第26話 ラング准将、揺らぐ


 祐奈たちは玉とバッド少年との関係に強く興味を引かれたのだが、聴衆たちは語られた内容そのものに衝撃を受けているようだった。


「では力強い族の力は増強されないってことか」


「攻めるなら今がチャンスなのではないか?」


「あそこの地下資源はとにかく魅力的だ」


「精霊の加護がついてしまえば、絶対に勝てないものと思っていたのだが」


「運が回ってきたかもしれない」


 興奮し、血色が良くなる人々。彼らが喜々として語っている内容があまりに血生臭くて、祐奈は寒気を覚えた。


 力強い族の長ブロニスラヴァとは先日交流している。彼は善人だった。


 上に立つ者として民を守ることに心血を注いでいたし、やんちゃな精霊アニエルカに対しても大らかだった。祐奈は人として彼に好感を抱いた。


 それが、なんてことだろう。今回ポッパーウェルで玉が気まぐれに告げた内容によって、ことと次第によっては、ブロニスラヴァの故郷が血に染まってしまうかもしれない。


 アニエルカだって人に変化したら当然怪我もする。――もしも戦いに巻き込まれて傷ついてしまったら? それで死んでしまったら?


 何か自分にできることはないだろうか。


 そう――そうだ、ブロンデル総督に「精霊の嫁入り先は『力強い族』に決まった」と話そう。


 ここでいきなり自分がしゃしゃり出て演説を始めても、誰も真面目に聞きはしないだろう。皆があの不思議な玉に夢中だし、すっかり心酔しきっているのが伝わってくる。カルト教団にどっぷり嵌まっている人の精神状態といったらいいのだろうか。


 祐奈はこういった洗脳状態にある人たちの危険性については理解しているつもりだったので、無計画に行動するつもりはなかった。下手に彼らを刺激すれば暴動に発展するかもしれないし、もしもそうなった場合、ラング准将に迷惑をかけてしまう。


 彼はどんな状況にあっても、単身ならば無傷で切り抜けられる。けれど足手まといの祐奈をかばいながらの対処となると、実力の一割も発揮できずに、大怪我を負ってしまう可能性もあった。


「皆さん!」


 フリンの張りのある声が響く。


「本日はこれで解散となります。――また明日、この時間に」


 フリンの影響力は絶大らしく、そう告げられた聴衆は大人しく回れ右をして引き返していった。しかしその従順さも、直前の興奮状態をかんがみると、なんだか空恐ろしく感じられるのだった。


 そして声を聞いていて感じたのだが、フリンは女性なのかもしれない。凛々しくはあるが声音は澄んでいて細く、どこか女性的な響きがあった。


 下手(しもて)でじっと様子を伺っていたらしいブロンデル総督が進み出て、満足気にフリンと握手を交わしているのが見えた。


 やはり彼の顎は不自然なほどに持ち上がっていて、『この偉大なるフリン様と友人である私』という状況が、彼の自尊心を十分に満足させているらしいことが感じ取れた。


 ブロンデル総督がこちらに視線を移し、


「――聖女様、ラング准将、どうぞこちらへ」


 と手招きしながら呼びかけてきたので、素直な祐奈は促されるまま足を踏み出した。


 ところが、ラング准将は顔には出さなかったものの、祐奈を簡単に呼びつけるこの態度には少々思うところがあった。


 祐奈は謙虚な女性なので、こんなことで腹を立てたりはしないが、聖女に対して犬の子でも呼ぶような軽い扱をするのはいかがなものか。


 ことを荒立てれば祐奈が嫌な思いをすると分かっているので、この時は沈黙を守った。しかし実はこの時、ラング准将は彼女の護衛を務めることの難しさに気づき始めていた。


 ――私情を交えてはならない。


 アリスの時はもっと上手くやれていた。それはアリスに対して必要以上に深入りしなかったからだろう。心が適度に離れているから、的確な判断を下すことができた。


 こちらがアクションを起こした際に、それについてアリスがどう感じるかまで考えて行動したことはなかった。ラングはただ職務上『正しい』選択をするだけでよかった。


 しかし祐奈を前にするとすべてが崩れる。――護衛としての正しさと、彼女を気遣う思いが、上手く折り合わないことがあるのだ。


 本来ならば細やかに祐奈の心のケアをするよりも、護衛としての正解を選ぶべきだ。それが時に非情な選択であろうとも。しかしそれが難しくなりつつある。


 ラングはこのように衝動めいたものに突き動かされて、ままならなくなるという経験をしたことがなかった。


 彼女といると、なぜか――心の柔らかい部分を刺激される。ふとした瞬間に揺さぶられ、振り回されて、無様になり果てそうで自身を持て余す。


 けれど彼女自身はこちらを振り回しているつもりもないのだろう。あなたはすべて正しいというような、全幅の信頼を持って見上げてくる。


 彼女がくすぐったそうに笑う声が耳に残って、しばらく離れないことがある。ヴェールの下でどんなふうに笑っているのかを考えてしまい、そんなことに気を取られていることについて『らしくないな』と感じることもあった。


 ――護衛をしているから、どうしても彼女第一になってしまうのだろうか? これはあるじへの、究極の忠誠心?


 しかし彼の正直な心が、『違う』と否定する。


 きっとアリスに付いていたら、自分はこんなふうにはなっていない。それだけは確かなのだ。




***




「こちらは素晴らしい予言の能力を持つフリン様です」


 ブロンデル総督は恥ずかしげもなく、得体の知れない人物を紹介してきた。


「フリン殿――こちらは聖女祐奈様です。ヴェールをつけていらっしゃるのは、高貴な御方ゆえ、ですかな」


 これを聞きながら祐奈は、ポッパーウェルにはやはりまだヴェールの聖女の悪評は届いていないのだと悟った。いつ情報が入ってくるかは不明であるが、現状ブロンデル総督はこちらを賓客として扱ってくれるようである。


「聖女様、私と対等な友人になりましょう。明日の集会で隣に立ってください。私が推せば、あなたは聴衆の人気を得られますよ」


 しかしフリンという人物はどうにも信用ができないと祐奈は思った。鷹揚な笑みを浮かべているものの、目の奥が笑っていないのだ。


 それに気づけたのは、フリンが扱うあの謎のアイテムが、嘘を述べていることを知っているせいかもしれなかった。話す前からフリンのことを疑ってかかっているので、仕草の微妙な胡散臭さが目につく。


 そうでなければ祐奈は他者の振舞いを一度は良く解釈しようとしてしまうので、この不自然さには気づけなかったかもしれない。


「フリン様、申し訳ないのですが、それはできません」


 気の弱い祐奈にしては、きっぱりした口調で告げた。


 普段、彼女が慌ててしまうのは、自身の対応が決まっていない時だ。どうするのが正しいのだろうと深く考えすぎてしまい、さらには相手の立場までを考慮に入れたりするので、処理する情報が多すぎて混乱してしまう。だから自信もなくなる。


 しかし今の祐奈に迷うことは何ひとつなかった。だからはっきりと意見を述べることができた。


「おやまぁ、予想外に強気だな。聖女祐奈――私は顔が広くてね。王都の護衛隊にも知人がいるのです。聖女来訪は国を挙げての一大行事ですからね、情報は早め早めに収集することにしていたもので。結果、大正解でしたよ――だってあなたの評判を、ここにいる誰よりも詳しく知ることができたのだから」


 なるほど。ではフリンはあれだけの悪評を聞いてなお、隣に立てと言ってきたのか。


「私の前でヴェールを外してごらんなさい、ふたり目の聖女よ。すべてをさらけ出し、心を開くのです。――あなたは私の手を取るべきだ」


 いくらかの圧力を加えながらフリンが右手を差し出してくる。


 不意に、斜め後ろに控えていたラング准将に腕を引かれた。


 力加減は優しく、肩や背中にも全体的に感触があり、ほとんど抱き留められる形で、彼の傍らに引き寄せられる。


 あ――と思った時にはすでに、彼は祐奈を自身の背にかばい、前へ進み出ていた。


 素晴らしく均整の取れたラング准将の背中を見上げる。祐奈は頭がついていかず、無意識に彼の上着をきゅっと手で掴んでいた。


 ラング准将の硬質な声が響く。


「下がりなさい」


「ラング准将、でしたかな」


「聖女様に無礼な振舞いをしないでいただきたい。あなたごときが」


「無礼? これのどこが? 友好的に握手を求めているだけですよ」


「理解いただけないのかな――頭(ず)が高い、と言っている」


 あまりに一方的。そしてあまりに高圧的だった。冷ややかで高慢で、取りつく島もない。


 祐奈は驚いてぽかんと口を開けてしまった。そのまま喘ぐように小さく息を吐き、混乱するままラング准将の上着を掴む指に力を入れていた。


 この人はこんなふうに怒るんだ。青い炎みたいだ。静かではあるけれど、これ以上なく激しい。誰もこの気高く誇り高い人を屈服させることはできない。


 重い沈黙が流れた。祐奈はじっと息を殺していた。この停滞した時であっても、ラング准将はきっと少しも揺るがず、相手を圧倒しているのだろうと思われた。


 一方、フリンはどうだろうか? 果たしてラング准将を敵に回せるほどの覚悟があるのか?


 考えるまでもなかった。勝てる者など誰もいない。フリンが対抗できるわけもなかったのだ。


「……御前、失礼いたします」


 フリンの硬い声が響き、次いで遠ざかって行く足音が聞こえた。


 ふと視線を巡らせてみると、横に避けて様子を窺っていたらしいブロンデル総督が、慌てたように手を上げたり下げたりしているのが見えた。そして「し、失礼します」とだけ言い置き、フリンのあとを追って立ち去ってしまった。


 ラング准将が身じろぎする気配がして、祐奈ははっとして上着を掴んでいた指を放した。あ……皴になっちゃったかも。どうしよう。


 彼が振り返り、ヴェール越しに顔を覗き込まれる。


 腰を抱かれて、抱え込まれているような姿勢になるが、それが不適切だとも、不自然だとも感じなかった。それは彼があまりにも真摯にこちらを見つめているせいだろうか。


「申し訳ありません。怖がらせてしまいましたね」


「謝らないでください。私――」


 何を言っていいのか、頭が混乱する。


 嬉しいです? ありがとうございます? ――そうじゃなくて。本当にそれを言いたいの?


 私が上手くできなくて? ――それは本心だけれども、きっと今伝えるべきことじゃない。


「ら、ラング准将は……怒ると怖いのですね」


 口をついて出たのは、たどたどしい本音。考えすぎた弊害なのか、嘘偽りのない言葉がこぼれ出ていた。


「……嫌いになりましたか?」


 彼の台詞が思いがけず朴訥としていたのが意外で、祐奈は大きく息を吸う。


「私、嫌いになったりしません。怒ったラング准将は怖いけれど……でも、私は好きです。あなたが普段、とても優しい理由が分かった気がして」


「どうして?」


「あなたは他人のために怒れる人です。ラング准将は器用な人だとずっと思っていました、でもたぶん違う。あなたの生き方は不器用で……だけどこの上なく誇り高い」


 ラング准将の口元に淡い笑みが浮かぶ。


 彼の瞳は琥珀のように透き通っていて、奥行きがあり、神秘的だった。しかしこうして間近で対面していると、それが不意に揺らぐ。


 いつも完璧で隙のない彼が、心の柔らかい部分をさらけ出してくれているような感じがして、胸が疼いた。


「不器用なんて、初めて言われました」


「ご、ごめんなさい」


「謝らないでください。嬉しく感じているので」


「え」


「――きっと十年たっても、今日のことを思い出す」


 祐奈はこれまで生きてきて、誰かの笑顔で、ここまで心を揺さぶられたことはなかった。


 息が止まるかと思った。――だって彼があまりにも綺麗に笑うから。


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