第15話 あなたをお護りします



「リングの使い方を説明するね」


 オズボーンがふたたび会話の主導権を握った。


 ふと祐奈は思った――アリスを見失った一件は、ラング准将からしたら苦い思い出であるだろう。なんせ護衛の責任者である。


 護衛隊は王都シルヴァースの聖具リングに刻印が出るまで、聖女がどこに迷い込んだのか、詳細を知ることができない。刻印が出て、やっと現地に向かうことができる。だからそれ以前に聖女が姿を消してしまったのなら、もうどうしようもない。


 聖女来訪は国を挙げての一大事なのだから、各地の教会はそれぞれ重い責任を負っていた。管轄というものもあるだろうし、王都から護衛隊が来るまでは、その土地の責任者が絶対に聖女を保護しなくてはならなかったはず。


 聖女消失はどう考えても、ガーナーの不手際だった。


 それでも責任感の強いラング准将は『もっと早くに着いていれば』と、自分を責めたかもしれない。――オズボーンはそれを知っていて、あえてその一件をラング准将の口から語らせたのではないか。


 オズボーンのことはそんなに深く知っているわけでもなかったが、彼にはそういう少し意地の悪いところがあるように思えた。


 なんとなく複雑な気持ちでオズボーンを眺めていると、彼は敏感に察知したらしい。なぜか彼の瞳孔がすっかり開いている。


 あ、まずいかも……気づくと同時に、ガシッと側頭部を掴まれる。


 ひぃ、痛い、痛いです!


「――祐奈ぁ、今、悪口言った?」


「い、言ってません」


「心の中で言った?」


「心、読めるんですか?」


 オズボーンの整った意地悪顔が、無遠慮にこちらに近づいてくる。声にならない悲鳴が喉からこぼれた。


 たまらず身体を捻った瞬間、ふっと頭部の圧迫が消えてなくなった。


 ――ああ、ラング准将! 助かった!


 彼がオズボーンの首根っこを捕まえ、祐奈から引きはがしてくれたのだ。オズボーンは半目になって反り返りながら、背後を取っているラング准将の端正な顔を見上げる。


「……祐奈とのスキンシップを、邪魔しないでくれますかね」


「彼女に触れるな、と言っている」


「でも僕と祐奈は良い仲だから。ちゅーもした仲だから」


「馬鹿馬鹿しい」


 ラング准将はまるで取り合わなかった。


 祐奈は気まずさに体を縮こませた。……いえ、あの、それが嘘ではないのです。


 ラング准将からすると、美しいオズボーンが祐奈にキスなどするはずがないと考えたのかもしれないが。


「ねぇラング准将」と唇を尖らせるオズボーン。「離してくれないと、話が終わらないのですがね」


「――次」


 ラング准将の言葉は冷ややかで、冬の湖よりも凍てつき具合がひどかった。


「彼女に無断で触れたら容赦しない。痛い目に遭いたくなければ、ちゃんと節度を保て」


「はいはい、分かりましたよ。あなた、祐奈のお父さんか何か?」


 オズボーンは華奢であるし、痛みに耐性がなさそうだ。だからラング准将の脅しはある程度の効果があったようだ。


 心底嫌そうな顔をしてから、少し態度を改めて、オズボーンがこちらに向き直った。


「じゃあ気を取り直して、リングの使い方ね――ウトナまでの道程で、いくつか主要拠点を通過するんだけれど、そこにある聖具にこのリングを押し当ててね。聖具によってはそれで魔法を覚えられる」


 インストール、みたいなことだろうか。よく分からないが、現地に行けばなんとかなるのかな?


「聖具によっては、覚えられないこともあるのですか?」


「一方的に祝福を与えられるだけの場合もあるし、それすらもなくて、ただただ道具としてその土地に存在していることもある。――あ、聖具はものだけじゃなくて、精霊の場合もあるから」


「そ、そうですか」


 ファンタジーな生きものも関わってくるの? 手に負えるかな。


「祐奈が向かうひとつ目の都市――『モレット』が祭っているのは、精霊タイプだね」


「え」


「まぁ、大変だと思うけれど、頑張って。たぶん旅のどこかで、また僕とも会えるし」


 祐奈は訝しく感じ、ヴェールのすぐ前にある彼の灰色の瞳を見つめる。


「あの、オズボーンさんも旅をするのですか?」


「んーまぁ内緒。でもどこかで会えるよ。楽しみにしていて」


「あ、はい」


「じゃあね」


 オズボーンの両手が伸びて来て、頬を挟まれた。ぐい、と引き寄せられる。


 しかしラング准将は心得たもので、オズボーンの襟首を掴んで接触前に引きはがしてくれた。邪魔をされたオズボーンは本気でブーたれている。


「あなた本当に、祐奈のお父さん?」


「同意もなく女性に触れるな」


「こんなもん、ただの挨拶じゃないですか」


「でも彼女は嫌がっている」


 え、嫌がってないよねぇ? みたいな目でオズボーンが見てくるのだが、どうしてそんなふうに『心外だよ』感をかもし出せるのかが謎だ。


 祐奈はいたたまれなくなり、手持無沙汰にドレスの生地を指で弄った。気まずい沈黙が流れる。


「それじゃあこれで、オズボーン」


 ラング准将は彼の華奢な背を押し、身廊の中に押し込んで扉を閉めてしまった。


「――行きましょう」


「は、はい」


 ラング准将にエスコートされて歩き始める。


「オズボーンは少し変な所がありましたが、あなたといると箍(たが)が外れるような気がする」


「そうでしたか。先日もあんな感じだったので、個性的な人だなと思っていました」


「ひとりでよく対処できましたね」


 ラング准将の案ずるような、それでいて悪戯な瞳がこちらに向く。祐奈はそれをくすぐったく感じた。


「勢いはすごいんですけど……でも、なんだか嫌いにはなれなくて」


「懐が広いですね」


 くすりと笑われる。祐奈は恥ずかしくなってきた。


「そんなことはないんですけど、なんというか……あの人は私のことを軽蔑しなかったから。腫れものに触るような扱いもしなかったし」


「彼はあなたのことが好きみたいですからね」


 それはない。祐奈は軽く微笑み、そしてふと瞳を細めた。


 紗のかかった世界――ヴェールの向こう側は、どこか遠くに感じられることがある。


 誰かに傷つけられた時は、ヴェールが護ってくれることはなかったけれど。それでもこうして顔が覆われていることで、五感のどこかが鈍感になっていくような、不思議な感じはするのだ。


「ヴェールのせいかもしれませんね。オズボーンさんはこれを脱がせたいと言っていました」


「いかにも彼が言いそうだ」


「ヴェールを着けた私はたくさんの人に嫌われてしまったけれど、逆に着けていることで、オズボーンさんのように興味を持つ人もいる」


「――ヴェールを着けていても、いなくても。あなたはあなたです」


 ラング准将が立ち止まり、こちらに向き直った。彼が祐奈の手を取る。


 ラング准将は誠実に心を込めて伝えてくれた。


「これからは私があなたをお護りします。あなたが傷つけられた過去に戻ることはできませんが、今後はどうか私を頼ってください」


 心が温かくなる。彼は誠実で、真摯で、立派な人だ。祐奈にはもったいないほどに。


 もしかすると彼は責任者であるがゆえに、厄介者の祐奈の世話を押しつけられてしまったのかもしれない。気の毒であると思う。


 けれどもう、祐奈は彼なしの旅は考えられなかった。申し訳ないとは思うけれど、彼がそばにいてくれて嬉しい。


 祐奈はぎゅっと彼の手を握り返した。


「……ありがとうございます」


 胸が不意に疼いて、泣きたいような気持ちになった。人として尊敬できるというだけなら、きっとこんなふうに心が揺れ動いたりしない。


 だけど気持ちを表に出すことはできなかった。彼を困らせるだけだし、それに――もしも困っているラング准将の顔を見たら、きっと祐奈は絶望してしまうだろう。


 だから何もなかったかのように蓋をする。


 きっと上手くやれる。彼の特別を期待しなければ、心地良い距離感のまま、やっていけるはずだ。


 祐奈が間違いさえしなければ、きっと。




***




 ――とある昼下がり。


 ひっそりと静まり返った身廊に、枢機卿の姿があった。彼は膝を折り、首(こうべ)を垂れていた。


 そのまま長い時間が流れた。


『――カナンに至る道は死のルート』


 託宣がなされるのを、ローマン・アステアは跪いたまま拝聴する。


『進む者は必ずカナンで命を落とす。例外はない』


「ヴェールの聖女がそちらを進みます。ご指示どおりに」


 枢機卿は僅かに顔を上げた。すると視界の端ギリギリに、キング・サンダースの鍛え上げられた巨大な体躯を認めることができた。


 彼は礼拝堂の出入口付近に佇んでいる。その態度は従順なる猟犬のそれだ。サンダースはほつれたような長髪を下ろしっぱなしにしていて、なんともむさくるしかった。


 あの得体の知れぬ男よりも、格下の扱い――屈辱によりローマン・アステアの精悍な顔が歪む。


 一方のサンダースは、鷹のように鋭い視線をアステアに据えていた。





 1.旅立ち(終)

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