第21話 魔法習得


 ――モレット、旅立ちの日。


 今、祐奈の手のひらの上には、羽の生えた小さな体が乗っている。祐奈はアニエルカの行く末が気になって仕方がなかった。


「……本当にいいの?」


 そっと尋ねると、アニエルカは真面目な顔でじっと祐奈を見返してくる。


 精霊というのはもしかすると、近くにいる人間の影響を受けやすいのかもしれない。嫁入りして体が人間に変異してしまえば、そこまでではないとしても、今は魂が剥き出しの状態だから。


 千年前に怒れる聖女に心酔してエキセントリックさが爆発し、今回は短慮なシャムロイ神父と共に過ごした短期間で、彼に影響されて抑制が利かなくなった。


 ところが祐奈とたった数日過ごしただけで、病的に怒りが抑えられなかった過去が嘘のように落ち着いている。


 今目の前にいるアニエルカは、すっかり毒気が抜けて良い子になっていた。仏頂面の期間が長すぎたせいで、眉間の皴の跡はくっきりと刻まれているのだが、それすらもなんだか可愛らしく見えてしまうのだった。


「祐奈が色々考えて決めてくれたんだもの。私はそれでいいわ」


「でもね、好きな人の所にお嫁に行くというのが、本当は正しい気がするの。三部族に限るというのも、私の考えからは外れているわ」


「私のルールからは外れていない」


 アニエルカは強がっているふうでもなく、純粋な瞳で祐奈を見上げている。彼女にとってルールは絶対であり、三部族の長の中から誰の元に嫁ぐのかを、聖女が独断で決めることこそが正しいのだ。


 祐奈はふぅと息を吐いた。


「ブロニスラヴァさんは、あなたのことを大切にするって約束してくれました。力強い族は、嘘をつくことが一番の罪だと考えるんですって。彼は正直な人だから、きっと幸せに過ごせると思う」


「ええ」


「……顔はあなたの好みじゃなかったみたいだけど、ごめんね」


「それは仕方ないわ。私も本当は分かっているのよ。顔で好きになっても、中身が合わなかったら、きっとすぐに嫌いになっちゃう。だからそういうので選んじゃダメだって」


「そうね。あなたの場合は『寒がり族』と『体硬い族』は条件的に難しかったの。あなたが嫁ぐと強制的に加護が働いて、彼らが心地良く過ごせている今の状態が変わってしまうから」


「うん。前の聖女も、それで力強い族を選んだのかもね」


「そうかもしれないわね」


「さて――それじゃお別れね、祐奈」


「ええ。寂しいな」


「私も寂しい」


 アニエルカが微かに眉根を歪めながらも、口元に笑みを浮かべてみせる。泣き笑い、とまではいかないけれど、一抹の寂しさを滲ませつつも、旅立つ相手にエールを送るような。


 彼女のこんな表情を見ることができて、祐奈はくすぐったく感じた。


「さて、最後にひと仕事ね。私が祐奈に魔法を授けるわ」


「え」


 祐奈は驚き、思わず固まってしまった。


 嫁入りによって部族への加護があるという話だったから、そのほかにも祐奈に対して何かしてくれるとは思ってもみなかったのだ。


「ブレスレットを私に近づけて」


 祐奈は右手のひらにアニエルカを乗せたまま、左の手首を彼女のほうへと近づけた。――聖女用の聖具がはまっている左手首を。


 アニエルカは口角を上げ、少し得意気に語る。


「あなたラッキーよ。私は取得魔法を自由に選ばせてあげられるの。どんな魔法がいい?」


 問われて考える。――回復魔法だな、とすぐに心が決まった。


 祐奈の旅は別にドラゴンをクエストしに行くとかではないから、大怪我のリスクについてはそんなに心配しなくてもいいのかもしれない。しかしこの先何があるか分からないのだし、回復魔法が使えたら役立つだろうと思ったのだ。


 名前ばかり『聖女』と呼ばれていて、仲間が傷ついた時に何もできませんでは、あまりに不甲斐ないものね。


 それに彼ら――ラング准将、リスキンド、カルメリータのことがすでに大好きになっていたから、ずっと元気でいてほしいと思ったのだ。


「じゃあ、ええと、回復魔法がいいかな」


「漠然と願うより、具体的に効果をイメージしたほうがいいわ」


「具体的に?」


「そう。特に視覚のイメージは重要。たとえば炎の魔法だったら、色や形、規模なんかを具体的に思い描いてみるとか。回復魔法なら、どんなふうに治っていくのか、自分なりの解釈を加えてみるとか」


 なるほど……魔法の取得自体は、聖具との短い接触で完了してしまう。その時にどれだけ具体的なイメージを思い描けているかで、強さや効果などが変わってくるのかもしれない。


 確かに漠然と『火』という単語を思い浮かべただけで、さしてイメージを膨らませなかった場合、ライターに火を灯す程度の力しか備わらない可能性もある。


 祐奈は目を閉じて考えを巡らせた。回復……回復……できれば応用が利いたほうがいいかな。


『事後』の『細胞の活性化』とかだと、たとえば手が斬り落とされたとかの酷い怪我の場合、『傷口から新しい手が生えてくるわけがない』という祐奈自身の常識がストッパーとして働いてしまうから、きっと完全に修復させることは難しくなる。


 それならば、『斬られる前の健康な状態に戻す』ならどうだろう? それなら外科的手術の難易度に関わらず、シンプルに治せそうだ。


 前の状態に戻す――何十年前とかの古傷は難しそうだが、効果をあまり欲張ってもよくないだろう。とりあえず急な大怪我に対応できれば、それでよし。


「OK。イメージできた」


「じゃあ魔法を使う時のキーワードを決めて」


「キーワード?」


「呪文名みたいなもの。言葉自体はなんでもいいのよ。それをつけることで、力を出しやすくなる。ほら――引き出しの取っ手みたいなものよ。別にそれがなくても指を引っかけて開けることは可能だけれど、取っ手があれば、すごく使い勝手がいいでしょう?」


 アニエルカの説明はとても分かりやすかった。魔法行使時に『呪文名』があるとないとでは大違いなわけね。


 なんでもいいのね……じゃあ簡単な『回復』という言葉にしよう。


「決めたわ、アニエルカ」


「じゃあ私がブレスレットに触れたら、呪文を唱えて」


 アニエルカが前のめりになり、「よいしょ」とブレスレットに触れた。


 ――『回復』――祐奈は心の中でキーワードを呟いた。


 それからイメージ――先ほど構築した回復のプロセスを具体的に思い浮かべる。


 何段階かに分かれてリングが微かに光り、やがて納まる。


「よーし、完了よ」


 え、もう? と思った。意外とあっさり。


 アニエルカが上目遣いにこちらを見上げて言う。


「これから先、聖具にリングを当てて魔法を取得する場合は、今みたいにイメージを膨らませてから実行するのよ。呪文名もちゃんと忘れないで」


「そうなのね。教えてくれてありがとう」


 祐奈ははにかみながら礼を言った。


 今回は言葉を喋る精霊から授かるので特別な取得方法なのかも、と思っていたので、次回以降のことも教えてくれて助かった。


 というか、最初に出会ったのが精霊型の聖具(アニエルカ)でよかったと思う。


「アニエルカは嫁入りが決まると人に変わるのよね? 具体的にそれはいつ?」


「段々と、ね。聖女が相手を決めてくれて、その土地に移動したら、次第に体も大きくなるわ。ひと月くらいで人間サイズになっているはずよ。羽もそのうちにもげて消えてしまうし」


 ――さぁ変化だドロン! みたいな感じじゃないのね。でも段々変化していったほうが、体には負担が少ないかもね。


「――お幸せに、アニエルカ」


 心を込めて伝えると、アニエルカも羽をパタパタ動かして、挨拶を返してくれた。


「祐奈も元気でね。ウトナまで遠いけれど、頑張るのよ!」


 傍らで静かに控えていた力強い族の長ブロニスラヴァが、恭しい手つきでアニエルカを受け取った。武骨な大男が、小さな精霊をおっかなびっくり手のひらに乗せているさまは、なんだか妙に微笑ましく映った。


 ブロニスラヴァのゴツゴツした顔は優しく笑んでいて、アニエルカを大切に想っているのが伝わってくる。


 それは恋とは違うのかもしれなかったが、今後ずっと宝物のように大切に扱ってもらえるのなら、アニエルカにとってはきっと良いことだと思う。


 ふと視線を感じて振り返ると、ラング准将が優しい瞳でこちらを眺めていた。


「お疲れさまでした」


 彼にねぎってもらって、ああ終わったのだなぁと実感が湧く。


「無事終わってよかったです」


「お見事でしたよ」


 口先だけのお愛想という感じがしないのは、彼の真摯な佇まいのせいだろうか。


 ラング准将は優し過ぎると思う。彼はきっと部下を褒めて育てるタイプなのね、と祐奈は思った。


 騎士隊は男所帯のようだからこれまで問題はなかったのだろうけれど、こんなにハンサムで親切だったら、周りの女の子は皆ラング准将のことを好きになってしまって大変なはずだわ。


 でも褒めてもらって嬉しい。つい頬が緩んでしまった。


「ありがとうございます」


 声に照れがそのまま滲み出てしまっていたかもしれない。


 ラング准将が穏やかな物腰のまま、


「何か甘いものでもご馳走します」


 と言ってくれた。


 言葉に出したことはないのだが、祐奈が甘いものを好きなことを、ちゃんと知っていてくれたらしい。


 以前カステラのような焼き菓子を買ってもらったことがあって、その際に祐奈がちょっと浮かれてポワポワしながらお礼を言ったので、それでバレてしまったのだろうか。


 祐奈が目を輝かせるより早く、別のところから元気な歓声が上がる。


「まぁ、素敵!」


 見ずとも分かる、カルメリータだ。祐奈は彼女の明るさに救われて、くすくす笑い出してしまう。


 なぜか侍女のほうが喜んでいるようだが、ラング准将も細かいことは気にしない性質なので、


「では皆で打ち上げですね」


 と微笑んで、一同を促したのだった。





 2.花嫁争奪戦(終)

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