第8話 エドワード・ラング准将


「――オズボーン。証言は書き留めたか」


 聖女祐奈が身廊を出ていってから、枢機卿は座席の端に腰かけていた側近に声をかけた。枢機卿はどっと疲れたというような顔だ。


 対し、見目麗しいオズボーンは口元に笑みを浮かべている。オズボーンの佇まいはまるで悪戯妖精のようで、それがさらにアステアを疲弊させる。


「一言一句抜かりなく」


 オズボーンは手に持った用紙を振ってみせた。


「清書してエドワード・ラング准将に渡せ」


「彼のお手並み拝見ですねぇ」


 ラング准将は国王陛下から、護衛隊隊長に任命された。曲者(くせもの)の隊員を指揮してまとめるには、彼以上の適任者はいないと考えられたからだろう。有能であることが、皮肉にも、面倒事に巻き込まれる原因となってしまったのだ。


 性格の悪いオズボーンはなんとも楽しげであるが、アステア個人としては、ラング准将は被害者だと思っていた。前途有望な若者であるのに、とても気の毒な話である。


「一流なのは指揮官のラング准将だけで、あとは正直、吹き溜まりといったところだな」


 金で集めた傭兵レベル。


 昔は貴族籍の子弟により固められ、『崇高な任務』として扱われていたウトナへの旅であるが、時代は変わった。過去の聖女の悪行により、協力を得づらくなっている。国のため我慢をしろと説いてみても、昨今の若者は自己犠牲の精神を持っていない。


「そりゃあ仕方ないですよ。聖女アリスはたまたま美人で儲けものでしたが、それはあくまで結果論ですからね。元々はとんでもない化けものがやってくる想定で集められたんです。前途有望な若者は志願なんかしないですよ」


「口をつつしめ、オズボーン」


「本当のことじゃないですか。聖女アリスを見て、『これは旅のあいだ、人間らしく過ごせそうだぞ』と気が緩んだところに、もうひとり聖女が来てしまった――揺り戻しってやつですよ。当初感じていた不安や恐怖が、抑えられなくなっている」


「お前はどう思う? 祐奈とショーで、言い分が食い違っている。祐奈は悪女なのか?」


「祐奈はあのままの人だと思いますよ」


「あのままとは?」


「正直で、変わっている」


「受け答えで変わっているとは感じなかったが」


「変わっていますよ。あんな変な人、そういません」


「どこが?」


「自分自身を俯瞰しすぎている気がしますね。常に『普通』でいようとすると、ある意味客観性を磨いていかないといけない。それが行きすぎると、ある段階から別の存在に変異していく」


「お前の話はいつも理屈っぽくて、よく分からん」


「理屈じゃなくて、感覚で捉えているんですけどね。あとは、そう――彼女は何かを恥じている気がする」


「ショーに性的な嫌がらせをしたと、疑われたから?」


「いえいえいえ、そうじゃなくて、もっと根本的なことです。……繊細すぎるのかなぁ」


 オズボーンの主張は観念的すぎて、けむに巻かれた心地になった。しかしこの男は物事を見通す力を持っている。――結局のところ、アステアはオズボーンに一目置いているのだ。


 ただ、周囲の目もあるので、もう少し言動に気をつけて、枢機卿と側近という明確な上下関係は守ってほしいところであるが。


「祐奈はショーに悪い態度を取ったと思うか?」


「まさか、無理でしょう。あの子、子リスより害がないもの」


「では、ショーが噓をついていると?」


「それもノーですね。あいつは巧みな噓をつけるほど、頭が良くない」


 じゃあどうなる。アステアが強面で部下を睨むと、オズボーンは軽く肩を竦めてみせた。


「これって単なる行き違いじゃないのかな。適切な仲介者を置いて、時間をかけて交流すれば、解けるたぐいの」


「それは無理だ。ふたりの聖女は別のルートを進むし、一時交差する機会もあるが、ふたり仲良くとはいきそうにない。こうなってはショーを祐奈に近づけるわけにはいかないし」


「まぁそうだ――というか、祐奈に付きたがる人、いないでしょう?」


「国王陛下は今回の揉め事を重く見ておられる。結論として、祐奈には二名の護衛騎士を付けることしか認められなかった」


「厳しい裁定ですね。アリスとの格差がえげつないな」


「仕方ない。聖女が祐奈ひとりきりだったら、護衛隊は『絶対服従』の当初の誓いどおりに行動させた。しかし理想の聖女が別に存在するのに、祐奈を祭り上げることはもう不可能だ」


「責任者のエドワード・ラング准将と、NO.2のオービル・ハッチ准将――どちらかが祐奈に付くようですね?」


「陛下はハッチ准将を付かせたいようだ」


「しかしハッチは絶対に拒否する。祐奈に付き添っても、帰還した際にキャリアアップにならないと分かっているから」


「そうだろうな」


「ラング准将がアリス隊から外れるのは痛いですね。杓子定規なハッチに果たして隊をまとめられるのか」


「やってもらうしかない。聖女アリスは問題を起こさないだろうし、大まかな計画はすでにラング准将が立てているので、問題はないと思うが」


「祐奈のほうが問題かもしれませんね。彼女が進むカナンルートは、癖の強い町が多い。問題が山積みだ」


 オズボーンの指摘に、アステアは難しい顔で考え込んでしまった。


 しかし、こう言ってはなんだが、祐奈は捨て駒だ。最悪、途中で脱落しても問題はない。結果的に、聖女がひとり、ウトナに辿り着きさえすればよいのだ。




***




 エドワード・ラング准将は対応に追われていた。――関係各所への聞き取り調査、枢機卿から出される通達の確認、旅程の最終調整。


 そんな中で大きな問題が起こった。新聖女の茅野祐奈に関係することだ。彼女の扱いは現状、枢機卿の管轄となっているため、これまでほとんどタッチしてこなかったのだが、それが裏目に出た気がする。枢機卿に煙たがられても、もう少し踏み込んでおけばよかった。


 彼女が護衛役のショーと大揉めしたことで、国王陛下がピリついているようだ。『聖女には絶対服従』が不文律であったはずなのに、それがふたり現れたことで、茅野祐奈の扱いがぞんざいになっている。


 少し前にオズボーンから調書を手渡された。先ほど行った、祐奈への聞き取り調査の内容だという。ざっと目を通して、思わず額を押さえた。


 ――違和感。


 ふたり目の聖女が現れてからの上層部の対応など、すべてを含めての強烈な違和感だった。


 端的にいえば、皆、地に足がついていない。


 集団ヒステリーに近いことが起きているように思われるのだが――この感覚を抱いているのは自分だけなのか?


 ダグラス・ショーの訴えは、一見それらしいのだが、なんとも奇妙な印象を受けた。曖昧模糊としている――口の上手い政治家が語る、実体の掴めない話のような。


 彼が噓をついているとまでは言わないが、要点を簡潔にまとめてみると、だからなんだという気がしなくもない。すべてを感情的に処理しすぎではないか? まるで祐奈に自分の親でも殺されたかのような騒ぎだ。それほどのことをされたわけじゃないだろうに。


 もちろん、現場の人間がその時その時に感じ取った空気は無視できない。ラング自身、茅野祐奈に会っていないので、なんともいえない部分はあった。結局会ったら自分だって、『これは品性下劣でどうしようもないロクデナシだな』と感じるのかもしれなかった。


 しかしオズボーンが作成した手元の資料を見るに、茅野祐奈の受け答えは終始常識的で、ちょっとした切り返し時の機転の利かせ方などには、彼女の知性に感心させられる部分もあった。


 とはいえ、それは彼女の善良性を示すものではなく、狡猾さの表れであるという見方もできるかもしれないが。


 とりあえず隊の責任者として、急ぎ方針を決めなければならない。全隊員を小ホールに集め、口を開く。


「今回は異例尽くめだ。聖女がふたり現れたので、護衛隊は二隊に分離する必要がある。――国王陛下の指示により、聖女アリスのほうをメインとし、聖女祐奈のほうはサブとして扱うこととなった。祐奈の護衛は、騎士二名、侍女一名が割り当てられる」


「――エドワード・ラング准将」


 一番前で話を聞いていたオービル・ハッチ准将が、一歩前に進み出た。彼の銀行家めいた佇まいを眺めながら、ラングは『来たな』と心の中で呟く。しかし表向きは落ち着き払った態度で応じた。


「なんでしょうか、ハッチ准将」


「単刀直入に申し上げます。隊の分離ということで、隊長と副隊長の私、どちらか一方が聖女祐奈のほうに付くことになりますね」


「そうなると思います」


「聖女祐奈は問題行動が多く、副隊長の私には荷が重いかと」


「ハッチ准将は本隊に残るのを希望しますか」


「そのとおりです。ラング准将は責任者の立場にあらせられるので、こういった困難な状況においては、率先して問題解決に当たるべきだと思います」


 これを聞き、ラングは微かに瞳を細めた。自身の覚悟はすでに決まっていたが、それでもハッチ准将の言い分に苛立ちは感じる。


 ――結局のところ、先ほどあれこれと考えを巡らせてはみたものの、聖女祐奈はやはり問題のある人物なのだろう。彼女を迎えにいった隊員数名が、『祐奈には問題があった』と証言しているのだ。


 過去の聖女も大抵のケースで大きな問題があった。人格にも、容姿にも。


 ラング個人の考えとしては、他人の美醜についてつべこべ言うことは、人間として最低であると思っている。しかしこれまでこの世界に迷い込んで来た聖女たちは中身がひどすぎたので、外見についても揶揄されたという側面があるのは確かだ。


 彼は生真面目な性格をしているので、どう考えても貧乏くじでしかない任務を、部下に押しつけることはできそうになかった。だから祐奈の警護は自分が担当するつもりでいたのだ。それでも好き勝手を言う部下に対して思うところはある。


「――ハッチ准将。我々の任務の最優先事項は、聖女をウトナまで無事にお連れすることだ。国王陛下の決定では、アリスのほうが主隊とされている。通常の指揮系統で考えれば、副隊長のあなたが、祐奈の隊を指揮すべきだと思うが」


 これまでは年上のハッチ准将に敬意を払っていたのだが、それすらもここでなくなった。ラングの語調は厳しく、ハッチは一瞬怯みかけたほどだった。


 しかしここで引くわけにはいかないと、ハッチは何食わぬ顔を装って反論した。


「それは納得できません。私に祐奈の護衛は無理です」


「理由は」


「私は腕に覚えがありません。暴漢に襲われた場合、二名態勢で、聖女をお護りできない」


 なるほど、一応筋は通っている。――とはいえ護衛任務につくというのに『私は弱いので』で済ませられると思っているところが甘いのだが。副隊長の立場でいけしゃあしゃあと述べて良い内容ではない。


 百歩譲って弱いなら弱いで、そのぶん関係各所との事務調整などで活躍してくれているならまだよかった。しかしハッチ准将はそれさえも果たしていない。


 ラングがこの任務についてからてんてこまいの忙しさだったのは、ひとえにハッチ准将の無能ぶりに原因があった。ラングがいるからハッチ准将はさぼるのだ。いなくなれば、それなりに働かざるをえないはずだ。


 下位の隊員とはもらっているギャラが違う。ハッチ准将はもっと仕事をすべきだった。この理不尽な重圧の一端でも、ハッチ准将に担わせてやるとしよう。


「ハッチ准将。では、本隊をひとりで取り仕切れるということでいいな」


「はい。問題ありません」


 言ったな。二言は認めんぞ。


「聖女二名はルートが分かれるので、以降、私は助力できない。この会合を解散した瞬間から、本隊の運営はハッチ准将に仕切っていただく」


 ハッチ准将が怯んだ気配があった。彼は出発直前まで、ラングが色々整えていってくれると期待していたのだろう。――甘すぎる。


 それにこれは意地悪でもなんでもないのだ。ラングはラングで他人のことを気遣ってはいられない立場だった。ルートが変わるため、これまで長い年月をかけて練ってきた警備計画は使えなくなる。すべて立て直しだ。


 そしてショーが言うところの『最低最悪、下劣で好色で、歴代で一番の醜い容姿を持つ聖女』とやらの護衛に付かねばならない。一体どんな無理難題をふっかけられることか。生きながら、地獄に片足を突っ込むようなものかもしれない。ラング自身も腹を括る時だった。


 ハッチ准将はそれでも祐奈の隊に回されるのだけは御免だと考えたらしい。はきはきした声で返事をした。


「精一杯務めさせていただきます」


 これで決まった。ラングは落ち着いた態度で周囲を睥(へい)睨(げい)し、呼びかけた。


「あと一名。私についてくる志願者はいるか」


 皆、戸惑った様子で顔を見合わせている。誰も手を挙げないんじゃないか、と各々の瞳が語っていた。


 ラング准将は部下から尊敬されている。掃き溜めに鶴だというのは、皆分かっていた。主軸の彼が抜けることへの不安もある。しかしそれでもなお、祐奈の護衛にだけは回りたくない。


 しんとした沈黙が落ち、このまま誰も志願しないかと思われた、その時――。


「はい。俺、行きます」


 ホールの左隅から吞気な声が上がった。周囲の人間が避けたので、声の主がラングの視界に入った。その人物を見て、ラングの口角が微かに上がる。


「――ピーター・リスキンド」


「ラング准将と俺。これで決まりですね」


「よろしく頼む」


 これでもう後戻りはできない――待ったなし、だ。


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