第11話 もう一人の聖女
そのまま小一時間ほど待たされてから、やっと続き部屋に入るように指示される。
祐奈を呼びにきたのは長髪をワイルドに垂らした大男だった。髪も服も黒。神職に就く者の服装でもなく、騎士服でもない。むさくるしくて、粗暴な気配がある。
「――キング・サンダースです」
名乗られて思い出した――あの手紙の差出人か。この人が真顔でメイド服を準備したのかと思うと、なんだか居たたまれない気持ちになった。どういうメンタルでそれをしたのだろう。
サンダースが奥の扉を開き、押さえたまま待っている。体を小さくしながら傍らを通り抜けた。
続き部屋は不思議な空間だった。儀式用の衣装や小物をしまってある部屋らしい。
てっきりアリスの私室に通されるのかと思っていたので、少し戸惑ってしまう。もしかするとあちらは祐奈のことを警戒していて、プライベート空間に入れたくなかったのだろうか。
アリスは正面に佇んでいた。衣装は白系のドレスで、レース細工が見事な一品だった。白いヴェールをかぶっている。彼女のそれは薄手の白なので、顔はあまり隠せていない。肌の質感や細部までは把握できないものの、造形は見て取ることができた。
――綺麗な人だな、と初めに思った。
大人びている。二十代後半では? という印象を受けた。赤茶けた髪。斜めに流した前髪とサイドの髪が、顔の輪郭を覆い隠している。瞳は弓型に笑んでいた。
目の縁がくっきりと黒っぽいので、アイシャドウやアイペンシルやマスカラを(この世界に元の世界と同じようなものがあるのかは不明だったが)、とても上手に入れているのが分かった。
唇はぽってりと厚みがある。唇の真下には黒子(ほくろ)があった。
……セクシーだな。祐奈は感心してしまった。
「こんにちは。私は田(た)辺(なべ)アリスです」
サンダースにも内容が分かるようにという配慮なのか、アリスはこちらの世界の言葉を使った。
「初めまして。茅野祐奈と申します」
名乗ったあとで、故郷のことを色々話したいと思ったのだが、アリスがすぐに話し始めたので、祐奈は出鼻をくじかれてしまった。
「私ね、祐奈さんに会ってみたかったの。祐奈さんがヴェールをしているって聞いたものだから、私もあなたに会うために、この白いヴェールを準備してもらったんだ。――あ、普段はしていないのよ? 顔を隠す必要もないしね」
でしょうね。お綺麗ですものね。ヴェールをかぶっている自分が滑稽に感じられて、恥ずかしくなってきた。
「ねぇ、お互いにヴェールを取って、素顔を見せ合いっこしましょう?」
「え?」
びっくりした。まさかそんな展開になるなんて。こちらが了承していないのに、いつの間にか背後に迫っていたサンダースが、祐奈の肩をガッと押さえつけた。
「跪(ひざまず)いてください」
有無を言わさずだった。大男に上から力を込められれば、祐奈の膝は床に落ちる。サンダースは祐奈に膝をつかせて満足したのか、一歩後ろに下がった。
「見せて」
アリスは楽しげだった。祐奈はゆっくりと手を上げ、ヴェールを留めているティアラの部分に触れた。微かに腕が震える。
……嫌だ、と思った。こんな流れで外したくない。
しかし背後から放たれるサンダースからの圧力も感じていた。拒否できそうになかった。
ひとつマシな点があるとすれば、目の前にはアリスしかいないことだろう。女性同士であるから、いくらか抵抗は少ない。
祐奈は覚悟を決めて、ヴェールを外した。――黒の紗が目の前からなくなる。視界がクリアになった。
二メートルほど向こうにアリスが立っている。彼女は確か『素顔を見せ合いっこしましょう』と言ったはずだった。しかし祐奈がヴェールを外したあとも、アリスは動かない。
弓型に笑んでいたはずの彼女の目尻が、すっと吊り上がったのが分かった。気づけば口角までもがかたくなに真一文字に引き結ばれている。
そのまま長い時間が過ぎた。
「――もう行っていいわ」
アリスは冷めた調子でそう言い置くと、踵を返してしまった。そのまま奥の扉のほうへ向かう。祐奈が入ってきたのとは反対側の扉だ。
背後でサンダースが身じろぎする気配がしたので、祐奈は慌ててヴェールをかぶった。前後も分からないし、歪んでしまったけれど、そんなことはどうでもいい。
サンダースが急ぎアリスを追うため、傍らを通り過ぎる。彼がちらりとこちらを見おろした気配がしたので、ヴェールが間に合ってよかったと思った。女性を力ずくで跪かせるような人に、素顔を見られたくなかったからだ。
祐奈は立ち上がり、出ていくアリスを遠目で見送った。そしてしばらくたってから、前室へとトボトボと引き返した。そこでまだ待っていてくれたアンに頭を下げ、
「もうお暇(いとま)いたします」
と告げて部屋を出た。
***
――そしてもうひとつ、恐怖のおまけがついてきた。
祐奈は『ショーが戻ってきていたら嫌だな』と思いつつ、かなりビクつきながら部屋を出た。
しかしその心配は杞(き)憂(ゆう)であった。扉前にいたはずの警備の人間が全員いなくなっていたからだ。アリスが出ていったので、このスペース自体がフリーになったらしい。
ほっとして廊下を進み、来たルートを逆に辿っていく。そして先ほどショーにばったり遭遇した階段前まで来た時に、突然角から人が飛び出してきたので、驚いてしまった。
――ばぁ! みたいなふざけた出方。
びっくりして「ひぃ」と腰を引かせているうちに、問答無用に腕を引っ張られ、階段室のほうに連れ込まれてしまう。背中を壁に押しつけられた。ヴェールのすぐ前に、中性的な美形がドアップで迫っている。
この人――ええと、そうだ、枢機卿の側近だ。聞き取り調査の時、扉を開けてくれた綺麗な少年。こうして近くに来てみると、背丈は祐奈より少し高いくらいか。
どういう訳か今の彼は、危険な領域を彷徨っているような感じがした。爛々と瞳を輝かせて、祐奈の側頭部をガシッと両手で摑んでくる。狩りをしている猫みたいなノリノリ具合だ。恐怖で息が止まりそうになる。
美形すぎて怖いし、彼のメンタルも色々心配だった。何しろ目の焦点が完全に飛んでいる。
なんとなくだけれど、「今から僕の指をあなたの両耳に突っ込んで、ぐりぐりして、脳味噌掻き出しますね~。痛かったら言ってくださいね~、叫べないよう舌引っこ抜きますんで」とか半笑いで言ってきそうな空恐ろしさがある。
「ヴェール取った?」
彼の声は少し掠れていて、よく聞き取れなかった。
「え?」
「取った? 取ったよね? ああ、僕も見たいなぁ。今、取っちゃおうかな?」
「いや、あの」
「でも取らなくてもさぁ、こうしてすごーい近寄ったら、うっすら君の顔が見える……かもしれないよね? いや、無理か」
「み、見たいのですか?」
「見たいような」
うん。
「見たくないような」
どっちですか。
「ねぇ、知っている? 聖女アリスと君とでは、進むルートが違うの」
好き勝手に話が飛ぶので、頭が混乱する。
「ルートとは、ウトナまでの道筋ですか?」
「そう。ゴールは一緒だけど」
あのね、こんな感じ――と彼は一旦祐奈の頭部から手を離し、顔の前で波線を描いてみせた。ひとつ目のルートを描いたあと、ふたつ目のルートはそれと波の向きを反転させる。
「君が行くのは『カナンルート』。南→北→南を進んでゴールに至る筋道だね。アリスは逆で、北→南→北を進む。君の『カナンルート』はね、別名、『死のルート』とも呼ばれている」
「死……」
「皆さ、聖女はずっとひとりしか来てないって思っているけれど、それは違うんだ。実は千年――正確に言うと、九八六年に一度の周期で、聖女はふたりやって来る。その場合、片っぽは通常とは異なる『カナンルート』を行かされるの」
「『死のルート』って、『死ぬほどキツイ』って意味ですか」
「さぁどうだろう。『死ぬほどキツイ』かー、もしくは『絶対どうあっても死ぬ』の意味かー。どーっちだ」
『絶対どうあっても死ぬ』の時、声が異様に大きくなった。瞳孔も開いた気がする。……そっちなの? 冗談よね?
うろたえていると、もう一回、ガシッと頭部を摑まれた。この掴み方だと手の甲に血管浮いているでしょう、っていうくらい力が入っている。
「また会おう、祐奈」
「は?」
「やっぱり今日はヴェールを取らない。お楽しみは今度だ」
むちゅーと柔らかい感触がして、気づけばヴェール越しにキスされていた。色っぽさは皆無で、犬にベロンと舐められたみたいな、そんな感じだった。
「じゃあね!」
祐奈をその場に放置して、人騒がせな美少年はあっという間に走り去ってしまった。
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