第13話 ラング准将と祐奈②
しばらくたって祐奈が落ち着てから、ラング准将がこんなことを言ってきた。
「お願いがあるのですが、ヴェールを取ってみていただけないでしょうか」
祐奈はふたたびうろたえ、背筋がぐにゃりと歪んでしまった。う……と呻きそうになり、慌ててこらえる。
ラング准将が続けて説明するのを、そわそわした頭で聞いていた。
「興味本位というわけではないのです。あなたをお護りする都合上、素顔を知っておくのは職務上必要でして、お願いさせていただきました」
ごもっともだった。おそらく彼は祐奈がどんな顔であっても、態度を変えたりしないだろう。顔色ひとつ変えないはずだ。ラング准将は立派な人だから。
祐奈はここが分岐点のような気がした。ここでヴェールを外すことができれば、前に進めるかもしれない。
これから厳しい旅が始まる。仲間になる人に隠しごとをしているのは良くない。素顔を晒して、心を開き、協力を仰ぐのだ。
ショーの時は失敗した。出だしで躓き、良好な関係を築けなかった。
だからこそ今度は失敗したくなかった。ラング准将とは上手くやっていきたい。それにはヴェールを外す必要がある。
膝の上で意味なく何度も指を組み直した。短気な人なら「早く!」と叱りつけそうなものだが、ラング准将は辛抱強かった。彼の態度が真摯であるからこそ、祐奈もそれに応えたいと思った。
そっと両手を持ち上げ、ヴェールを留めているティアラに手を添える。そのまま外そうとして、手が震えた。
……もしも素顔を見て、この人が怯んだら?
このヴェールをくれたのはリベカ教会のハリントン神父である。あの温和で公平なハリントン神父が、祐奈の顔を見て『問題がある』と感じたのだ。他者の容貌に対して、ある程度の寛容さを身につけているはずの彼が。
ショーにも指摘された気がするが、ハリントン神父にそう思われるというのはよほどのことだろう。
祐奈の顔はこの世界の人にとって、とてつもなく醜く感じられるのだという、悲しい現実。
周囲に美形が多ければ、人の目は必然的にそれに慣れてしまう。――そういえば、目の前にいるエドワード・ラング准将の面差しはとても綺麗だった。ショーなどよりも、よほど。
優美さの中に精悍さが混ざり、作りの繊細さと、男性的な頼りがいのあるところが、ちょうど良い具合に混ざり合っている。
鼻梁は形が良く、品がある。彼の物思うような瞳は、親切なのにどこか謎めいているように感じられて、たまらなく惹きつけられた。
この素敵な男性に顔を見られるのか……そう思ったら、怖気づいてしまった。
けれど必要なことだから。取らないと。ちゃんとしないと。
惨めな気持ちで自らを叱咤しながら、祐奈はぎこちない手つきでヴェールを外そうとする。手が震えて滑った。
もう一度。しっかり。でも上手くいかない。
そんな彼女を眺め、ラング准将が静かな声で制止をかける。
「――もう大丈夫です。取らなくていい」
「でも」
「無理をさせました。申し訳ありません。あなたを追い詰めるのは本意ではなかった」
彼が申し訳なさそうに言うので、祐奈は胸が痛んだ。ラング准将が謝ることじゃないのに。祐奈の勇気が足りないだけで、彼は間違ったことは何も言っていない。
「いつ、か、私、勇気が出せたら……」
つっかえながらなんとか言葉にする。気持ちを伝えておきたいと思った。
「ええ」
それをラング准将が優しい瞳で頷いてくれる。
「……いつかきっと、このヴェールを外したいです」
「それにはきっと、私の努力が必要ですね」
「なぜですか?」
「あなたの信用に足る人物にならないと」
祐奈は何か言おうとして、言葉が出なかった。
彼は十分に信用に足る人物であるし、この人に会えて嬉しいと素直に思える。だけどまだ時間が足りないのかもしれない。
リベカから王都までの、気が重いだけだった旅。道中とその後に、中傷で受けた心の傷。それがまだあまりにも生々しく頭にこびりついていて、祐奈の中で『過去』になっていない。
いつか本心からこの人に、素顔を見てもらいたいと思うことができたなら――その時にヴェールを外したい。
それはいつになるのか、今はまだ見当もつかなかったのだけれど。
***
話し合いを終え、エドワード・ラング准将は部屋から廊下に出た。
鍵は預からせてもらったので、以降は自由に入室することになる。これまでのように廊下の先のほうでぼんやり護衛が佇んでいるようでは、いざという時に役に立たない。
祐奈には、『奥の寝室のみプライベートな空間になるが、それ以外の場所は予告なく出入りする』と伝えておいた。シルヴァースはすぐ発つ予定なので、この宿の利用は間もなく終わるのだが、これに関しては旅先でも基本同じルールとなるため、理解してもらう必要があった。
話をしてみて感じたのは、茅野祐奈という女性はとても控え目で、柔軟にものを考える人だな、ということ。こちらが方針を伝えれば、意図を理解して、相手の立場になって考えてくれる。
それでも希望に沿うのがどうしても難しいとなれば、折衷案を出してくることもあったが、ラングは彼女のそういうところも好ましく感じた。彼女の真面目で慎重な性格が伝わってきたから。
――廊下の先で壁にもたれて退屈そうにしていたピーター・リスキンドが、軽く右手を上げて振ってくる。
上官に対してまるで緊張感の欠ける態度であるが、まぁやつは基本いつもあんな感じだ。年齢もふたつ下というだけでそう離れてもおらず、昔馴染みでもあるので、ラングも別に叱りはしない。
「どうですか?」
これまた緊張感のない声でリスキンドが尋ねてくる。
柔らかそうな艶やかな赤毛は、茶に近い落ち着いた色合いで、彼の甘さを含んだ顔によく合っている。目尻が少し下がっており、眉の形は綺麗な弓型。眉尻までの長さがしっかりとあるので、顔立ちに柔らかさと品が出ていた。
この男は見たとおり、見たまんまの女たらしだった。
「まったく想定していなかったパターンだ」
ラング自身は平静なつもりでいたけれど、少々混乱もしていたのだろう。なんだか要領を得ないことを口にしている。
いつも理論立てて語る彼にしては珍しいと、リスキンドは眉根を寄せた。
「顔、見ました?」
「見ることはできなかった」
「あなたともあろう方が、なぜ」
「……なぜだろう」
ラングは視線を彷徨わせる。――本来ならば、脱がせるべきだっただろう。
職務上必要なのだから、相手が動揺していようが、退くべきではないケースだった。
普段の自分なら待っただろう。『達成されるまで、解放しない』というある種の圧力をかけながら。たとえ相手が望まぬことでも、それが必要ならば彼はやる。しかし祐奈に対しては、どうしてもそれができなかった。
「ちょっと、大丈夫ですかー」
リスキンドはまったく遠慮がない。ポンポン、と肩を叩かれ、若干苛っとしてそれを払いのける。
「さぁさぁ聞かせてくださいよ。ヴェールを脱ぐのも断固拒否するような、暴れ馬でした? んでも、いななきも蹄(ひづめ)で床を叩く音も、漏れ聞こえてこなかったなぁ」
――馬鹿馬鹿しい。リスキンドが言う『ブチ切れしている聖女の姿』に、つい笑いを誘われる。そして『ありえない』と流せている現状に驚いていた。リスキンドの先のたとえ話は、ほんの少し前までは、リアルを伴ったものであったはずだ。
ラングが落ち着いた声で告げる。
「結論から言えば、茅野祐奈は常識人だった」
「え。まじすか?」
「ありえないと思うだろう。俺も最初は信じがたい気持ちだった」
「へぇ、そりゃまた……でもま、それなら良かったな」
ずいぶんあっさりしたものである。茅野祐奈がどんな人間性であるかで、ラングとリスキンドの今後は大きく変わってくる。普通ならハラハラして待つだろうし、もっと根掘り葉掘り、前のめりに会談の顛末を聞き出そうとするのが普通だ。
少し呆れてリスキンドを眺めると、彼は肩を竦めてみせた。
「最低最悪の馬鹿女でも、俺はあなたの下なら特に問題はないと判断して、自ら手を上げたわけです。――俺の忠誠心、伝わってます?」
「助かったとは思った」
「その程度? 忠誠心、いや、俺の愛が伝わってないの? もしかして」
「いつもの気まぐれを出しただけだろう」
「ちょっとー。俺はね。オービル・ハッチ准将みたいな大間抜けにはついて行きたくないと思ったんですよ」
「そうなのか?」
「そうですよ。なんか顔が嫌いなんですよね。似顔絵も描きづらそうだし」
「……つまり、俺の似顔絵なら描きやすいと?」
「まさか。俺の画力じゃ、ラング准将の清潔感を表現するのは無理ですね」
リスキンドのトークはいい加減すぎて、ふらふらと蛇行し始めている。ラングは腕組みをして、冷たい視線を部下へ向けた。
「お前のお気楽さが、ある意味羨ましいな」
「そうすか? 俺はラング准将のお綺麗な顔が羨ましい」
「女性には不自由していないくせに」
「俺はまぁ可愛い顔はしていますが、誰もが納得する美形ってわけじゃないでしょ。この気さくな性格に、あなたの顔を持っていたなら、もっと人生ウハウハしていますよ」
「じゃあお前に必要ないな」
「確かにそうですね。俺の性分で顔まで揃っていたら、結局、ほかの部分が欠けるのかも」
「人間力とか?」
「そうそ。人間力とか」
リスキンドがにんまりと笑って見せる。
どうしようもない低俗な軽口の応酬なのだが、ラングは不思議と気持ちが軽くなってきた。
祐奈との面会前は柄にもなく緊張していた。相手の出方次第では、今後の計画を練り直す必要があった。もしも我儘でヒステリックなタイプなら、道中の休憩を多めに取る必要がある。解決すべき問題は雪だるま式に増えていっただろう。
それで、だ――祐奈が常識人だったから万事解決かといえば、そうではない。
複雑な心境だった。……このままで良いのか? という迷いが出始めている。
彼女自身は乗り気ではなかったようだが、やはり出発する前に、ショーと争うべきではないか?
自分が護衛として付いた瞬間から、祐奈は庇護すべき対象となった。大切なあるじが傷つけられたなら、黙ってはいられない。
しかし祐奈はものの判断もできないような幼子ではないので、本人の意志は尊重すべきであるし。
リスキンドは状況が分かっているのか、それともちっとも分かっていなくて、お気楽をかましているだけなのか、のんびりした調子でこんなことを言ってきた。
「このまま出発しましょう」
「なぜ」
「何もせず、このまま出たほうがいい」
「だから根拠は」
「俺は勘が鋭いんです。なるようになる。ほら――ケセラセラって、異国の言葉があるでしょう?」
「なるようになる、か。お前はいつだってそうだな」
「そうでしょ? で、見て下さいよ、この俺の姿を。大抵上手くいっている」
これで二対一か。祐奈とリスキンドは争いを望んでいない。
ラングは上に立つ者として、重要なことは必ず自身の判断で決めてきた。もちろん他人の意見は聞くし、判断の助けとはするが、それで流されるようなことはない。
今回に関しては、やはりラングは『徹底抗戦すべき』という考えだった。しかしそれでもあえて、今回は多数決を採用することに決めた。
「分かったよ。余計なことは考えず、出発までにすべきことをしよう。雑務が山ほどあるからな」
「それがいいですよ」
「ところで、良い侍女を知らないか? 偏見がなくて、善良で、大らかな人間がいい」
「俺は仕事ができる男です。実はもう見つけてあります」
リスキンドは少し先にある階段室の入口辺りに視線を向けた。
「おーい」
呼ばれるのを待っていたのか、角からひょっこりメイドが顔を出す。三十代後半だろうか。ふくよかで、いかにも陽気そうな女性だ。
なんだかびっくりしたような顔をしているが、何かに驚いているわけでもなく、これが地顔なのだろう。
「この人はね、カルメリータ」
「よろしくお願いします!」
カルメリータは小走りに駆けてくると、にこにことお日様みたいに笑って、握手を求めてきた。友好の握手はしばらくのあいだ続いた。
やっと解放されたラングは微笑を返しながら、
「これ以上ないという最適な人選だな」
と呟きを漏らした。
傍らでリスキンドが、
「そうでしょうとも」
と小生意気にも顎を上げ、『どうよ』と手柄をアピールするので、これはもう文句のつけようもないと思い、くしゃりと頭を撫でてやった。
これは嫌がらせも兼ねた可愛がりだったのだが、意外にもリスキンドは「へへ」と嬉しそうに笑った。
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