第14話 オズボーンと祐奈とラング准将


 聖女祐奈のための出立式はなんとも寂しいものだった。


 アリスのほうが国を挙げての見送りだったのに対し、こちらは大聖堂の身廊にて、最小限の関係者が見守る中での略式的なものである。


 枢機卿が手に持った盆を、祐奈のほうに差し出してきた。


「聖女祐奈様、こちらをお受け取りください」


「謹んで頂戴いたします」


 祐奈は盆の上に載せられた金のブレスレットを手に取った。――その瞬間、内側に『リベカ』の文字が刻印されていることに気づく。祐奈が迷い込んだあの土地の名前だ。


 あ……とは思ったものの、流れを止めることもなく、それを左手にはめる。


「――以上で式は終了です。長旅になりますが、お気をつけて」


 枢機卿の言葉は事務的なのと、激励する気持ちが半々くらいの温度感だった。


 なんだか複雑なものが込み上げてくる――結局、この人の中では、祐奈は最低最悪な心根の卑しい聖女のままなのだろう。


 しかし枢機卿はそれを表に出すことはないし、蔑んでぞんざいに扱うこともない。そして「お気をつけて」の台詞などは、彼の本心であると感じた。


 それでなんだか少しだけ心がほぐれて。けれど過去のわだかまりをしっかり思い出したりもして。


 寂しいような……でももう忘れて前に進みたいような。悪い気持ちじゃなかった。それで淡い笑みがこぼれた。ヴェールに遮られて、それは誰にも伝わらない。


 ふと視線を巡らせると、礼拝堂の出入り口付近に佇む、エドワード・ラング准将の端正な姿が視界に入った。


 ――彼がいる。だからきっと大丈夫だと思える。


 祐奈は丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます。行って参ります」


 祐奈は踵を返した。――扉前で迎えてくれたラング准将の視線が、優しくこちらに注がれている。それだけでなんだか心がポカポカした。


 祐奈は彼に小さくお辞儀をして、身廊から出た。


 そこで不意に横手からグイと腕を掴まれ、驚いてしまった。――見ると、先日悪戯してきた枢機卿の側近である。


 癖のないプラチナブロンドの髪が、肩口まで届かずさらりと揺れている。相変わらず麗しい外見をしているなと思った。


 彼はそのまま横手に祐奈を引っ張り込もうとして、ラング准将に止められた。


「ダリル・オズボーン。軽々しく触れるな」


「ラング准将」


 オズボーンの瞳が微かに細められる。その口角は気まぐれに上がっていた。


「邪魔しないでほしいなぁ。僕はね、祐奈とはお友達なんです」


「……そうなのですか?」


 ラング准将の瞳がこちらに向く。


 祐奈は答えに詰まった。――友達ではない。それは確かだ。


 しかしここで否定した場合、オズボーンは咎められてしまうのだろうか。祐奈はオズボーンが責められるのは見たくなかった。彼は迷惑な人だが、排除してほしくはない。


 敵対者ばかりだった中で、オズボーンは友好的に接してくれた数少ない人だ。先日のようにいきなりキスされるのはやめてほしいが、会話するくらいなら全然構わない。


「あの、ええと、そうです。お友達? ……です」


 それを聞いたラング准将の表情は、『疑わしい』と言わんばかりだった。


 ……まぁそれはそうだろう。本当に友達だったなら、祐奈の台詞がこんなに歯切れが悪いのはおかしい。


 変な空気になってしまったが、オズボーンのほうは鋼鉄の心臓をお持ちのようで、傍らのラング准将をまるっと無視して話しかけてくる。


「ねぇねぇ祐奈。ブレスレットをもらったでしょう?」


「ええ」


 祐奈が左腕から外すと、オズボーンはそれを頓着なく鷲掴みにして、顔の前で悪戯に振ってみせた。


「ブレスレットの説明は僕が祐奈にするから、枢機卿はしなくていいよって言っておいたの」


「そうだったのですか」


 というか説明が必要な代物だったのね。関係者に渡す、ただの記念品なのかと思っていた。


「内側にほら、『リベカ』って刻印があるでしょう?」


「ええ」


「これは自然に刻まれるんだよ。聖女がこちらの世界に来る、数日前くらいに」


「え?」


「王都シルヴァース大聖堂にはこのブレスレットが保管されているの。聖女専用の聖具だね。特殊な効果を持つアイテム」


 聖具……祐奈はまじまじとブレスレットを見つめ、その向こうにあるオズボーンの灰色の瞳に視線を移した。


「あの、アリスさんは別のブレスレットを受け取っているのですよね?」


「うん」


「ということは、リングはふたつあるのですか?」


「いつも聖女はひとりしか来ないから、ふたつのゴールドのリングを、ひとつの白金のリングで束ねてあった。三連リングの形だね。今回は聖女がふたりだから、白金のリングを切ってふたつに分割した」


 三連リングというと、カルティエの『トリニティ』のような感じだろうか。祐奈の伯母がトリニティを好んで着けていたので(あれは指輪だったが)、なんとなくそれを連想してしまった。とはいえあれは、三連のリングがすべて絡み合っているので、白金のリングで結束されていたこの聖具とは少し違うようだけれど。


「アリスさんのリングにはなんと刻まれていたのですか?」


「ガーナーだよ」


「ガーナー……」


「君が迷い込んだリベカのちょうど北に当たる。距離的にはかなり近い」


「そうでしたか」


「アリスの聖具――三連リングのひとつに『ガーナー』と刻印が出たのは、三か月ほど前のことだ」


「ずいぶん前なんですね」


「そう。アリスは君よりずっと早くにこちらの世界にやって来た。だけど我々と合流できたのは、ほんの半月前なんだけど」


「どうして時差があるのですか?」


「それはね、見失ったから」


 オズボーンは意地の悪い流し目をラング准将のほうに向けた。


「ラング准将はかなり大変だったはず。祐奈に顛末を教えてあげたらどうですか?」


 祐奈がラング准将のほうに視線を移すと、彼が物言いたげにオズボーンのほうへ冷たい一瞥をくれたところだった。


 しかし結局彼はオズボーンに何も言わず、佇まいを正して祐奈に説明してくれた。


「各拠点にはそれぞれ祭られている聖具があり、それにより聖女の訪れを知ることができます。――あなたが迷い込んだリベカにも『キューブ』と呼ばれる聖具があり、それが数日前に聖女来訪を知らせたはずで、ハリントン神父は適切に保護を行ったかと思います。護衛隊は王都から出発するので、それまでは繋ぎとして、現地で身柄を確保していただく必要があるので」


 確かにリベカ教会へ連れて行かれた時は、ずいぶん手際が良いなと感心したものだ。


 ハリントン神父はヴェールをあらかじめ作成しておいた理由について、『よく聖女がやってくる土地だから』と言っていた。


 けれどそういった経験則とは別に、数日前、お告げのようなものがあったのか。それでハリントン神父は近隣の住人に通達して、迷い人がいたら教会に連れてくるように指示しておいてくれたのだろう。


「しかし聖女アリスに関しては、ガーナーの司教が下手を打って、聖女アリスの保護に失敗しました。聖女アリスはそのまま姿を消し、我々は大々的に捜索を行いましたが、ずっと行方がしれなかった」


「どうやって見つけたのですか?」


「あちらから戻ってくださいました。彼女はあちこちの町を点々としていたようですが、旅先で出会ったキング・サンダース氏が、彼女こそが聖女なのではないかと気づき、王都に連れて来ました。それが半月前のことです」


 キング・サンダース――祐奈は彼に肩を掴まれ、跪くことを強要された。あの時、彼の暴力性や狂信性がなんだか怖く感じられたものだ。


 彼は日常生活の中でアリスと出会い、天啓に打たれたのだろうか。自分が見つけ出した聖女――自分だけの光だと。


 異世界へやって来て、アリスは相当苦労したはずだ。苦境に立たされていたアリスを実際に見ているため、サンダースは余計に過保護になっているのかもしれない。


 彼は物腰も服装も護衛騎士らしくないと思っていたのだけれど、アリスの個人的な馴染みなのだとすれば納得がいく。


 確かにふたりのあいだには不思議な空気感があった。


 サンダースはアリスを崇拝しているのだろう。そしてアリスのほうも、サンダースには特別な注意を払っていたように見受けられた。


 一見アリスのほうが上であるが、実際はサンダースのほうに主導権があるのでは? と思ってしまうような……でもこれは祐奈の勘違いかもしれなかったが。


 ――実はこの『聖女失踪事件』が、のちにアリスに対する異常なえこひいきに繋がっていくのだが、その裏事情を祐奈は知らない。


 美しい聖女アリスに一時苦労をかけてしまったということで、上層部は強い負い目を感じ、国を挙げてのご機嫌取りが始まった。


 そこへふたり目の聖女が現れる。


 醜くて男好きで下劣な、ふたり目の聖女――彼女は初日にしっかり保護され、のうのうと王都まで護送されてきた。こんなやつこそ、野垂れ死んでしまえばよかったのに……言葉には出さないものの、そんなふうに考える関係者は少なからず存在したわけである。


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