質で透き通っており、バッドを受け入れてはくれなかった。
「――この町の未来は『予言の玉』が決めるんだろう」
「え?」
「あくまでも私は部外者だ。だからここを去るよ」
そう言い置き、あとは一切振り返ることなくホールを出て行った。
***
ラングは馬を駆り、不快で陰湿な町『ポッパーウェル』をあとにした。
町の連中は来たるべき戦のことで頭がいっぱいになっていて、去り行く人間に注意を払う者はいなかった。
誰かにあの玉のからくり――下働きの少年が『予言』を吹き込んでいたことを話すつもりはなかった。言ったところでどうせ誰も本気にすまい。人は自分が信じたいことしか信じないものだ。
町を出てすぐに手紙を二通投函した。
一通は『力強い族』の長ブロニスラヴァに宛てて。
これまでの経緯を簡単にまとめ、襲撃に備えるよう書き添える。
兵力でいえば、彼らは不意を突かれたとしても何も揺るぎはしないだろう。しかし警告により犠牲を減らせるのならば、それに越したことはない。
そもそもポッパーウェルの連中は、『力強い族』が精霊の嫁入り先に選ばれなかったとしても、なぜそれで勝てると思い込んだのだろう? たとえ精霊を迎えることができなかったとしても、新規に力が増強されないというだけで、現状から何かが引き算されるわけではないのに。
今現在すでに埋めようがない力の差があるのだから、精霊の花嫁云々によりそれがチャラになることはないはずだ。
そして実際のところ『力強い族』は精霊アニエルカを迎えているので、さらに力が増している。精霊の加護を受けている土地は幸運がついて回る。それを敵に回すだなんて狂気の沙汰である。
そして今投函した手紙により、ブロニスラヴァは万全の備えを敷くであろうから、戦況はポッパーウェルにとってさらに悲惨なものになると思われた。
バッド少年の思惑どおり、町は滅ぶだろう。
それからもう一通の手紙は、王都にいる自身の上官に宛てた。初めに記した内容は、三点。
――ポッパーウェルが起こそうとしている、身勝手な襲撃計画について。
――バッドという少年に危険な兆候が見られるので、精神鑑定と保護の依頼。
――そして聖具所持の可能性について。
腰の重い中枢部がこれで動くかどうか、正直なところラングにも分からなかった。
それで少し考えてから『正午の鐘を勝手に三十分ずらして鳴らしている』件も書き添えておいた。一応、保険をかける意味で。
常識で考えれば、『力強い族』への身勝手な襲撃計画のほうが大きな問題を孕んでいるのだが、そこはあっさりと流されてしまうような気がしていた。
それから新聖具についても先に同じで、これもまた重要案件であるはずだが、彼らは『新聖具の調査報告については、聖女の旅が終わり次第確認する』と決めているので、現状では『保留』とされてしまう可能性が高い。
それでおかしな話になってくるのだが、追記の報告事項が効いてくる。
この一見どうでもいいような『鐘』の箇所――ここが引っかかって、ポッパーウェルに調査が入る可能性が一番高いように思われた。
重要案件をスルーしておき、目くじらを立てる箇所がまさかの『鐘』。
仮定の話であるが、王都から制圧隊が派遣された場合、彼らは腰が重い割には、一度やるとなったら威信をかけて徹底的にやるので、町は悲惨な状態になるだろう。
ポッパーウェルは進むも留まるも地獄だった。
生き残れるかどうかは『運』次第。
実は、ラングはバッド少年との会話を『録音』にかけていた。あれが明日の昼にそのまま流されれば、あるいは。
しかしその望みも薄いだろうとラングは予測していた。なぜならあの玉はおそらく『聖具』だからだ。
祐奈は『録音装置』――つまりただの機械では? との見解を示していた。
それはある側面では正しいのだろう。あれは確かに録音機能『も』備えている。
しかしそれだけではない。あの玉は『意志』を有している。それは確かだった。
リスキンドが朝集会場で仕入れてきた情報によると、バッドが吹き込んだ音声内容は三種類あった。
『国王陛下崩御』
『力強い族がポッパーウェルを攻撃する。精霊の加護を失う前に』
『新年までに世界から犬が絶滅する』
しかし実際に再生されたのは、そのうちひとつのみ。
機能的に『ひとつしか録音されない』ということもありえなくはなかったが、しかしそれも疑わしかった。ひとつのみならば、最初か最後が録音されるだろう。もしくは時間制限があるのなら、変な部分で途切れたはず。
ところが予言として選択されたのは、ふたつ目――真ん中のメッセージだけだった。しかも内容的には町にとって劇薬となる、一番過激なもの。
あの玉は読み上げる内容を選んでいる。玉にとって都合の良い予言を発表しているのだ。
あれは戦争をさせたがっていた。ポッパーウェルが負けると分かっているのにも関わらず。
だとすると先ほどラングが録音したバッド少年の自白は、再生されないまま闇に葬られる可能性が高い。
――すべては『予言の玉』次第。
滅ぼすのか、残すのか。
現時点でそれを知る者は誰もいない。
神のみぞ知る、か――ラングは小さくため息を吐いてから、不快な町ポッパーウェルを意識の外に追いやった。
4.お告げの町(終)
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