3.あやまちに気付く時

第22話 ハリントン神父と枢機卿


 枢機卿ローマン・アステアはリベカ教会を訪ねていた。


 ふたり目の聖女・茅野祐奈を初めに受け入れた人物である、ハリントン神父に話を聞くためだ。


 聖女祐奈を王都から送り出してからというもの、アステアの心に芽生えた違和感は日に日に大きくなっていた。


 というのも、実際に会話を交わした彼女は、常識的で謙虚な人物に感じられたからだ。悪評が耳に入っておらず、なんの予備知識もない状態で面会していたなら、おそらくアステアは祐奈に好感を持ったのではないだろうか。


 しかし何はともあれ、旅は始まってしまった。今さら彼女がどういう人物であったかを知ったとて、もうどうにもならない。


 分かってはいるのだが、それでもやはり確認しておきたい気がした。これは単に好奇心なのかもしれなかったが。


 ヴェールで覆い隠された、その奥の素顔――人というものは、隠されると、暴きたくなるものなのかもしれない。


 一体どんな顔をしているのだろう。『醜い』というのは聞かされているのだが、それでもどんなふうに醜いのか、具体的に知りたかった。


 今になってこう思う――彼女に聞き取り調査をした際は、自分はあまり公平ではなかったのかもしれない、と。


 今回の騒動で上層部が神経を尖らせており、アステアには『可及的速やかに事態を収拾せよ』という過度なプレッシャーがかけられていた。ただでさえひとり目の聖女をもてなすことでアステアはてんてこまいであったから、『あとから来たくせに、揉め事を起こしやがって』という苛立ちを覚えた。


 そんな背景があり、アステアは祐奈に対して、『厄介な新参者』というレッテルを貼ってしまったのだと思う。本来ならばそのような個人的な感情は、本人と相対する時には一度切り離してから判断を下さねばならなかった。


 しかしアステアは祐奈と関わる際に、自身の苛立ちを一枚噛ませた上で、表向きはあくまでも『公平に判断します』というていを装って接したのだ。実際のところは『どうでもいいから、早く片づいてくれ』と投げやりに考えていたのに。


 ――ハリントン神父に面会を求めると、とても感じ良く迎え入れてくれた。


 ここリベカ教会はアリスたちが進むルートのスタート地点となるが、本隊はとうにリベカを旅立っている。ここでゆっくり司教と交流することもなく、事務的に次の拠点へと向かったようだ。


「祐奈様は別のルートを進まれたのですね。またすぐお会いできると思っていたので、残念です」


 ハリントン神父の落ち込みようは相当だった。これにまずアステアは意表を突かれた。


 ――祐奈はハリントン神父から『容姿が醜い』との指摘を受け、彼に腹を立て、暴言を吐いたのではなかったのか? 少なくともショーからの報告ではそういうことになっている。だから神父と祐奈は険悪な間柄にあるのだと、頭から信じ込んでいたのだが。


「ハリントン神父、あなたは聖女祐奈にヴェールを渡しましたね」


「はい、老婆心ながら。祐奈様を見ていると、孫娘のような感じがしましてな。先行きが心配だったもので」


「具体的に何が心配だったのですか?」


「それはすでにお分かりかと思いますが」


 ハリントン神父の言葉が途切れ、その人の好い顔に戸惑いが浮かぶ。


「ああ……もしかして彼女は、枢機卿の前でもヴェールを取らなかったのですかな?」


「そうですね」


「私としては『旅を共にする護衛騎士の前では外さないほうがいい』という意図でお渡ししたのですが、祐奈様は真面目な方なので、誰の前でも外さないでおこうと決められたのかな。……そういえば『祐奈様が外したくなければ、外さなくてもいい』とお伝えしたかったのですが、その際の私の表現が分かりづらかったかもしれません」


「どうして護衛騎士の前で外してはいけないのです?」


「だってあの子はとても『可愛い』ですからね。無垢なる人だ。それはまぁ――顔は見ていなくとも、枢機卿ほどの方なら、言動から『当然』お察しになれたかと思いますが」


 なんだって? アステアは耳を疑った。あまりに狼狽していたので、かえって表情が動かず、神父は変に思わなかったようだ。


「男所帯にあのまま放り込んでは危険ですよ。純粋無垢な、あんな女の子を」


「それは……祐奈が護衛騎士に襲われる、とでも?」


「枢機卿は素顔を見ていないから、私の言い分が奇妙に感じられるかもしれませんな。でも実際に見てみれば、私の心配はそう大袈裟なものではないと分かってもらえるはずですよ。――瞳が正直で、清潔感があって、魅力のある子だ。彼女は性格も控えめで、善良でした。他人から良くしてもらえば、はにかんで喜ぶので、彼女のほうに特別な感情がなくとも、笑みを向けられた男はおかしくなってしまう危険性がある」


「そんなに可愛らしいのですか」


「突き抜けた美しさというのではなく……なんといったらいいのか」


 神父は瞳を細めてしばし考え込んでしまう。


「鮮烈――といったらよいのでしょうかね。時間はとめどなく流れて行くものですが、彼女が笑うと、こう――一瞬時が止まったような、不思議な感じがするのですよ。ハッとして、心を掴まれる。私はこのとおり老齢で、浮ついた感情に支配されたりはしませんが、これが血気盛んな若者だったならばどうでしょうか? もっと、もっとと、欲張りになるはずですよ」


 アステアの心臓が早鐘を打ち始めていた。国を挙げて、とんでもない間違いを犯してしまったのではないか?


 恐怖に襲われる。それは戻しようもない時間と過去の罪に対する、本能的な恐れだった。


 祐奈にかかった嫌疑を晴らすのは、実はシンプルな方法で済む。今の話を聞くに、関係者全員(それは国王陛下も含めだが)、一堂に集めて、祐奈のヴェールを脱がせて見せてやるだけでいい。


 百聞は一見に如かず――いや、このケースではむしろ、誤解を解くにはもうヴェールを脱ぐしか方法がない。


『茅野祐奈は外見が醜い化けもの』という刷り込みが強すぎて、新たに反証が出てきたとしても、頭が受けつけようとしないからだ。


 たとえ当事者であるハリントン神父が正式な場で真実を訴えたとしても、『老人だから美醜の捉え方にズレがあるのでは』などと笑われて、それで終わってしまう可能性が高かった。


 今回アステアがハリントン神父の話をすぐに信じることができたのは、近くにいるオズボーンがしきりに祐奈のことを推していたために、少しずつ彼女に対する評価が上がっていたというのが原因だろう。


 そのため世間的に祐奈の評判を改めさせるには、やはりヴェールを脱がせるしか方法がない。


 しかし実際のところ、彼女にそのチャンスが与えられることはないだろう。もう旅は始まってしまったのだから。


 すでに行程を進んでいる祐奈を王都まで引き戻して、国王陛下に謁見させているような時間的余裕はない。聖女には早くウトナに向かってもらわないと困る。実際着くかどうかは関係なく、旅自体は早く消化してもらう必要があった。


 ――では帰還してから、誤解を解く機会は与えられるのか?


 それについても答えは『NO』だった。なぜなら祐奈は『カナンルート』を進んでいる。カナンルートを進む聖女は、カナンで絶対に命を落とす。


 彼女はヴェールをつけたまま、誤解が解けることもなく、いなくなる。人々は気楽に『よかった、嫌われ者が死んで』と考えるだろう。


 アステアは苛立ちにさいなまれた。……なぜこんなことになったのだ? どこで行き違いが生じた?


「ハリントン神父――祐奈にヴェールを渡す際、なんと言って渡したのですか」


「過去の聖女様とあまりに違うので、当面のあいだはこちらで顔をお隠しくださいと」


「過去の聖女とあまりに違う……?」


「外見に問題があるというのを、しっかり自覚していただきたかったのです。自己防衛のために」


 ……つまりはハリントン神父のせいではないか? 『過去の聖女と違う』と言われて、異世界から来たばかりの祐奈が『どう違うのか』なんて分かるわけがない。


 アステア自身も、『聖女』という言葉を初めて聞いた時は、『どんな美しい女神が前回いらしたのだろうか』と胸を高鳴らせたものだ。その後すぐに実情を知ることとなり、『なんだ、聖女とは名ばかりか』とがっかりした記憶がある。


 祐奈もそうだったのでは? 聖女と聞き、語感から『過去はさぞかし美しい人がやって来たに違いない』と思い込んでしまった。


 ハリントン神父が語る祐奈の性格は、無垢で控え目だったというから、『自分が可愛すぎるから、そりゃあ顔を隠さないとだめよね』というポジティブ方面には、思考がいかなかったのではないか。


 それに、そうだ――ショーのやつ。あいつはどれだけのポカをやらかしたか分かっているのか。どこまで愚かなのだ。


 しかしアステア本人も心の底では分かっていたのだ。――皆、同罪だと。


 誰も彼もがショーと同じミスを犯した。嫌悪のフィルターを通すことで、祐奈のすべてを捻じ曲げて捉えた。


 彼女が『自主性』を見せれば『出しゃばり』な『男好き』とみなしたし、『謙虚』な美徳を発揮すれば、『非協力的』かつ『裏で何かを企んでいる得体の知れないクズ』だと断じた。


 長所を短所に変換することはたやすかった。他者をくさせば、簡単に自尊心を満足させることができる。自分のランクが自動的に上がったかのように思える。


 今回の悪事に手を染めなかったのは、コンプレックスが少ない――もしくは自身の弱点を正しく克服できている者だけだった。ラング准将、リスキンド、そして枢機卿の側近であるオズボーン――彼らは事前にあれだけの悪評を聞いていても、ものの見方がフラットだった。


 アステアがぐるぐると考えを巡らせていると、ハリントン神父が物思う様子でこう呟きを漏らした。


「しかし聖女アリス様のほうは、なんというか、少々がっかりな感じでしたな」


「なんですって?」


「かつてない美しい聖女様だと、何やら護衛騎士たちが躍起になって褒め称えていましたが、私はすでに祐奈様を見てしまっているので。――いや確かにアリス様は、過去の聖女に比べたら段違いにお美しいですよ。ですが少し傲慢なところがあるように見受けられましたな」


「会話はなさりましたか?」


「いいえ、ほとんど」


 ハリントン神父は寂しそうに首を横に振る。


「なんだかお付きの者が多く取り囲んでいて、大層威圧的でした。ここへ立ち寄ったのも、儀礼上致し方なくという感じでね。私は祐奈様の様子を伺いたかったのですが、私的な会話を交わせる雰囲気でもなかった。……ああ、申し訳ありません。少々言葉がすぎましたな」


 アステアの顔色が悪いのを見て取り、神父は遅ればせながら失言に気づいたようである。


「私も冷静さを取り戻すべきでしょうね。過去の聖女様と比べれば、アリス様が各段に素晴らしいのは疑いようもない。外見も性格もね。しかしもっと素敵な方を先に見てしまっているので、どうしてもそれと比べてしまうのです。しかし人を比べるのは愚かなことです」


「ハリントン神父」


 そう呼びかけたあと、アステアはもう呻き声くらいしか出せない。この場で蹲り、頭を抱えてしまいたいくらいだった。


「それから」ハリントン神父が心配そうに続けた。「アリス様の護衛部隊はずいぶん大所帯なのが気になりました。過去の例から考えると、護衛部隊の全勢力をかき集めたような規模ではありませんか? アリス様のほうにあんなに集めてしまって、祐奈様のほうは手薄にならないのでしょうか?」


 聖女がふたり来るのは千年に一度。教会レベルのここでは、『うちひとりはサブ扱いされ、カナンルートを行かされる』という実態を正しく把握できていないようだ。


 千年前の司教が記録魔だったなら、所蔵の文書として何か残しているかもしれないが、毎度聖女の行いがあまりに悪辣であり、終わったら早く忘れたいという心が働くのか、どこの教会でもちゃんと系統立てて情報が管理されていないようである。


 中枢部は中枢部で、末端の教会をかなり下に見ているので、情報を過不足なく渡す必要性を感じていなかった。


 そんなわけでハリントン神父としては、祐奈は普通に別ルートを進んでいて、護衛はちゃんと過不足なく付けられていると信じているようだ。しかしそうだとすると、アリス隊の規模があまりに大きかったので、違和感を覚えたようである。


 アステアは内心苛々しながら、少々あてつけがましい調子で答えた。


「アリスのほうがメインで、祐奈はサブ扱いです。ですから自然、祐奈の隊は護衛が少なくなる」


「それはおかしいですね。どうして愛らしく健気なほうを、軽く扱うのです? 常識的にありえないですよ」


 ハリントン神父ははっきりと不快感をそのおもてに乗せている。


 内心アステアは『全部あなたのせいでしょう』と考えていた。自身の行いは棚に上げて。


 しかしそれをハリントン神父に伝えることはなかった。伝えたところで、もうどうにもならないからだ。




***




 ダリル・オズボーンはリベカ教会の宝物庫で、この世界で最も神秘的な聖具『キューブ』に向き合っていた。


 どこか中性的な彼の整った面差しに、うっとりと夢見るような熱が浮かぶ


「……素晴らしい」


 オズボーンの華奢な指先が、『キューブ』の側面に触れた。





 3.あやまちに気付く時(終)

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