第30話 瀬戸際


 集会場で捕まえたブロンデル総督は、迷惑そうな様子を隠しもしなかった。


 彼がホールにいたところを呼び止めたのだが、顔を顰めて西区画のほうへ逃げようと移動を始める。一行はそれを追い、ホール側面の扉外でやっと引き留めることができた。


「――なんなんだね、君たちは! 不躾だろう、こんなふうに約束もなく押しかけてきて!」


 受け口のブロンデル総督は、上下の歯を怒りでカチカチ噛み鳴らしながら文句を言う。


 祐奈は『連れていってほしい』とラング准将に頼んだこともあり、すぐに足を一歩前に踏み出した。自分が話すというのを周知させるためだった。


「ブロンデル総督。大切なお話があるのです」


「私にはないね」


 にべもないとはこのことだが、彼の了解を貰っている余裕はない。


 宿を出た時、すでに十一時を回っていた。ここまでそう離れていないのでまだ半にもなっていないだろうが、もたもたしている時間はなかった。


 そうこうしているあいだにも扉の向こうには人が集まってきているようで、段々と騒がしさが増している。集会が始まる時間はまだ先なのに、ずいぶん熱心なことだと祐奈は思った。


「昨日、あの予言の玉が『精霊の嫁入り先に、『力強い族』は選ばれなかった』と言いましたね」


「ああそうだが、それがなんだね」


「私は聖女として、モレット大聖堂で精霊の嫁入り先を決めました。――精霊アニエルカは、『力強い族』の元に嫁ぐことが決まっています」


「なんだって?」


 ブロンデル総督の口がぽかんと開いた。マペットの口がぱかぁと開いたような、どこか滑稽な顔。


「あの玉は嘘を述べています。信じてはいけません」


「そんな――そんなことはありえない!」


 ブロンデル総督の顔に嫌悪が滲む。面倒事を持ち込んできた祐奈に対し、憎しみすら覚えているようだ。


 そのかたくなな態度を見て、先行きの暗さを予感する。ままならない――祐奈のほうもこの時、苛立ちを覚えていた。


 この人は自分の頭を使って、物事を考える気はあるのだろうか? いくらなんでもフリンを――そしてあの予言の玉を妄信しすぎだ。


 実際に嫁入り先選定に携わった人間が証言しているのに、なぜそう脊髄反射で否定してかかれるのか? 当事者の証言を無視して、実体のない予言とやらに縋って、それで平気なの? その決定に多くの命がかかっているのに?


「なぜ拒絶するのですか? 私は自分が担当したことについて、嘘偽りなく語っています。真実を述べているのに、あなたは聞き入れようとしない」


「だけどあんたは、品性下劣な『醜い聖女』なんだろう」


 叩きつけるような、ブロンデル総督の暴言。滲み出ている侮蔑。悪意。それは憎悪にも似ていた。


 祐奈は体が強張るのを感じた。傷ついている場合ではないと頭では分かっているのに、それでも身が竦む。


 ――不意にラング准将が前に出てきた。


 彼から放たれる殺気混じりの気配で、祐奈はやっと我に返った。慌てて彼の腕に触れる。


「ラング准将、大丈夫です」


「いいえ、許容できません」


 こちらを見おろす彼の瞳は、なんというか人間離れした美しさがあった。


 誇り高く、誰にも穢せない。まるで空と地の果てを眺めているような、圧倒される何かがある。


 祐奈に向けられた怒りではないのに、咄嗟に膝を折りたくなってしまうほどだ。普段穏やかなこの人が、どれだけ底知れぬ強さを秘めているのか、そしてどれだけの修羅場をくぐってきたのか、思い知らされたかのようだった。


 怒りを向けられていない祐奈ですら震えが出るのだ。ブロンデル総督のほうは呼吸も浅くなり、ほとんど上半身をのけ反らしている。


 理屈ではない。戦闘態勢に入った百獣の王を目の前にすれば、誰だってこうなる。勝てない相手というのは、対面してみれば本能的に分かるものだ。


 正直なところ祐奈は心も弱りかけていたし、ラング准将にすべてを託してしまいたかった。けれど彼女の愚直な部分がそれを許さない。


 あれだけ我儘を言って連れてきてもらって、このていたらくか。開始早々白旗を上げて、ラング准将に責務を譲り渡して、それでいいの?


 ――ここで退いてはならない。祐奈は意識して背筋を伸ばす。ラング准将を真っ直ぐに見据えて告げた。


「――お願いです。私にもう一度チャンスをください」


 張りつめた空気が流れる。


 彼の眉根が微かに顰められ、アンバーの瞳が揺れた。


「あなたは私を困らせる天才だ」


「本当にすみません。でももう一度だけ」


「謝らないでください。出しゃばったのは私のほうです」


 ラング准将が身を引かせる。


 祐奈は息を整えた。――ここが正念場だ。学生気分では済まされない。よく頑張ったね、最善を尽くしたね、ではだめなのだ。


 結果が求められている。自分が上手くやれるかどうかに、人の命がかかっているのだ。


 祐奈は意志を込めてブロンデル総督に伝えた。


「ヴェールの聖女にまつわる悪い噂を聞いたのですね」


「昨日の集会解散後にね。フリン様が詳細な情報を教えてくださったよ」


「噂の一部は事実です」


「は?」


「醜い聖女というのは事実です。――その上で、私が醜いとして、それがなんなのですか」


「なんなのですかって、あなた」


 ブロンデル総督が呆気に取られている。


「私は国王陛下からウトナへの旅を命じられています。その任務の一環で、モレット大聖堂に立ち寄り、精霊の嫁入り先を決めました。――今の話、きちんと理解できていますか?」


「理解……いや、しかし」


「今の話に、私の顔の美醜が何か関係しますか?」


「いや」


「私はありのまま真実を述べています。いい加減、あなたは目を覚ますべきです。正しい判断をしなければ、あなたの故郷が、この町が滅んでしまうのですよ。ブロンデル総督に家族はいますか?」


「妻と娘が……それに両親も健在だ」


「無用な争いを仕かけて、大切なご家族が血を流すことになっても、あなたは平気なのですか。想像してみてください――ご家族が怪我をしている場面を。その場の勢いで感情のまま走り出して、かけがえのない人をなくしてもいいのですか?」


「それは……だがしかし、玉が『絶対に勝てる』と言うなら、それは確かなわけで」


「あんな小さな玉ごときに何が分かると言うのです。あなたの脳よりもずっと小さなただの玉ですよ。そんなに戦争がしたいのですか? 力強い族に勝てると本気で信じているのですか?」


 もう一押し――祐奈は歯を食いしばる。感触は悪くない。


 祐奈は真実を語っている。嘘偽りなく。それは相手にも伝わると信じたい。


 対面しているブロンデル総督の態度は、当初よりも軟化してきているような気もする。祐奈が家族について尋ねた時、それが分かった。


 彼は「うるさい」と拒絶せず、妻と娘、両親がいるのだと、プライベートな内容を打ち明けた。かたくなに閉じていた扉を少しだけ開き、いくらか話を聞く体勢に入ったということだ。


 彼はいい加減な人間であるが、人並みに家族愛はあるようだった。家族が血を流してもいいのかと告げた際、彼の瞳に恐怖が浮かんだのが、こちらにも伝わってきた。


 ブロンデル総督は怯えている。彼は臆病な人間だ。――あと少し、もう少し。


 その時だった、鐘の音が鳴り響いたのは。


 祐奈は愕然とした。どうして? まだ体感的には十一時半がいいところだ。


 十一時に宿を出て、すでにもう一時間経過しただなんて、そんなことはありえない。


「今が十二時のはずがない」


 祐奈が強張った呟きを漏らすと、ブロンデル総督が思い切り顔を顰めて言う。


「この鐘は十一時半に鳴るんだ」


「ですが王都でもモレットでも、鐘の音は正午でした」


「ああ、ここも元々は正午だったさ。しかしフリン殿が持ち込んだあの玉が十一時半に予言をもたらすので、それに合わせて鐘を鳴らす時刻を変えたんだ、十一時半にね」


 それを聞いたラング准将は舌打ちしたい気分だった。


 先日鐘が鳴った時、ホールの振り子時計は十一時四十八分を指していた。時計が遅れているのかと考えてしまったのだが、まさか進んでいたとは。確かに体感的にあの時、『もう正午か』とは思ったのだ。


 ――しかし、予言の玉に合わせて、鐘の音を三十分前倒しにしているだなんて、どうして想像がつくだろう?


 そもそもの話、正午に鐘を鳴らす慣例は王都シルヴァースで定められ、国中にルールが行き渡っている。数代前の国王陛下が労働環境に関しての意識改革を強く訴えた関係で、その点は徹底されているはずだった。


 こんな勝手は本来許されることではない。ポッパーウェルの在り方はとうの昔に常軌を逸していたのだ。これではまるで独立国家だ。


 リスキンドがホールに繋がる扉を開く。


 予言の玉が語り始めた。


『力強い族がポッパーウェルを攻撃する。精霊の加護を失う前に』


 一瞬、会場が奇妙なほどに静まり返った。


 何かが起こる前の、緊張を孕んだ静寂――


 そして爆発的な開放。


 誰かが雄叫びを上げる。


 残響――抑え切れずに下から突き上げてくるような熱気。


 あとは坂道を転がり落ちるがごとく、だった。拳を突き上げ、勇ましく何かを叫ぶ暴徒たち。


 狂乱の騒ぎに建物全体が揺れ、哭いているかのようだった。


 祐奈はただ棒立ちになり、その光景を眺めることしかできなかった。


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