第9話 恐怖


 枢機卿との気の重い面談を終え、祐奈は宿に戻ってきた。


 そのまま部屋に閉じこもり、気鬱なまま過ごす。誰も部屋には入ってこないし、祐奈に関わろうともしない。――それはそうだろう。


 枢機卿に質問された内容の数々は、祐奈を打ちのめした。まさか知らぬところで、あんなふうに言われていただなんて。


 皆が迷惑そうに遠目で眺めてくるわけだ。近寄ったらセクハラされると思っているのだから、それも当然。


 リベカ教会のハリントン神父から『聖女は国王に次ぐ高い地位にある』と言われた気がするのだが、どうもそんな感じじゃない。それどころか人間以下の扱いを受けているような気さえする。皆からすれば『狂犬注意!』といったところなのかもね……別に噛みついたりしないのに。


 食事は時間になると扉の前に置かれているので、さすがに餓死させるつもりはないらしい。具がほとんどない冷めたスープに、固いパンの切れ端が少し。質素な食事内容だけれど、文句は言えない。


 考えてみれば、祐奈はこの世界に来てから役に立つことをまだ何もしていないのだから、あちらからすれば『働かざる者食うべからず』と言いたいのかも。むしろ親切心を発揮して、パンの切れ端を与えているのかもしれない。


 下着はハリントン神父が用意してくれた二枚を、洗濯して交互に使っている。


 ドレスは一着。体臭がほとんどないので別に構わないのだが、ソースでもこぼしたら最悪だろうなと思う。……まぁソースがかかっているような豪華な食べものには、一生お目にかかれそうにないから、その心配は不要か。


 ノックの音がして扉口に向かうと、宿の女将が仏頂面で扉を外から開け、手紙と大きめの箱を渡してきた。


 礼を言って受け取る。しかし向こうは祐奈の手に触れるのも御免だと思ったのか、箱を乱暴に押しつけてさっさと下がっていった。……ちょっとしたことでも、ひどい扱いを受けるとやはり悲しい。


 しょんぼりと眉尻を下げ、居間に戻って手紙に目を通す。


 差出人は『聖女アリスの付人 キング・サンダース』となっていた。


『聖女アリス様が、出発前にあなたとの面会を望んでいます。急ぎ、大聖堂までお越しください。警備の者に声をかけていただければ、分かるようにしておきます。――聖女アリス様にお会いするにあたり、相応しい衣装をこちらで用意しました。手紙と一緒に送ります』


 衣装? 女将から渡された、こちらの大きな箱か。蓋を開けてみると、メイド服が入っていた。しばし固まり、エプロンドレスを見おろす。


 え……相応しい格好?


 ふたりの聖女に明確に格差をつけておきたいということだろうか。これがアリスの意志なのか、はたまた側近の忠誠心が暴走した結果なのかは分からない。どちらにせよ、こちらに服装の自由すら許さないやり口は、なかなかのものだなと思った。


「――急ぎお越しください、か」


 衣装を手に取り、顔の前で広げてみる。


 ……ま、いいか。元々プライドが高いほうでもないし、特にこちらに来てからは、最低限備えていた自尊心も叩き折られている。


 それに同じドレスを何日も着用しているので、たまには別のものを着たかった。これはおそらく、アリス付のメイドが着用しているのと同じものだろう。だからもの自体は良さそう。


 それで祐奈はすぐに着替え始めた。




***




 大聖堂に着くと、護衛から『東階段を上り、三階に行ってください』と言われる。階段の場所だけ教えられて、案内役はつかなかった。


 分かりやすい人たちだな、と思う。うっかり案内なんかして、ムラムラした祐奈に襲われてはたまらないと考えたのだろう。


 けれど不思議ではあった――彼らは祐奈のことを放置しておいても平気で、放火などの危険行為はしないであろうと、そこは信頼してくれているんだな、と。


 ……え? それでいいの? こんなに嫌っているのに、信じすぎじゃない?


 もっとこう――『目を離したら、こいつはすぐ窃盗とかするはず。しっかり見張っておかなきゃ』的な警戒心を持ってくれていないと、辻褄が合わない。別に疑われたいわけではないのだけれど、細部で矛盾が出ている点が気になる。人を嫌うなら、せめて一貫性は保ってほしいところだ。


 ひとりで石階段を上がっていくと、上階で立ち話をしている人がいるらしく、声が聞こえてきた。


 踊り場の所で上半身を乗り出し、上を覗き見てみる。すると騎士服姿のふたりが視界に入った。向こうは互いを見て喋っているので、こちらには気づいていないようだ。


「これからもうひとりの聖女が来るんだろう?」


「じゃあ、俺たちも早く姿を隠さないとな」


「若い男と見ると、しなを作って近寄ってくるらしいからな」


「気持ち悪い」


「ショーが言ってたんだが、これから昼休憩か、とか分かり切ったことをいちいち訊いてくるらしいぜ。普通なら流れで分かるだろう?」


「ショーは顔がいいからな。ぽうっとなっちまったんじゃないか」


「まとわりついてくるブスほどウザいものはないな」


「化けものだから人恋しいんだろう。誰にも相手にされてこなかったんだよ」


「なんでブスのくせに、ショーを見て『いける』と思ったんだろうな? さすがにどうかしてるぜ」


「十年くらい誰とも喋ってなかったのかもな。だから自分の立ち位置を客観視できていないんだよ。そう考えると憐れだな」


「じゃあお前、一度寝てやれよ」


「いや、気持ち悪いわぁ! ショーは同じ空気吸うのも無理だって言ってたぞ。俺も絶対無理だわ」


「喋り方もさ、もたもたトロくて、すごい頭悪そうだったって。理解力が足りないから、相手をするショーは相当大変だったみたいだ」


「だめなやつってちょっと話せば分かるよな。――顔もだめ、頭も悪いって、良いところがどこかあるのかね?」


「人に勇気を与えるところじゃないか? あれより自分はマシだなって」


「それしか存在意義ないのか。虫以下だな」


「美しいアリス様だけでいいのに、なんでそんなクズみたいな化けものが来るんだ。ものすごい迷惑」


「元の世界に帰ってほしいよな」


「でも元の世界の人たちは、『お願い、もう帰って来ないで!』と思っているんじゃないか?」


 全部が全部、作り話だったらまだよかったのだ。しかし会話の際にもたもたしていただとか、若干芯を食っているなと感じる部分もあって、ものすごく落ち込んでしまった。自分では重要視していなかった欠点を、はっきりと突きつけられたような心地だった。


 ショーは誇大妄想狂なのだと思い込もうとしていたのだけれど、彼なりになんらかの根拠があって、こちらを嫌っていたのだと思い知らされた。少し喋ってみて、頭が悪そうなのが分かり、ショーはうんざりしたとのことだ。


 ……恥ずかしかった。自分がもっときびきびと、打てば響くような反応をしていれば、こんな扱いは受けなかったのかもしれない。


 元の世界にいた時に、学校で人気があった女の子のことが頭に浮かんだ――物怖じしなくて、頭の回転が速くて、溌剌としているタイプ。


 確かに自分はそんな感じじゃない。じっくり考えて喋るほうだし、いつものんびりしている。


 それで嫌われたことはなかったけれど、そういえば年上の従兄からは、ちょくちょく似たようなことを指摘されていたっけ。『祐奈はトロいよね』とか。『祐奈って馬鹿だよね』とか。『祐奈ってすぐ台詞を嚙むよね』とか。『さっきすれ違ったあの人、祐奈のことを見て笑ってたよ。変だからじゃない?』とか。


 やっぱり私って、変なのかな……大勢がそう言うのだから、変なのかも。


 ――悪口を言っていた騎士ふたりが、階段を下りてくるのに気づき、はっとする。これでは逃げ場がない。


 祐奈は自分でもよく分からないまま、ヴェールを剥ぎ取っていた。どうしても今は聖女だとバレたくなかった。右手に握ったそれを後ろに隠し、顔を俯けて階段を上がっていく。心臓が早鐘を打っている。……どうしよう、気づかれるかな。


 自分の服装を見おろす。


 ――メイド服。たぶん大丈夫。使用人のひとりと思うはず。


 なんとなく上方から視線を感じた。まじまじと見られているような。祐奈は全身を緊張させて足を進めた。


 顔が変だから、見られているのかな? 怖い……腰の後ろに回した右手が震え出す。後ろに隠しているヴェールを落さないようにしなくちゃ。ヴェールの聖女だとバレたら、ひどい目に遭わされるかも。


 すれ違う瞬間、ひとりがグイッとこちらに身を乗り出してきたので、ぎょっとしてしまう。目を見開いて仰ぎ見ると、好奇の視線がこちらに向けられていた。


「――おい。怯えているじゃないか。馬鹿」


 もうひとりが小突いたことで、不躾な男の視線が逸れる。祐奈はなるべく体を縮こまらせてやり過ごした。かなり挙動不審だったと思うのだが、幸いふたりの騎士は『じっと見たせいでメイドが萎縮した』と考えたらしく、そのまま無事にすれ違うことができた。すぐに後ろ手に回していたヴェールを前に持ってくる。


 背後でこそこそふたりが喋っている気配を感じた。


 祐奈はヴェールをお腹の前でぎゅっと握り締めながら、いたたまれない気持ちで瞳を伏せた。『見たか? あの顔、ひどかったよな。すげー凝視しちゃった』とか言っているのかも。……ああもう、やだな。


 階段を上がり切り、ほっと息を吐く。壁に寄りかかり呼吸を整えた。もう帰りたいなと思った。目が虚ろになる。


 しかし一難去ってまた一難というやつで。直角に折れた壁の向こう側から足音が響いてきた。階段を引き返して身を隠している時間はない。


 近づいてくる誰かが『ショー』と呼びかけたのが聞こえてきた。祐奈は青ざめた。


 ――なんてこと。ヴェールを取っているこの状況で、あの男と顔を合わせてしまうの?


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