第7話 屈辱
身廊への呼び込みをしてくれた枢機卿の側近は、驚くほどの美少年だった。
十五、六だろうか。プラチナブロンドの癖のない髪は肩口で切り揃えられていて、天使のように美しい容貌をしているのに、どこか小悪魔的なところがあった。
灰色の瞳は硬質で冷たそうな印象を受けるが、色合いは淡く、謎めいてもいる。
傍らを通り過ぎる際に軽く頭を下げると、なんともいえない含みのある表情を浮かべて見返してきた。ヴェールでこちらの顔は見えていないはずなのに、それを透かして素顔を覗き込まれたような、そんな奇妙な感じを受けた。
内部は荘厳で、美しく、歴史の積み重ねを感じさせる素晴らしい建造物だった。ヴォールトの滑らかな曲線は、芸術的で優美である。
祐奈が今いるのは東。――側面から中に入った形だ。少し進むと建物を縦に走る通路に行き着くが、その右手の方角に、枢機卿と思しき男性が立っていた。
思ったよりも若い。見たところ三十代後半くらいだろうか。武闘派なんじゃないのかと思うくらい、上腕のボリュームがすごい。顔立ちは濃く、武骨で男らしいタイプだ。服装が神職に就く者のそれなので、それでやっと枢機卿なのだと分かるが、事前に抱いていたイメージとは真逆だった。
なんとなく気圧されてしまい、歩み寄るスピードが鈍る。
少し手前で会釈して、
「はじめまして」
と挨拶をした。
枢機卿は難しい顔でこちらの様子をじっと窺っていた。右肩が極端に下がっているのは、この人の癖だろうか。
「――私はローマン・アステアです。あなたは祐奈様ですね」
「はい。私の名前は茅野祐奈です」
彼が右手を差し出したので、こういうことに慣れていない祐奈はどぎまぎしながら進み出て、手を握った。まさかこの状況で握手をすることになるとは思ってもみなかった。
彼の態度は事務的であり、職務感を殊(こと)更(さら)かもし出しているような感じがした。これは祐奈に対してのみこうなのか、はたまた元々のこの人のやり方なのかは、初対面なので不明だった。
ここは身廊なので、左右に信者用の席はあるのだが、祭壇に向かって並列している形で、こういう時に座って話すのには向いていない。そのため当然のことながら、通路に立ったまま、向かい合って話すこととなった。
枢機卿は腕組みをして、頭の痛い問題に悩まされているという表情を浮かべている。
「祐奈様。あなたにいくつか確認したいことがあります。非常に訊きづらいのですが……」
深いため息をつく彼を見て、祐奈は頷いてみせた。いい話ではなさそうだ。……まぁそれはそうだろう。この世界にやって来て、順調だったのはリベカに留まっていたあいだだけで、その後は下降の一途を辿っている。
「あなたをリベカから護衛してきた騎士数名より、あなたの問題行動が複数報告されています。ひとつ目の質問ですが、あなたは彼らの妨害をしましたか?」
驚いた。
たとえば祐奈が元いた世界で女子レスリングの金メダリストだったとかなら、まだ分かる。騎士たちを放り投げてはホールドし、締め上げていくことも可能だろうから。
大柄な騎士五名に取り囲まれて、非力な祐奈に一体何ができたというのだろう?
「妨害とはなんでしょう?」
「あなたの無神経な言動で、度々現場が混乱したと聞いています」
混乱したのはこちらですよ。
「無神経な言動、ですか」
「リベカでお世話になったハリントン神父へ、暴言を吐かれたとか」
「意味が分かりません」
「よく思い出してください」
「そんなことをするはずがないです。ハリントン神父には親切にしていただき、感謝しているのですから」
「しかし神父に容姿を貶(けな)され、ひどく腹を立てて、恨んでいると聞きましたが」
いくらなんでも酷すぎないだろうか。捏造にもほどがある。
これに何か壮大な背景があるというのなら、まだマシだったかもしれない。たとえばショーには上層部から言いつけられたなんらかの密命があって、祐奈をどうしても貶めなければならなかった、というような。
しかしおそらくショーは本当に計算なく、祐奈に嫌悪感を抱いたのだ。彼と移動した一日半のあいだに、祐奈はそれを正しく悟っていた。ショーは会話を重ねるほど祐奈への怒りを募らせていったし、どんどん態度を悪化させていった。
もしも彼に何か計算があったのなら、最初は親しげに近寄ってきて、罠を仕かけたりしただろう。しかしそういった不自然さはなかった。
彼は純粋に祐奈を嫌っていた。その事実が祐奈を改めて落ち込ませた。
たとえば祐奈がはっきりした性格で、『私の価値感に反することがあれば、それは直してほしいし、都度指摘します』みたいな性分ならば、相手とのあいだにいざこざが起きたとしても、原理的に納得はできるのだ。自分を曲げない代わりに、波風は立てているわけだから。
しかし祐奈は争いごとが嫌いで、他人のことを頭から批判したくない。公序良俗に反しないかぎり、どうぞお好きにしてくださいと思う。できれば他人を不快にさせたくないし、折り合いをつけて上手くやっていきたいと考えている。
それは別に他者に媚びているわけではなく、自分と同じくらい、他の人も尊重しなければいけないと思っているからだ。
そこまで気を遣っているのに、嫌われ、目の敵にされてしまったというのは、かなりショックだった。力なく肩を落としながら口を開く。
「こちらに来て、ハリントン神父には大変親切にしていただきました。人格者の彼が私の姿を見て、先行きを心配してしまうほど醜いと感じたことは、ショックではありました。ですが怒ってはいません」
「では、それについてショーと口論になったことは?」
「それは認めます。彼は私が神父様の意見に不服なのだろうと怒っていました」
「それに対し、あなたはかなりしつこく彼をなじったと聞いています」
「なじっていません」むしろ向こうがなじってきたのだけれど。「彼から『あなたは不服に思っているのだろう』というようなことを、何度か言われたように記憶しています。それについて自分の意見を伝えました」
「具体的になんと?」
「詳細はよく覚えていませんが、『不服には感じていない』ということを、繰り返し伝えたのだと思います」
「伝えたのだと思います、とはどういうことです? あなた自身のことですよね?」
「すみません。具体的になんと返したか、はっきりと思い出せなくて」
「あなたは普段から、腹を立てると記憶が曖昧になりますか?」
――病気だと思われている?
祐奈は途方に暮れてしまった。
枢機卿の態度はそう悪くもなかった。事実関係を淡々と確認した上で見極めようという、公平性のようなものが感じられた。
しかしこれは祐奈にとってあまりに不利な状況だった。裁判官役の枢機卿と祐奈はこれが初対面だ。対しショーは、以前からこの人となんらかの繫がりはあったのだろう。同じ世界の人だし、聖女関連の任務で同じチームだ。
枢機卿は仲間のショーから、祐奈の悪評を吹き込まれてここにいる。祐奈との関係性を築く前に色々聞きすぎている。これではどんなに公平な人であっても、歪んだフィルターがかかってしまう。
「……かっとなって我を忘れたことはありません」
沈黙が落ちた。――結局、平行線だろうと思った。ショーが報告した姿と、祐奈が認識している自分自身はまるで合致しない。
精神的にしんどくなってきた。これはいくら続けても報われないであろうというのが、すでになんとなく分かってきたせいかもしれない。先行きは暗そう。頑張って説明して、何かが好転するのだろうか?
「ショーに対し、性的な誘いをかけたことについて伺いたい」
ああ、もう、信じられない! まさか異世界に来て、自分がセクハラで訴えられるとは!
「彼に性的な誘いをかけたことはありません」
「しかしあなたは彼に興味があったのでは?」
「興味、ですか?」
「職務が滞るほど、しつこく話しかけられたと彼は言っています」
もういい加減にして欲しい。
「こういってはなんですが、ショーさんは自意識過剰だと思います」
「反論は具体的にお願いします」
「では逆にお尋ねしますが、今、私とアステア様は、結構な時間話し込んでいますね」
「ええ」
「あなたは色々なことを質問するし、私は可能な限りそれに答えています。対面で」
「そうですね」
「あなたは今のこの状態を、私が色目を使っていて、性的な誘いをかけていると感じますか?」
「まさか」
枢機卿の顔に呆れが浮かぶ。
「ショーさんと会話した際も、今と同じような感じでした。距離感も含め、です。――彼が私に対して腹を立てているあいだは、彼がなじりながら質問してくるので、私はそれに対して答えました。こちらから話しかけたこともありました。――それは『昼休憩を取るのか?』、『宿の部屋はひとりで使って構わないのか?』など事務的な用件でした」
「宿の部屋について話す時、あなたは性的なことをほのめかしましたか?」
「いいえ」
「彼がそう感じたことは、認識している?」
「はい」
「どうしてですか?」
「その場でそう言われたからです」
「あなたは反論しましたか?」
「はい――あ、いいえ」
「どちらですか?」
「もしかすると、驚いて、何も言えなかったかもしれません」
「その部分も記憶が曖昧ですか?」
悔しさが込み上げてきた。
祐奈は内省的な傾向が強い。他人と会話する際に、言って良いことと悪いことを、かなり慎重に選んでいる。その過程で様々な事柄について考えを巡らせており、その分量はおそらくほかの人より多いのだと思う。だからそれが考えたことなのか、実際に口にしたことなのか、上手く思い出せないことがあるのだ。
そういった祐奈自身の特性が、今は不利に働いている。具体的にキビキビと返答できないことで、祐奈に何か後ろ暗い点があり、それを誤魔化すために作り話をしながら証言していると疑われているようだった。
これについてはもうどうしようもない。裁判だったなら、争点になっているやり取りを詳しく思い出す時間も与えてもらえるだろう。
しかし祐奈は今回の枢機卿の話が、ショーとの会話の一部始終を確認される場だとは知らされていなかった。完全なる不意打ちだ。せめて呼び出す際に教えておいてもらえれば、じっくり復習しておいたのに。
「……私は反論しませんでした」
祐奈は静かに答えた。心は折れかけていたが、続けるしかない。
「事実無根ならば、人はその場できっぱり否定するのではありませんか? 性的誘いをかけたと、あなたは不名誉な内容を指摘されたんですよ? していないなら、していませんと言うはずです」
「枢機卿は私がそうしたと思うのですね」
「申し訳ないが、この場で否定されても、それは自己保身だと思ってしまいます。その問題が起こった際、彼の目を見て否定しなかったことが、真実を物語っている、そう判断せざるをえない」
時間を巻き戻せるものなら、巻き戻したかった。あの宿屋の階段下に戻れたなら、気を強く持って、ショーに反論するのだ。
「あなたは病的に自意識過剰で、妄想と現実の境目が曖昧になっているのでは? こちらこそ、あなたのような器の小さい男性は嫌いです!」
みっともなくていいから、大声で、町中に響き渡るような声量で、ショーに言ってやるべきだった。
でもすべてが遅い。祐奈は失敗したのだ。
それは取り返しのつかないミスだった。
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