4.お告げの町
第23話 ラング准将の好きなタイプは?
お昼休憩のため食堂に立ち寄った。
朝と夜は宿で食事をすることが多いので、その際はひとり別室で食べることができるのだが、移動中の昼はそういうわけにもいかない。
人前でヴェールを外せないので困ったことになりそうなものだが、ラング准将はそういった細かな調整も得意だった。なるべく個室がある食堂を選んでくれたし、衝立があればそれも手配してくれて、祐奈が安心してヴェールを外せる環境にしてくれた。
いちいち手間をかけさせて非常に申し訳なく思うのだが、ラング准将がそれらの手配をまるで面倒そうにせず、スマートにこなしてくれるので、甘えてしまっている。
こちらが気に病まないようにあれこれ簡単にこなしてしまうラング准将はとても素敵だと思うし、その心遣いを大変ありがたく感じていた。
それにリスキンドだってただ者ではないのだった。いかにもチャラくていい加減そうに見えるのに、仕事に関しては別である。何事も丁寧で抜かりがない。そして彼は交渉事もえらく達者だった。
ふたりのあいだには阿吽の呼吸があるというか、片方がこれをやっている時は、もう片方が別のことを先回りしてやっておくという具合に、くどくど打ち合わせをしなくても、役割分担がちゃんとできているようだった。ふたりは最短の時間で、必要なことを、見事な手腕でこなしてしまう。
そして特にリスキンドは『楽しむこと』にかけては妥協しない性質であったので、『どうせ食事をするなら、このエリアで一番おいしい所』だとか、『同じ金額を払うならば、宿は清潔で眺めの良い所』だとかのこだわりが半端なかった。
そのためラング准将とリスキンドが取り仕切る旅は、快適そのものだった。
――旅をしていると、食事の味つけや、素材そのものが場所場所で変わるので、本当に飽きない。
祐奈は日本に住んでいたので、食べものがおいしいことが当たり前になりすぎていて、実は少し不安だったのだ。何を食べてもいまいちに感じてしまうのではないかと。けれどこの世界は味覚に関してはかなり繊細であるらしい。
冷遇されていた時に出された、あの具のない冷めたスープや固いパンが嘘のようだ。
庶民の食堂は大抵どこも活気に満ちていて(それはそういう店ばかりをリスキンドが選んでいるせいもあると思うけど)、メニューも豊富だった。
今日立ち寄った食堂は『サンドイッチが自慢』とのことだったので、全員おススメを頼むことにした。
二階の個室に落ち着き、窓を気持ち良く全開に開け、旅の仲間全員でお昼をいただく。
サンドイッチなら、行儀は悪いがヴェールをしたままでも食べられる。紗の下にくぐらせてしまえるからだ。ちなみにお茶のたぐいもヴェールをしたままで飲むことができる。カップの縁でヴェールが外側に押されるので、普段よりも圧迫感がないくらいかも。
そんな訳で今回は衝立もなしで、皆で同じ食卓に着くことに。――安全面を考えてなのか、祐奈が奥側で、その隣がリスキンド、対面がラング准将、斜向かいがカルメリータという席順である。
提供されたのは、ローストビーフのようなジューシーで柔らかいお肉の挟まったサンドイッチだった。ソースは濃厚で深みのある味なのに、しつこくはない。一緒にサンドされた新鮮な野菜のシャキシャキした食感が良く、わさびのような香辛料がピリリと効いていて、抜群に美味しかった。
ソースで服を汚さないように、ナプキンを添えて、気をつけながら少しずつかじる。美味しすぎてひとりこっそりと悶えていると、頭が微かにクタリと動いてしまったらしく、対面のラング准将にくすりと笑われてしまった。
……は、恥ずかしい。
「美味しいですか?」
笑み交じりに尋ねられ、祐奈は大きく頷く。
「は、はい、とっても。とっても美味しいです」
「よかったです」
じゃれる子猫でも眺めるような視線を祐奈に向けて、ラング准将が優しく微笑む。
これにリスキンドがなぜかぎょっとした様子でラング准将を眺めたのだが、祐奈はその真意には思い至らなかった。
――実はこの時リスキンドは『おいおい、鬼のラング准将が、女の子が美味しそうに食事をしているというただそれだけのことで、とびきりの笑顔(エンジェルスマイル)を浮かべているぞ!』と衝撃を受けていたのだ。
彼は以前仲間と『ラング准将は女子を有頂天にさせるような調子の良い態度を取らないのだが、どんなシチュエーションならばそうなりうるのか?』を真剣に話し合ったことがあった。
なぜそんな不毛なことを話し合ったのだ? と我ながら不思議に思わなくもないのだが、これには理由がある。――ナンパテクを仲間内で情報交換し合っていた時に、誰かが『ラング准将は女子を引っかけるために、こんなふうに努力したことなんてないだろうな』と言い出したのがきっかけだった。
でも相手がとびきりいい女だったら? とか、ラング准将の琴線に触れるタイプだったら? (どんなんか想像もつかないけれど)とか語るうちに段々白熱してきて、『あの人がデレるのってどんな時か? 激論会』になったのである。
誠に馬鹿馬鹿しいのだが、これも酒のせいだろう。そして勢いづいて数時間語り尽くしたのち、全員一致で『デレること自体、皆無』との結論に達した。
この人って恋仲の相手の前でも(いるのか知らんけど)、淡く微笑むことはあったとしても、それ以上の甘さは見せないんじゃないか? となったのだ。
だからといってラング准将は朴念仁とも違うのだ。同性から見ても男の色気はものすごくある。
しかしこの人が異性を前にして、心から『負ける』ことはどうやらなさそうだよな――それは激論会に参加した全員が思ったことだ。相手と艶っぽい関係になった時でさえ、自身が揺らぐことはなさそうな感じがする。相手に尽くして甘やかしてご機嫌を伺って、てなことをしそうなイメージがまるでない。
というか、そんなんしなくても、こと足りそうだしね……モテるために涙ぐましい努力を重ねているその他大勢からすると、これは本当にやり切れない。
ラング准将が一年に一度見せるか見せないかの心からの微笑みを糧に、女の子は健気にも彼についていくわけだ。――男は背中で語る、的な。
でも見た目が格好良いから、そのつれない所もまた女子からすればキュン要素なのだ。気安く笑わないからこそ、女の子たちは闘争本能をかきたてられる。社交辞令の上辺だけの笑みではなく、自分だけに、とっておきの笑みを向けさせてみせるわ、と。
相手が勝手に努力してくれるのは、選ばれし男だけに与えられた特権なのである。
強く求められても、簡単には与えない、いけずな男、それがラング准将。彼に近しい騎士たちは皆そう信じて疑わなかった。
しかし違った――あの時の仲間たちよ、俺たち間違っていたんだぜ! リスキンドは興奮冷めやらず、心の中で彼らに語りかけた。
――この人はなぁ、女の子が「サンドイッチ、美味しいです」と言ったくらいの日常的シチュエーションで、「よかったです」とあっさり心からの笑みを見せちゃう人だったぜ!
チャラい俺らでさえ、こんなことくらいでは笑ってやらないぜ! 女子へのご機嫌伺いばかりしている、下衆い下心しかない俺らでさえ、こんな気遣いはしないんだぜ! もうリスキンドの心の叫びが止まらない。……だからなんだの極致であるが。
祐奈がふとヴェール着用のまま食事をすることに抵抗を感じたらしく、皆に向けて謝った。
「――あの、ヴェールを着けたままで、お行儀が悪くてすみません」
「いいえ」
どこまでも語調が優しいラング准将。
リスキンドはそれで思うところがあった。やはりこの人のこんな感じ、かつてないなぁと改めて実感したのだ。それで少しだけお節介を焼いてみることにした。
「あのぉ、ちょっといいすか、聖女様」
先を続けようとしたら、祐奈がなんだか慌てている。
「あの、聖女様と呼ばれるのは、ちょっと」
そうか……考えてみると出会って以来、話しかける時は名前を呼びかけなくても「あの」「ねぇ」「ちょっと」で大抵のことが済んでしまったので、この『出会ってすぐあるある』の『相手をなんて呼ぶか』調整がまだだった。
もしかするとリスキンドのほうで何回かは「聖女様」と呼んだかもしれないが、祐奈としては会話の流れを止めてまでは指摘できなかったのだろう。
でもまぁそう言うんじゃさ……てなわけで、リスキンドは呼び名を変えることにした。
「んじゃ祐奈様」
「えと、様はいらないです」
「そう? じゃあ祐奈」
「気安く距離を詰めるな、リスキンド」
ラング准将からの落ち着いた注意が入る。
えー、じゃあどうすりゃいいのさ? リスキンドは納得がいかないし、腰の低い祐奈はこうなると当然。
「あの、呼び捨てでいいですよ?」
――ほら、本人がこう言っているのにぃ。ブーたれるリスキンドを無視して、ラング准将が祐奈に視線を移した。
「そういうわけにもいきません。あなたは私どものあるじですから」
ラング准将の端正さは祐奈を少し戸惑わせた。そうはいっても、ラング准将にまで「祐奈様」とか呼ばれたら、本当に居たたまれないのです。
「ですが、あの、ラング准将は私よりよほど立派な方ですし」
「そんなことはありません。言う機会がなかったのでこれまで流していましたが、私のことはむしろラングと呼び捨てにしていただきたいくらいです」
「う……無理……」
とうとう祐奈は体裁さえ取り繕えなくなってしまった。ひとりごとのつもりが無意識に唇からこぼれ出ている始末だ。
祐奈が困り果てていると、リスキンドが見かねて助け舟を出した。
「ラング准将ー、建前を大事にして相手を困らせていたらだめなのでは? 彼女の希望を第一に考えてあげて」
これにラング准将は珍しく虚を衝かれたようだ。しばし黙したあと、若干ダメージを受けた様子で額を押さえている。
「……まさかお前に対人関係でだめ出しされる日が来ようとは」
「可愛い子には旅をさせろって言うでしょう? 俺はこの短い旅路で人としてレベルアップしたんですよ」
どんな理屈だ、とその場にいた全員が心の中で突っ込みを入れた。
大体リスキンドはお使いに出されたわけではなく、旅をしてきたのは皆一緒である。そしてそもそも彼はラング准将にとっての『可愛い子』でもないし。
しかし各々リスキンドに構っている気分でもなかったので、先の発言はそのままスルーされた。
リスキンドが元気良く仕切り直す。
「――はい、じゃあ、俺が独断と偏見で決めちゃいますね。俺は『祐奈ちゃん』って呼びます。ラング准将は呼び捨てで『祐奈』。そんでカルメリータは、何かあだ名で呼ぶ?」
カルメリータは優雅にお茶を喉に流し込んでから、大きな瞳でちらりと祐奈のほうを見た。
「私は『祐奈様』でいきます。これは譲れません」
普段適当なカルメリータにしては、きっぱりした口調だった。全員が彼女のプロ意識を垣間見た気がした。
リスキンドは唇の端を上げて、ふふんと笑った。
「じゃあ決まりで。――それで祐奈っち、好みの異性のタイプ教えて」
祐奈ちゃんて呼ぶんじゃないのかよ……やはり全員がそう思ったが、皆疲れていたのであえて突っ込まなかった。
祐奈は問われた内容を考えてみた。
「ええと、好みの男性のタイプですか。あの、優しい人がいいです。それと私がのんびりしているので、話し方が穏やかな人が」
「それってまんまラング准将じゃね?」
この発言、リスキンドとしては意地悪のつもりもないようである。しかし本人を目の前にしてズバリ指摘された祐奈からすると、たまったものではない。真っ赤になり、息が詰まりそうになって、おどおどと俯いてしまう。
「いえ、あの、そんな……恐れ多い」
リスキンドは行儀悪くテーブルに頬杖をつき、興味深そうに祐奈を眺めてから、斜向かいのラング准将を見遣った。
「んじゃあラング准将の好みのタイプは?」
この軽口はさすがに怒られるかと思ったけれど、ラング准将は基本、祐奈を目の前に置いておきさえすればオールOKなので、この時もリスキンドは叱責を免れた。それどころかちゃんと答えもくれたし。
「好きなタイプは、真面目で一生懸命な人。損得で物事を考えない人。あとは言動が可愛い人かな」
「それってつまり祐奈ちゃんでしょ?」
なんてことを言うのだ、リスキンドは! 祐奈は慌てふためき、
「ま、まさか!」
と大きな声で割り込んでしまった。
「でもラング准将、祐奈ちゃんを見ながら語ってたし」
リスキンドは馬鹿げた主張をやめない。祐奈は恥ずかしさのあまり叫び出したかった。
――あのね、確かに『名前は呼び捨てでもなんでもいい』って言いましたよ。でもね、こんなふうにからかっていいとは言ってませんよ!
指先まで火傷しそうなほどに熱いし、耳は熟れて千切れそう。きっとラング准将はこの流れを不快に感じているだろう。
祐奈がもじもじと恥ずかしそうに指先を組み変えるさまを、皆が生温い視線で見つめていた。
祐奈ちゃんを見ながら語ってたし――そう指摘されたラング准将は、この時何を思ったのだろうか。
祐奈が居たたまれない気持ちでいると、
「そうかもしれませんね」
ラング准将の穏やかな声が耳に届いた。びっくりして顔を上げる。
彼がいつもの陽だまりを思わせる柔らかな瞳でこちらを眺めていることに気づき、祐奈は心臓が止まりそうになった。
彼が続ける。
「もうひとつ付け加えるなら、照れ屋な人」
し、死ぬ……!
これは心臓への負荷が大きすぎる。これ以上持ちそうにない。
祐奈は息も絶え絶えだった。
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