第25話 意外とお転婆ですね


 連れて来られたのは石造りの堅牢な建物だった。


 前都市のモレットは古くても瀟洒な雰囲気が漂っていたのだが、こちらの都市は取っつきにくさばかりが印象に残る。王都の建築物に見られるような優美さはどこにもなく、ヴォールトの華やかな曲線もないし、すべてが直線的で面白味がなかった。


 それでも清潔感があれば、居心地の良さは感じられたかもしれない。ところがここは全体的に手入れが行き届いていないようで、廊下の端のほうにはゴミや砂が凝り固まっていた。壁面の黒ずんだ汚れは湿っぽく不潔な感じがする。


 玄関ホールに祐奈たちを残し、


「すぐにお呼びしますので」


 と言い置いて、ブロンデル総督が西側の区画に入って行く。


 リスキンドはそれを見送ってから、何かを企んでいるような顔つきになり、東側の区画へするりと入り込んでしまった。


「……あ」


 それに気づいた祐奈が『いいのかしら』とオロオロしていると、ラング准将が声をかけてくれた。


「リスキンドのことは放っておいても大丈夫ですが……気になりますか?」


 こくりと頷く。


「では一緒に行きましょう」


 ラング准将に手を引かれ、祐奈と、そしてカルメリータも続いて、リスキンドのあとを追う。圧迫感のある細い廊下を進んで行くと、やがて大きなホールに出た。


 ホールの両側には円柱が等間隔に並んでいるため、死角が多く発生している。


 柱のひとつの陰にリスキンドの姿があった。彼はそこにへばりつき、北奥にある檀上を眺めているようだ。


 ラング准将と祐奈、カルメリータもこっそりそちらに近づき、一緒に奥のほうを窺った。


 壇の上には大きくて立派な台座があって、その上に凝った美術品が置かれている。――それは龍が体を丸めた像で、背中部分に大きな宝玉が載っているデザインだった。


 東洋の龍に姿が酷似している。もしかすると地球での知識を元に、以前こちらに迷い込んだ聖女が作らせたのだろうか。あるいは偶然の一致なのか。


 像の前には小汚いなりをした少年が佇んでいた。全体的に四角張っているというか、骨太の体型である。年の頃は十一、二歳くらいだろうか。


 ふわふわの癖のある髪に、くっきりした二重、大きな口。どことなくカエルっぽいような愛嬌のある顔立ちをしているのだが、顎が四角くしっかりした作りのせいか、少し頑固そうにも見えた。


「――精霊の嫁入り先に、『力強い族』は選ばれなかった」


 少年が龍の開いた口に指を突っ込んだあと、玉に向かってそんなふうに語りかけたので、聞いていた祐奈は驚いてしまった。


 ……なぜあんなことを?


 少年は誰かに話しかけているふうでもない。正真正銘、独り言のようだ。そのわりには一言一句はっきりと発音しているのが奇妙だった。まるで多くの聴衆に語りかけるような調子である。


 先の内容が事実とまるで反対なのも、祐奈には気になるところだった。精霊の嫁入り先は祐奈自身が決めたのだ――『力強い族』の元へ嫁ぐように、と。


 訳が分からなくてなって反射的にラング准将を見上げると、彼の端正な面差しがはっきりと顰められているのが見て取れた。


 祐奈が視線を外しているあいだに、向こうのほうで空気が動く気配があった。


「おい、バッド! 床掃除をちゃんとやれよ!」


 容赦のない罵り声が響いてくる。


 見ると、檀上奥の扉から痩せぎすの男が肩を怒らせて入ってきたところだった。モジャモジャのモップみたいな縮れ毛に、鼻の下と顎のラインを覆う無精髭が特徴的な男。


 バッドと呼びかけられた少年は不服そうに男を睨み返す。すると腹を立てたらしいその男が、いきなりバッド少年を足蹴にした。


「てめぇ、ちゃんと返事しろよ!」


「痛い‼ ディーやめてくれよ」


「役立たずが!」


 祐奈は恐れ慄き、思わず背筋を縮こませてしまった。――暴力は怖い。


 これが酔っ払った大人同士の喧嘩だったなら、祐奈だって放っておいただろう。けれど子供が目の前で殴られているというのは、祐奈の価値観では許し難い行為である。


 ――傍らにいた祐奈が突然動き出したため、ラング准将は虚を衝かれた。


 彼が優先するのは人助けではなく、祐奈の護衛である。単身身軽な状態だったら、子供が蹴られていればすぐに割って入ったのだが、今回は祐奈が一緒にいるので、彼女をリスキンドに任せて安全な外に連れ出してから助けに向かおうと思っていた。それがまさか――大人しい彼女が無鉄砲にもいきなり飛び出すなんて。


「やめてください!」


 祐奈は駆けながら、お腹の底から精一杯の声を出す。地声が小さい自覚はあるので、すごく頑張って声を張らないと、向こうまで通らないだろうと考えながら。


「――祐奈」


 ふと気づけばラング准将が並走していた。祐奈の方が先に走り出したはずなのに、あっという間に追いつかれている。こうして並んでいるのも、祐奈のスピードに合わせて抑えてくれているようだ。


「私が行きます。ここにいてください」


 それであっさりと追い抜かれてしまった。


 ラング准将の姿を認めた途端、暴力男(確か『ディー』といったか)は盛大に顔を引き攣らせた。――げぇ、とかなんとか呻き声を漏らしている。


 機嫌良く弱いものいじめをしていたら、まさかの強そうな相手が出てきたので、すくみ上ってしまったらしい。踵を返して一目散に逃げだしていく。


 その手のひら返しは滑稽ではあったけれど、状況判断能力は高いのかもしれなかった。


 でもよかった――気が抜けた祐奈は足がもつれてしまう。転ぶのを覚悟した瞬間、先を行っていたはずのラング准将がいつの間にか戻って来ていて、彼にしっかりと抱き留められていた。おそらく少年の安全が確保できたので、ラング准将は後方にいる祐奈のほうに注意を移していたのだろう。だから彼女のピンチにすぐ気づけた。


 ラング准将はすらりとして威圧感がないので、祐奈の中では力強さといったイメージとはこれまで無縁だった。でも違ったのだ。


 彼の腕は頼りがいがあって、体のどこかしこも祐奈の脆弱なそれとはまるで違った。長い腕に簡単にすっぽりと包み込まれると、その安定感に驚きを覚える。


 ヴェールをあいだに挟んでいたけれど、ラング准将の胸に頬を擦りつけるような格好になってしまったから、余計に彼を近くに感じた。


 ラング准将は祐奈の華奢な背中に腕を回し、危なげなく支えながら、囁きを落とす。


「……意外とお転婆ですね」


「ご、ごめんなさい」


「急に走り出したりして、肝が冷えましたよ」


「本当にごめんなさい」


 ちらりと顔を上げると、彼のアンバーの瞳がこちらを覗き込んでいた。いつも凪いでいる彼の瞳が、珍しく揺らめいているように感じられて、祐奈の胸がドキリと音を立る。


 それを見てしまったら、本当に心配してくれたんだなと分かった。それでものすごく申し訳ない気持ちになってしまった。


 ふと気づけば、虐げられていたバッド少年の姿もどこかへ消えている。まるで野性の動物みたいだと祐奈は思った。湿っぽい物陰のあいだを素早く移動する、警戒心の強い生きものみたい。


 ――そうこうしているうちに、ホール南側の大扉が開いた。


 そこから人々が一斉になだれ込んでくる。老若男女問わず様々な人が集まってきているようだ。気難しそうな老人、恰幅の良い紳士、作業着姿の若者、気の強そうな夫人、無邪気な子供、エトセトラ、エトセトラ。町中のお金持ちから貧乏人まで、分け隔てなくやって来ましたといった風情だった。


「――こちらへ」


 ラング准将が機転を利かせて祐奈の手を取り、東側の円柱の陰へと誘う。同じホール内ではあるけれども、壁に並列して円柱が等間隔に立っているので、人目を引きにくい。祐奈は大勢の人がいる場所が苦手なので、横手に逃げることができてほっとした。


 ホールはあっという間に人で溢れ返った。皆どこかワクワクしたような顔つきで、首を伸ばしながら正面の方を見つめている。


 ……何が始まるのだろう? ブロンデル総督は『ちょっとした神秘的な催しがある』のだと言っていた。


 手品だとか、漫談だとか、そういったエンターテインメント系のショーではなさそう。集まった人の顔には、期待感の中に、切羽詰まった妄信的なものが混ざっているような気がしたから。


 彼らは何かを強く期待しているようだが、それはおそらく単純な娯楽のたぐいではない。全員が前のめりに昂っているのが伝わってくる。


 各々の感情が体から漏れ出て、その場にうねりとなって滞留しているかのようだった。ねっとりとしていてなんだか気持ちが悪い。


 場の緊張と興奮が最高潮に達した時、最奥の両開き戸が開いた。檀上に直接出られる扉だ。


 背の高い人物が白い衣の裾を払うようにしてホールに出てくる。身に纏っているのは、修道士のような衣装。


 そしてその人物の右奥には、お付きの者と思しき、痩せこけた奇妙な男が。……どうも見覚えがあると思ったら、先程バッド少年を足蹴にしていた、あの品性下劣な男ではないか。名前はディーといったか。


 割れるような歓声が上がる。


「フリン様――!」


「おお、偉大なるフリン様、ご託宣を!」


 フリンと呼ばれた人物は、男性か女性かも判然としなかった。女性にしては背が高いし、男性にしては喉のラインが華奢すぎる。髪はオールバックにしてあり、前髪はポンパドールのようにふわりと捻り上げられていた。


 高い頬骨に、しっかり存在感はあるものの、形の良い鼻。中性的な顔立ち。


 フリンが瞳を細めると、雪原の中で瞳を眇めているキツネのような、俊敏な気配が強まった。右手をすっと上げ、フリンが力強い声で告げる。


「皆さんご静粛に! 神より有難いお言葉があります」


 ――遠くのほうで鐘が鳴っている。正午を知らせるものだろう。


 もうそんな時間か……ラング准将は驚きを覚えた。ホールに設置されている振り子時計に視線を送ると、十一時四十八分を示している。


 時計が少し遅れているようだ。この建物に足を踏み入れた瞬間から『細部の手入れが行き届いていない』と感じていたが、こういう所にもそれが出ている。


 残響がすっかり消え去った頃、台座の上に据えてあった例の宝玉が輝き始めた。玉はパールのような乳白色で、林檎よりも大きい。材質は不明である。


 その玉が内側から発光しているかのように、眩しく明滅し始めたのだ。そして玉の奥から声が響いてきた。


『――精霊の嫁入り先に、『力強い族』は選ばれなかった』


 祐奈は驚き、息を呑んだ。内容が一言一句、先ほどバッド少年が吹き込んだ文言と同じだったから。


 しかし声音はまるで違う。深い深い穴の底から響いてくるような、不思議な音だった。加工した音声のような、なんとも奇妙な響き。


 ……これはどういったからくりなのだろう?


 聖具か否か、それについては祐奈にはよく分からない。


 モレットでは精霊(聖具)に聖女専用ブレスレットを接触させた経験がある。それによりちゃんと魔法を取得できたので、なんとなくそれがきっかけで、『自分はこの世界で聖女の務めを果たすべきなのだ』と実感するに至った。


 けれどそこで何かコツを掴めたわけでもないから、目の前の不思議な玉を見ても、それが聖女に関係するアイテムなのかどうかピンとこない。


 けれど祐奈はこういった事象を判断するのに、多少のアドバンテージがあるのかもしれなかった。というのも、この世界よりも文明レベルが進んだ国で暮らしていたので、もしかすると違う観点で物事を見ることができるかもしれないからだ。


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