第20話 おちゃらけパーティー・ボーイ


 ――寒がり族の主張――


「精霊アニエルカが嫁入りしてくれれば、我が部族は『暑がり』に変われるのです」


 寒がり族の長ハル・ハルは、なんとも不思議な青年だった。寒がり族という俗称を持つだけあって、このうららかな天候の中でも寒くて仕方ないらしく、身体を縮こませている。


 頬はこけ、いかにも不健康そうで、瞼は重い感じの二重である。灰がかった緑の瞳は妙にセクシーで、情感豊かだった。耽美といったらいいのか――元いた世界でいうところのビジュアル系バンドのような雰囲気がある。


 ハル・ハルの佇まいを見て、精霊アニエルカが一気に色めき立ったのが祐奈にも分かった。


 でしょうね……アニエルカのもろ好みよね。


 寒がりというのも中々しんどいだろうし、アニエルカの好みともピタリマッチするのであれば、もう嫁入り先は寒がり族でいいかもしれない。とはいえ一応は聞き取り調査をせねばなるまい。


「お尋ねしますが、ハル・ハルさんは本心から『暑がり』に変わりたいのですか?」


「それはもちろん」


 肩を竦めるようにして、ハル・ハルが小さく頷いてみせる。彼は下唇がぽってりと厚めで、なんだか本当に怪しい魅力があるのだった。


「寒さというのは耐えようがありませんからね。指先が千切れるかと思うほど、冷え切ってしまうことがあるのですよ」


「それはおつらいですね」


「我が部族は各家庭で暖房器具のたぐいを持ちません。それゆえ寒い時期は、生命の危機すら感じているのです」


 ……はて。祐奈は不思議に思った。寒がりなのに、なぜ暖房器具を充実させないのだろうか。


 彼らにはそれがもっとも必要であるように思われる。そもそも文明は、何かが必要だという強い渇望から発展していくんじゃないの?


「どうして暖房器具を持たないのですか?」


「持っていても、あまり使う機会がないのでね」


「え?」


「一年のうち必要になるのがひと月未満という短い期間では、誰も身銭を切って揃えようとは思わないでしょう? 邪魔になりますし、長期間使わずに放置しておくと、故障してしまって結局次のシーズンでは使えない、なんてことにもなりかねない」


 うん? ちょっと言っている意味が分からないのだけれど。


「ひと月未満しか暖房が必要ない?」


「ええ。大体三週間くらいですね」


「それ以外はずっと暖かいのですか?」


「我が部族の住まう地域は、一年のうち十一か月以上が常夏です」


 温暖から寒冷への移行っぷりが激しいな。それは暑がり寒がり関係なく、自律神経が乱れそうだ。


 ……と、そんなことよりも。十一か月以上常夏って、話、変わってくるよね。


 祐奈は思わず顎を引き、対面に腰かける耽美な青年を見遣る。


「あの、ハル・ハルさん」


「なんでしょう」


「一年の大半が暑い土地に住んでいながら、『暑がり』になりたいって、正気ですか」


 しん……とその場が静まり返った。


 しかしハル・ハルはあくまでもマイペースだった。寒がって縮こまりながらも、受け答えは終始堂々としていたのである。


「でもね、我々は『暑がり』の感覚を知らないのですよ。一度くらい味わってみたいのです」


「そうはおっしゃいますが、精霊の花嫁を迎えてしまったら、『やはりチェンジで』ってわけにはいきませんよ」


「あのね、聖女様――後悔っていうのは『あと』でするのが醍醐味なんですよ。我々の故郷はいつも暑いので、常に薄着で暮らしています。そのせいか性格は陽気で、無鉄砲、開放的なのです。つまりは明日のことなんか、知ったこっちゃないのです」


 おう、なんてことかしら。ビジュアルの陰鬱具合に騙されていた。


 ハル・ハルの実態は、おちゃらけパーティー・ボーイだった。


 まぁだけど、彼の話には考えさせられる部分もあった。熱帯夜が続く地域では、夜眠れないので、繁華街に繰り出す習性があると聞いたことがある。暑さで酒も進むだろうし、自然と気持ちも開放的になる。出歩くことで、出会いの機会も増えるだろう。


 明日のことより、今が大事――今を生きる――何かそれって、人としてある意味では正しいような気がする。


 しかし祐奈はそれでも、嫁入り先として『寒がり族』はなしだなと思っていた。十一か月以上続く常夏の気候を、暑がりの体質で過ごそうだなんて狂気の沙汰である。


 ――ところで、先の寒がり族の話を、違う観点で聞いている、不届きな男が約一名。それはもちろん今世紀最強の遊び人、こと、ピーター・リスキンド氏である。


 壁際に控えていた彼は、うっとりと夢見るような呟きを漏らした。


「……ハル・ハルの故郷はなんて良い所なんだ」


 女子は全員もれなく薄着。酒場に行けば、イケてる女の子たちと遊び放題。


 楽園。理想郷。引退したら絶対そこに住もうと、リスキンドは強く心に誓った。




***




「彼って素敵。すっごくセクシー」


 ハル・ハルが出て行ったあと、アニエルカはご機嫌だった。にこにこ顔で頬を両手で押さえている。


 しかし祐奈はそんな彼女を気遣わしげに見つめるのだった。


「だけどアニエルカ。たぶん故郷に戻ったハル・ハルさんは、あなたの好みとはまるで違うと思いますよ」


「どうして?」


「外気温が高くなれば、彼も簡素な服を着て過ごすはずです。――昼間は屋外の日陰でだらしなく寝こけているかもしれません。あなたが好む『不健康そうな男性』ではなく、二日酔いで汗だくで寝こけている『真正の不健康さ』を目撃することになるかも」


 エアコンなどがあればシャッキリできるだろうけれど、この世界の文明レベルではそんなものはないだろう。


 アニエルカは暴力衝動を抱えているものの本質は意外と乙女なようだから、男性の汗まみれの体臭とか耐えられないのではなかろうか。そういった野性味をフェロモンとして好む女性もいるので、あくまでもアニエルカの場合は合わないだろうという話だ。


 アニエルカは言われた内容が予想外だったのか、しばらくのあいだ唇を尖らせて考え込んでいた。すぐに反論してこないところをみると、アニエルカなりに思うところがあったのかもしれない。


 祐奈は結論を先送りにし、最後の部族である『体硬い族』の話を聞いてみることにした。




***




 ――体硬い族の主張――


「精霊アニエルカが嫁入りしてくだされば、我が『体硬い族』は体が柔らかくなれるのです」


 体硬い族の長ロメロは、三人の中では一番癖のない美形かもしれなかった。――どちらかといえば童顔で、爽やかな顔立ち。


 少し背が低くて、可愛らしい系の顔立ちなのに、首が異様に太いところが少々アンバランスな感じだろうか。前歯の隙間が僅かに空いていて、そういったところもお茶目というか、チャーミングな感じがした。


 祐奈は『体の柔軟性』についてよくよく考えてみた。……そりゃあ体が硬いよりは、柔らかいほうが良いよね。


 体が柔らかければ、転んだ時などに怪我をしづらい。足の関節が柔らかいことで、多少グニャリとなっても捻挫することもないし、意外とノーダメージでやり過ごせたりする。


 ロメロはアニエルカの好みからするとちょっと健康的すぎるというか、骨格がしっかりした――なんといえばいいのか、柔道家体型のような感じではあるけれど、顔の作りは男くさくないので、そこまで大きく理想から外れないのではないか。


 祐奈は『体硬い族』を推す気持ちが強まってきた。


 ロメロが自部族のプレゼンテーションを始めた。


「我が部族が住まう故郷は、山岳地帯にあります。地盤が固い上に雨が多い土地なので、石山の洞穴を住居としています」


 祐奈は水墨画のような光景を脳裏に思い描いた。ゴツゴツした武骨な岩肌が露出する険しい山。それらが墨絵のように煙(けぶ)るのは、雨が常に降っているから……。


「それは過酷な環境ですね」


 農業には適していなそうだ。そして雨ばかりだと、洗濯物とか気楽に干せなくて大変そう。浴室乾燥機なんて、もちろんないだろうし。


「我々は鉱物を採掘し、それを売って暮らしています」


「鉱物は豊富に採れるのですか?」


「幸いにも。実際、かなり儲かっていますね」


 あら。それじゃあアニエルカが嫁いでも、お金の面で苦労することはないわけね。


「日々の生活で不便な点などはありますか?」


「そうですね……雨が多いため、柔らかい布団などはすぐにカビてしまう所でしょうか」


「布団はちょくちょく買い替える必要がありますね」


「いえ。そもそも使いませんので」


「はい?」


「直接、石を削った台の上で寝るのです」


 え、ええー⁉ それってどこの収容所?


「体が痛くならないですか?」


「長い年月をこの環境で過ごしてきたため、我々の体は硬く硬く進化しました」


「あ……硬いってそっちなのですね」


「そっちとは?」


「前屈ができないとかの、柔軟性を指すのかと思っていました。皮膚がしっかりしているという意味なのですね」


「ああ、いえ、それはどちらもです」


「え?」


「どっちの意味でも硬いです――関節も、皮膚の質感も。皮膚が分厚い点はなかなか便利でして、布団の上がけを使わなくても、そんなに寒くありません」


 もう超人じゃないの。圧倒されちゃうよ。


「あの、それだと体が柔らかくなったら、つらくないですか? 石のベッドで寝ているのですよね? ふにゃふにゃの柔い体でそんな生活をしたら、節々がバキバキになってしんどいと思いますよ」


「ですが、体が硬いことで我々部族はとても困っているのですよ


 ロメロが物悲しそうな顔になる。好青年といった感じの彼が困り果てているさまは、なかなかに同情を誘う。


「それはどのような」


「問題は『夜の生活』です」


「は?」


 祐奈は驚き固まり、対面のロメロを凝視してしまった。


 え……あれ? 聞き間違いかな?


 ロメロの沈鬱な訴えは続く。


「どうしても私は、体が柔らかくなりたい」


「ど、どうして?」


「体が硬いと、夜の生活がつまらないからです」


 な、なんて破廉恥な! こんなことを聞かされて、祐奈は顔が熱くなってくる。


 うわぁ、どうしよう、とまごまごしているあいだもロメロの暴走は止まらない。


「身体改造を成功させて、新しい扉を開きたい!」


 漠然とパッションがすごい。しかしここはオフィシャルな場なのだ。猥談は勘弁してほしい。


「ま、待って!」


 祐奈は慌てて制止をかけた。


 しっかりと確認してはいないのだが、ラング准将から放たれる冷ややかな空気の圧が増しているようだし、リスキンドのほうは絶対ニヤニヤしているに違いなかった。


 祐奈は場の空気を読む癖が染みついているので、他人の心情に敏感なのである。祐奈は追い詰められていた。


 早くなんとかしないと、この場の空気がエライことになってしまう――そんなふうに焦り倒した彼女は、見切り発車で口を開いていた。


「私に良い考えがあります!」


 祐奈が拳を握ってそんなことを言い出したので、部屋にいた全員が『え』という顔つきになった。


 もしかするとこの中で一番虚を衝かれていたのが、普段滅多なことでは驚かないラング准将かもしれなかった。――猥談に不慣れな様子の祐奈が、この下衆でどうしようもない相談に対し、解決案を提示できるのか?


 この時の祐奈はほとんど脳味噌を遣わず、勢いだけで考えを述べていた。


「――体が硬くても、楽しめる方法はきっとあります!」


「そうなのですか?」


 ロメロは半信半疑といった様だ。


「何事も工夫次第です。私が生まれた国には『餅は餅屋』ということわざがありました。つまり専門家には敵わないという意味です」


「しかしこのようなことに専門家なんていないのでは」


「好きこそものの上手なれ、です。私の旅の仲間に、このようなことを日々熱心に研究している人物がいます」


 先ほど『力強い族』の女性に引っ掻かれた首の傷を気にしていたリスキンドが、祐奈の台詞でぴたりと動きを止める。


「何? まさか」


「彼――ピーター・リスキンド氏が、体が硬いなりの楽しみ方を教えてくださるでしょう」


 カーマ・スートラ的な……よく知らないけれど。祐奈は合掌するような改まった気持ちで、愛の伝道師にすべてを託すことにした。


 当のリスキンドはぎょっとし、体硬い族の長を見つめ返す。


 え……おいおい、なんだあの純粋な少年のような顔つきは。期待に瞳を輝かせているじゃないか。


 リスキンドは少々渋ってみせてから、やがて清濁併せ呑むといった風情で頷いてみせた。


「……まぁ、いいでしょう。このようなことは逆転の発想が必要です。自身の体の特性を受け止めて、それを良いほうに生かすとよろしい」


 結局のところ、リスキンドはお調子者だった。


 そしてロメロは抱えている悩み自体は下衆いものの、魂は少年のように純真そのものであったので、リスキンドのことを神でも拝めるような目で見つめるのだった。


「よく分かりませんが、あなたは我々の救世主です」


「お、そうかい? なんか、そう言われて悪い気はしないな」


 すっかりご機嫌になったリスキンドは、ロメロ青年の肩を抱いてやり、ふたり仲良く部屋を出て行った。


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