第17話 祐奈に甘すぎる件
カナンルートひとつ目の拠点は、小都市『モレット』となる。モレットは王都シルヴァースの南にあたる都市だ。
馬車は二台編成となっており、一台には、祐奈、カルメリータ、ラング准将の三名が乗車。もう一台には荷物類が積まれている。
ちなみに御者は各拠点で交代していく決まりらしい。馬も替えるので、それに合わせてということなのだとか。御者からするとウトナまで長々付き合わされることもなく、次の中継地点で折り返し自宅に戻れるので、助かるのではないだろうか。
それからもう一名――ピーター・リスキンドは単騎で進む。
祐奈は馬車に揺られながら、彼と初めて顔を合わせた時のことを思い出していた。
***
「どーも初めまして」
のっけから彼の態度はのらりくらりとしていた。
「初めまして。よろしくお願いします」
祐奈が緊張しながら頭を下げると、彼は微かに小首を傾げてこちらを眺めたあと、おもむろに口角を引き上げた。
「よろしくお願いしますね。たぶん俺たち仲良くできますよ」
「そうですか? あの、嬉しいです」
――て、下手か。祐奈は自分の頬を叩きたくなった。どうもアドリブが利かない。もっと相手を気遣うような、それでいてウィットに富んだ返しができればいいのに。
祐奈がひとり顔を赤らめていると、本人だけが気づいていない指のモジモジ癖が発動していた。それに目敏く気づいたリスキンドが悪戯な笑みを浮かべて、祐奈の手を取る。
「聖女様。俺、ストライクゾーンはかなり広めなんですよー。イケると思うんで、ヴェールをしたままでもいいから試してみますか?」
祐奈はぎょっとしてそのまま棒立ちになってしまった。
それを見かねたラング准将が、リスキンドを諫めてくれる。
「リスキンド、からかうな」
「からかっちゃいないんですけど。最近とんと縁がなかった純朴なタイプだなーと」
「やめなさい」
「分かりましたー」
リスキンドは態度を改め、気さくな笑みを浮かべて祐奈を眺める。
「安心してくださいよ。俺は仲間には手を出さないと決めているんで」
「ええと、はい」
「恋愛関係で面倒なことになるのは避けたいですからね」
「は、はい」
手を出すというのは、やはり体の関係という意味だろうか。祐奈は気が遠くなってきた。
たとえ冗談とはいえ、悪名高いヴェールの聖女を相手に、よくこんなことを言えるものだ。もしも祐奈が乗り気になって、「じゃあ相手をしてもらおうかしら」などと言い出したら、彼はどうするつもりだったのだろう?
こちらにそのつもりがないから、結果的に流された発言だけれども、彼はもう少しリスクについて考えるべきだと思う。
「俺の方針は伝わったと思うんですがー。聖女様はどうなんです?」
「え?」
「仲間に手を出す主義ですか?」
そう尋ねられて、あんぐりと口が開く。聞きようによっては意地悪な質問であると思うのだが、リスキンドの態度があまりにさっぱりしていたので、彼特有のエッジの利いたジョークなのだと気づいた。
な、なるほどね……ショーとの一件をここであえて持ち出し、冗談にして終わらせてしまおうという、彼なりの気遣いなのかも。
今度こそは! 祐奈はちょっと頑張ってみることにした。
ラング准将が眉を顰めており、今にも止めに入りそうな気配だ。彼は祐奈が困っていると、そうと察してすぐに助けてくれる。
けれどここは自分で対処すべきだろう。祐奈は元気良く答えた。
「わ、私も仲間には手を出さない主義です!」
「え、そうなの?」なぜか意表を突かれた様子のリスキンド。「ラング准将にも手を出さない?」
う、どうして名指しで……祐奈は耳が千切れそうに熱くなってきた。恥ずかしすぎてラング准将のほうを見られない。
「出しません。大丈夫です」
「だ、大丈夫なの? そうなの?」
「そうですよ?」
「手を握るのは?」
「恐れ多い」
「ハグは?」
「そんなまさか」
「キスもしない?」
「あ、当たり前です」
「口説かない?」
「できるわけがないです」
ははぁ……と呆けたように、リスキンドは横目でラング准将を流し見た。
「じゃあラング准将のほうから口説かれるのは?」
「そんなことを言ってはだめです。ラング准将に失礼だと思います」
「失礼ってことはないのでは? 長旅のあいだについフラフラっとそんな空気になるかも」
「絶対になりません!」
「え、逆になんで?」
「あの、ラング准将は立派な方なので、その……軽々しくそんな……絶対ありえないと」
居たたまれない。祐奈は慌てすぎていて、『ラング准将のように素敵な人は、私のような者になんか手を出さない』と言いたいところを、少々違ったニュアンスで言葉に出してしまっていた。
結果、ラング准将は高潔さを求められ、軽く釘を刺された形になった。
リスキンドは祐奈とラング准将を交互に眺めてから、やがて気まずそうに視線を逸らした。
「うん……何かごめんなさいね? 変なことを言って」
「――リスキンド。俺は今、過去最高に気まずい気分だ」
ラング准将が喜怒哀楽すべてを煮詰めて、そして薄めたような、なんともいえない表情を浮かべている。ある意味、一周回って『無』に近い。
「いや、ほんとすみません。こんな感じになるとは。もっと皆で肩抱き合う感じで、『ははは』って楽しく笑える空気になるかなーと思っていたんですけど」
「見切り発車もいいところだ。まだ関係性も深まってもいないのに、よくぞこんな話題をチョイスできたものだな」
「ていうか、意外と将来的にありえなくもないから、微妙な空気になったんじゃね?」
リスキンドの小さな呟きは、その場にいた誰もに当然のように無視された。しかしリスキンドはどうにも納得がいかないのだった。
――大体さぁ、ラング准将、祐奈に優しすぎない? アリスにはこんなじゃなかったじゃん。スーパー事務的だったじゃん。
あんたいい人そうに見えて(まぁいい人っちゃ、いい人なんだけれども)、実際のところは結構鬼なとこあるじゃん。この顔で、この物腰で、女に付き纏われていないって、つまりはそういうことじゃん。
なのに祐奈の前だと、鬼の部分どっかに隠すじゃん。
まぁ祐奈に対する態度は、身内――妹だとか、あるいは親戚の小さな女の子に対するそれだと言われれば、まぁそうかもしれないが。
でもやっぱりなぁ……『あり』寄りの……いややっぱり完全に『あり』なんじゃね?
横目でちらっとラング准将の顔色を窺ってみたら、そろそろ雲行きが怪しい。そこでリスキンドは賢く撤退することにした。
「あのー、俺、馬で進みますね。馬車は、お三人でどうぞー」
「どうするんだ、この空気」
ラング准将がお怒りだ。……おお怖い。しばらく近づかないでおこう。
リスキンドの逃げ足は速かった。
「あとは、お若い方同士、ごゆっくり~」
訳の分からないことを言い捨てて、リスキンドは走り去った。そして組み合わせが決まり、今に至るという――
***
馬車での旅はとても快適だった。精神的ストレスが皆無なせいだろう。
ショーと移動していた時は、彼が常に嫌な視線を向けてくるので、心が休まることがなかった。ショー以外の騎士も皆似たり寄ったりだったから、大柄な男性に囲まれて王都まで旅した時間は、自分で思っていたよりもずっと強いストレスに晒されていたらしい。腕力では絶対に敵わない相手から、暴力的な気配を醸し出されていたのだ。本能的な恐怖を覚えて当然だった。
ところが新しい旅の仲間は、思い遣りがあって心が温かいのが、接していてすぐに分かった。
特に同性のカルメリータと一緒にいる時は、言葉にできないような安らぎを感じた。カルメリータはこの世界に来てから、初めて生活を共にする女性であり、一緒にいてくれるだけでとても心強かった。
ラング准将は人格者であるけれども、やはり男性相手であると女性特有の性質(生理であるとか)はどうしても理解してもらえないと思うし、この世界での処理の仕方も相談できない。
だから祐奈はカルメリータのことを、出会ってすぐに頼るようになっていた。それに彼女は陽気で細かいことに頓着しない性分なので、一緒にいてもまったく疲れなかったのだ。
「――祐奈様、お尻は痛くないですか?」
尋ねられ、祐奈は大きく頷いてみせてから、彼女らしい生真面目さでもって一生懸命に答えた。
「はい、あの、大丈夫です」
「痩せていらっしゃるから心配で。――よかったら、私の膝の上に乗ります?」
カルメリータがお日様のようなニコニコ顔でそんなことを言うので、祐奈は猫じゃらしで頬っぺたをくすぐられたような、幸せなこそばゆさを感じた。それでつい小さく声を立てて笑ってしまった。
「そんな、そんな、とんでもない。カルメリータさんの足が痺れてしまいますよ」
「でも私はお肉がふんだんについていますからね。そうだ――時折ラング准将に抱っこしてもらっても、いいかもしれませんね。ラング准将は鍛えていらっしゃるから」
な、なんてことを。祐奈は真っ赤になり、慌てて手と首を横に振ってみせる。
「とんでもないです。そんなご迷惑はおかけできません」
それこそセクシャルハラスメントになってしまう。――お尻が痛いのよ、抱っこして! だなんて。
カルメリータは基本いい人なのだが、性格が大雑把すぎて、このように無邪気に爆弾を投下してくることがあった。そして本人は決してからかっているつもりもなく、よかれと思っての発言であり、大真面目という。
――ラング准将の立場であれば、このような部下からのからかいめいた発言を不快に思い、カルメリータを叱責したりしそうなものだったが、彼は彼で細かいことに頓着しない性質のようだ。
軽く片眉を上げ、例の優しくて深みのある瞳でこちらを眺めて言う。
「私は別に構いませんが」
「え」
「しかしこの手の発言には気をつけないといけませんね。いやらしく聞こえると、あなたに嫌われてしまうから」
ラング准将が口元に悪戯な笑みを浮かべる。瞳に深い知性を宿したままで。
祐奈は全身の血が沸騰するかと思った。
この人は――真面目な話をしていても、軽口を叩いていても、戯れに誰かをからかっている時でさえ、大人の余裕があるし、素敵だ。祐奈などでは到底太刀打ちできそうにない。
カルメリータも何かしら感じるものがあったらしく、口元に手を当てて「あらまぁ」と目を丸くしていた。
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