第19話 リスキンドの災難


 祐奈が効率良く騒動を静めたので、ラング准将は思わず口角を上げていた。


 よくやりましたね、とねぎらう気持ちで祐奈を見おろすと、彼女は先の自分の失言に時間差でやっと気づいた様子で、細くて綺麗な指で所在なげにヴェールを弄っていた。


 彼女の手の甲が羞恥で赤く染まっているのを目に留めた途端、『気にしなくて大丈夫だ』と頭を撫でて慰めてやりたくなる。それは奇妙に衝動めいた感情だった。


 もちろんそんな不躾なことをしてはならない。大人の女性に気安く接触する行為は失礼に当たるし、互いの関係性を鑑みれば、そんな近しい間柄にはないのだから。


 ……本当にどうかしている。


 ラング准将はこんなふうに心が動いていらぬことをしそうになり、その愚かさに気づいて自らを戒めるという経験をこれまでにしたことがなかった。彼は竹を割ったような性格をしていたので、すべきことは可及的速やかに行うが、不要なことは絶対にしない主義だった。


「――シャムロイ神父」


 ラング准将は祐奈には止められたものの、ここで釘を刺しておくことにした。


 普段の彼ならば、護衛対象の心の負担を軽くしてやるために行動を起こしたりはしない。そのポリシーを曲げてまで――しかも無理をするということもなく、むしろ自主的に――祐奈が困っているからと、手助けしたい気持ちになっている。


 そしてその自身の変化を不快に感じるでもなく、これはこれで良いと思えるのだ。


「は、はい、なんでしょう」


 厚顔無恥なシャムロイ神父であったが、ラング准将からの逆らい難い圧力を感じ、油を搾り取られたガマガエルのように縮み上がってしまった。


「これ以上おふざけがすぎるようなら、私がこの場を仕切りますよ。私なりのやり方で」


「は、はい」


「その時はかなり思い切った手を打たせてもらいます。ですから自由にできている今のうちに、協力の姿勢を見せてください」


「――鋭意努力いたします」


 縮こまりすぎた神父の首はほとんど肩にめり込んでいて、お饅頭のようなシルエットになっている。祐奈は大人がしっかり怒られているのを見て、他人事とも思えず、なんとなく自分も居住まいを正していた。


 そしてこっそりとこう考えていた――普段優しいラング准将は、少し怒ると痺れるほど色気があるな、と。


 とはいえ『はぁ、格好良い』なんて考えていられるのは、自分に怒りが向けられていないからで、もしも祐奈自身が叱られていたなら、涙目になっていたかもしれない。


 情緒が安定している人が静かに怒ると、怖いものだなぁ……祐奈は絶対にラング准将を怒らせないようにしようと心に決めた。




***




 ――仕切り直して。


 クロッシュから解放されたアニエルカは仏頂面ではあるものの、神父殺害は(今のところ)諦めてくれたようだ。


 腕組みをしながら、クロッシュの持ち手部分にちょこんと腰を下ろしている。彼女の背中の羽はトンボのそれのように透き通っていて、時折、はためくように気まぐれに動いていた。


 アニエルカが渋々説明を始めた。


「嫁入りが決まると、私の身体は人間に変わるの。そして五十年くらい人間生活を送ったら、死してまた精霊に戻る。元々が祝福の精霊だから、人間として私が暮らした土地にも全体的に加護がかかるのよ」


 そうだったのか。結婚相手のブロニスラヴァと、アニエルカが産んだ子にだけ『増強』の効果が出るわけではなく、その効果は土地全体に及ぶらしい。


 パワースポットみたいな感じになるのかな。そこで暮らす人々全体に、特殊な恩恵が与えられる。


「人間への嫁入りは何回経験しているのですか?」


「まだ一回きりよ」


「え?」


 アニエルカのピューマもどきの瞳がじろりとこちらを見上げる。でもこれは祐奈に腹を立てているといよりも、どうやら地顔らしいた。


「私は約千年前に生まれて、新しい聖具としてモレットに祭られることになった。そしてこの嫁入り行事は986年に一度なの。ふたりの聖女がやってきて、ひとりが『カナンルート』を通るタイミングと一緒ね。私たち精霊は『34行聖典』の影響を強く受けるから、生態も規則めいているのよ」


「そうだったのですね。約千年、精霊でいるあいだはどちらに?」


「このモレット大聖堂の宝物庫の中よ。人間生活を終えて精霊に戻ってからは眠くて仕方がなかったから、置物みたいにじっとしていたわ。だからこのシャムロイみたいな間抜け司教の存在も気にしなくて済んでいたんだけど」


 嫁入りの時期が迫り覚醒した途端、現在大聖堂を管理しているシャムロイ神父とがっつり絡まなければならなくなり、水と油が反発するように、すぐに敵意を抱くようになった、と。


 なんとも残念すぎる顛末である。


 先ほどまでのシャムロイ神父だったら、「ゴミ羽虫め、一生目覚めなければよかった」くらいの憎まれ口を叩いていただろうが、ラング准将の脅しがよほど効いたとみえ、ちらりと目線を動かしただけで沈黙を守った。


「前回はどちらに嫁いだのですか?」


「力強い族ね」


「そうなのですか」


 驚いてブロニスラヴァのほうに視線を遣ると、彼はどこか誇らしげに胸を張って頷く。


「前回アニエルカが嫁いでくれたおかげで、我が部族は全体的に祝福を受け、腕力が大幅に増強されました。今回また嫁に来ていただければ、まさに無敵」


 うわぁ、打算的。


「ですが前回選ばれているなら、ほかの部族の手前、今回は遠慮すべきでは?」


「なぜですか? 前回は前回。今回は今回です」


 そりゃまぁそうかもしれないけれども。しかしほかの部族が納得するかは分からない。


 そういえば――ふと引っかかったことがあり、アニエルカに質問してみた。


「考えてみれば、お嫁さんであるあなたの意見が一番重要なんじゃないかしら? 好みとかあるでしょう?」


「そりゃあもちろんあるわよ」


「前回はどうやって決めたのですか? あなたの希望を訊きながら?」


「ううん。聖女が独断と偏見で決めたわ」


「それをよく許しましたね。いえ――アニエルカは自己主張をしっかりしそうなタイプだから、他人に勝手に嫁ぎ先を決められて、よく従ったなと」


「前の聖女も自己主張はすごかったわよ。嵐のような人だった。常に怒り狂っていて、パワフルで。性欲も強くて、男に処理してもらわないと眠れないと言って――」


「――アニエルカ」


 ラング准将の冴え冴えとした制止の声が割り込み、アニエルカはぴたりと口を閉ざす。


 意外と空気を読めるアニエルカ。こんなハチャメチャ精霊でも、ラング准将にだけは逆らっては駄目だと理解しているらしい。


 そのまま電池切れのオモチャみたいに固まってしまったので、祐奈はぎこちなく指先を伸ばし、アニエルカの手のあたりをさすってやった。


「ええと、それで?」


 優しく促すと、アニエルカが上目遣いにこちらをチラリと見て、小さく咳払いしてから話し始めた。


「私ね、前回の聖女みたいな、あんなに怒りっぽい人間ってすごく新鮮に感じたわ。面白そうだったから旅の途中まで付き合ったくらいなの。そうしたら私もすごく怒りっぽくなっちゃってね――でも心を開放するってとっても良い気分! あなたにもおススメよ」


「そ、そうですか。それはちょっとうらやましいような気もしますね」


 祐奈は本当にそう感じたので、肩の力を抜いて唇に笑みを浮かべた。


 ヴェール越しでも祐奈のリラックスした雰囲気が伝わったのか、アニエルカがなんとなく毒気を抜かれたようにこちらを見上げる。


「そうね、それで――私の嫁入り先は、聖女が独断で決めないとだめなの。そういう決まりなのよ」


「そのルールは誰が決めたのですか?」


「前回の聖女よ。部族間の利益が絡んでいるから、後腐れないように聖女が決めるって」


「でもそれは上手くやることも可能だと思うんです。あなたからこっそり私に希望を伝えてもらって、表向きは私が独断で決めたように装うとか」


 最終的に聖女の口から発表されたという体裁ならば、決定の経緯はどうでもよいのではないかしら。


 祐奈はアニエルカの意に沿わぬ縁談を進めたくなかった。そんなことで彼女を傷つけたくはなかったし、重大な責任を負いたくもなかった。これは優しさといってしまうには微妙で、ただ相手に恨まれたくないという、祐奈なりの責任逃れなのかもしれなかった。


 しかし精霊というものは、融通が利かない存在のようだ。


「そんなの駄目よ」途端にアニエルカが膨れっツラになる。「聖女が決めるっていうのが絶対のルールなの。だからあなたがちゃんと決めなければならないわ」


 抜け道を探して上手いことやりましょう、は通じないらしい。祐奈としてはアニエルカのためを思っての提案でもあったのだが、肝心の本人に拒否されてしまえば、もうどうしようもなかった。


 そうなるとやはり祐奈が決めなければならない。小さく息を吐き覚悟を決めてから、対面のソファに腰かけたブロニスラヴァに視線を移す。


「ブロニスラヴァさん、自己アピールはありますか?」


 彼はぐっと肩をいからせ――(それが自分の一番素敵なポーズであると思い込んでいるようだ)――アニエルカに声をかける。


「アニエルカ殿――あなたを生涯慈しみ、護り抜くと誓う。我が部族の元に来てほしい。強い男に護られながら、人としての一生を送るのは、なかなか良いものだと思うぞ」


 それは男くさくて不器用な告白ではあったけれど、彼の真正直さは伝わってきた。


 彼には打算があって求婚しているわけなのだが、それでも「生涯慈しむ」と言うその言葉に嘘はないと思えた。ブロニスラヴァはきっと生涯アニエルカを大事にするだろう。


 というか先のあのイカレた騒動を見てもなお、アニエルカを軽蔑していない彼は大物なのかもしれない。


 少し鈍い所があるのだとしても、アニエルカとは合うような気がした。アニエルカのように滅茶苦茶なタイプは、神経質な男性が相手では絶対に合わないと思うのだ。


 男性がモラハラ気味になるか、アニエルカが鬼嫁として暴力で従えるかの、不幸な未来しか見えてこない。どのみちそれでは殺伐とした家庭になってしまいそうだった。


 ところが目の前のブロニスラヴァはかなり大雑把なので、アニエルカが多少ヤンチャをしても気にも留めないだろう。


 そんなことを考えていたら、アニエルカがゴミ虫でも眺めるようにブロニスラヴァを見ているのに気づいた。腕組みを解きもしないで。


 他人事ながら、祐奈はブロニスラヴァが可哀想になってしまい、


「あの、じゃあここまでにしましょう」


 と会談を打ち切った。




***




「ないわぁ」


 ブロニスラヴァが出て行ってすぐに、アニエルカが足を組み直してため息を吐く。


 膝上で頬杖をついたその気怠い佇まいは、休憩中のキャバクラ嬢みたいだった。


「どうして? 私はあなたにいいかと思ったんだけれど」


「私、青白い人が好みなの。性格が暗くて、針金みたいに痩せていて、独特な世界観を持っているタイプね」


「ブロニスラヴァさんは真逆ですね」


「筋肉ゴリラは嫌い」


 自身の生き様が筋肉ゴリラみたいなくせに、アニエルカは好みがうるさかった。




***




 余談がひとつ。


 チャラ男のピーター・リスキンドが、力強い族の長の妹を(いつの間にか)ナンパしていたらしく、アニエルカと神父が大喧嘩していたあの混乱の最中に、どこかに拉致されてしまった。


 彼としては軽い挨拶代わりのつもりであったようなのだが、相手が肉食系の場合、社交辞令では済まされなかったようである。


 だいぶ時間がたってから戻ってきたリスキンドは、髪が乱れ、服も着崩れて、首筋に痛々しいひっかき傷をこしらえていた。彼にしては珍しく瞳に恐怖の色が浮かんでいたので、旅の仲間たちはリスキンドにかけてやる言葉が見つからなかった。


 しかし彼と付き合いの長いラング准将だけは、『気の毒に』という感情すら湧いてこないようだった。


 むしろ職務を途中で放り出したリスキンドに対し、お灸を据えてやる必要性を感じていたくらいだ。とはいえ現状、叱責を与えるまでもなく本人が十分に反省しているようなので、今回は黙認することにした。


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