第18話 私が制圧しましょうか


 二日ほどの旅程でモレットに辿り着いた。


 モレットは石造りの建造物が特徴的で、全体的に緑が少なく、整然とした町だった。地域の特色がほとんど感じられない、どこか作りものめいた光景。日本にいた時の感覚でいえば、観光地というよりも、官公庁街のような感じだろうか。


 とはいえ歴史は古いらしく、建物や石畳の道路は深みのある落ち着いた色合いをしていて、これはこれで瀟洒で素敵だと思った。


 祐奈たち一行は、町の中心にある堅牢な建物の前で馬車を降りることになった。目の前にそびえ建つのは、要塞のような造りの大聖堂である。


 早速迎えに出てきてくれたシャムロイ神父は、下膨れた顔をした中年の男性だった。


 ドーナツを食べすぎたような(この世界にドーナツがあるのかは不明であるが)、不健康そうな体型。全身を引きで見ると、トランプのダイヤのマークみたいなシルエットをしており、腹部が大きく外に張り出している。


 応接室に通され、ねぎらいの言葉も少なに、すぐに用件を切り出される。


「お待ちしていましたよ! まったく困ったものでね、私の手には負えないと思っておりました。聖女様が来てくださって本当によかった」


 まさかの熱烈歓迎である。しかしそこに親愛の情がまるで滲んでいないのが、なんというか面倒事の気配がする。――手に負えないとはっきり明言しているので、目の前の神父は何かに困り果てていて、それを押しつけられる相手なら誰でもいいと考えているのかも。


 ところで、馬車では同席してくれていたラング准将であったけれど、こうした外交上の場面では裏方に徹することに決めているようで、出入口付近の壁際に下がっている。


 そのため祐奈は単身でソファに腰かけ、シャムロイ神父との会話はすべて自分ひとりでこなさなければならなかった。


 どう振舞ったらよいのか勝手がよく分からないのだが、この状況に置かれたことで、祐奈の覚悟が決まった。


 元々日本にいた時は、その場に複数名存在する時は、ほかの人が喋るのを邪魔しないで、控えめにしていることが多かった祐奈である。しかしそれは相手に無関心だったわけではなく、そのような時でも相槌を打ったり面白い所で良く笑ったりと、その場のコミュニケーションを円滑にすることにかけては、比較的積極的なほうだったかもしれない。


 だからこうして一対一の状況に置かれれば、ちゃんとしっかり会話をして、相手に不快な思いをさせてはならないという、祐奈なりの責任感を感じるのだった。


「シャムロイ神父、私に何かお手伝いできることがあるのでしょうか?」


「ありますとも。大事なお役目が」


「どのようなことなのでしょう。旅が始まったばかりで慣れていないので、見当もつかなくて」


「慣れは必要ありません。だってこんなおかしな依頼は、今後絶対にされないでしょうからね」


 ……おかしな依頼。なんだろう。怖すぎる。『お菓子な』依頼だったらいいのにな、と少し気が遠くなりかけながら考える。


 お菓子の家を作ってくれ、とかなら一生懸命作るよ。だってあれ、基本的にクッキーを練り飴とかで貼り合わせていけばOKでしょう?


「――聖女様にはコイツの伴侶を決めて頂きたいのです」


 シャムロイ神父は情緒ゼロで一息にそう言い捨て、テーブルの上に手を伸ばした。


 卓上には白い大きな平皿が置いてあり、それにかぶせる形で銀製の重そうなクロッシュが被せられていた。高級レストランなどでたまに見られる、料理を覆い隠すドーム状の例の蓋だ。


 神父は雑な手つきでクロッシュを取り払った。すると――


「よくもこんな薄暗い所に閉じ込めてくれたわね! この高血圧ジジイ! 覚えてらっしゃい、絶対に痛い目に遭わせてやるからね!」


 カンカンに起こりながら、中から羽の生えた妖精が飛び出してきた。体長は人差し指よりも少し長いくらいだろうか。


 妖精というとなんとなく、軽やかで繊細なイメージがあったのだが。その妖精はしかめっ面で、肉食獣ピューマを彷彿とさせる鋭い目をしていた。


 ……こ、怖っ。


 祐奈は思わず上半身をのけ反らせてしまった。




***




 ――精霊の少女アニエルカを、三つの部族が求めているという。


 各部族には長ったらしい名前がついているのだが、便利な俗称があるので、それで呼んでしまって構わないらしい。


『力強い族』『寒がり族』『体硬い族』 ――遠方より集まりしこれら三部族の中から、祐奈は精霊の嫁入り先を決めなければならない。


 三部族の故郷はここからかなり離れているのだが、いずれもここ『モレット』とは、姉妹都市のような関係性にあるらしかった。


 さて――不思議な嫁入り騒動に巻き込まれた祐奈は、早速、各部族の代表者と順に面会していくことにした。




***




 ――力強い族の主張――


「精霊アニエルカと婚姻を結べれば、我が部族はより『力が強くなる』恩恵を受けることができるのです」


 応接室にやってきた『力強い族』の長ブロニスラヴァは、目を据わらせてそう力説した。


 彼の外見は全体的にゴツゴツしている。祐奈の勝手なイメージではあるけれど、彼を見ていると『アイダホ州のジャガイモ農家の頼れる長男』みたいな印象を受けた。


 素朴といえば素朴。けれど鍛え上げられた胸板は厚く、彼がただ者ではないのは見てすぐに分かった。上半身はまるで鎧でも着こんでいるかのようにボリューミーである。


 祐奈は恐る恐る問いかけてみた。


「あの、ブロニスラヴァさんは、見たところすでに力が強そうなのですが」


「ええ、そうですよ」


「でもさらに強くなりたいわけですか?」


「当然です」


 え……贅沢じゃないかしら? 祐奈はこっそりそんなことを思う。整形しすぎて原形がなくなっちゃった人の例を思い出してしまう。人間、ある程度の所でやめておかないと、歯止めがきかなくなってしまうのではないかしら。


 もちろん、どこまでも突き進みたいと言うのは本人の自由であるけれど、ブロニスラヴァに関しては『精霊の祝福』という他力本願でもって強くなろうとしているので、さすがに『もういいでしょう』と言いたくなるわけだ。


「もしかして私のことをただのナルシストだと思っていますか?」


 尋ねられ、「はい」と素直に頷きかけて、慌てて思い止まる。


 危ない危ない……うっかり本音で答えてしまい、彼の自慢の上腕二頭筋で締め落とされたらかなわない。


 しかしブロニスラヴァにはこちらの「YES」な気持ちが伝わってしまったようだ。彼のしっかりした顎にぐっと力が入ったのが見て取れた。


「我々の故郷は豊富な地下資源を有しているせいか、近隣との小競り合いが絶えない地域なのです。男は強くあることで、女子供を護ってきました。我々部族にとっては、筋肉は武器です。それがなければ大切な者を護れない、必要不可欠なものなのです」


 なるほど、そういう事情があったのか。強くあることで、妻や子、親など、かけがえのない人たちを護れるというのなら、精霊の加護はなんとしても手に入れたいところだろう。自身の平和ボケに気づかされ、祐奈は申し訳ない気持ちになった。


 ――ところが、語り終えたブロニスラヴァが上腕をクィッと上げて筋肉を動かしたり、腕組みをしてあえて胸筋を強調したりするもので、祐奈は少しだけ先の言葉を疑うこととなった。


 ええと……本当にナルシストではないのよね?


「あの、精霊を花嫁に迎えたいということですが、それは具体的にどういう意味なのでしょう?」


「具体的に、とは?」


「その、つまり……種族が違いますし、結婚というのが何を指すのかな、と思いまして。教会で式を挙げて、同じ屋敷で暮らすだけのことを想定していますか?」


「いいえ。愛し慈しみ、子を設けます」


 それが何か? みたいに言われて、祐奈は絶句してしまう。


 ええ? どう考えても無理じゃない?


 三年くらい一緒に過ごすと子供が自然発生するシステムなのだろうか? 最初は米粒大で生まれてくるけれど、ものすごい勢いで成長するとか? 成長率がパンダの赤ちゃん的な。


 あるいは、川の上流から子供がinした桃が流れてくるとか?


 場におかしな沈黙が流れる。すると突然、テーブル上のクロッシュがカタカタ揺れ始めた。


 全員がそれを見おろす。そんな中で真っ先に体が動いたのは、意外にも肥満体のシャムロイ神父だった。力技でガツッと蓋を押さえつけ、鬼の形相で歯を食いしばる。


 その大人げない態度を見て、祐奈はドン引きしてしまった。


「このクソ忌々しいイカレ精霊め! 絶対に出さんぞ‼」


 ――ところで神父の右目は痛々しく充血し、頬は僅かに切られて出血の痕があった。


 実はシャムロイ神父、先程精霊を解き放った際に、アニエルカから襲撃を受けていた。危うく目潰しをされかけ、その後容赦なくフォークで頬を突き刺されたので、アニエルカはふたたびクロッシュの下に閉じ込められることとなった。


 祐奈としてはこれが小動物虐待のような気がしてしまうのだが、荒ぶるアニエルカは飢えたサメのように恐ろしく、シャムロイ神父を殺す気満々でいたので、どうしてやることもできなかった。


『ここから出しなさいよー‼ この豚野郎‼』


 クロッシュの下から籠った怒鳴り声が響いてくる。


 対し、神父は唾を飛ばしながら怒鳴り返すのだった。


「誰が出すか、このアバズレ!」


『てめぇこの豚、濃いめの味つけで煮込んでやるからな!』


「今度私を攻撃したなら、その羽もいでやる!」


『おい、なんだとこの豚ぁ、絶対呪ってやるからな! 右足首を捻挫し続ける呪いかけてやる! 泣いて詫びてきたって許してやらないわよ!』


「うるせぇ羽虫!」


 げに恐ろしきは、シャムロイ神父の暴力性。


 そして精霊アニエルカの溢れるようなパッション。


「あ、あの、落ち着いてください」


 祐奈がオロオロと手を伸ばしかけると、その華奢な手を思わぬ方角からさっとさらったのは、壁際に下がっていたはずのラング准将だった。いつの間にかソファの背もたれのすぐ後ろまで来ていたらしい。


 祐奈が驚いて彼を仰ぎ見ると、ラング准将は微かに眉を顰めながら、静かな声で告げる。


「手を出すと危ないですよ」


「でも、これ……」


「好きでやり合っているのだから、放っておけばよろしい」


「そんなわけにも」


「――では、気は進みませんが、私が制圧しましょうか」


 ラング准将は一連の馬鹿げたやり取りには辟易していて、本来ならば会話を耳に入れるのも御免なくらいだったのだが、人の好い祐奈が仲裁に入って怪我をする危険性があるとなると、放っておくわけにもいかない。


 ラング准将としては、アニエルカは精霊とはいえ凶暴そのもので、クロッシュの下に置かれたとしても同情の余地はなく、またシャムロイ神父の幼稚な残虐性も救いようがないと考えていた。


 双方の下劣さ加減が良い具合に拮抗しているので、このまま放置して潰し合いになったとしても、どちらか片方が生き残ったら、それを抑えればいいくらいの感覚だった。


 しかしそうして静観していられたのも、祐奈が安全だったからこそ。


 シャムロイ神父は闘牛のように怒り心頭であったので、彼の肩に迂闊に触れようものなら、華奢な祐奈は容易く突き飛ばされてしまいそうである。


 ――祐奈はラング准将のこの申し出に驚き、うろたえすぎたために、ソファより数センチばかり腰を上げてしまった。


 この理性的で素敵な人を巻き込んではいけない。ラング准将はあくまでも護衛役であり、祐奈が無能で本職をまっとうできなかった場合の、子守役などでは断じてないはず。


 この調停は聖女としての自分に舞い込んできた初めての仕事だった。――祐奈自身は聖女だなんて自覚はないのだけれど、旅費を出してもらって、現状何不自由なく生活できているのだから、なんらかのお返しはすべきだろうと思っている。


 祐奈は彼に握られていた手に一度ぎゅっと力を込めてから、そっとそれを離した。最初の動作は『お気遣いありがとうございます』の気持ちで無意識に力が入ったためで、その後は『でも、私はしっかりしないといけない』の気持ちで離したのだった。


「ら、ラング准将、だめです」


「何がだめなのです?」


「あなたはこんなことに関わってはいけない人です」


「それはあなたも同じだ」


「いいえ、ラング准将はご立派な方です。こんなみっともない暴力沙汰、あなたの目に入れるのも申し訳ないくらいです。――シャムロイ神父は攻撃性がすぎて、威嚇行為を繰り返しているゴリラみたいな有様ですし、アニエルカは酔いどれ中年がクダを巻いているようなやさぐれ具合です。こんな人たちに関わってはいけません」


 祐奈はオロオロしながらも、シャムロイ神父とアニエルカの心をちゃっかりグッサリと抉り取った。それはもう容赦がなかった。


 第三者にこうも冷静に切って捨てられ、ふたつの荒ぶる魂はいくらか冷静さを取り戻したようである。


 中の湯が沸騰しているヤカンのようにガタガタ揺れていたクロッシュはいつの間にか鳴りを潜め、シャムロイ神父も舌を引き抜かれたかのように沈黙した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る